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六章
失踪
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学校が、もうすぐ始まる。
そうすれば彼女にまた会えるだろう。
今は家にはいないと季実に言われてからもう一ヶ月たつ。そんな折、季実が嬉しそうな声で家に電話をかけてきた。
「澄香ちゃん、学校始まる日の前日に帰ってくるわよ」
無意識に、広翔は拳をにぎりしめた。
ラインは相変わらずの既読スルー。
だがそれは、関わりを絶とうとは思っていないだろうことを示す行為だ。
最後に送った画像に、まだ既読はついていない。
今までの流れからして、きっと明日には見ていることだろう。
彼女は毎日ラインを見たりしない。
三日に一度か、四日に一度くらいだ。
どうやら、彼女は祖父母のもとで楽しく過ごしているらしい。この前トマトが大量に送られてきたと言って、真理が家に来た。ついでに、澄香がトマトを収穫している写真も封筒に入れて三枚寄越した。
写真の中の彼女は、柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。
泣きそうになった。
また、あの笑顔に会えた。それが、たまらなく嬉しかった。
やはり別れた方がいいのかもしれないなんて、そんな考えがまたも頭をよぎる。
なんにせよ、会わなければ始まらない。
会って、彼女と話をして、それから決める。
そう、決心したんだ。
彼女が自分と一緒にいることがたまらなく辛いなら、それはもう、手を引くしかない。彼女が本当にそれを望むのなら、自分は潔くは無理だろうが、身を引こう。
きっと、生きてさえいれば、彼女を支えてくれる人が現れるのだから。
その相手が自分ではない時、どんな感情が待ち受けているのか想像もできないが──……。
***
学校が、始まった。
「おーお前焼けたなぁ」
「え、沖縄行ったの?いーなぁ」
楽しげな会話が教室で繰り広げられている。
教室に入ると、胡桃が近寄ってきた。
「これ」
胡桃は璃久に何かを渡した。
璃久は「おー」と言ってそれを受け取る。なんだか苦笑しているみたいだ。
「何貰ったんだ」
広翔が璃久の手を見ると、手にはハンカチが握られていた。
「ハンカチ?」
広翔が首を傾げると、璃久は頭を掻いて「返さなくていいって言ったんだけどな」と呟いた。
わけがわからず首を傾げると、璃久は笑いながら「後で話すよ」と言った。
ガラリと戸を開けて、日に焼けた肌を晒しながら難波が教壇の前に立った。
皆席につき始める。
ふと、真理を見ると、彼女は何か言いたげな表情をしていた。声をかけようとしたが、難波がホームルームを始めてしまって声をかけられない。
後でいいか、と思った。
難波が教室を出るなり、広翔は真理に声をかけようと腰を浮かせた。すると、璃久が広翔の腕をつついてきた。
「さっきのこれなんだけど」
とハンカチを取り出す。
真理は平然と座っている。きっと大したことではなかったのだろう、と思い、璃久の話に耳を傾けた。
「遊園地、結局行ったんだよ。二人で」
璃久の発言に広翔は椅子からずり落ちそうになった。
「よ、よかったな」
「それで、雨水が靴擦れしたから一時しのぎでハンカチ巻いてやったんだよ。で、血が付いたから洗って返すって言われて」
なんだかんだ上手くいっているのではないか、と広翔は安堵した。
だが、胡桃のその様子を見ていると、胸が苦しくなる。
胡桃が気になるからではなくて、澄香も胡桃のように新しい恋愛へと進んでいけるというのを突きつけられているように感じるのだ。
別に相手はお前以外にもいるんだ、と。
それがたまらなく悲しくなる。
言いようのない焦りが、身体中をぐるぐる回るのだ。
嬉しそうに話す璃久が、澄香の未来の相手を示すような気さえしてくる。
「付き合うのか?」
何気なく聞いたつもりだったのだが、様子がおかしかったのだろう。璃久は話すのをやめ、広翔をじっと見た。
「どうした」
璃久が静かな声色で尋ねる。
言えるわけがないじゃないか。たった一人の親友が、なんだか羨ましく思えて、少しだけ妬んだ、なんて。
広翔は拳を握り、唇をかみしめて俯いた。
「これ以上、どうすればいいか分からない」
ようやく出た言葉も、存在を求めるように空気に溶け込んでいった。
「あの、今、大丈夫……?じゃ、ないか」
真理がくるりと後ろを向いていた。
彼女の顔は、心做しか青ざめていた。
「どうした」
広翔はできるだけいつも通りに振舞った。
「すーちゃんから、何か連絡来た?」
広翔の胸に、ざわりとしたものが広がる。
「ラインは、ずっと既読スルーだよ」
広翔が苦笑混じりに言うと、真理は切羽詰まった表情で問い詰めた。
「いつまで、スマホ見てたかわかる?」
ただならぬその表情に、広翔は冷や汗が背を伝うのを感じた。
「なに、何で……」
上手く呂律が回らない。まるでこれから言われる言葉を拒否するかのように体が鳥肌をたてる。
「すーちゃんと、連絡が取れなくなった」
広翔も璃久も、真理の発言に言葉を紡ぐことができなかった。
「いつ、から」
「昨日。病院行って帰るって、連絡したのが最後で」
真理の目に涙がどんどん溜まっていく。
「警察には、もう言ったの。捜索願も出してる。でも」
一向に消息が掴めない。
広翔は真っ青になりながらも、ふらふらと立ち上がった。
「おい、広翔」
璃久が広翔の腕を掴むと、広翔はその腕を振り払った。
「探さなきゃ」
焦点の合わない目で、どこに話しかけているかもわからない様子で呟いている。
「…………これ、言わなきゃよかったかも?」
「ああ」
璃久と真理は互いに広翔から少し距離をとった。
明らかに様子がおかしい。いつもの温和な、気弱そうな表情は消え去り、光を灯さない冷酷な目がギョロリと二人を睨む。
「一回気絶させた方が……」
璃久が呟いた刹那、広翔の突きが飛んできた。
「うぉっ」
間一髪でそれを避ける。
「え、渡辺……っ何が起きて」
真理が璃久に寄ろうとすると、広翔の蹴りが真理に当たる。
「いっ……!」
ドガシャン、と派手な音を立てて真理が机と共に飛ばされた。
教室内が途端に静まり返る。
「ちょっと葛西君!?」
額に血管を浮かび上がらせながら胡桃が広翔に一歩近づく。
「やめろ!今そいつに近づくな!!」
璃久の絶叫が教室に響く。
「え」
胡桃が困惑を露にし足を止めた刹那、広翔が胡桃に向かって殴りかかってきた。
胡桃の悲鳴は喉で掻き消える。
あと少しで頬に直撃──という所で、広翔の腕がピタリととまる。
正確には、腕が掴まれて拳が届かなかった。そして広翔の腹部分に一瞬の激痛がはしる。
「ちょっとはしゃぎすぎよ」
腕を掴んだ主が冷たい声を出す。
広翔は眉間に皺を寄せ、そのままゆっくりと倒れ込んだ。
しん、と静まり返った教室に、璃久の呟きがやけに大きく響いた。
「………………すげ」
気絶した広翔をひょいと担ぐと、教室で呆然としている生徒達に向かって言った。
「保健室連れていくから、自習してて」
カツカツと高い音を響かせて、彼の暴走を止めた難波は広翔を保健室へと運んでいった。
残された面々は、暫く呆けていたが、各々机につき、試験勉強を始めた。
勿論、璃久はその間、クラスの人たちの視線を浴びることとなった訳だが。
彼はそっと胡桃に歩み寄り、「平気か」と聞いた。
胡桃がこわごわと頷くと、璃久はあたたかい笑みを浮かべ、胡桃の頭をそっと撫でた。
その光景に、先程までの騒動を忘れるほど、皆衝撃を受けた。
誰も何も、言葉を発しなかった。
まだ九月だというのに、外の空気は既に寒さを含んでいた。
そうすれば彼女にまた会えるだろう。
今は家にはいないと季実に言われてからもう一ヶ月たつ。そんな折、季実が嬉しそうな声で家に電話をかけてきた。
「澄香ちゃん、学校始まる日の前日に帰ってくるわよ」
無意識に、広翔は拳をにぎりしめた。
ラインは相変わらずの既読スルー。
だがそれは、関わりを絶とうとは思っていないだろうことを示す行為だ。
最後に送った画像に、まだ既読はついていない。
今までの流れからして、きっと明日には見ていることだろう。
彼女は毎日ラインを見たりしない。
三日に一度か、四日に一度くらいだ。
どうやら、彼女は祖父母のもとで楽しく過ごしているらしい。この前トマトが大量に送られてきたと言って、真理が家に来た。ついでに、澄香がトマトを収穫している写真も封筒に入れて三枚寄越した。
写真の中の彼女は、柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。
泣きそうになった。
また、あの笑顔に会えた。それが、たまらなく嬉しかった。
やはり別れた方がいいのかもしれないなんて、そんな考えがまたも頭をよぎる。
なんにせよ、会わなければ始まらない。
会って、彼女と話をして、それから決める。
そう、決心したんだ。
彼女が自分と一緒にいることがたまらなく辛いなら、それはもう、手を引くしかない。彼女が本当にそれを望むのなら、自分は潔くは無理だろうが、身を引こう。
きっと、生きてさえいれば、彼女を支えてくれる人が現れるのだから。
その相手が自分ではない時、どんな感情が待ち受けているのか想像もできないが──……。
***
学校が、始まった。
「おーお前焼けたなぁ」
「え、沖縄行ったの?いーなぁ」
楽しげな会話が教室で繰り広げられている。
教室に入ると、胡桃が近寄ってきた。
「これ」
胡桃は璃久に何かを渡した。
璃久は「おー」と言ってそれを受け取る。なんだか苦笑しているみたいだ。
「何貰ったんだ」
広翔が璃久の手を見ると、手にはハンカチが握られていた。
「ハンカチ?」
広翔が首を傾げると、璃久は頭を掻いて「返さなくていいって言ったんだけどな」と呟いた。
わけがわからず首を傾げると、璃久は笑いながら「後で話すよ」と言った。
ガラリと戸を開けて、日に焼けた肌を晒しながら難波が教壇の前に立った。
皆席につき始める。
ふと、真理を見ると、彼女は何か言いたげな表情をしていた。声をかけようとしたが、難波がホームルームを始めてしまって声をかけられない。
後でいいか、と思った。
難波が教室を出るなり、広翔は真理に声をかけようと腰を浮かせた。すると、璃久が広翔の腕をつついてきた。
「さっきのこれなんだけど」
とハンカチを取り出す。
真理は平然と座っている。きっと大したことではなかったのだろう、と思い、璃久の話に耳を傾けた。
「遊園地、結局行ったんだよ。二人で」
璃久の発言に広翔は椅子からずり落ちそうになった。
「よ、よかったな」
「それで、雨水が靴擦れしたから一時しのぎでハンカチ巻いてやったんだよ。で、血が付いたから洗って返すって言われて」
なんだかんだ上手くいっているのではないか、と広翔は安堵した。
だが、胡桃のその様子を見ていると、胸が苦しくなる。
胡桃が気になるからではなくて、澄香も胡桃のように新しい恋愛へと進んでいけるというのを突きつけられているように感じるのだ。
別に相手はお前以外にもいるんだ、と。
それがたまらなく悲しくなる。
言いようのない焦りが、身体中をぐるぐる回るのだ。
嬉しそうに話す璃久が、澄香の未来の相手を示すような気さえしてくる。
「付き合うのか?」
何気なく聞いたつもりだったのだが、様子がおかしかったのだろう。璃久は話すのをやめ、広翔をじっと見た。
「どうした」
璃久が静かな声色で尋ねる。
言えるわけがないじゃないか。たった一人の親友が、なんだか羨ましく思えて、少しだけ妬んだ、なんて。
広翔は拳を握り、唇をかみしめて俯いた。
「これ以上、どうすればいいか分からない」
ようやく出た言葉も、存在を求めるように空気に溶け込んでいった。
「あの、今、大丈夫……?じゃ、ないか」
真理がくるりと後ろを向いていた。
彼女の顔は、心做しか青ざめていた。
「どうした」
広翔はできるだけいつも通りに振舞った。
「すーちゃんから、何か連絡来た?」
広翔の胸に、ざわりとしたものが広がる。
「ラインは、ずっと既読スルーだよ」
広翔が苦笑混じりに言うと、真理は切羽詰まった表情で問い詰めた。
「いつまで、スマホ見てたかわかる?」
ただならぬその表情に、広翔は冷や汗が背を伝うのを感じた。
「なに、何で……」
上手く呂律が回らない。まるでこれから言われる言葉を拒否するかのように体が鳥肌をたてる。
「すーちゃんと、連絡が取れなくなった」
広翔も璃久も、真理の発言に言葉を紡ぐことができなかった。
「いつ、から」
「昨日。病院行って帰るって、連絡したのが最後で」
真理の目に涙がどんどん溜まっていく。
「警察には、もう言ったの。捜索願も出してる。でも」
一向に消息が掴めない。
広翔は真っ青になりながらも、ふらふらと立ち上がった。
「おい、広翔」
璃久が広翔の腕を掴むと、広翔はその腕を振り払った。
「探さなきゃ」
焦点の合わない目で、どこに話しかけているかもわからない様子で呟いている。
「…………これ、言わなきゃよかったかも?」
「ああ」
璃久と真理は互いに広翔から少し距離をとった。
明らかに様子がおかしい。いつもの温和な、気弱そうな表情は消え去り、光を灯さない冷酷な目がギョロリと二人を睨む。
「一回気絶させた方が……」
璃久が呟いた刹那、広翔の突きが飛んできた。
「うぉっ」
間一髪でそれを避ける。
「え、渡辺……っ何が起きて」
真理が璃久に寄ろうとすると、広翔の蹴りが真理に当たる。
「いっ……!」
ドガシャン、と派手な音を立てて真理が机と共に飛ばされた。
教室内が途端に静まり返る。
「ちょっと葛西君!?」
額に血管を浮かび上がらせながら胡桃が広翔に一歩近づく。
「やめろ!今そいつに近づくな!!」
璃久の絶叫が教室に響く。
「え」
胡桃が困惑を露にし足を止めた刹那、広翔が胡桃に向かって殴りかかってきた。
胡桃の悲鳴は喉で掻き消える。
あと少しで頬に直撃──という所で、広翔の腕がピタリととまる。
正確には、腕が掴まれて拳が届かなかった。そして広翔の腹部分に一瞬の激痛がはしる。
「ちょっとはしゃぎすぎよ」
腕を掴んだ主が冷たい声を出す。
広翔は眉間に皺を寄せ、そのままゆっくりと倒れ込んだ。
しん、と静まり返った教室に、璃久の呟きがやけに大きく響いた。
「………………すげ」
気絶した広翔をひょいと担ぐと、教室で呆然としている生徒達に向かって言った。
「保健室連れていくから、自習してて」
カツカツと高い音を響かせて、彼の暴走を止めた難波は広翔を保健室へと運んでいった。
残された面々は、暫く呆けていたが、各々机につき、試験勉強を始めた。
勿論、璃久はその間、クラスの人たちの視線を浴びることとなった訳だが。
彼はそっと胡桃に歩み寄り、「平気か」と聞いた。
胡桃がこわごわと頷くと、璃久はあたたかい笑みを浮かべ、胡桃の頭をそっと撫でた。
その光景に、先程までの騒動を忘れるほど、皆衝撃を受けた。
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