7 / 59
二章
尾田家
しおりを挟む
カーテンがシャッと開けられる。
顕になった人物は、広翔を見て目を丸くした。
「尾田さん……何でここに」
思いがけない人物の登場に目に見えて狼狽した。
「やっぱりすーちゃんの事だったかぁ」
『知り合いだったの?』
すーちゃん、と言われた澄香は真理に向かって尋ねた。
「同じクラスなんだよ。で?仲直りしたの?」
「仲直り……っていうか、なんていうか」
「まぁ、元通りになったみたいだね」
二人の様子に苦笑いしながら真理は言う。
「お迎えって、真理のことだったのか」
『そうだけど、ちょっと違う』
澄香の答えに広翔は首を傾げる。
「車だよ」
「車!?」
車での送り迎えとは、この二人の家は金持ちということだろうか。
「え、ちょっと。普通の車だよ?何を想像してんの?お迎えもお母さんだよ」
慌てて真理が広翔の想像を打ち消した。
その時、またもガラッと戸が開いた。
「お迎えきたよー……って、あら?」
入ってきたのは穂花ではなく、若いの女性だった。
「あらあらあら。お友達?」
「あ、お母さん」
と真理が言った。横でお母さん、と言われた女性は嬉しそうに微笑んでいる。
「お母さん?え?お姉さんじゃなくて?」
「若く見えるよね。でも実際は四十五だよ」
「……見えない」
広翔が唖然としてると、
「あらあら、嬉しいわ。尾田季実です。どっちとお友達?」
「えと……両方?」
ちら、と澄香を窺い見ると、パチッと視線が合った。
『友達なの?』
と澄香が首を傾げた。
「先輩です」
広翔が言い直すと、季実はぱちくりと目を瞬かせた。澄香を次いで見て、くすりと笑った。
「まぁ、友達だなんて言いづらいものね」
季実はくすくすと笑い続けている。
「そうだわ。あなた、お名前なんて言うの?」
「あ、申し遅れました。葛西広翔と言います」
慌てて頭を下げると、窓のサッシに頭をぶつけた。ゴッと鈍い音がする。
「あら、大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
恥ずかしさで耳まで赤くなる。
「あ、ねえ。今日は夜空いてるかしら。よかったら夕飯食べていかない?」
季実は手を合わせ、にこりと微笑んだ。
「え、いや、悪いですよ」
「遠慮しなくていいって。あ、ホントに都合悪い?」
真理が割って入る。
「いや、悪くはないけど」
「じゃあいいじゃん」
何が不満?と真理は眉間にしわを寄せる。
「いや、不満とかじゃなくて」
またも澄香を見ると、彼女もまた広翔を見ていた。
「……先輩は、どう思います?」
澄香は目を見開いた。
『なんで私に聞くの』
「あー、いや。深い意味は無いです」
『二人が良いなら、いいんじゃない』
澄香のボードを見た二人は得たりとばかりに唇の端を上げ、
「すーちゃんの許可も取ったし、帰ろ帰ろ」
「そうね」
と浮き足立って保健室を出て行った。
「先輩は、行かないんですか」
動こうとしない澄香に声をかけたが、澄香はうんともすんとも言わない。
「先輩?」
顔を覗き見て、広翔は狼狽えた。
澄香が眉を寄せ、怒っているんだか悲しんでいるんだかわからない顔で下を向いていた。気のせいか、頬もほんのり赤い。
「お、怒ってます?」
広翔の言葉に顔を上げ、首を振る。
『違う。何でもない』
と言うが、何でもないならなんでそんな顔なんだと思ってしまう。
『行こっか』
と言い、ベッドから降りようとする澄香の体が傾いた。
「先輩っ」
窓から乗り出し、パシッと澄香の腕を掴む。
澄香の体が仰向けに倒れ込んだ。
澄香は目を瞬いて、眉間のしわを解き、ふふっと声にならない笑い声を上げた。
「笑い事じゃないですよー」
その様子に呆れるも、楽しそうな表情が広翔の表情をも緩める。
「そっち行きます」
靴を脱ぎ、ひょいと窓を越える。
戸締りをし、澄香に向き直る。
「心配なんで、手、引かせてもらって良いですか」
目は合わせず、手を差し伸べた。
澄香はかすかに頷き、ゆっくり手を伸ばし──手をとった。
***
玄関前に停まっている白のアルファードには、既に真理と季実が乗っていた。
「やっと来た」
真理が窓を開けニヤニヤしていた。
「葛西ぃ。すーちゃん口説いてたのー?」
季実も柔らかく微笑んでいる。
「まぁ。真里ちゃんより澄香ちゃんと仲良しだったのね」
二人の視線はいまだ繋がれている手に注がれていた。
そのことに気づくやいなや、広翔は顔を真っ赤にし、慌てて手を離した。
「別に照れなくていいのに」
面白いものが終わってしまった、というような目で真理は言う。
「ちがっ!先輩の具合が悪そうだったからっ」
「えっ、すーちゃん具合悪いの!?」
ガチャッとドアを勢いよく開け、澄香に駆け寄った。
「大丈夫なの!?ごめん気づかなくて」
先程とは打って変わって慌てふためいている。心做しか顔も青ざめているようだった。
澄香は軽く首を振った。
『ちょっとバランス崩しただけ』
と笑った。
「そう……よかった。あ、とりあえず車乗ろ」
そう、とは言ったものの、介護のようにドアを開け、座らせている。
「……そこまでしなくてもいいんじゃん?」
「え」
真理は目に見えて動揺した。
「あ、うん。そうだね」
とは言うものの、胡桃たちの前でのあの明るい表情は出てこなかった。
「乗った?じゃ、行くわよ」
季実はそう言いアクセルを踏んだ。
「そういや、尾田さんって電車通学じゃなかった?」
「あれ、知ってたんだ」
と真理は笑った。
「そうだよ。部活やってるしその友達と帰りたいからね」
「ああ。テニス部だっけ」
など、たわいない会話をする。
教室では胡桃を交えてしか話したことのない相手だったが、案外誰とでも仲良くなれそうな、社交的なタイプのようだ。
それに、車に乗ってからは暗い表情は何処へやら、だ。そんな真理の様子に広翔は内心ほっとした。
「澄香先輩は部活とか入ってるんですか」
すぐ横に座る澄香に向き直って聞いてみる。
『入ってない』
と首を振る。
『楽しそうだけどね』
と困ったように笑った。
広翔はハッとして「そうですか」とすぐに前をむいた。
毎日保健室にいるような人が部活に入れないよな、と眉を下げる。
広翔のいる学校は部活動が少なく、文化部は一つも無かった。そのため、運動をしたくない生徒は自動的に帰宅部扱いとなる。
「あ、ついたよー」
季実の声につられ外を見ると、クリーム色に包まれた三階建ての家が、アルファードを迎え入れた。
車から降り、キョロキョロと辺りを見渡す。
どうやら車は二台所持しているらしく、もう一台停まっているのは淡い緑のキューブだ。そのキューブの後ろの方には道が続いているらしい。
じっとその道を眺めていると、
「ああ、中庭に繋がっているのよ」
と季実が笑った。
『中庭には花がいっぱい咲いててキレイ』
と澄香が微笑する。
「中庭ならリビングから見れるよ」
早く入れば、と真理は手招きしている。
「お邪魔します……」
中は靴がきちんと並べられ、靴棚の上には真っ赤な金魚が二匹、ゆうゆうと泳いでいる。
左に曲がるとすぐに扉があった。
真理が横に引くと、中庭が露になる。
広翔は目を見張った。
豪邸だ。場違いなところに来てしまった。
澄香の言っていた通り、中庭が綺麗に整備されている。芝生が青々とし、花壇には色とりどりの花が咲いている。唯一わかった種類はデイジー。鮮やかな白が雨を浴びて光っている。
「すごいな」
その言葉にか出てこなかったが、何とも言葉の出ない美しさが結集していた。
『私は金魚草がすき』
「え、どれ」
広翔が言うと、澄香は広翔の手を引いた。
キッチンの近くに扉があり、そこから外へ出られるようだった。サンダルを履き、花壇へ近寄る。
『これ』
と澄香がさした花は、桃色、赤色、黄色と色鮮やかに咲き誇っていた。
『これはデルフィニウム。こっちはペチュニア。あと夏にはトレニアとか咲くし、秋はここら辺にコスモスなんかも』
嬉嬉として語る澄香に、広翔は微笑んだ。
「あ、澄香ちゃん。そろそろご飯にするから、手を洗ってきて」
季実に言われ、二人は立ち上がる。
「ちょっとー。ウチでラブコメやんないでよね」
真理はヤダヤダ、と二の腕をさすりながら言った。
「ら、ラブコメって」
と赤くなる二人を、季実が「真理ちゃんからかわないの。さ、座って座って」と席へ誘導した。
夕飯は豚のしょうが焼きに、茸の炊き込みご飯。なめことワカメの味噌汁に千切りキャベツとプチトマト。生姜の効いた匂いが鼻腔をくすぐる。
「い、いただきます」
手を合わせ、しょうが焼きを口にする。
「美味いです」
ピリッとした味わいに熱々のご飯を掻き込む。
「炊き込みご飯って美味いんですね。キノコの味が染みてるというか……人参も食べれるし」
「あら、人参食べれないの?」
「甘い野菜が苦手なんです。でもこれ、美味しいです」
と広翔は箸を休める暇もなく食べ続けた。
「……美味かった」
ごちそうさまです、と手を合わせる。
「やっぱり男の子がいると違うわね」
と季実は笑う。
「こんなに綺麗に食べてくれるなんて、作りがいがあるわ」
「うわ、はっや。もう食べたの」
と真理は目を見張った。
『ごちそうさまです』
澄香はボードを季実に見せた。
「あら澄香ちゃん。デザートは?」
『大丈夫です』
と書き残し、フラリとリビングを出て行った。
「あ、ちょっと行ってくる。ごちそうさま」
と食器を片し、真理は澄香の後を追うようにリビングを出て行った。
「広翔君、だったかしら」
「へっ、はい」
突然話しかけられたのと、初めて名前を呼ばれたのとで驚いて声が裏返った。
「澄香ちゃんの、彼氏?」
「へっ!?」
季実の言葉に赤面してしまう。
「いや、そういうんじゃ」
と手を振り、その手を止めた。
季実は複雑そうな顔をしていた。
「あの、そういうんじゃ、ないんですけど。仲良くはなりたいと、俺は思ってます」
率直に言うと、季実は苦笑した。
「素直ね。あ、そのことを否定したいんじゃなくて。なんていうのかしら。……サングラスと声が出ない理由は知ってる?」
「えっと、後天的なモノ、としか」
「そう。まだそこだったの……いえ、まだ会って間もないか」
独り言のように季実は呟いた。
「聞いても、いいですか」
との問いに、季実は迷ったように視線を泳がせた。
そしてため息を一つこぼし、
「それらの症状は、ストレスによるもの、としか、私からは言えないわ」
「ストレス」
広翔は口の中で繰り返し、「それは」と口を開く。
「それは、季実さんが澄香先輩の親じゃないのと関係ありますか」
広翔の発言に、季実は目を丸くした。
「知ってたの?」
「いえ。ただ、先輩の態度が何となく気になったというか、保健室での態度がちょっとよそよそしかったというか。確信を持ったのは、この家に来た時です。尾田さん……真理さんの七五三の写真は飾られていたけど、先輩の写真は無かった。それなのに旅行の写真には家族全員で写ってる。仲が悪いわけではない、じゃあ何でって考えると……違ってたら、謝ろうと思ってました。というか、薮蛇でしょうし。不快な気分にしたのなら謝ります。言われたくないことなら遠慮なく言ってください」
暫く、二人の間に沈黙が流れた。
先に口を開いたのは季実だった。
「そう、よ。澄香ちゃんは、私の子どもじゃない。私の姪。あの子の親は私の姉。あの子を引き取ったのは、あの子が中学生になった年。……私の姉が、事件を起こしたから。犯罪者の娘として、扱ってほしくなかった。だから、名前を変えたのよ。新しい人生を、歩んでほしかったから。……でも、声も、目も、奪われてしまった。私は、あの子に何も……──」
何もしてあげることができなかったの、と項垂れた。微かに、背中が震えている。
「なんで、その話を、俺に」
季実は優しく微笑んだ。
「もしかしたら、あなたがあの子を救ってくれるかもって思ったの」
どうか、お願いね。
そう言った季実の目からは、涙が数滴こぼれ落ちた。
顕になった人物は、広翔を見て目を丸くした。
「尾田さん……何でここに」
思いがけない人物の登場に目に見えて狼狽した。
「やっぱりすーちゃんの事だったかぁ」
『知り合いだったの?』
すーちゃん、と言われた澄香は真理に向かって尋ねた。
「同じクラスなんだよ。で?仲直りしたの?」
「仲直り……っていうか、なんていうか」
「まぁ、元通りになったみたいだね」
二人の様子に苦笑いしながら真理は言う。
「お迎えって、真理のことだったのか」
『そうだけど、ちょっと違う』
澄香の答えに広翔は首を傾げる。
「車だよ」
「車!?」
車での送り迎えとは、この二人の家は金持ちということだろうか。
「え、ちょっと。普通の車だよ?何を想像してんの?お迎えもお母さんだよ」
慌てて真理が広翔の想像を打ち消した。
その時、またもガラッと戸が開いた。
「お迎えきたよー……って、あら?」
入ってきたのは穂花ではなく、若いの女性だった。
「あらあらあら。お友達?」
「あ、お母さん」
と真理が言った。横でお母さん、と言われた女性は嬉しそうに微笑んでいる。
「お母さん?え?お姉さんじゃなくて?」
「若く見えるよね。でも実際は四十五だよ」
「……見えない」
広翔が唖然としてると、
「あらあら、嬉しいわ。尾田季実です。どっちとお友達?」
「えと……両方?」
ちら、と澄香を窺い見ると、パチッと視線が合った。
『友達なの?』
と澄香が首を傾げた。
「先輩です」
広翔が言い直すと、季実はぱちくりと目を瞬かせた。澄香を次いで見て、くすりと笑った。
「まぁ、友達だなんて言いづらいものね」
季実はくすくすと笑い続けている。
「そうだわ。あなた、お名前なんて言うの?」
「あ、申し遅れました。葛西広翔と言います」
慌てて頭を下げると、窓のサッシに頭をぶつけた。ゴッと鈍い音がする。
「あら、大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
恥ずかしさで耳まで赤くなる。
「あ、ねえ。今日は夜空いてるかしら。よかったら夕飯食べていかない?」
季実は手を合わせ、にこりと微笑んだ。
「え、いや、悪いですよ」
「遠慮しなくていいって。あ、ホントに都合悪い?」
真理が割って入る。
「いや、悪くはないけど」
「じゃあいいじゃん」
何が不満?と真理は眉間にしわを寄せる。
「いや、不満とかじゃなくて」
またも澄香を見ると、彼女もまた広翔を見ていた。
「……先輩は、どう思います?」
澄香は目を見開いた。
『なんで私に聞くの』
「あー、いや。深い意味は無いです」
『二人が良いなら、いいんじゃない』
澄香のボードを見た二人は得たりとばかりに唇の端を上げ、
「すーちゃんの許可も取ったし、帰ろ帰ろ」
「そうね」
と浮き足立って保健室を出て行った。
「先輩は、行かないんですか」
動こうとしない澄香に声をかけたが、澄香はうんともすんとも言わない。
「先輩?」
顔を覗き見て、広翔は狼狽えた。
澄香が眉を寄せ、怒っているんだか悲しんでいるんだかわからない顔で下を向いていた。気のせいか、頬もほんのり赤い。
「お、怒ってます?」
広翔の言葉に顔を上げ、首を振る。
『違う。何でもない』
と言うが、何でもないならなんでそんな顔なんだと思ってしまう。
『行こっか』
と言い、ベッドから降りようとする澄香の体が傾いた。
「先輩っ」
窓から乗り出し、パシッと澄香の腕を掴む。
澄香の体が仰向けに倒れ込んだ。
澄香は目を瞬いて、眉間のしわを解き、ふふっと声にならない笑い声を上げた。
「笑い事じゃないですよー」
その様子に呆れるも、楽しそうな表情が広翔の表情をも緩める。
「そっち行きます」
靴を脱ぎ、ひょいと窓を越える。
戸締りをし、澄香に向き直る。
「心配なんで、手、引かせてもらって良いですか」
目は合わせず、手を差し伸べた。
澄香はかすかに頷き、ゆっくり手を伸ばし──手をとった。
***
玄関前に停まっている白のアルファードには、既に真理と季実が乗っていた。
「やっと来た」
真理が窓を開けニヤニヤしていた。
「葛西ぃ。すーちゃん口説いてたのー?」
季実も柔らかく微笑んでいる。
「まぁ。真里ちゃんより澄香ちゃんと仲良しだったのね」
二人の視線はいまだ繋がれている手に注がれていた。
そのことに気づくやいなや、広翔は顔を真っ赤にし、慌てて手を離した。
「別に照れなくていいのに」
面白いものが終わってしまった、というような目で真理は言う。
「ちがっ!先輩の具合が悪そうだったからっ」
「えっ、すーちゃん具合悪いの!?」
ガチャッとドアを勢いよく開け、澄香に駆け寄った。
「大丈夫なの!?ごめん気づかなくて」
先程とは打って変わって慌てふためいている。心做しか顔も青ざめているようだった。
澄香は軽く首を振った。
『ちょっとバランス崩しただけ』
と笑った。
「そう……よかった。あ、とりあえず車乗ろ」
そう、とは言ったものの、介護のようにドアを開け、座らせている。
「……そこまでしなくてもいいんじゃん?」
「え」
真理は目に見えて動揺した。
「あ、うん。そうだね」
とは言うものの、胡桃たちの前でのあの明るい表情は出てこなかった。
「乗った?じゃ、行くわよ」
季実はそう言いアクセルを踏んだ。
「そういや、尾田さんって電車通学じゃなかった?」
「あれ、知ってたんだ」
と真理は笑った。
「そうだよ。部活やってるしその友達と帰りたいからね」
「ああ。テニス部だっけ」
など、たわいない会話をする。
教室では胡桃を交えてしか話したことのない相手だったが、案外誰とでも仲良くなれそうな、社交的なタイプのようだ。
それに、車に乗ってからは暗い表情は何処へやら、だ。そんな真理の様子に広翔は内心ほっとした。
「澄香先輩は部活とか入ってるんですか」
すぐ横に座る澄香に向き直って聞いてみる。
『入ってない』
と首を振る。
『楽しそうだけどね』
と困ったように笑った。
広翔はハッとして「そうですか」とすぐに前をむいた。
毎日保健室にいるような人が部活に入れないよな、と眉を下げる。
広翔のいる学校は部活動が少なく、文化部は一つも無かった。そのため、運動をしたくない生徒は自動的に帰宅部扱いとなる。
「あ、ついたよー」
季実の声につられ外を見ると、クリーム色に包まれた三階建ての家が、アルファードを迎え入れた。
車から降り、キョロキョロと辺りを見渡す。
どうやら車は二台所持しているらしく、もう一台停まっているのは淡い緑のキューブだ。そのキューブの後ろの方には道が続いているらしい。
じっとその道を眺めていると、
「ああ、中庭に繋がっているのよ」
と季実が笑った。
『中庭には花がいっぱい咲いててキレイ』
と澄香が微笑する。
「中庭ならリビングから見れるよ」
早く入れば、と真理は手招きしている。
「お邪魔します……」
中は靴がきちんと並べられ、靴棚の上には真っ赤な金魚が二匹、ゆうゆうと泳いでいる。
左に曲がるとすぐに扉があった。
真理が横に引くと、中庭が露になる。
広翔は目を見張った。
豪邸だ。場違いなところに来てしまった。
澄香の言っていた通り、中庭が綺麗に整備されている。芝生が青々とし、花壇には色とりどりの花が咲いている。唯一わかった種類はデイジー。鮮やかな白が雨を浴びて光っている。
「すごいな」
その言葉にか出てこなかったが、何とも言葉の出ない美しさが結集していた。
『私は金魚草がすき』
「え、どれ」
広翔が言うと、澄香は広翔の手を引いた。
キッチンの近くに扉があり、そこから外へ出られるようだった。サンダルを履き、花壇へ近寄る。
『これ』
と澄香がさした花は、桃色、赤色、黄色と色鮮やかに咲き誇っていた。
『これはデルフィニウム。こっちはペチュニア。あと夏にはトレニアとか咲くし、秋はここら辺にコスモスなんかも』
嬉嬉として語る澄香に、広翔は微笑んだ。
「あ、澄香ちゃん。そろそろご飯にするから、手を洗ってきて」
季実に言われ、二人は立ち上がる。
「ちょっとー。ウチでラブコメやんないでよね」
真理はヤダヤダ、と二の腕をさすりながら言った。
「ら、ラブコメって」
と赤くなる二人を、季実が「真理ちゃんからかわないの。さ、座って座って」と席へ誘導した。
夕飯は豚のしょうが焼きに、茸の炊き込みご飯。なめことワカメの味噌汁に千切りキャベツとプチトマト。生姜の効いた匂いが鼻腔をくすぐる。
「い、いただきます」
手を合わせ、しょうが焼きを口にする。
「美味いです」
ピリッとした味わいに熱々のご飯を掻き込む。
「炊き込みご飯って美味いんですね。キノコの味が染みてるというか……人参も食べれるし」
「あら、人参食べれないの?」
「甘い野菜が苦手なんです。でもこれ、美味しいです」
と広翔は箸を休める暇もなく食べ続けた。
「……美味かった」
ごちそうさまです、と手を合わせる。
「やっぱり男の子がいると違うわね」
と季実は笑う。
「こんなに綺麗に食べてくれるなんて、作りがいがあるわ」
「うわ、はっや。もう食べたの」
と真理は目を見張った。
『ごちそうさまです』
澄香はボードを季実に見せた。
「あら澄香ちゃん。デザートは?」
『大丈夫です』
と書き残し、フラリとリビングを出て行った。
「あ、ちょっと行ってくる。ごちそうさま」
と食器を片し、真理は澄香の後を追うようにリビングを出て行った。
「広翔君、だったかしら」
「へっ、はい」
突然話しかけられたのと、初めて名前を呼ばれたのとで驚いて声が裏返った。
「澄香ちゃんの、彼氏?」
「へっ!?」
季実の言葉に赤面してしまう。
「いや、そういうんじゃ」
と手を振り、その手を止めた。
季実は複雑そうな顔をしていた。
「あの、そういうんじゃ、ないんですけど。仲良くはなりたいと、俺は思ってます」
率直に言うと、季実は苦笑した。
「素直ね。あ、そのことを否定したいんじゃなくて。なんていうのかしら。……サングラスと声が出ない理由は知ってる?」
「えっと、後天的なモノ、としか」
「そう。まだそこだったの……いえ、まだ会って間もないか」
独り言のように季実は呟いた。
「聞いても、いいですか」
との問いに、季実は迷ったように視線を泳がせた。
そしてため息を一つこぼし、
「それらの症状は、ストレスによるもの、としか、私からは言えないわ」
「ストレス」
広翔は口の中で繰り返し、「それは」と口を開く。
「それは、季実さんが澄香先輩の親じゃないのと関係ありますか」
広翔の発言に、季実は目を丸くした。
「知ってたの?」
「いえ。ただ、先輩の態度が何となく気になったというか、保健室での態度がちょっとよそよそしかったというか。確信を持ったのは、この家に来た時です。尾田さん……真理さんの七五三の写真は飾られていたけど、先輩の写真は無かった。それなのに旅行の写真には家族全員で写ってる。仲が悪いわけではない、じゃあ何でって考えると……違ってたら、謝ろうと思ってました。というか、薮蛇でしょうし。不快な気分にしたのなら謝ります。言われたくないことなら遠慮なく言ってください」
暫く、二人の間に沈黙が流れた。
先に口を開いたのは季実だった。
「そう、よ。澄香ちゃんは、私の子どもじゃない。私の姪。あの子の親は私の姉。あの子を引き取ったのは、あの子が中学生になった年。……私の姉が、事件を起こしたから。犯罪者の娘として、扱ってほしくなかった。だから、名前を変えたのよ。新しい人生を、歩んでほしかったから。……でも、声も、目も、奪われてしまった。私は、あの子に何も……──」
何もしてあげることができなかったの、と項垂れた。微かに、背中が震えている。
「なんで、その話を、俺に」
季実は優しく微笑んだ。
「もしかしたら、あなたがあの子を救ってくれるかもって思ったの」
どうか、お願いね。
そう言った季実の目からは、涙が数滴こぼれ落ちた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
夏の出来事
ケンナンバワン
青春
幼馴染の三人が夏休みに美由のおばあさんの家に行き観光をする。花火を見た帰りにバケトンと呼ばれるトンネルを通る。その時車内灯が点滅して美由が驚く。その時は何事もなく過ぎるが夏休みが終わり二学期が始まっても美由が来ない。美由は自宅に帰ってから金縛りにあうようになっていた。その原因と名をす方法を探して三人は奔走する。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる