ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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最終章《秋桐家の花嫁》

【六】

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「大丈夫ですか?」
 自室に運ばれてきた朝食に箸をつけた男が口を開く。
 その視線は、未だベッドの上で寝転がっている婚約者へ向けられていた。紅子は恨めしげな目で睨みながら、
「まだ目が覚めてから時間はそんなに経っていないというのに、あなたはお元気そうですね」
 と嫌味を返す。
 男は箸を置き、おもむろに寝台へと近づく。紅子の頬に指を滑らせ、
「長く傍に居なかった君を感じたくて。無茶をさせてしまってごめん」
 と眉を下げ、微笑しながら謝罪を口にした。
 紅子はうっと声をつまらせそっぽ向く。布団を頭まで被り、
「べつに、……多少の無茶は、あなたのためなら構いません。けど今度からは加減してくださると嬉しいです」
 と細い声で言う。
「努力するよ」
 にこやかに受け流した男は、「そうだ」と再びテーブルへと戻る。
「なんか、戸籍を戻すのは良いらしいんだけど──」
「本当ですかっ」
 布団からぴょんと飛び出てきた紅子に、男は目を瞬かせ小さく噴き出す。
「君は本当に……ときどき小動物を相手にしているように思えるよ」
 くつくつ笑われた紅子は頬を染める。
「そんなに笑わなくたって良いではありませんか。それより、本当に戸籍を戻してもらえるんですね?」
「本当だよ」と封の開かれた手紙を紅子に渡す。
 達筆な字で綴られた手紙に最後まで目を通した紅子は瞬きを繰り返す。
「……あの、なんか……見間違いですか?楼主様が、お越しになる……?」
 嘘だと言って、と言いたげな紅子に、
「ああ、そうらしいね。放っておいて大丈夫だよ」
「大丈夫では無いと思います」
 楼主とは、すなわち男の母親だろう。並の客人よりもよっぽどもてなさなければならない相手のはずだ。
 いくら男と母親の仲が良くないとはいえ、もてなさない、まして放っておくという選択肢があるはずもない。
 そんな紅子の考えを読んだかのように、
「いえ、本当に。以前いらしたときも、屋敷の皆に一切もてなさなくて良いと伝えましたし。ここの屋敷の主は私で、私があの人をもてなさなくて良いと判断しただけの話です。紅子さんには特に、近づかないでほしいです」
 真剣な瞳だった。いや、真剣というよりは不安のほうが合っているかもしれない。
「そ、れは……」
 口ごもる紅子に、男は「お願いです」と続けた。
「あの人は、例えるなら女狐ですから。金と権力にしか執着を見せないような人です。もてなしたくなどありません。……もっと分かりやすく言えば、もてなしたいと思えない」
 男は俯きながら言った。その表情は明るくない。
 下手に母親の味方もできず、紅子は「わかりました」と応える他なかった。
「それより、サクラさんの姿だけ見えなかったのですが」
 向かいの椅子に手招きながら男は問う。促されるまま椅子に腰掛け、用意されていた箸を手に取る。
 だし巻き玉子に煮物、漬物、出汁の効いた味噌汁と赤飯。宿並に豪華な朝食に心が弾む。
 煮物を口に運びながら、
「サクラさんはですね、うちの宿の方で引き取ることになったらしいです」と紅子は言う。
「ご実家で?それはまたどうして」
 予想外の答えだったらしく男は目を見張る。
「それが……宿の従業員の中に血縁がいまして」
 紅子もこの事実には相当驚いた。その血縁というのが、彼女と関わりの深い人物たちだったのだ。

──紅子が目を覚ましてすぐ、滋宇が一通の手紙を渡してきた。

 差出人は桃李からだった。
 そういえば挨拶もなしに別れてしまったんだった、と紅子は文を開く。
「お紅ちゃんへ
 直接挨拶ができなくて残念です。あなたのことは心配しても時間の無駄だと思ってるので、目が覚めた時用に手紙を書いてます。
 あなたの旦那さんの御屋敷で全員匿ってもらえるということだったけど、サクラと呼ばれている子だけは私と梅が引き取らせてもらいました。理由は、サクラが私たちの実の妹だったから。
 そもそも私たちが花の都に来たのは流行病の薬を探すため。医者を村へ連れ帰るため。けど清美さんに拾われてから、私たちの故郷はもうなくなってしまったことを知ったの。だから、叔母に預けて残してきた妹も死んでしまったのだと、私たちは探そうともしなかった。救われた今の生活を捨ててまで、探しに行こうと思えなかった。薄情だって思うわ。だけど忘れることなんて到底できなかった。見殺しにしたような、いいえ、置いていった私たちが殺したようなものだと思っていたもの。
 ごめんなさい、途中から懺悔になってた。
 それで、もしかしたら恨まれるかもしれないけど、あの子が目を覚まして自分の意思で私たちの元を去るまでは、私たちが傍にいようって梅夜と決めたの。だから、もしかしたらサクラはすぐそっちへ向かうかもしれません。
 最後に、実の名前もサクラなのよ。こんな偶然あるのね。それじゃ、ときどきは顔見せにきてよね。
 桃李」
 桃李が長い文を書くなんて珍しい、と目を滑らせていた紅子は文を二度三度と繰り返し読み直した。信じ難いつながりに、紅子は言葉を失った。
 滋宇に手渡し、読むよう促す。読み始めこそ驚いた表情になっていたものの、読み終えた彼女はほっとしたように唇を緩め、
「あの三人なら、絶対仲良くなれるよ」と言った。

「そんな偶然、あるんですね……」
 煮豆を箸でつまみながら男は目を瞬く。
「ええ、驚きました。でも、偶然ではないと思うんです。出会うべくして再会したというか」
「結ばれた縁は、そう簡単に解けないと言いますからね」
 くすくすと互いに笑い合う。
 紅子はじわりと視界が潤うのを感じた。本当に、この人の前では涙の自制が機能しない。
「……私、幸せです。貴方と居られて幸せです。あなたと縁がつながっていて、本当によかったって思います」
 紅子の言葉に、男は「それはこっちの台詞ですね」と笑む。
「あまり良い出会いとは言えなかったし、仮面夫婦だなんて言ったけど……」
 そこまで言った男は「そうだ」と席を立ち、自身の箪笥の引き出しから何かを取り出した。手にしていたのは木箱だ。
 箸を置いた紅子の手を引き、箱を握らせる。
「僕が直接贈ったことはなかったなと思って──……」
 恐る恐る箱を開く。
 中には、簪が入っていた。銀の支柱に金と銀の花が咲いたそれを取り出す。
「これ、は……えっと」
 言葉を探す紅子に、「はい。遅れましたが」と男は言う。
「愛してます、紅子さん。この先の人生、他の誰でもない貴方と共に歩んでいきたいです」
 似たような言葉なら何度か囁かれた。けれど決定的なことは言葉にされていないし、どこか、「もしかしたらいつか消える夢かもしれない」と思っていた。始まりは仮面夫婦だったから。
 でも。
「……っ嬉しいです」
 物が欲しかったわけじゃない。だが、この簪を見る度に、今のこの光景を色鮮やかに思い出すことができるだろう。嘘ではない、夢ではないと実感できるのだろう。
 紅子は緩慢な仕草で立ち上がり「あの」と小さく零す。
「だ、抱きしめても、いいですか」
「勿論です」
 即答した男は「いつでもどうぞ」と言いたげに両腕を開く。紅子は羞恥に顔を染めながら頭を肩に預けた。
 うっすら漂う緑の香りに、紅子の胸がきゅっと鳴る。
「私も愛してます。貴方とこの先共に在りたい。ふ、不束者ですが、末永くよろしくお願いしたいです」
 月並みな言葉しか出てこないことが歯痒い。伝えきれていない心地がしてムズムズする。言葉にできなかった感情を表現するかのように、紅子は男の首に手を回して抱き寄せた。
「こちらも、お願いしたいです」
 男はくすくすと笑いながら、開いていた腕を彼女の背と頭に回す。顔を上げた彼女の赤く色づいた唇に合わせるだけの口付けを何度か交わす。

 しかしその後はいたく健全でほのぼの過ごしただけに留まったのだが、昼食の載ったワゴンが扉の前に運ばれた他は、その日ベルで呼び出されるまで誰も男の私室を訪れることがなかった。
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