クルーエル・ワールドの軌跡

木風 麦

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五章

距離

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 次に目を覚ますと、そこは不思議な空間ではなく自分の部屋だった。
「起きた?」
 望江がベッドに座り、広翔を見下ろすようにして座っていた。
「話してる途中でいきなり寝るんだもの」
 望江は「で」と顔を近づけた。
「記憶は?」
 サラリと長い髪が広翔の頬にかかる。
「……姉さんの存在を、思い出しました」
 広翔がそう言うと、望江は黙って身を引いた。
「それだけ?」
 望江は広翔を見つめる。
「全部を、思い出したわけじゃないんです。でも、雨水先輩が澄香先輩に接触したのって」
 心臓がバクバクとうるさい。
 今から言うのが、ただの勘違いであって欲しい。
 そんな願望を込め、息を吸い込む。
「澄香先輩が、俺の家族を奪った犯人ひとの娘だからですか」
 広翔の問いに、望江は眉を寄せて俯いた。
 俯いて、頷いた。
 ああ、やっぱり。
 絶望に似た感情が胸を占める。
 この先輩さえ黙っていれば、何も知らないまま幸せな生活が続けられたのに。
 今まで通り笑ってられたのに。
 そんな思いで望江を見ると、彼女は唇を噛み締めていた。
 そんな彼女を見て、広翔は自身を恥じた。
 この先輩も、親友を失った被害者だったと。
「いつから、気づいていたんですか」
「バーベキュー。私が、犯人の顔を忘れるわけがないのに、澄香ちゃんは名前が違ったからなぁ。他人の空似と思ってたのよ」
 まさか親子だったなんて。
 消え入るような声だった。
「先輩は、恨んでますか?」
 広翔が尋ねると、望江は泣き笑いを浮かべて答えた。

「わかんない」


***


「──いやいやいや。どういうことだよ」
 カフェに居た璃久と胡桃は目を疑った。
 胡桃と璃久は体育祭以来、何かと一緒にいる事が増えた。
 その日も二人はカフェでくつろいでいた。
「え、あれ……姉さん、よね」
 胡桃は困惑しながらキャラメルラテを啜る。
「浮気?」
 二人は口を揃えて呟いた。
「いや、あの単細胞はそんな器用なことできるはずがない」
「そ、そうだよね。一途だもんね、葛西君は」
 と言いつつも、カフェに入ってきた広翔と望江という組み合わせに目が釘付けになる。
「え、バーベキューくらいしか接点なんてなかったはずなのに」
 胡桃はそう言った瞬間、「あっ」と声を上げた。
「馬鹿!声でけぇよ」
「ごめ……待って。浮気じゃなくて、記憶のことかも」
 青ざめる胡桃に、璃久は眉をひそめる。
「記憶?」
「姉さん、うちのお母さんと再婚する前は葛西君のお姉さんと親友だったんだって」
 璃久は渋い顔になる。
「思い出させようとしてんのか?」
 二人がそんなことを話しているうちに、広翔たちは店を出ていった。
「……追うか?」
「行くでしょ」
 二人もガタリと席を立ち、二人の後を尾行した。
「え」
 璃久と胡桃は目を疑った。
 広翔の家に入っていくのを見たからだ。
「……浮気か?」
 璃久が呟くと、胡桃が鳩尾みぞおちを殴った。
「んなわけないでしょ。どういうこと?葛西君が、記憶を取り戻したいとでも言ったの?」
 胡桃が困惑気味に言う。
「それは、先輩が出て行った後に問い詰めればわかる」
 璃久が胡桃を手招きして、
「暑いから家行くぞ」
 と言った。
「えっ……いや、それは」
 と胡桃がたじろぐと、呆れた顔で
「このまま家の前で見張ってたら熱中症になるわ。うち今母さんいるし。ほら行くぞ」
 と言い、胡桃の手を引いた。


 胡桃は莉乃から大歓迎された。
 手作りだというマカロンに、スコーンとアールグレイを出され、璃久の学校生活についていろいろ尋ねられた。
 周りが夕焼けに染まり始めた頃だ。
「行くぞ」
 と璃久が胡桃に声をかけた。
「むぁ?」
 スコーンを食べていた胡桃は、もぐもぐと咀嚼しながら振り返った。
「先輩が家から出た。行くんだろ」
 璃久に促され、胡桃はゴクッとスコーンを飲み込み、頷いた。
 家の前に行くと、電気がついていなかった。
「おかしいな」
 璃久はインターホンを押した。
 が、出てこない。
「裏口から入るか」
 璃久はそう言うなり、車の裏側へと回り、駐車スペースのコンクリートに足をかけた。
「えっ何してんの!?」
 胡桃は目を丸くした。
 彼は、家を登っていた。
「よ……っと」
 駐車スペースの屋根部分に足をかけ、その近くの窓を叩いた。
「璃久?」
 広翔が窓を開けた。
 璃久は広翔を見て言葉を失った。
 目は死んだ魚のように濁り、顔は青白い。
「……おい。何があった」
 璃久が尋ねると、広翔は自嘲するような笑みを浮かべた。
「とりあえず、そこにいるのは危ないから中入れよ」
 と広翔が璃久を招き入れる。
「下に雨水もいる。連れてきてもいいか?」
 璃久が窓枠に足をかけながら言う。
「……うん。いいよ」
 少しの沈黙の後、彼はかすかに頷いた。


***


 二人が中に入ると、部屋は暗い雰囲気に包まれているような、重い空気が漂っていた。
「お前さっき雨水のねーちゃんとカフェ来ただろ」
「ああ、それで」
 広翔は納得したように頷いた。
「雨水先輩が、春海姉さんの親友だったって聞いた」
 胡桃と璃久は息を呑み、顔を見合わせた。
「思い出したの?」
 おそるおそるといった様子で胡桃が口を開いた。
「全部は、思い出してない」
 と首を振る。
「そっか」
 ほっとしたような、残念そうな表情で頷いた。
「俺が思い出したのは、俺の家族のこと。それから、事件の時の記憶。雨水先輩から教えられたのは、澄香先輩が、一家殺人の娘ってこと」
 璃久は目を見張り、「え」と胡桃は口に手を当てた。
「そんなことって、あるの」
「でも、名前が違くないか。たしか、ヒノキって名前のはず」
 璃久が記憶を手繰るように目を閉じた。
「そうだよ。季実さんと相談して、名前を変えていたらしい。いじめにも繋がることだから」
 ああ、たしかに。と二人は頷いた。
「彼女……澄香先輩の本当の名前は、檜木瑠璃るりさん」
 広翔の告白に、二人は狼狽え、何も言うことが出来なかった。
 その日は夕立が激しく降り注いだ日だった。
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