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第八章《昭平と母国の画策》
【二】
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ガタガタと落ち着きなく揺れる馬車の中、紅子は言葉を発することなく外を眺めていた。
レンが登場した後、彼女は紅子を横抱きにして太陽家の屋敷を飛び出した。人間一人を抱えているというのに、彼女の足は警備兵たちよりも速く、誰も追いつくことができなかった。
警備兵を撒いた昭平とレンは、近くの賑わう街で馬車を拾い、現在に至る。
「おいおい……姫のご機嫌が斜めじゃないか。どうにかしなよ」
レンの耳打ちも馬車の中だから当然紅子の耳に入ってくる。声を潜めたところで意味が無いだろうに、その状況を楽しむかのように、レンの口元には意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「強引に連れてきたからご機嫌になることはないと思うよ」
と昭平は肩を竦める。
「だけど──秋桐弥生の話だったら別かな?」
探りを入れるような物言いに、紅子は軽蔑の眼差しで彼を見据える。
「しばらく会わない間に性格が酷く歪んでしまったようですね。私の知る昭平さんとは似ても似つかない仰りようで驚いております」
──本当に、以前の彼とはまるで別人のよう。
くしゃりと笑う柔らかな笑みはそのままだと言うのに、佇まいが、醸し出す雰囲気が刺々しい。そして何より、瞳の冷たさに目を逸らしたくなる。
「そうですね。弥生様のお話でしたら……少しは気が紛れるかもしれませんね」
冗談半分でそう返す。
「ですが昭平さんは、語れるほど弥生様のことをご存知なのですか?」
「もしかしたら君より知ってるかもよ」
目を細めて挑戦的な色をチラリと見せる昭平に、紅子は負けじと身を乗り出す。
「それはどうでしょうね。ほとんど関わりのない貴方より、一緒に暮らした私の方が詳しいと思いますよ」
「いやいや、別に秋桐弥生について張り合いたいわけではないんだよ……そんなにギラギラせんでよ」
苦い顔になる昭平をまじまじ見返す。
「……幼い頃は、よくそのようなお顔をしておりましたね」
学ぶとき、彼はよく眉間に皺を寄せて口を尖らせ、鉛筆を手で弄んでいた。時が経つにつれてその姿は見えなくなっていたが──、
「貴方にとって、今の組織が落ち着く居場所となっているのですね」
よかった、とは言えない。
言ってはいけないし、心の底ではその感情の隣で「なぜその組織なのか」と憤りも在る。
「落ち着く場所……では、ないな。むしろ綱渡りの気分だよ」
不思議そうな目で見返され、紅子は「え」と疑問を短く発する。
納得できない、と物語る表情の紅子に、昭平はクスリと笑いかける。
「そのように見えるとしたら、それは君がここに居るからだよ」
昭平の言葉に、彼女は言葉を失った。
──私が自惚れていたのだと思っていた。
いやきっとそれもある。それもあるが、こんな言葉を日々浴びていれば勘違いもするだろう。
──絶対この男にも原因があるわ。
以前宿屋にて、梅夜が簡潔に彼を表したことがあった。
「女ったらしよね」
そのときの紅子は昭平に気があったために、盲目的に彼を信じ、梅夜の評価を否定した。だが今になって紅子は義姉の評価に同調する。
桃李に至っては、
「女ったらしの言葉は基本受け流しなさいな。全てが社交辞令だと思っていいわ。それを真正直に受け止めて期待して、その結果傷つくのは自分だもの。いい?お紅ちゃん、その目で、しっかり、男を見極めるのよ」
と、かつて何かがあったかのような気迫とともに紅子に言い聞かされていた。
「あら、私がいても何も変わらないと思いますが」
冷たくそう返すと、昭平は目を見開いて彼女を見つめた。
「変わるさ。ようやく君を連れ帰ることができるんだから」
身を乗り出してくる昭平の目は、真っ直ぐに紅子を見ている。
「連れ帰る?……ようやくと仰いました?そういえば先程もずっとこのときを待っていたと──」
まるでずっとその気を見計らっていたかのような口ぶりだ。
まさか、と紅子は小さく零す。
「弥生様を罪に問うたのは、貴方なのですか……?」
どくん、と耳元で心臓の音が低く鳴る。
血の流れが加速する気配に、紅子は震える指先を握り込む。なぜ先の発言で気づかなかったのか、と紅子は鈍い己を酷く叱咤する。
再び重い空気に包まれた馬車に、レンのため息がやけに大きく響く。
「こう言えばわかるかい?『まさかサクラが能力者だったなんて知らなかったな』。知っていればあのとき切り捨てなかったのに……惜しいことをした」
サクラが能力者だと知っている者は限られる。秋桐弥生とその従者数名、太陽夫妻、そして春の宮。
昭平を招き入れたのは春の宮だ。普通なら春の宮を疑うところだろうが──。
──春の宮様は、隠し名まで私に教えてくださった。
あの瞳を前にしたら、彼女を疑う人間などいまい。そうなると一番怪しいのは、太陽夫妻ということになる。加えてあの挑戦的な目──勝ち誇ったような目をしていた太陽妻の線が濃厚だと、紅子の中の何かが叫ぶ。
「……弥生様のことを、貴方が貶めた理由は何ですか」
太陽妻の狙いは明白だ。単に彼の力を削ぎたかったのだろう。だが昭平からすれば他人でしかない。
──まさか「私」の奪還のためだけに隣国に喧嘩を売るわけが……。
そこまで考え至った紅子は生唾を呑み込んだ。
春の宮の襲撃、さらには昭平の「俺が皇家を傷つけたことが重要だから」という発言。秋桐弥生という、他国の能力者の無力化。
一番簡潔な解であり、一番当たって欲しくない予感。
「……………………戦争を仕掛けるため?」
自分の声がまるで他人の声のようだ、と紅子は掠れた声を隠すように喉に手を当てる。
酷く喉が乾く。
目の前の男が、読めない瞳を細めて口角を上げる。
夢であればいい、と紅子は遠い意識下で呟いた。
レンが登場した後、彼女は紅子を横抱きにして太陽家の屋敷を飛び出した。人間一人を抱えているというのに、彼女の足は警備兵たちよりも速く、誰も追いつくことができなかった。
警備兵を撒いた昭平とレンは、近くの賑わう街で馬車を拾い、現在に至る。
「おいおい……姫のご機嫌が斜めじゃないか。どうにかしなよ」
レンの耳打ちも馬車の中だから当然紅子の耳に入ってくる。声を潜めたところで意味が無いだろうに、その状況を楽しむかのように、レンの口元には意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「強引に連れてきたからご機嫌になることはないと思うよ」
と昭平は肩を竦める。
「だけど──秋桐弥生の話だったら別かな?」
探りを入れるような物言いに、紅子は軽蔑の眼差しで彼を見据える。
「しばらく会わない間に性格が酷く歪んでしまったようですね。私の知る昭平さんとは似ても似つかない仰りようで驚いております」
──本当に、以前の彼とはまるで別人のよう。
くしゃりと笑う柔らかな笑みはそのままだと言うのに、佇まいが、醸し出す雰囲気が刺々しい。そして何より、瞳の冷たさに目を逸らしたくなる。
「そうですね。弥生様のお話でしたら……少しは気が紛れるかもしれませんね」
冗談半分でそう返す。
「ですが昭平さんは、語れるほど弥生様のことをご存知なのですか?」
「もしかしたら君より知ってるかもよ」
目を細めて挑戦的な色をチラリと見せる昭平に、紅子は負けじと身を乗り出す。
「それはどうでしょうね。ほとんど関わりのない貴方より、一緒に暮らした私の方が詳しいと思いますよ」
「いやいや、別に秋桐弥生について張り合いたいわけではないんだよ……そんなにギラギラせんでよ」
苦い顔になる昭平をまじまじ見返す。
「……幼い頃は、よくそのようなお顔をしておりましたね」
学ぶとき、彼はよく眉間に皺を寄せて口を尖らせ、鉛筆を手で弄んでいた。時が経つにつれてその姿は見えなくなっていたが──、
「貴方にとって、今の組織が落ち着く居場所となっているのですね」
よかった、とは言えない。
言ってはいけないし、心の底ではその感情の隣で「なぜその組織なのか」と憤りも在る。
「落ち着く場所……では、ないな。むしろ綱渡りの気分だよ」
不思議そうな目で見返され、紅子は「え」と疑問を短く発する。
納得できない、と物語る表情の紅子に、昭平はクスリと笑いかける。
「そのように見えるとしたら、それは君がここに居るからだよ」
昭平の言葉に、彼女は言葉を失った。
──私が自惚れていたのだと思っていた。
いやきっとそれもある。それもあるが、こんな言葉を日々浴びていれば勘違いもするだろう。
──絶対この男にも原因があるわ。
以前宿屋にて、梅夜が簡潔に彼を表したことがあった。
「女ったらしよね」
そのときの紅子は昭平に気があったために、盲目的に彼を信じ、梅夜の評価を否定した。だが今になって紅子は義姉の評価に同調する。
桃李に至っては、
「女ったらしの言葉は基本受け流しなさいな。全てが社交辞令だと思っていいわ。それを真正直に受け止めて期待して、その結果傷つくのは自分だもの。いい?お紅ちゃん、その目で、しっかり、男を見極めるのよ」
と、かつて何かがあったかのような気迫とともに紅子に言い聞かされていた。
「あら、私がいても何も変わらないと思いますが」
冷たくそう返すと、昭平は目を見開いて彼女を見つめた。
「変わるさ。ようやく君を連れ帰ることができるんだから」
身を乗り出してくる昭平の目は、真っ直ぐに紅子を見ている。
「連れ帰る?……ようやくと仰いました?そういえば先程もずっとこのときを待っていたと──」
まるでずっとその気を見計らっていたかのような口ぶりだ。
まさか、と紅子は小さく零す。
「弥生様を罪に問うたのは、貴方なのですか……?」
どくん、と耳元で心臓の音が低く鳴る。
血の流れが加速する気配に、紅子は震える指先を握り込む。なぜ先の発言で気づかなかったのか、と紅子は鈍い己を酷く叱咤する。
再び重い空気に包まれた馬車に、レンのため息がやけに大きく響く。
「こう言えばわかるかい?『まさかサクラが能力者だったなんて知らなかったな』。知っていればあのとき切り捨てなかったのに……惜しいことをした」
サクラが能力者だと知っている者は限られる。秋桐弥生とその従者数名、太陽夫妻、そして春の宮。
昭平を招き入れたのは春の宮だ。普通なら春の宮を疑うところだろうが──。
──春の宮様は、隠し名まで私に教えてくださった。
あの瞳を前にしたら、彼女を疑う人間などいまい。そうなると一番怪しいのは、太陽夫妻ということになる。加えてあの挑戦的な目──勝ち誇ったような目をしていた太陽妻の線が濃厚だと、紅子の中の何かが叫ぶ。
「……弥生様のことを、貴方が貶めた理由は何ですか」
太陽妻の狙いは明白だ。単に彼の力を削ぎたかったのだろう。だが昭平からすれば他人でしかない。
──まさか「私」の奪還のためだけに隣国に喧嘩を売るわけが……。
そこまで考え至った紅子は生唾を呑み込んだ。
春の宮の襲撃、さらには昭平の「俺が皇家を傷つけたことが重要だから」という発言。秋桐弥生という、他国の能力者の無力化。
一番簡潔な解であり、一番当たって欲しくない予感。
「……………………戦争を仕掛けるため?」
自分の声がまるで他人の声のようだ、と紅子は掠れた声を隠すように喉に手を当てる。
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