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魂と記憶の終着〈陽菜語り〉
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私たちは、終始和やかに山を下った。
カルタが予約したという宿は、学生ということもあり素泊まりできるところだった。
夕食は近くの店でご当地グルメを食し、ホテルに戻った。
「美味しかったね」
とカルタはお腹をさすりながらベッドに腰掛ける。
「食べ過ぎじゃない?」
そのすぐ隣に座りながら、私は眉を下げる。
「そんなことないさ」
会話が途切れる。
私たちはどちらともなく手を重ねた。
「最後に、君と話せてよかった」
最後なんて、と言おうとした。
だけど許されるはずもなく、私は口をつぐむ。
虚勢を張るように、わざと明るい声で、
「カルタは、前世で私を一人にしたものね。葬儀にだって当然出れなかったし」
「いやぁほんと……ごめん」
「ほんとよ」
と笑う。
視線を落とし、
「でも、いいよ」
と頭を彼の肩にのせる。
「魂転生させようってくらい、カルタが私のこと好きでいてくれたって知れたから。許してあげる」
「……うん」
きゅっと、手を握る力が強まる。
「あの窮屈な暮らしの中でも、君は自由を掴もうとしていた。その姿が、俺には眩しかった」
つないでいた手をほどき、彼は緩慢な仕草で私の髪を一束掬う。
「シノメ。君に出会えて幸せだった」
と彼はとても美しく微笑んだ。
「私だって、幸せだった」
理不尽で、貧しくて、惨めな人生。
その中で、あなたという光が私を支えてくれていた。
こつ、と額が合わせられる。
「さようならだ」
と彼は目をつむる。
そんな彼の言葉に、私は、
「いいえ」
否定の言葉に、カルタは目を開く。
「最後まで、一緒です」
涙が頬を伝う。
「もう、一人になんかしないから。ずっと二人でいるんだから」
ゆっくりと体から力が抜けていく。
「……『我が魂、他が魂、この血を巡る記憶とともに、連れてゆきたまえ』」
呪をとなえると、ふっと体が軽くなった。
景色は見えない。まるで目を失ってしまったかのようだ。
カルタ、いる?
声も出ない。
感触もない。
怖い。
私の右手に、得体の知れない感触があった。
相変わらず景色は見えないし、温度も感じないというのに、なぜだろう。
その感触に、酷く安心した。
***
猛烈な寒気に、まぶたをゆっくり開く。
どこだここ。
見覚えのない部屋のベッドに寝転ぶように横たわっていた私は、ここに来るまでの記憶が無いことに混乱する。
そして隣には、穏やかな寝顔の彼方君がいる。
「……え?」
怖い想像が頭をよぎった。
私が泥酔して連れて来てしまったのだろうか。というかそれしか考えられない。
「う……ん」
男の子が唸りながらうっすらと目を開く。
「あ、陽菜さん」
おはよ、と彼は優しく微笑む。
その笑顔に、容易く私の心は掴まれた。
安心しきった、緩みきった笑顔。寝起きにこの笑顔は毒だ。
「てかここどこ?」
むくりと起き上がる彼の言葉に、目を見開く。
「彼方君も覚えてないの?」
「うん……陽菜さんも?」
無言でうなずくと、彼方君は真顔で「なにこれ怖いね」という。
「ちょっとおかしいよね」
と笑いながら彼方くんに視線を向けたのだが、ギョッとした。
「「どうして泣いてるの」」
「え」
同時に声が上がった。
慌てて自身の頬に手を寄せると、生暖かい雫が指を濡らした。
一方彼は、目をかすかに赤くしながら、目からぽろぽろと大きな雫を溢れさせていた。
近くにあったティッシュを手渡すと、ぐすっと鼻をすすりながら受け取り、目元にあてた。
いや鼻をかまないんかい。
「なんか、数年ぶりに陽菜さん見た気分……」
そんな大袈裟な、とは思わなかった。
私もそんな気分なのだ。
「数年ぶり……」
口にした瞬間、奇妙なことに気がつく。
「え?私……彼方君の彼女よね」
頭に手を当てながら呟いた私に、彼方君は悲愴な表情になる。
「え、どうしてそこ疑うの!?付き合ってるよ!えっ付き合ってるよね?全部夢な気がしてきたんだけど」
真っ青になっていく彼方君の隣で、私も手が震えていた。
だって、記憶が無い。
おかしい。彼方君だってわかるのに。
「出会ったキッカケ……なんだっけ」
「え、カフェ……で、陽菜さんから声掛けてくれて……」
「ううん。厳密にはカフェで君がキャラメルマキアートとミルクレープ頼んでたところに私が居合わせたんだけど、中学生男子がカフェにいて甘い物食べてるって時点でいいなって思ったのは覚えてるの。だけどここ最近とかの、付き合ってからの記憶が曖昧で……」
「そうだったの!?初耳だよ!?ていうかめっちゃ詳細に覚えてるね!」
「うん、覚えてるはずなのに……忘れたりなんか絶対したくないのに……どうして」
どうして思い出せないの。楽しかったこと、たくさんあったはずなのに。
「ごめん彼方君……私、薄情な彼女だね」
他の人相手なら、今までの彼氏相手なら、こんなことで泣いたりしない。落ち込みはするけど、それだけだった。
だけど今こんなにも胸が苦しい。罪悪感でいっぱいで、さらに不安が押し寄せてくる。
この人に嫌われたらどうしよう、という不安が。
「じゃあ、もっかい行こうよ」
「え」
彼方君の明るい声に、顔を上げる。
「だって、思い出せないだけかもしれないし、その、普通にデートしたいし、なんて……」
頬を赤らめる彼方君は、やっぱり可愛い。
可愛くて、安心できる。
「……もう、好き」
「え!?あ、ありがと」
ぎゅっともたれかかるように彼方君を抱きしめ、
「ほんとに好きだよ。照れた顔も、私を救ってくれる言葉も、声も、ちょっと筋肉ついてきた腕も、安心する温もりも、サラサラの髪も」
と彼の肩に顔を埋めながら呟く。
すると彼方君は私の肩を掴み、引き剥がした。
「……彼方君?」
嫌だったのかな、と冷や汗が背を伝う。
「陽菜さん」
肩を掴んだ手が緩み、私の後頭部に手を滑らせた。
と認識した瞬間、唇が重なり合った。
柔らかな感触に、鼓動が速くなっていく。
「安心されるってのは、ちょっと困る」
顔を少し離し、少し細めた瞳に見つめられ、また心臓が高鳴る。
「前も言った気がするけど、俺男だからね。ちゃんと緊張してて。じゃないとその……」
かぁっと顔が真っ赤に染まっていく。
「お、おそっ……襲うよ?」
説得力の無さがすごい。
視線すら合わせず、真っ赤になり、必死に距離を取ろうとしてる。そんな態度でどう襲うというのか。
だが学生に手を出すのはさすがに犯罪だ。
「じゃあ襲われないように気をつけないと。社会的死が待ってるしね」
と意地悪く笑むと、
「あ……そう、だね。あの、卒業するまで待ってて……ほしい、です」
眉を下げながら、彼はきゅっと握りしめた。
その様子もまた愛おしくて、
「待つよ。彼方君が私のこと好きでいてくれる限り、いくらでも」
そっと彼の手に自分の手を絡める。
「帰ろっか」
「うん……多分、昨日も楽しかったんだと思う」
「ふふ、私も」
一時間後、私たちは荷物らしきものたちを全て鞄に入れ、そのホテルを出た。
帰りついたのは夜で、床につくとものの数秒で眠気が襲ってきた。私は抗わずにそのまま眠った。
その日、なにか良い夢を見た気がした。
カルタが予約したという宿は、学生ということもあり素泊まりできるところだった。
夕食は近くの店でご当地グルメを食し、ホテルに戻った。
「美味しかったね」
とカルタはお腹をさすりながらベッドに腰掛ける。
「食べ過ぎじゃない?」
そのすぐ隣に座りながら、私は眉を下げる。
「そんなことないさ」
会話が途切れる。
私たちはどちらともなく手を重ねた。
「最後に、君と話せてよかった」
最後なんて、と言おうとした。
だけど許されるはずもなく、私は口をつぐむ。
虚勢を張るように、わざと明るい声で、
「カルタは、前世で私を一人にしたものね。葬儀にだって当然出れなかったし」
「いやぁほんと……ごめん」
「ほんとよ」
と笑う。
視線を落とし、
「でも、いいよ」
と頭を彼の肩にのせる。
「魂転生させようってくらい、カルタが私のこと好きでいてくれたって知れたから。許してあげる」
「……うん」
きゅっと、手を握る力が強まる。
「あの窮屈な暮らしの中でも、君は自由を掴もうとしていた。その姿が、俺には眩しかった」
つないでいた手をほどき、彼は緩慢な仕草で私の髪を一束掬う。
「シノメ。君に出会えて幸せだった」
と彼はとても美しく微笑んだ。
「私だって、幸せだった」
理不尽で、貧しくて、惨めな人生。
その中で、あなたという光が私を支えてくれていた。
こつ、と額が合わせられる。
「さようならだ」
と彼は目をつむる。
そんな彼の言葉に、私は、
「いいえ」
否定の言葉に、カルタは目を開く。
「最後まで、一緒です」
涙が頬を伝う。
「もう、一人になんかしないから。ずっと二人でいるんだから」
ゆっくりと体から力が抜けていく。
「……『我が魂、他が魂、この血を巡る記憶とともに、連れてゆきたまえ』」
呪をとなえると、ふっと体が軽くなった。
景色は見えない。まるで目を失ってしまったかのようだ。
カルタ、いる?
声も出ない。
感触もない。
怖い。
私の右手に、得体の知れない感触があった。
相変わらず景色は見えないし、温度も感じないというのに、なぜだろう。
その感触に、酷く安心した。
***
猛烈な寒気に、まぶたをゆっくり開く。
どこだここ。
見覚えのない部屋のベッドに寝転ぶように横たわっていた私は、ここに来るまでの記憶が無いことに混乱する。
そして隣には、穏やかな寝顔の彼方君がいる。
「……え?」
怖い想像が頭をよぎった。
私が泥酔して連れて来てしまったのだろうか。というかそれしか考えられない。
「う……ん」
男の子が唸りながらうっすらと目を開く。
「あ、陽菜さん」
おはよ、と彼は優しく微笑む。
その笑顔に、容易く私の心は掴まれた。
安心しきった、緩みきった笑顔。寝起きにこの笑顔は毒だ。
「てかここどこ?」
むくりと起き上がる彼の言葉に、目を見開く。
「彼方君も覚えてないの?」
「うん……陽菜さんも?」
無言でうなずくと、彼方君は真顔で「なにこれ怖いね」という。
「ちょっとおかしいよね」
と笑いながら彼方くんに視線を向けたのだが、ギョッとした。
「「どうして泣いてるの」」
「え」
同時に声が上がった。
慌てて自身の頬に手を寄せると、生暖かい雫が指を濡らした。
一方彼は、目をかすかに赤くしながら、目からぽろぽろと大きな雫を溢れさせていた。
近くにあったティッシュを手渡すと、ぐすっと鼻をすすりながら受け取り、目元にあてた。
いや鼻をかまないんかい。
「なんか、数年ぶりに陽菜さん見た気分……」
そんな大袈裟な、とは思わなかった。
私もそんな気分なのだ。
「数年ぶり……」
口にした瞬間、奇妙なことに気がつく。
「え?私……彼方君の彼女よね」
頭に手を当てながら呟いた私に、彼方君は悲愴な表情になる。
「え、どうしてそこ疑うの!?付き合ってるよ!えっ付き合ってるよね?全部夢な気がしてきたんだけど」
真っ青になっていく彼方君の隣で、私も手が震えていた。
だって、記憶が無い。
おかしい。彼方君だってわかるのに。
「出会ったキッカケ……なんだっけ」
「え、カフェ……で、陽菜さんから声掛けてくれて……」
「ううん。厳密にはカフェで君がキャラメルマキアートとミルクレープ頼んでたところに私が居合わせたんだけど、中学生男子がカフェにいて甘い物食べてるって時点でいいなって思ったのは覚えてるの。だけどここ最近とかの、付き合ってからの記憶が曖昧で……」
「そうだったの!?初耳だよ!?ていうかめっちゃ詳細に覚えてるね!」
「うん、覚えてるはずなのに……忘れたりなんか絶対したくないのに……どうして」
どうして思い出せないの。楽しかったこと、たくさんあったはずなのに。
「ごめん彼方君……私、薄情な彼女だね」
他の人相手なら、今までの彼氏相手なら、こんなことで泣いたりしない。落ち込みはするけど、それだけだった。
だけど今こんなにも胸が苦しい。罪悪感でいっぱいで、さらに不安が押し寄せてくる。
この人に嫌われたらどうしよう、という不安が。
「じゃあ、もっかい行こうよ」
「え」
彼方君の明るい声に、顔を上げる。
「だって、思い出せないだけかもしれないし、その、普通にデートしたいし、なんて……」
頬を赤らめる彼方君は、やっぱり可愛い。
可愛くて、安心できる。
「……もう、好き」
「え!?あ、ありがと」
ぎゅっともたれかかるように彼方君を抱きしめ、
「ほんとに好きだよ。照れた顔も、私を救ってくれる言葉も、声も、ちょっと筋肉ついてきた腕も、安心する温もりも、サラサラの髪も」
と彼の肩に顔を埋めながら呟く。
すると彼方君は私の肩を掴み、引き剥がした。
「……彼方君?」
嫌だったのかな、と冷や汗が背を伝う。
「陽菜さん」
肩を掴んだ手が緩み、私の後頭部に手を滑らせた。
と認識した瞬間、唇が重なり合った。
柔らかな感触に、鼓動が速くなっていく。
「安心されるってのは、ちょっと困る」
顔を少し離し、少し細めた瞳に見つめられ、また心臓が高鳴る。
「前も言った気がするけど、俺男だからね。ちゃんと緊張してて。じゃないとその……」
かぁっと顔が真っ赤に染まっていく。
「お、おそっ……襲うよ?」
説得力の無さがすごい。
視線すら合わせず、真っ赤になり、必死に距離を取ろうとしてる。そんな態度でどう襲うというのか。
だが学生に手を出すのはさすがに犯罪だ。
「じゃあ襲われないように気をつけないと。社会的死が待ってるしね」
と意地悪く笑むと、
「あ……そう、だね。あの、卒業するまで待ってて……ほしい、です」
眉を下げながら、彼はきゅっと握りしめた。
その様子もまた愛おしくて、
「待つよ。彼方君が私のこと好きでいてくれる限り、いくらでも」
そっと彼の手に自分の手を絡める。
「帰ろっか」
「うん……多分、昨日も楽しかったんだと思う」
「ふふ、私も」
一時間後、私たちは荷物らしきものたちを全て鞄に入れ、そのホテルを出た。
帰りついたのは夜で、床につくとものの数秒で眠気が襲ってきた。私は抗わずにそのまま眠った。
その日、なにか良い夢を見た気がした。
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