ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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最終章《秋桐家の花嫁》

【七】

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 おかしい、と紅子は窓の外を眺める。
 いくらなんでも誰も寄らなさすぎる。今はもう昼だ。ワゴンが置かれているだけで使用人が一人もいないこともそうだが、なにより人の気配が感じられない。
「どうかしました?」
 紅子の髪を結いながら、男は常と変わらない飄々とした笑顔で問う。それが、妙に引っかかった。
「屋敷の人たちの気配がないな、と」
 率直に懸念を話す紅子に、男は「ああ」と笑みを深める。
「近寄らないよう言いつけたんです。二人の時間を邪魔しないでほしかったので」
「なるほど」と紅子は振り返る。
 その目は疑念を露にしていた。男は予想外の反応だったのか笑みを引き攣らせた。
「では私が部屋を出てもなにも問題はありませんね」
 にこり、と微笑み返した紅子は立ち上がる。
 男が制止をかける前に扉がノックされた。
 二人はピタリと同時に動きを止め、互いに顔を見合わせた。一向になにも言ってこない相手に、男は紅子を背にかばいながら「はい」と応じる。
「……開けても、平気かしら」
 紅子は聞いたことのない声だった。しかし男の方は瞬時に顔色を変え、
「紅子さん、続き扉から隣の部屋に行っていてください」と早口で言った。
 ただならぬ様子の正体がうっすらわかったものの、本当にこの場を離れて良いものかわからない。
「お願いします」
 焦りの滲む声に戸惑う。感情をあまり表に出さない彼がそこまで取り乱す相手なのかと思うと肩が強ばる。
「……席を外せというのは、私が秋桐家に関係のない人間だからですか」
「紅子さん」
「私は貴方の味方でありたい。後ろで守られる存在ではなく、横に並んで共に生きていきたい。ずっとそう言ってるのに、貴方はわかったふりばかり。本当に私を尊重しているのなら、私のことを信じてくださるのなら、……お願いします」
 涙腺が緩んでいるのを紅子自身自覚していた。けれど引けなかった。いくら言葉にして共に在りたいと伝え続けても、きっとこの先もこの人は無意識に紅子を後ろに庇うのだろう。
 嬉しい気持ちがまったくないと言えば嘘になる。紅子の望む行動ではないと言った方が正しいだろう。
 男は言葉を喉の奥につかえさせたように口を半開きのまま固まる。しかし「紅子さん」と慎重に声を発した。
「私は貴方が傷つくのを見たくない。できたら後ろで囲われていてほしい。それはたぶん、変えることができないかと……だから、その都度言ってほしい。貴方の想いをぶつけてほしい。僕も、そうするから」
 その目はまだ不安を孕んでいる。だが焦燥はなくなり、覚悟を決めたように真っ直ぐ紅子を見つめていた。
「入りますよ?」
 扉の前に待たせた人物は随分せっかちらしい。許可が出る前に扉が開かれる。こんなときクロがいればもう少し留められたのかもしれない、と居ない人間の喪失を嘆く。
 ガチャ、とノブの捻る音と共に姿を表したのは女だった。水浅葱の瞳だけが唯一男との血縁を感じさせる。雪のように真っ白な髪が肩の高さに切り揃えられたその人は美しさと儚さを纏っており、童話に出てくる雪女を連想させる。
「あら、知らない顔……」
 目を丸くした女は細い指で口を隠す。
「お初にお目にかかります、元婚約者の紅子と申します」
 頭を垂れる紅子に、女は「これはご丁寧に」と微笑む。
「楼主の秋桐すみれよ。それで──」
「お帰りください」
 剣呑な表情で割って入った男に、楼主は小さく息をつく。
「貴方が私を嫌っているのは構いませんが、いま私を帰してしまって良いのですか?」
 懐から取りだしたのは一枚の紙切れだ。うっすら黄色味を帯びて、なにやら重要そうな書類に見える。
「これは貴方の戸籍を戻すための書類です。持っているのは私ですよ?それでも帰れというのなら従いますが」
 あってないような選択肢に、男はぐしゃりと髪を搔いた。


「──お茶です」
 楼主の前に置かれた茶器には緑が鮮やかな煎茶が淹れられていた。
「ありがとう。貴方の話は絹峰から伝え聞いているのよ。会えて嬉しいわ」
「私も楼主様にお会いできて光栄です」
 と微笑む紅子に、楼主は「まあ」と目を開く。
「もっと早く会いに来たかったのだけど、なかなか外出の許可が出なくて」
「お体がつらいのですか?」
「そうね、そんな感じ」
 はぐらかされたような気がするものの、これ以上は野暮だろうし誰も得をしない結果となるだろう。大人しく矛を収めた紅子は、
「実は身内からお饅頭が届いていて、よろしければぜひ」と饅頭が詰められた箱を開ける。
 しっとりした皮と甘すぎない餡が売りの、宿屋自慢の商品だ。
「頂こうかしら」
 一つを手に取り、ぱくりと食む。
「美味しいわ。甘いけど、くどくなくて」
 ぺろりと食べきった楼主は「もうなくなってしまったわ」と少し残念そうに茶を啜る。眉が下がったその表情が、どことなく男と似ていた。
「あの、よろしければもう一つどうぞ」
「あら嬉しい。でも後にしておくわ。どこかの誰かさんが、早くしろって睨んでくるんだもの」
 呆れたようにため息を一つ吐き出し、書類を紅子と男に向けて広げた。ほわっとしていた雰囲気はいつの間にか消え去り、冷気を感じさせる瞳で二人を見る。
「ここに貴方の名前を書けば、戸籍は元に戻せます。証人欄は私の印を押してあります。もう一つの欄は紅子さんの印を押してください」
 と万年筆を男に渡す。

『秋桐 美月』

 書かれた名をまじまじ見つめる。ミツキと発音はわかっていたものの、いざ字面を前にすると、なぜだか尊いものに思えてならない。この世でこれ以上ない美しいものであるかのような錯覚に陥るのだ。

──けど、『弥生』とは名付けの傾向がだいぶ違うような。

 紅子の戸惑いが伝わったのか、楼主が口を開いた。
「その名前は私が付けたものです。弥生のほうはもう先代の領主様がお決めになっていたので、私が名を付けることはできませんでした」
 話すことを止めた楼主の頬はほんのり赤く染まり、汗が首筋を伝っていた。
 暑いのか、と問おうとした紅子の目の前で、カシャンとカップが床に落ちて破片を散りばめた。その破片めがけて、楼主の体がぐらりと傾ぐ。
「──ッ!」
 手を伸ばしたが届かない、間に合わないことは明白だった。
 しかし。
 一人、並ならぬ速度で反応した者がいた。椅子から落ちたかに思えた楼主を支えた男──美月は、ほっと息を零した。
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