クルーエル・ワールドの軌跡

木風 麦

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五章

事件の記憶<後編>

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 目を覚ますと、見知らぬ天井が視界に広がっていた。

──いや、見知ったものだ。

 広翔は、かつての自分の家に寝転がっていた。
 ムクリと体を起こすと、黒のランドセルが勉強机の横にかけてある。
 机の前にかかったカレンダーをみると、八年前の、十二月を指していた。
「まさか」
 青ざめた。
 まさか事件の当日にタイムスリップしたというのだろうか。
 そんな馬鹿な、と打ち消す。
 そんな摩訶不思議なことあるわけがない、と。
「ちょっとヒロ?まだ寝て……あれ?もう起きてたの?」
 ドアを開けて入ってきたのは、白のワンピースにロングヘアの少女。
 広翔の姉の、春海だった。

「──姉さん」

 声に、出したつもりだった。
「はやく下来なさいよ。朝ごはんせっかく作ったのに」
 ひらひらと手を振りながら、彼女は部屋を出ていった。
 すると、自分の意思と関係なく体が動く。
 少女──葛西春海が言っていたことを思い出す。
 これは記憶だと。
 そうだとすれば、広翔は自分の記憶を遡っているに過ぎない。

──過去を変えることは、できない。

 わかっていたはずの事実なのに、無力感が込み上げる。
 いや、と首を振る。
 自分の目的は澄香と事件の関係を探ることだ、と。
 リビングには、広翔の父、達海たつみが新聞を読み、母の智美はコーヒーを淹れていた。
「あ、起きてきた。ヒロは寝坊助ね」
 目を細めて智美は笑う。
 春海が前言っていたのと、同じ言葉だ。
 涙が出そうになる。
 こんな、当たり前だった出来事が、もう二度と繰り返されることは無いなんて。
 両親二人が笑う。
 自分が何かを言ったらしい。
 春海が分厚いパンケーキを持ってくる。
「ほれほれ。お姉様特製パンケーキよ」
 ふんわりとほのかに香るリンゴジャムがかけられたパンケーキ。
 春海はパンケーキを広翔に渡すと、二階へ上がっていった。
 ああ、そうだ。姉さんのパンケーキは絶品で、売り物同然だった。
 なんで、忘れてなんかいたんだろう。
 もちろん、事故の記憶は辛い。
 辛いけど、まさか──……。

「姉さんを、忘れるなんて」

 姉不孝者、と彼女なら笑って言うのだろう。
 そういう人だ。
 事故だけじゃなく、姉さんそのものを自分の中から消してしまうなんて。その事実に、どうしようもなく悲しくなる。
 ピンポーン
 玄関のチャイムが鳴った。
「ん?誰だ」
 達海が立ち上がる。
「ああ、檜木ひのきさんだ」
 達海は微笑を浮かべ、玄関へ向かった。
 胸騒ぎが、した。
「……っ父さん!!」
 叫んでも、走ろうとしても、体は動かない。パンケーキを食べ続ける。
 その事件の時と、全く同じことを繰り返しているに過ぎないのだ。
 ドサっと、音がした。
「何の音?」
 智美がリビングから出ていくとすぐ、悲鳴が響いた。
 そこでようやく、体が動き出す。

──唖然とした。

 澄香そっくりの人物が、血の付いた刃物を持って立ちすくんでいたのだから。
 この人は、檜木佳奈かなさん。
 あの、火事の犯人。
 思い、出した。
 あの日、佳奈が急に家へ訪れた。
 そして、父と母を刺したのだ。
「広翔君」
 ゆらり、と彼女が近づいてきた。
 殺人犯には見えない、澄んだ笑みに涙を浮かべて、彼女は言った。
「私を、許さないで」
 ギラリと鈍く光った刃物が、振りかぶられた。
 刺される。
 殺される。
 頭ではわかるのに、体は動かなかった。
 振り下ろされる手が、やけにゆっくりと見えた。
「広翔!!」
 甲高い声が、耳に届いた。
 バフッと空手着が佳奈の顔面にヒットする。
 呆然と見ていると、春海が手を強く引いた。
「逃げて!!」
 背中を押され、リビングの方に押しやられる。
 おろおろと春海の方を見ると、春海は「早く!」と彼を急かした。
 広翔は窓から家を脱出し、交番へと走った。
 そして、家の前に戻ってきた時には、火が家を包んでいたのだ。
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