32 / 32
彼女との未来〈彼方語り〉
しおりを挟む
うっすらと雲が見える夜空の下、俺は近所の公園のベンチに陽菜さんと並んで座っていた。
向こうが離さないならこっちから離す理由もないし、ということで、手はずっと握られたままだ。
だがさっきから、陽菜さんがずっと喋らないのだ。俯いていて表情もよめない。正直少し気まずい。
だが気まずいとは思うのに、そんな時間が苦痛だとは微塵も思わないから不思議だ。
けどせっかく久しぶりに会えたのだから、陽菜さんの声が聞きたい。
「そういえば、どうしてあそこにいたんです?」
陽菜さんの家はもっと先の駅のはずだ。
「ちょっと、取引先に挨拶に行ってたの。その取引先の人が、さっきの人」
どことなくピリついている。
口調がいつもは柔らかいのに、今日は少し声にトゲがある。
「えと……かっこいい、人だったよね」
間をつなぐために出た言葉が、よりによって当人を賛辞するものだなんて。自分が阿呆すぎて嫌になる。以前も同じようなことした気がするし。
眉間にシワがよる俺の横で、陽菜さんは呆れたように言い放った。
「イケメンだけどタイプじゃない。私が好きなのは彼方君なんだってば」
ふぉぉぉっ!と舞い上がるのはホントに許してほしい。
彼女に面と向かってそんなこと言われたら、どんな不安も吹き飛ぶってもんだ。
「ていうか、人の彼氏鼻で笑う人のどこをすきになれっていうのよ」
顔じゃない?とは口に出せずに「そうだね」ととりあえずうなずく。
「それで、彼方君はどうしてあそこにいたの?」
少しムスッとした表情で、陽菜さんは尋ねた。珍しく結われた髪が、風にのってふわりと舞う。
「浮気かなって思ったけど、さっきあんな告白されちゃったから……ちがうんでしょ」
浮気、という意表を突く単語に、目がカッと見開かれる。
「浮気はできないよ。今だって陽菜さんのことで頭いっぱいなのに」
前のめりになる俺の頭に、優しい手がのる。
「わかってる。ごめん。でも私は……私は君からしたらだいぶ年上で、おばさんだから。どうしても不安がついてくる」
だから、と陽菜さんは眉を下げた。
「まっすぐな言葉をくれる彼方君に、私は何度も救われてるんだよ。ありがとう」
よしよし、と頭を撫でられる。
子ども扱いされている気はするが、撫でられるのが心地よいから何も言い返せなくなる。
「私は、君から別れを切り出されても平気なように頑張るつもりだった」
陽菜さんは、頭から手を離してそう告げた。
月光を浴びた彼女の頬が白く光る。長いまつ毛が伏せられ、形の良い唇が弧を描いた。
「でも私がそんな思いを抱える一方で、君はまっすぐ、痛いくらいに私を好きだって伝えてくれていたんでしょうね。付き合ってる間……記憶のない時の私が羨ましい」
陽菜さんは太ももに視線を落としたまま、
「私は、変なところで自信がありません」
といい、勢いよく立ち上がった。
「歴代の彼氏はたぶん多い方だし、君との記憶もなくすし、肝心なとこで決められない」
陽菜さんの背が、はじめて小さく見えた。
「そんなことっ」
思わず立ち上がる俺の言葉を遮るように、
「でも」
と彼女は振り返る。
艷めく茶髪と真剣な瞳に、心臓がうるさくなる。
「彼方君を手放したくないって、思ってる」
今までにないほどの熱量を孕む瞳から、目が離せない。
陽菜さんは細い指を伸ばし、そっと俺の手をとった。
「……私も、彼方君と一緒にこの先ずっと……それこそおばあちゃんになるまでずっと、一緒に年をとっていきたい」
彼女の熱っぽい視線に惹かれ、唇を重ねる。何度も、何度も口づけを繰り返すのに、もっともっと欲しくなる。
「陽菜さん」
乱れた息を吐きながら、平静を装って名を呼ぶ。
「好き。大好き」
足りない。そんな言葉じゃ言い表せない。日本語って多様なくせしてこういう時にいい表現が見つからない。
「私も大好き。……そろそろ、帰ろっか」
「うん」
名残惜しい帰り道、いつもよりずっとスピードを抑えて歩き出す。
「あ」
「え?」
唐突に声を漏らした俺の横顔を、彼女が首をかしげながら見つめる。
「いや、好きじゃないもっと上の表現があったと思って」
「ん?あいし……」
「あー!だめ!ストップ!まって!」
慌てて彼女の口を塞ぐ。
「それは、あと何年かしてから俺から言いたいから、その」
ごにょごにょと言い淀む俺に、彼女は「まってるまってる」と笑みを向ける。
「待ってるから、いつか、ちゃんと言ってね」
彼女の天使が乗り移ったかのような美笑に、心臓が正常に脈うつのを忘れてしまう。
繋がれた手はぬるいけれど、顔は蒸気が出そうなくらい熱い。
街灯が黄色い明かりをこぼす道を、あと何回こうやって歩くのだろう。
わからないけど、せめてそれが一日でも永く続けばいいと願いながら、俺は繋ぐ手に少しだけ力を込めた。
Fin.
向こうが離さないならこっちから離す理由もないし、ということで、手はずっと握られたままだ。
だがさっきから、陽菜さんがずっと喋らないのだ。俯いていて表情もよめない。正直少し気まずい。
だが気まずいとは思うのに、そんな時間が苦痛だとは微塵も思わないから不思議だ。
けどせっかく久しぶりに会えたのだから、陽菜さんの声が聞きたい。
「そういえば、どうしてあそこにいたんです?」
陽菜さんの家はもっと先の駅のはずだ。
「ちょっと、取引先に挨拶に行ってたの。その取引先の人が、さっきの人」
どことなくピリついている。
口調がいつもは柔らかいのに、今日は少し声にトゲがある。
「えと……かっこいい、人だったよね」
間をつなぐために出た言葉が、よりによって当人を賛辞するものだなんて。自分が阿呆すぎて嫌になる。以前も同じようなことした気がするし。
眉間にシワがよる俺の横で、陽菜さんは呆れたように言い放った。
「イケメンだけどタイプじゃない。私が好きなのは彼方君なんだってば」
ふぉぉぉっ!と舞い上がるのはホントに許してほしい。
彼女に面と向かってそんなこと言われたら、どんな不安も吹き飛ぶってもんだ。
「ていうか、人の彼氏鼻で笑う人のどこをすきになれっていうのよ」
顔じゃない?とは口に出せずに「そうだね」ととりあえずうなずく。
「それで、彼方君はどうしてあそこにいたの?」
少しムスッとした表情で、陽菜さんは尋ねた。珍しく結われた髪が、風にのってふわりと舞う。
「浮気かなって思ったけど、さっきあんな告白されちゃったから……ちがうんでしょ」
浮気、という意表を突く単語に、目がカッと見開かれる。
「浮気はできないよ。今だって陽菜さんのことで頭いっぱいなのに」
前のめりになる俺の頭に、優しい手がのる。
「わかってる。ごめん。でも私は……私は君からしたらだいぶ年上で、おばさんだから。どうしても不安がついてくる」
だから、と陽菜さんは眉を下げた。
「まっすぐな言葉をくれる彼方君に、私は何度も救われてるんだよ。ありがとう」
よしよし、と頭を撫でられる。
子ども扱いされている気はするが、撫でられるのが心地よいから何も言い返せなくなる。
「私は、君から別れを切り出されても平気なように頑張るつもりだった」
陽菜さんは、頭から手を離してそう告げた。
月光を浴びた彼女の頬が白く光る。長いまつ毛が伏せられ、形の良い唇が弧を描いた。
「でも私がそんな思いを抱える一方で、君はまっすぐ、痛いくらいに私を好きだって伝えてくれていたんでしょうね。付き合ってる間……記憶のない時の私が羨ましい」
陽菜さんは太ももに視線を落としたまま、
「私は、変なところで自信がありません」
といい、勢いよく立ち上がった。
「歴代の彼氏はたぶん多い方だし、君との記憶もなくすし、肝心なとこで決められない」
陽菜さんの背が、はじめて小さく見えた。
「そんなことっ」
思わず立ち上がる俺の言葉を遮るように、
「でも」
と彼女は振り返る。
艷めく茶髪と真剣な瞳に、心臓がうるさくなる。
「彼方君を手放したくないって、思ってる」
今までにないほどの熱量を孕む瞳から、目が離せない。
陽菜さんは細い指を伸ばし、そっと俺の手をとった。
「……私も、彼方君と一緒にこの先ずっと……それこそおばあちゃんになるまでずっと、一緒に年をとっていきたい」
彼女の熱っぽい視線に惹かれ、唇を重ねる。何度も、何度も口づけを繰り返すのに、もっともっと欲しくなる。
「陽菜さん」
乱れた息を吐きながら、平静を装って名を呼ぶ。
「好き。大好き」
足りない。そんな言葉じゃ言い表せない。日本語って多様なくせしてこういう時にいい表現が見つからない。
「私も大好き。……そろそろ、帰ろっか」
「うん」
名残惜しい帰り道、いつもよりずっとスピードを抑えて歩き出す。
「あ」
「え?」
唐突に声を漏らした俺の横顔を、彼女が首をかしげながら見つめる。
「いや、好きじゃないもっと上の表現があったと思って」
「ん?あいし……」
「あー!だめ!ストップ!まって!」
慌てて彼女の口を塞ぐ。
「それは、あと何年かしてから俺から言いたいから、その」
ごにょごにょと言い淀む俺に、彼女は「まってるまってる」と笑みを向ける。
「待ってるから、いつか、ちゃんと言ってね」
彼女の天使が乗り移ったかのような美笑に、心臓が正常に脈うつのを忘れてしまう。
繋がれた手はぬるいけれど、顔は蒸気が出そうなくらい熱い。
街灯が黄色い明かりをこぼす道を、あと何回こうやって歩くのだろう。
わからないけど、せめてそれが一日でも永く続けばいいと願いながら、俺は繋ぐ手に少しだけ力を込めた。
Fin.
0
お気に入りに追加
12
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。


今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる