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第九章《赫姫と国光》
【二】
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「なんでも言葉にするもんじゃないよ、お姫様。ときに言葉は凶器さながらに人を傷つけるのだから」
「あら、弥生様を刀で傷つけた人の台詞とは思えないご高説ですね」
バチッと見えない火花が散る。
まさか桜さんの体に別の人物がいるだなんて、と紅子はひっそり指を握り込む。
しかも中の人物は紅子の縁者との因縁があるときた。ごちゃごちゃとした関わりに頭が痛くなる。
「……そもそも、国光様のどこがお好きでしたの?わたしには憎い記憶しかないので、まったくわからないのですけど」
ふって沸いた話題に、レンはキリッとした眉根を寄せた。
「どこと言われてもな。私はずっと前からお慕いしていただけだ。強いて言うなら、私のことを受け入れて、愛してくれたから……まあ、蓮の君は気づかれずじまいだったが」
受け入れて、愛してくれたから。
たしかに彼女はそう言ったが、紅子の記憶では、いや赫姫の記憶ではそんなものはなかった。
「不思議そうな顔だな。まぁなんだ……お姫様じゃわからないこともあるのだろう。だから──代われ」
レンの目が見開かれた。その瞬間、紅子の肩が大きく跳ねた。いきなり脅されたからという理由ではない。
──内側から、なにかが出てくる。
知っている。この感覚は知っている。だからこそさっき退けたのだ。無理やり防いだのだ。それなのに……、
「ごめんなさいね」
聞き覚えのある声が、意識を失いかけた紅子に話しかけた。
黒に染まりつつある視界で、見たことのある女が唇に笑みを湛えている。彼女の白い指が、さらりと紅子の髪を撫でた。
「ごめんなさいね、ちょっとだけ。大丈夫だから、ちょっとだけ貸してね」
はい、と紅子は呻く。
許容の言葉と同時に、がくんと紅子の首が垂れた。しかし足元から崩れる気配はない。
「ああ、やっと姿を現してくれたな。……久しいですね、紅姫様」
目を狐のように細め、待ち焦がれていたとでもいうように笑む。だがその目は憎悪と嫉妬が入り交じり、決して好意的な視線ではない。
「こんにちは、蓮の君様。相も変わらず、国光様のことをお慕いしているのですって?なんて健気。なんて美しい恋情かしらね。けれどその激情、向ける相手が違うのではありませんこと?」
見た目は変わらない。目も、口元も、全てのパーツが紅子の身体だ。しかし使い方が違った。微笑み方、仕草、すべてが違う人間のものであった。
纏う雰囲気は一変し、間合いに入れば、たちまち動けなくなる。魅了という言葉を体現しているかのようだ。
「本当、腹が立ちますわね。その美貌を自分の異性にだけ魅せておけばいいものを、なぜほかの殿方にも寄るのか……下品で、汚らしいうえに妙術まで使うなんてね。昔から思っていましたけど、化け物の類ね」
口調がすっかり変わっている。ギラつく目で眼前の女を睨めつける。
「この化け物が。お前のせいで国光様はお変わりになったのよ。お前が来てから目の色が変わった。うわ言をいうようになった。なにかに憑かれたかのように挙動不審が増えた。全部全部……全部お前のせいだ」
「私のせいではありません」
鈴のような声が、呪詛となりかけたレンの言葉を断ち切る。
怯えない、怯まない、引かない彼女に、レンのほうが一歩後ずさる。
「私のせいではございません。そもそも私は──」
一呼吸おき、憐れむようにレンを見つめた。
「私は、国光様が探していた女性ではないのですから」
は、とレンの唇から吐息が漏れる。
思考を停止したかのように一寸も動く気配がない。
「あのとき、彼女はたしかに国光様に執着されていました。けれどあれは彼女自身に執着していたのではなかった。彼女の赤い髪に執着していたのです。最後の最後、事切れる寸前で彼は言ったの。『違う、お前じゃない』って」
──違う、お前じゃない。
俺が探していたのは、俺が欲していたのは。
騙したな。騙したな騙したな騙したな騙したな。
憎い。俺を欺くこの女が憎い。裏切ったアイツが憎い。憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い!
──赤髪の女が、憎い。
「そういう解釈になってしまったようですわ」
ちがう、とレンは後ずさる。
この女は違う。誰だ、と頭の中で警鐘が響く。
「お前……っ誰だ!姫じゃないだろう!?」
金切り声に、女はくすりと笑い、自身の──紅子の胸に手を当てた。
「お初にお目にかかります。この子の母にございます。名前だけはたくさんあるのですが、そうですね……やはり最初に名付けられたものがいいですかね。私、名を花と申します」
花が散るような可憐さをもつ、美しい女の笑みだった。
「あら、弥生様を刀で傷つけた人の台詞とは思えないご高説ですね」
バチッと見えない火花が散る。
まさか桜さんの体に別の人物がいるだなんて、と紅子はひっそり指を握り込む。
しかも中の人物は紅子の縁者との因縁があるときた。ごちゃごちゃとした関わりに頭が痛くなる。
「……そもそも、国光様のどこがお好きでしたの?わたしには憎い記憶しかないので、まったくわからないのですけど」
ふって沸いた話題に、レンはキリッとした眉根を寄せた。
「どこと言われてもな。私はずっと前からお慕いしていただけだ。強いて言うなら、私のことを受け入れて、愛してくれたから……まあ、蓮の君は気づかれずじまいだったが」
受け入れて、愛してくれたから。
たしかに彼女はそう言ったが、紅子の記憶では、いや赫姫の記憶ではそんなものはなかった。
「不思議そうな顔だな。まぁなんだ……お姫様じゃわからないこともあるのだろう。だから──代われ」
レンの目が見開かれた。その瞬間、紅子の肩が大きく跳ねた。いきなり脅されたからという理由ではない。
──内側から、なにかが出てくる。
知っている。この感覚は知っている。だからこそさっき退けたのだ。無理やり防いだのだ。それなのに……、
「ごめんなさいね」
聞き覚えのある声が、意識を失いかけた紅子に話しかけた。
黒に染まりつつある視界で、見たことのある女が唇に笑みを湛えている。彼女の白い指が、さらりと紅子の髪を撫でた。
「ごめんなさいね、ちょっとだけ。大丈夫だから、ちょっとだけ貸してね」
はい、と紅子は呻く。
許容の言葉と同時に、がくんと紅子の首が垂れた。しかし足元から崩れる気配はない。
「ああ、やっと姿を現してくれたな。……久しいですね、紅姫様」
目を狐のように細め、待ち焦がれていたとでもいうように笑む。だがその目は憎悪と嫉妬が入り交じり、決して好意的な視線ではない。
「こんにちは、蓮の君様。相も変わらず、国光様のことをお慕いしているのですって?なんて健気。なんて美しい恋情かしらね。けれどその激情、向ける相手が違うのではありませんこと?」
見た目は変わらない。目も、口元も、全てのパーツが紅子の身体だ。しかし使い方が違った。微笑み方、仕草、すべてが違う人間のものであった。
纏う雰囲気は一変し、間合いに入れば、たちまち動けなくなる。魅了という言葉を体現しているかのようだ。
「本当、腹が立ちますわね。その美貌を自分の異性にだけ魅せておけばいいものを、なぜほかの殿方にも寄るのか……下品で、汚らしいうえに妙術まで使うなんてね。昔から思っていましたけど、化け物の類ね」
口調がすっかり変わっている。ギラつく目で眼前の女を睨めつける。
「この化け物が。お前のせいで国光様はお変わりになったのよ。お前が来てから目の色が変わった。うわ言をいうようになった。なにかに憑かれたかのように挙動不審が増えた。全部全部……全部お前のせいだ」
「私のせいではありません」
鈴のような声が、呪詛となりかけたレンの言葉を断ち切る。
怯えない、怯まない、引かない彼女に、レンのほうが一歩後ずさる。
「私のせいではございません。そもそも私は──」
一呼吸おき、憐れむようにレンを見つめた。
「私は、国光様が探していた女性ではないのですから」
は、とレンの唇から吐息が漏れる。
思考を停止したかのように一寸も動く気配がない。
「あのとき、彼女はたしかに国光様に執着されていました。けれどあれは彼女自身に執着していたのではなかった。彼女の赤い髪に執着していたのです。最後の最後、事切れる寸前で彼は言ったの。『違う、お前じゃない』って」
──違う、お前じゃない。
俺が探していたのは、俺が欲していたのは。
騙したな。騙したな騙したな騙したな騙したな。
憎い。俺を欺くこの女が憎い。裏切ったアイツが憎い。憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い!
──赤髪の女が、憎い。
「そういう解釈になってしまったようですわ」
ちがう、とレンは後ずさる。
この女は違う。誰だ、と頭の中で警鐘が響く。
「お前……っ誰だ!姫じゃないだろう!?」
金切り声に、女はくすりと笑い、自身の──紅子の胸に手を当てた。
「お初にお目にかかります。この子の母にございます。名前だけはたくさんあるのですが、そうですね……やはり最初に名付けられたものがいいですかね。私、名を花と申します」
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