ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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第七章《秋桐家と龍の加護》

【九】

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 まだ朝餉の支度が整っていないであろう刻、紅子と弥生が二人眠っていた部屋の扉が激しい音で叩かれた。
 紅子は突然の物音に跳ね起きる。そのすぐ隣では弥生が刀の柄に手をかけて扉を睨んでいた。
「秋桐家長男殿!いらっしゃるのは確認済みです!今すぐに出てこないのであれば強制連行させていただく!」
 強気な男の声に紅子は身をすくませる。そんな彼女に、弥生は安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。貴方に手出しはさせません」
 いつもそのようなことを言う。
 紅子はギュッと拳を握った。嬉しくないわけではない。だけどどうしようもなく、モヤモヤした気持ちが湧いてくる。

──どうして自分のことはかえりみないのか。

 声をかけようとしたその刹那、扉が力任せに開け放たれた。
 数人の武装した男たちが部屋に堂々と踏み入ってきて、一人の強面の男が一枚の書状を弥生に突きつけた。
「我々は皇室付の警備団である。秋桐家長男、秋桐弥生。人身売買勝加担の罪で貴殿を連行する!尚今回は証拠もあるためこれについての異論は一切認めない」
 一方的に捲し立てると、彼に罪人を縛る縄を両腕に括りつけた。
 両手で驚愕を手のひらに秘める紅子が眼中にないとでもいうように、警備団だと名乗った男共は弥生を囲むなり部屋を出て行こうとする。
「……ど、して」
 紅子は恐れを押し込めるかのように顔の前で指を組む。
「どうして、なにも仰らないのですか──弥生様」
 舌が干上がってしまったかのように上手く言葉を紡ぐことができない。紅子の問に答えることなく、弥生はそのまま連行されていった。

 残された紅子は、一人その部屋で魂が抜けたかのように一寸たりとも動くことがなかった。

「──若奥様」

 気づいた時、クロが傍らに立っていた。
 彼の体は見えるところにまで包帯が施され、見ている方が痛々しい。
「若奥様、そろそろ移動をしなければなりません」
 降ってくる声は常と変わらない。傷心しているだろうに、それをおくびにも出さない。
「……貴方みたいに、強ければよかった」
 掠れた声が紅子の口から紡がれた。
 弱さを表に出さないような、そんな強さが。
 彼女の握りしめた拳の表面を、雫がぽたりと二滴、三滴と濡らしていく。
「何も、言えなかったんです。弥生様がそんなことするはずがないとも、連れていかないでとも、何も……それどころか、納得してしまいました。秋桐の家と縁を結ぶため、義父ちちは巨額を積んでいたのだろうって……私は自分に都合のいいようにしか考えていなくて、勝手に傷ついて」
 本当に勝手だ。それでいいと納得したのではなかったのか。あの義父の手から逃れられるのならどうでもよかった。どうでもよかったはずなのだ。
「……なにを仰っているのか、私にはわかりかねます。けれど若奥様、私にも見えるものがあります。……若奥様は、人を信じることが怖いのですね。だけど信じようとしている」
 穏やかな笑みを浮かべたクロは、語りかけるように言葉を繋ぐ。
「私には、若奥様の方が強い人に思えますよ。押し寄せる感情一つ一つを自覚し、処理をして、そしてまた歩き出す。誰にでもできることではないです。……私は強いのではなく、見ないふりをしているだけです。でなければ、壊れてしまいそうだから。それが間違っているとは思いません。それが私のやり方ですから。それを貴方が羨むのは、きっと自分とは違うからでしょう。違うものはどうしたって眩しく見えるものですから」
 紅子は黙って聞いていた。
 だがおもむろに手を膝から離したかと思うと、自身の頬を力いっぱい叩いた。パァンと乾いた音が部屋に響く。
「そうですね。私は一つずつ……確実に、行動していくことにしましょう」
 顔を上げた彼女の目はかすかに潤っている。
「弥生様をお待ちする間、私にできることをしなくてはなりませんね」
 すぅ、と息を吸った彼女は、宿屋の廊下に出て時刻を確認した。
「では、行って参ります」
 彼女の言葉にクロは「私も参ります」とすかさず言う。
 怪我が、と言いかけた紅子だが、口を閉ざして頷いた。

 帯の中に入れていたマッチ箱を取り出し、灰皿にバラバラと広げる。残った一本を箱に擦りつけて火を起こし、広げたマッチ棒に火を灯す。
 あっという間に燃え上がった炎を前に、紅子は目を閉じて手をかざした。


***


「……本当に、現れた」
 聞き覚えのある声に、紅子はゆっくりと目を開いた。
 そこには太陽夫妻とサクラ、それに春の宮が紅子に視線を注いでいた。状況が全くわかっていない紅子はそろりと春の宮を窺い見る。
「これで納得して頂けました?人を自在に移動させる術を習得したと」
 春の宮のしたり顔に、太陽妻は取り繕うように笑みを張りつけた。
「勿論疑ってなどいませんよ。貴方は私たちに尽くしてくれる子だと知っておりますもの」
 扇子を広げて口元を隠す妻の目ははっきり泳いでいる。

「──では、やはり紅子さんには能力チカラなんてなかった。そういうことでよろしいですよね?」

 紅子が目に見えて狼狽した。
 聞こえるはずのない、居るはずのない人物の声だった。

「お久しぶりです紅子さん」

 彼は──昭平は、両手を広げる。そしてあの月夜の下で見たときと同じ、無邪気で残酷な温かい笑みで紅子を歓迎する。

 彼女の胸の内で、暖炉の火が爆ぜるような音がした。
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