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二章
葛西と雨水
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家に帰るなり、広翔は寝所に突っ伏した。
──ストレス。
ストレスにも色々あるだろう。
一言で括ったのにはなにか意味があったのだろうか。
──私からは言えない。
確かに季実はそう言った。
おそらくそのストレスというのはかなり深い闇なのだろう、と思えた。伯母の口からは言えない、深刻な……。
──もしかしたら、あなたがあの子を救ってくれるかもって……。
泣き笑いを浮かべた季実の顔が、脳裏に焼き付いていた。
だが、救う、なんて遠い異国の言語のように思えた。
救う?
俺が、彼女を?
自分のことすらまともに覚えていないのに?
広翔は自嘲した。
買い被りすぎだ。
彼女には、もっとふさわしい人が現れるだろう。
──自分ではない、誰かが。
胸が、締め付けられる。苦しい。苦しい。……悔しい。
なんで、自分では釣り合わないと思うくせに、自分では助けられないと思うくせに、こんなにも腸が煮えくり返りそうになるのか。呼吸が苦しくなるのか。矛盾している。
──俺は、彼女を救いたいけど、救えないよ。
そっと、心の中で洩らした。
***
翌日、璃久が当たり前のように家の前に立っていた。
「今日は珍しく早いな」
と笑いながら。
璃久には、話してもいいだろうか。
広翔の中でそんな気持ちが湧いてきた。
「広翔さ」
と璃久に声をかけられ、思わずビクッとしてしまう。
「えっあ……な、何?」
明らかに挙動不審な広翔に、璃久が眉を寄せる。
「お前、尾田と仲良かったっけ」
「え」
思わぬ問いに、しばし放心した。
「え、なんで、尾田さん?」
「昨日一緒に帰ったんだろ?車で」
「なんで知ってるんだ!?」
やっぱりお前だったのか、と璃久は面倒くさそうに頭を掻いた。
「昨日雨水と帰ってる時見かけたんだよ」
「いや。あの、ちょっとした誤解っていうか……尾田さんのお姉さんが、俺の話した人だったんだ」
嘘は言ってない。だが、複雑そうな事情は避けた。やはり、言うのは躊躇われた。
「すげえ偶然だな」
とだけ璃久は言った。
教室では、胡桃が一人でぼうっとしていた。
声をかけようとする前に、璃久が胡桃の肩を叩いた。
「何よ」
「誤解だってさ」
開口一番、璃久はそう言った。
何の話だ、と広翔が少しの間思考する。
しかし胡桃は即座にわかったようで、目を見開いた。
「あ、昨日の車のことか」
と思い当たると、璃久も広翔の発言に頷いた。
「昨日のはちょっとした誤解で。あの、俺が昨日話した人が、尾田さんのお姉さんだったみたいで」
と、自然と頬を緩めた。
言い終わらないうちに、璃久からエルボーを食らう。
「いっ……!?璃久、何すん」
何すんだ、と言い終わらないうちに、さらにもう一発、今度はいつから居たのだろうか、真理から食らった。
痛みで何も言えない広翔は、二人の冷たく蔑むような視線に縮こまった。
「なんでそこまで言うかな」
真理は大きなため息をついた。
「へぇ。良かったね」
胡桃は笑顔で言い、「ちょっと気分悪いから、保健室行ってくる」と席を立った。
「……大丈夫かな」
広翔が呟くと、またしても二人から攻撃された。
「早く行け!この馬鹿!」
「追いかけろ。この鈍感野郎が」
と追い立てられ、訳がわからないまま胡桃を追った。
「あーあ。まだ五月だってのに」
「早くも失恋かねぇ」
真理は、眉をひそめて璃久を蹴った。
「痛っ、何?」
「ニヤニヤすんなし。不謹慎」
真理はそう言い捨て、女友達のもとへ戻っていった。
***
胡桃を追いかけるため、広翔は保健室へ向かった。
が、途中で見失い、校舎のなかで迷子になっていた。
階段を降りたり上がったりしていると、資料室から物音がするのが聞こえた。
そっと覗くと、中には黒髪ロングの女子生徒が印刷機を弄っていた。どうやら、三年生のようだ。
「あのぅ」
と広翔が声をかけると、女子生徒はくるっと振り返り「はい」と応えた。
「すみません、迷っちゃったんですけど、保健室ってどこですか」
「ああ。私も用があるから一緒に行きましょうか」
と女子生徒は微笑んだ。
美人だ。そして優しい。
「じゃ、行きましょ」
美人の先輩は大量の書類を抱えていた。
「持ちます」
と申し出ると、
「じゃあ、半分お願い」
と笑った。
「名前。聞いてなかったわ。なんて言うの?」
「あ、葛西広翔です。」
「え、葛西……広翔?」
ピタリ、と先輩の足が止まった。
「えと、何か」
知らぬ間にそんなに有名な名前になっていたのだろうかと訝しむと、
「私、望江。雨水望江·····。広翔君だよね?あの、春海ちゃんの弟の……」
どくん、と心臓が鳴った。
血が全身を巡るのを辞めてしまったみたいな、そんな感覚に襲われた。
「お、弟……?俺が?ひ、人違い……そうだ。人違いだ。だって俺、そんな人」
──知らない。
「そんなはずない。だって……広翔君?」
広翔の様子に気づいたのか、望江は広翔を覗き見る。
「ちょ、真っ青じゃない!どうしたの!?」
広翔はフーっフーっと荒い息を吐いている。
「いた、痛い。頭、頭がっ、わ、われ、割れそう」
「えっ!?なんで急に……とにかく、保健室行きましょう。立てる?」
書類を床の隅に纏め、広翔の肩を支えて保健室へ誘導する。
「広翔君しっかり」
望江の呼びかけには応えず、広翔は唸るだけだ。
「先生!広翔君の様子が!」
保健室に入り、望江は穂花を呼んだ。
「えっ、雨水さん!?なんで葛西君と」
「そんなことより、広翔君の意識が!」
望江は涙目で穂花を見上げる。
「どういうことなの!?なんで広翔君がこの学校に居るって言ってくれなかったの。なんで今、広翔君倒れてるの……っ!?」
ボロボロと、涙腺が決壊したように形の整った目から涙が零れ落ちる。
穂花は広翔をもう片側から支え、ベッドに横たえた。
「…………ねぇさん」
広翔は呟き、そのまま気を失った。
次いで穂花は、精神が乱れた望江をソファに座らせた。
ポットへ近寄り、望江に聞こえないように、小さくため息をついた。
時計の秒針を刻む音と、望江の啜り泣く声が保健室に響いていた。
──ストレス。
ストレスにも色々あるだろう。
一言で括ったのにはなにか意味があったのだろうか。
──私からは言えない。
確かに季実はそう言った。
おそらくそのストレスというのはかなり深い闇なのだろう、と思えた。伯母の口からは言えない、深刻な……。
──もしかしたら、あなたがあの子を救ってくれるかもって……。
泣き笑いを浮かべた季実の顔が、脳裏に焼き付いていた。
だが、救う、なんて遠い異国の言語のように思えた。
救う?
俺が、彼女を?
自分のことすらまともに覚えていないのに?
広翔は自嘲した。
買い被りすぎだ。
彼女には、もっとふさわしい人が現れるだろう。
──自分ではない、誰かが。
胸が、締め付けられる。苦しい。苦しい。……悔しい。
なんで、自分では釣り合わないと思うくせに、自分では助けられないと思うくせに、こんなにも腸が煮えくり返りそうになるのか。呼吸が苦しくなるのか。矛盾している。
──俺は、彼女を救いたいけど、救えないよ。
そっと、心の中で洩らした。
***
翌日、璃久が当たり前のように家の前に立っていた。
「今日は珍しく早いな」
と笑いながら。
璃久には、話してもいいだろうか。
広翔の中でそんな気持ちが湧いてきた。
「広翔さ」
と璃久に声をかけられ、思わずビクッとしてしまう。
「えっあ……な、何?」
明らかに挙動不審な広翔に、璃久が眉を寄せる。
「お前、尾田と仲良かったっけ」
「え」
思わぬ問いに、しばし放心した。
「え、なんで、尾田さん?」
「昨日一緒に帰ったんだろ?車で」
「なんで知ってるんだ!?」
やっぱりお前だったのか、と璃久は面倒くさそうに頭を掻いた。
「昨日雨水と帰ってる時見かけたんだよ」
「いや。あの、ちょっとした誤解っていうか……尾田さんのお姉さんが、俺の話した人だったんだ」
嘘は言ってない。だが、複雑そうな事情は避けた。やはり、言うのは躊躇われた。
「すげえ偶然だな」
とだけ璃久は言った。
教室では、胡桃が一人でぼうっとしていた。
声をかけようとする前に、璃久が胡桃の肩を叩いた。
「何よ」
「誤解だってさ」
開口一番、璃久はそう言った。
何の話だ、と広翔が少しの間思考する。
しかし胡桃は即座にわかったようで、目を見開いた。
「あ、昨日の車のことか」
と思い当たると、璃久も広翔の発言に頷いた。
「昨日のはちょっとした誤解で。あの、俺が昨日話した人が、尾田さんのお姉さんだったみたいで」
と、自然と頬を緩めた。
言い終わらないうちに、璃久からエルボーを食らう。
「いっ……!?璃久、何すん」
何すんだ、と言い終わらないうちに、さらにもう一発、今度はいつから居たのだろうか、真理から食らった。
痛みで何も言えない広翔は、二人の冷たく蔑むような視線に縮こまった。
「なんでそこまで言うかな」
真理は大きなため息をついた。
「へぇ。良かったね」
胡桃は笑顔で言い、「ちょっと気分悪いから、保健室行ってくる」と席を立った。
「……大丈夫かな」
広翔が呟くと、またしても二人から攻撃された。
「早く行け!この馬鹿!」
「追いかけろ。この鈍感野郎が」
と追い立てられ、訳がわからないまま胡桃を追った。
「あーあ。まだ五月だってのに」
「早くも失恋かねぇ」
真理は、眉をひそめて璃久を蹴った。
「痛っ、何?」
「ニヤニヤすんなし。不謹慎」
真理はそう言い捨て、女友達のもとへ戻っていった。
***
胡桃を追いかけるため、広翔は保健室へ向かった。
が、途中で見失い、校舎のなかで迷子になっていた。
階段を降りたり上がったりしていると、資料室から物音がするのが聞こえた。
そっと覗くと、中には黒髪ロングの女子生徒が印刷機を弄っていた。どうやら、三年生のようだ。
「あのぅ」
と広翔が声をかけると、女子生徒はくるっと振り返り「はい」と応えた。
「すみません、迷っちゃったんですけど、保健室ってどこですか」
「ああ。私も用があるから一緒に行きましょうか」
と女子生徒は微笑んだ。
美人だ。そして優しい。
「じゃ、行きましょ」
美人の先輩は大量の書類を抱えていた。
「持ちます」
と申し出ると、
「じゃあ、半分お願い」
と笑った。
「名前。聞いてなかったわ。なんて言うの?」
「あ、葛西広翔です。」
「え、葛西……広翔?」
ピタリ、と先輩の足が止まった。
「えと、何か」
知らぬ間にそんなに有名な名前になっていたのだろうかと訝しむと、
「私、望江。雨水望江·····。広翔君だよね?あの、春海ちゃんの弟の……」
どくん、と心臓が鳴った。
血が全身を巡るのを辞めてしまったみたいな、そんな感覚に襲われた。
「お、弟……?俺が?ひ、人違い……そうだ。人違いだ。だって俺、そんな人」
──知らない。
「そんなはずない。だって……広翔君?」
広翔の様子に気づいたのか、望江は広翔を覗き見る。
「ちょ、真っ青じゃない!どうしたの!?」
広翔はフーっフーっと荒い息を吐いている。
「いた、痛い。頭、頭がっ、わ、われ、割れそう」
「えっ!?なんで急に……とにかく、保健室行きましょう。立てる?」
書類を床の隅に纏め、広翔の肩を支えて保健室へ誘導する。
「広翔君しっかり」
望江の呼びかけには応えず、広翔は唸るだけだ。
「先生!広翔君の様子が!」
保健室に入り、望江は穂花を呼んだ。
「えっ、雨水さん!?なんで葛西君と」
「そんなことより、広翔君の意識が!」
望江は涙目で穂花を見上げる。
「どういうことなの!?なんで広翔君がこの学校に居るって言ってくれなかったの。なんで今、広翔君倒れてるの……っ!?」
ボロボロと、涙腺が決壊したように形の整った目から涙が零れ落ちる。
穂花は広翔をもう片側から支え、ベッドに横たえた。
「…………ねぇさん」
広翔は呟き、そのまま気を失った。
次いで穂花は、精神が乱れた望江をソファに座らせた。
ポットへ近寄り、望江に聞こえないように、小さくため息をついた。
時計の秒針を刻む音と、望江の啜り泣く声が保健室に響いていた。
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