ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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最終章《秋桐家の花嫁》

【十】

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 物置の戸に手をかけた刹那、「あっ!」と悲鳴が上がった。驚きに身を強ばらせた紅子が振り返ると、陽時厘が「しまった」と言いたげな顔で立っていた。
 そういえば庭の管理を陽時厘がやってるんだっけ、と思い出す。この物置に彼が立ち寄るのは至極普通のことだが、なぜか彼は気まずそうな顔をしている。
「陽時厘、突然ごめんね。ショベルを戻しにきたんだけど」
「え、あ……うん、あの、その……えっと」
 もごもごと口ごもる陽時厘は明らかに挙動不審だ。怪訝な顔で「陽時厘?」と寄ると、
「あの、ちが……っえっと、もう雪かき終わったの!?」
「えっ あ、もしかしてまだやったほうがいいかしら」
 柔らかい雪を退けて通り道をつくったつもりだったが、それでは足りなかったのかもしれない。
「まだ見てないから、ちょっと雪かきしたとこまで案内してほしいなぁ、なんて……」
「案内もなにも……玄関前しかやってないわよ?」
「ま、まあそうなんだけど!念の為!」
 念の為とは、と思いつつ、陽時厘がなぜか物置に近づけさせたくない理由──と思考を巡らせ、ハッと目を見開いた。
「ごめんね!勝手に開けようとして……っ別に何が置いてあっても陽時厘のこと嫌いになったりしないよ!」
「盛大な勘違い叫ばないでくれる!?」
 真っ赤になりながら怒鳴り返され、紅子は「ひぇ」と縮こまる。
「陽時厘?なにしてんの。準備は──」
 ひょこっと滋宇が顔を出し、陽時厘同様「げっ」となにかまずいものを見たように顔を顰めた。
「滋宇までそんな顔……私なにかした?」
「いや、したっていうか……」
「あっ あーちゃんこんなとこにいた!」
 滋宇の後ろからひょっこり顔を出したのはサクラだった。マトリョーシカではないが、三人が順にひょっこり顔を出すのはなんとなく笑えてしまう。
「……ってサクラさん!?」
 サクラは今この屋敷にいるはずがない。花の都の宿屋で、実の姉たちと暮らしているはずなのだ。それがなぜ、と混乱する紅子に、サクラは花のように愛らしい笑顔を向ける。
「あーちゃん!こっちきて」
 紅子の手を引き、ずかずか屋敷へ入っていく。紅子の部屋の前で立ち止まり、戸を叩いた。中には誰もいないのでは、と訝しむ紅子の思いとは裏腹に、部屋の中から「はーい」と明るい声が聞こえてきた。

──この声は、まさか。

 開けられた扉の先に、宿屋にいるはずの懐かしい顔が並んでいた。
「久しぶりー!お紅ちゃん」
「ちゃんと元気だった?」
 梅夜と桃李の変わらぬ笑顔に喉が熱くなる。以前は当たり前に傍に居た存在が居なくなるとやはり寂しいし、会えたときの喜びは大きくなる。
「お久しぶりです。梅ちゃ──」
「あ、ごめんそういうのは後でね」
 ガッと肩を捕まれ、鏡台の前まで連れてこられる。
「さっ お紅ちゃん!前向いててね」
 と派手な色味の着物を合わせていく。何事かと動揺する紅子の問いを遮るように、桃李が「お紅ちゃん」と顎に指を沿わせた。
「動かないでね?」
 化粧筆を手にした桃李を前に、紅子はデジャブを感じつつも動くことができなくなる。
 されるがままになる紅子と鏡越しに目を合わせた梅夜が「懐かしいわね」と明るい赤色の着物を手に微笑む。
「うん。前は派手な赤は主張が強かったけれど、今のお紅ちゃんによく似合う」
 能力が無くなった紅子の紅く輝いていた髪はだんだんと色褪せ、今では蘇芳に変色していた。紅子は「目立たなくて済む」と笑うが、以前とは異なる見目に慣れないことも事実だった。
「……そろそろ、皆が集まっている理由を聞いてもいいかしら」
 と顔を動かさないよう務めながら問うと、梅夜は「やだぁ」と軽く肩を叩いた。
「やめて梅。線がズレる」
 桃李から真剣な声で怒られた梅夜は声を落とし、
「そりゃもちろん、お紅ちゃんの──」
 その声は叩かれた戸に掻き消された。
「こんにちは。開けても大丈夫でしょうか」
 聞き慣れない女性の声だった。いや、どこかで聞いたことはあるものの、なかなか記憶と結びつかない声というのか。
 いつの間にか赤色に決めていたらしい梅夜は、着付けをしながら「どうぞ」と声を上げた。この部屋の主としての威厳は今の紅子にないらしい。
「失礼致します」
 と上品な礼をして入ってきたのは、後妻の由利江と義妹の椿だった。
「姉様!本当に本当にお久しぶりにございます!椿のこと、覚えておいでですか……?」
 不安げに見上げてくる椿は、離れてからまだそんなに月日は経っていないはずだが、元々大人びていたこともあり容姿はすっかり大人の女性となっていた。短かった髪は長くなり、後ろで綺麗に結われている。
「妹を忘れるわけないでしょう。会いたかったわ、……椿」
 名を呼ばれた椿の表情がぱっと華やぐ。潤んだ目で紅子を見つめ、
「いま、椿と……?」と半ば無意識のように問う。
 義妹は好きでも、七兵衛からは「椿」と呼ぶことを疎まれていた。縁者であることを思わせる発言を、七兵衛は紅子に禁じた。由利江を「母」と呼ばないこと、椿を「妹」としないこと。だが禁じていた男は今や牢の中。椿と呼んでも妹と胸を張っても、男は知る由もないのだ。
「嬉しい……私、今日きてよかったです。姉様をお祝いできて、本当に嬉しいです」
「お祝い……」
 派手な着物に着替え、かつしっかり化粧もしているのだからそういった席ではあるのだろうと予測はしていたが、もしやお祝いというのは。
「ええ 今日は貴方たちの結納祝いに来たのよ。滋宇ちゃんから連絡があってね」
 やはり、と紅子は緩む口角に耐えられずに下を向く。幸い化粧の区切りはついていたようで桃李には怒られなかった。
 滋宇には見透かされていたのだ。
 祝福されない環境が、紅子の今に影を落としているのだということを。それをなかなか呑みきれずにいることを。
 やはり親友には敵わない、と紅子はひっそり笑みを零す。
「──よし、できた」
 着付けを終えたらしい梅夜が満足気に額を拭う。
「白無垢はこれから着るだろうってことで、今日はおめでたい赤色の着物にしたの。うん、やっぱり似合ってる!」
 梅夜に促され等身大の鏡に映る。華やかな赤色だが、上着が黄土色ということもあり派手すぎない仕上がりになっている。
「それじゃ、そろそろ行かないとね。これ以上待たせたら悪いもの」
 と梅夜と桃李に背を押されながら部屋を出る。いつの間にか花籠を持った屋敷の従業員が笑顔で廊下にずらりと並んでいた。
「このままお食事所までお進み下さい」
 一番手前の従業員──滋宇は、ニヤリと笑みながら言う。してやったり、と言わんばかりの表情だ。
「滋宇」
 なんと言えば良いのかわからない。言葉がひとつも頭に浮かばない。
 紅子は滋宇の手を握り、

「あなたがいてくれてよかった」

 するりと言葉が滑り出た。本心ではあるが、直球すぎた。もう少し上手く言葉を足せたら良かったのに──いや、飾らない言葉だったからだろう。滋宇は誇らしげな笑みを浮かべながらも目に涙を溜めていた。
 歩く度、花弁を開いた花がふわりと宙に舞う。床に落ちる度に思い出をひとつずつ思い出しては胸の奥にしまっていく。心がすり減るような、生きていても仕方ないと思ってしまう日々があった。つらくてなにもかも投げ出したい日々があった。けれど光は幾度も差して、壊れてしまいそうな心を自分ではないだれかに守られた。
 好きだった人に傷つけられたかと思えば別の人を好きになり、その人からは溢れんばかりの愛を受けた。
 この先も、この人と共に在りたい。ずっと隣にいたい。手を繋ぎたい。触れたい、横顔をずっと見つめていたい。浅ましく、けれど純真なこの想いを貴方だけに捧げると誓おう。

──歩いた先で待っている、貴方に。

fin.
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