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六章
母親
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広翔は家に帰るなり、夕飯の支度に勤しむ結芽に駆け寄った。
「カナさんて今どこにいる!?」
突然の出来事に結芽はお玉を手にしたまま目を見開いた。
「え、佳奈さんて……佳奈ちゃんのこと?どうしていきなり」
「ちょっと、聞きたいことがあるんだ」
不安そうな表情を残したまま、「ちょっと待ってね」と結芽はパタパタとリビングを出て行った。
「えと、佳奈ちゃんはまだ刑務所よ」
スケジュール帳らしきものを取りだし、広翔を心配そうに見上げる。
「会いに行くの?」
「行くよ。……何か言いに行くわけじゃなくて、気になることがあるんだ。それを一番知ってるのはカナさんだろうから」
結芽は訳が分からない様子だった。
困惑してはいたが、小さく頷いて微笑した。
「わかった。手続きしとくね」
そこで初めて手続きがいることを知ったが、広翔は結芽に笑顔で、
「ありがとう」
と言った。
空には真っ赤な夕焼けが広がり、街を焦がしているようだった。
***
その後一週間が経ち、面会の許可が降りた。
タイミング良く、学校がテスト週間に入って早く帰れた。
その間も澄香の行方はわからずに捜査は難航し、打ち切りの話が持ち上がっていた。当然連絡も取れず、皆の精神が蝕まれていった。
留置所に向かう間、何から話すか、話せるのか、広翔は悶々としていた。
面会時間は十五分。話を聞くにはあまりにも短い。
必要なことだけ簡潔に、を目標に掲げ、警察官の立つ建物へと足を踏み入れた。
最悪の形で一度しか会ったことのないはずなのだが、広翔は憎悪と、言いようもない愛しさを感じずにはいられなかった。
透明なガラスによって二つに分けられた空間。刑事ドラマに出てくるような部屋そのものだった。
窺い見るように佳奈に視線を移す。
佳奈は、目元が澄香にそっくりだった。ふとした時に見せる仕草は驚くほど澄香に似ている。髪色も母親譲りらしく、澄香の未来像を目にしているようだった。
「私は」
広翔が無言でいると、佳奈が口を開いた。
静かな瞳で、どこか脅えたような色を帯びていた。
「私は、償えない罪を犯しました。あなたは正直私には会いたくなかったはずです。二度と顔も見たくなかったはずです。何故いらしたのですか」
鈴がなるような澄んだ声が耳を通り抜ける。
広翔は一呼吸置いた。
「俺は、あなたを許したわけじゃない。俺の大切な、何よりも大切な家族を失ったのだから。だけど、家族以外にも大切にしたい人ができたんだ」
真っ直ぐに佳奈を見据える。
「あなたの娘さんは、今は『尾田澄香』として暮らしてます。彼女は声を出せません。目もほとんど見えていません。いずれもストレスのものとしか聞けていない。まだたくさん話したいこともあるし、笑顔も見たい。でも彼女は今行方不明なんです。彼女はむやみやたらに人を心配させる人じゃないです。あなたの夫だった檜木秀一の家でも家宅捜索が行われましたが発見に至りませんでした。何か知っていることがあれば教えてください」
無意識に拳をにぎりしめる。
呼吸が浅くなり、心臓の音がやけに大きく、早く動いているように感じた。
佳奈は真っ白な顔色で血の気を失い、今にも倒れそうだった。
「瑠璃が、居なくなった?家は、全ての部屋を探したの?隈無く?」
「分かりません。だから、知ってること、心当たりがある事があったら……!」
面会時間は終了に差し迫っていた。
佳奈は薄い唇を小さく開き呟いた。
「隠し部屋」
見張りの警官がかすかに振り向いた。気になる内容だったのか、はたまた単に時間が押しているのか。
「隠し部屋があるんです。多分、居るとしたらそこしか考えられないわ」
広翔は血の気がザアと引いていくのがわかった。
もし。
もしもまた捕まってトラウマを繰り返しているのだとしたら。
今度こそ本当に笑えなくなるかもしれない。彼女から感情が消え失せてしまうかもしれない。
面会時間の終了を告げられ、部屋を追い出される。
澄香に送ったラインを確認する。
種袋の表面に印刷された紫色のアネモネの写真に加え、ネットから拾ったピンク色のネリネ、赤いストック、胡蝶蘭の画像。それらが、最後に澄香に送った花の画像。
絶対に見つけ出す。
広翔は決意を新たに、拳に力を入れる。
紫のアネモネの花言葉は「あなたを信じて待つ」。
ピンク色のネリネは「また会う日を楽しみに」。
赤色のストックは「私を信じて」。
そして、白の胡蝶蘭は「あなたを愛してます」。
どうか、また会えますように。
広翔は神など信じていない。信じてはいないが、もしいるのなら、奇跡を起こして欲しい。奇跡を見せて欲しい。
画像で澄香が少しでも生きる気力を湧かせてくれていたら、送った甲斐が有るというものだ。
広翔は「奇跡」を信じて、澄香の実の父親の秀一の家へ向かうべく路地を駆け抜けていった。
「カナさんて今どこにいる!?」
突然の出来事に結芽はお玉を手にしたまま目を見開いた。
「え、佳奈さんて……佳奈ちゃんのこと?どうしていきなり」
「ちょっと、聞きたいことがあるんだ」
不安そうな表情を残したまま、「ちょっと待ってね」と結芽はパタパタとリビングを出て行った。
「えと、佳奈ちゃんはまだ刑務所よ」
スケジュール帳らしきものを取りだし、広翔を心配そうに見上げる。
「会いに行くの?」
「行くよ。……何か言いに行くわけじゃなくて、気になることがあるんだ。それを一番知ってるのはカナさんだろうから」
結芽は訳が分からない様子だった。
困惑してはいたが、小さく頷いて微笑した。
「わかった。手続きしとくね」
そこで初めて手続きがいることを知ったが、広翔は結芽に笑顔で、
「ありがとう」
と言った。
空には真っ赤な夕焼けが広がり、街を焦がしているようだった。
***
その後一週間が経ち、面会の許可が降りた。
タイミング良く、学校がテスト週間に入って早く帰れた。
その間も澄香の行方はわからずに捜査は難航し、打ち切りの話が持ち上がっていた。当然連絡も取れず、皆の精神が蝕まれていった。
留置所に向かう間、何から話すか、話せるのか、広翔は悶々としていた。
面会時間は十五分。話を聞くにはあまりにも短い。
必要なことだけ簡潔に、を目標に掲げ、警察官の立つ建物へと足を踏み入れた。
最悪の形で一度しか会ったことのないはずなのだが、広翔は憎悪と、言いようもない愛しさを感じずにはいられなかった。
透明なガラスによって二つに分けられた空間。刑事ドラマに出てくるような部屋そのものだった。
窺い見るように佳奈に視線を移す。
佳奈は、目元が澄香にそっくりだった。ふとした時に見せる仕草は驚くほど澄香に似ている。髪色も母親譲りらしく、澄香の未来像を目にしているようだった。
「私は」
広翔が無言でいると、佳奈が口を開いた。
静かな瞳で、どこか脅えたような色を帯びていた。
「私は、償えない罪を犯しました。あなたは正直私には会いたくなかったはずです。二度と顔も見たくなかったはずです。何故いらしたのですか」
鈴がなるような澄んだ声が耳を通り抜ける。
広翔は一呼吸置いた。
「俺は、あなたを許したわけじゃない。俺の大切な、何よりも大切な家族を失ったのだから。だけど、家族以外にも大切にしたい人ができたんだ」
真っ直ぐに佳奈を見据える。
「あなたの娘さんは、今は『尾田澄香』として暮らしてます。彼女は声を出せません。目もほとんど見えていません。いずれもストレスのものとしか聞けていない。まだたくさん話したいこともあるし、笑顔も見たい。でも彼女は今行方不明なんです。彼女はむやみやたらに人を心配させる人じゃないです。あなたの夫だった檜木秀一の家でも家宅捜索が行われましたが発見に至りませんでした。何か知っていることがあれば教えてください」
無意識に拳をにぎりしめる。
呼吸が浅くなり、心臓の音がやけに大きく、早く動いているように感じた。
佳奈は真っ白な顔色で血の気を失い、今にも倒れそうだった。
「瑠璃が、居なくなった?家は、全ての部屋を探したの?隈無く?」
「分かりません。だから、知ってること、心当たりがある事があったら……!」
面会時間は終了に差し迫っていた。
佳奈は薄い唇を小さく開き呟いた。
「隠し部屋」
見張りの警官がかすかに振り向いた。気になる内容だったのか、はたまた単に時間が押しているのか。
「隠し部屋があるんです。多分、居るとしたらそこしか考えられないわ」
広翔は血の気がザアと引いていくのがわかった。
もし。
もしもまた捕まってトラウマを繰り返しているのだとしたら。
今度こそ本当に笑えなくなるかもしれない。彼女から感情が消え失せてしまうかもしれない。
面会時間の終了を告げられ、部屋を追い出される。
澄香に送ったラインを確認する。
種袋の表面に印刷された紫色のアネモネの写真に加え、ネットから拾ったピンク色のネリネ、赤いストック、胡蝶蘭の画像。それらが、最後に澄香に送った花の画像。
絶対に見つけ出す。
広翔は決意を新たに、拳に力を入れる。
紫のアネモネの花言葉は「あなたを信じて待つ」。
ピンク色のネリネは「また会う日を楽しみに」。
赤色のストックは「私を信じて」。
そして、白の胡蝶蘭は「あなたを愛してます」。
どうか、また会えますように。
広翔は神など信じていない。信じてはいないが、もしいるのなら、奇跡を起こして欲しい。奇跡を見せて欲しい。
画像で澄香が少しでも生きる気力を湧かせてくれていたら、送った甲斐が有るというものだ。
広翔は「奇跡」を信じて、澄香の実の父親の秀一の家へ向かうべく路地を駆け抜けていった。
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