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第三章《籠姫伝と焔の能力》
【七】
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「──と、これが逸話で、彼女たちが再現しようとしていること」
「つまり、彼女たちは関係の無い人たちを大勢殺そうとしているってことですか?」
紅子の問いかけに、シンは「いや?」と笑う。
「標的は姫様と違ってこの地に生きるもの全てじゃあない。敵は宗主だけ」
納得いっていなさそうな紅子の表情に、シンは「大丈夫大丈夫」と明るい声を出す。
「君の身をどうしようとかは考えていないから──俺は」
意味深なシンの言葉に、紅子は無意識に扉から一歩後ずさった。
「……ま、そう警戒しとくことだな。だがサクラには……あいつには普通に喋ってやってくれ。接してくうちわかると思うが、アイツだけは俺らと違うんだ」
そう話すシンは、とても優しい瞳をしていた。
「ま、拐ったやつなんかの言うことを信じろってのも無理な話だろうけどな」
彼はカラッと笑うと「じゃな」と、振り返ることなく部屋を出ていった。
残された紅子は、部屋の端に備えられた古びた布団に腰掛けた。
──宗主が敵。
宗主というのは領主の下っ端に当たる役職で、地方を治めることを職としている。近年宗主の横暴が目立つ、と弥生が食事時に呟いていたのを思い出した。
敵が宗主ということは、全面戦争になることは避けられまい。
それ以外に気になることはもう二つあった。
一つ目は、どうしてか、紅子が能力者であると噂らしきものがあるようだ。でなければ誘拐なんてしようがなかっただろう。明らかに計画的犯行のため、誰かが紅子の能力について情報を提供したのやもしれないのだ。
そしてもう一つは、「主」の存在。
どうやら黒幕がまだいるようだ。
紅子の背を、再び嫌な汗がつたった。
どれほど時間が経ったのだろう。
外からコンコン、とノックする音で、紅子は意識を引き戻した。
扉が開き、桃色の髪を持つサクラが「入るね」と顔を覗かせた。
「体調どう?」
と、水の入った器を床に置く。
漆黒のマントはしておらず、腰まである長い髪が露になっていた。
「ごめんね」
ふと、サクラが呟く。
紅子が視線を上げると、サクラは手を膝において目を伏せていた。
「でもどうか、恨まないでね。みんな、本当はとっても優しくてあったかい人たちなの。……いきなり拐われた人に対して、身勝手なこと言ってるかもしれない。だけどどうか……みんなを、憎まないで」
頭を下げるサクラは、「殺さないで」と言っているように見えた。
すっと頭を上げ、「あのね」と照れ笑いをうかべた。
「私、全然役に立てないのにみんな優しくて……。優しくて、傷つきやすいのに誰かを守るために戦う人たちなの」
紅子に顔を向け、
「私も逃げない。殺されても仕方ない。……悔いもない。だって、皆一緒だもん。死ぬ時は、みんな一緒」
そう言うサクラは、明るく笑っていた。
笑顔で、死を語っていた。
だが確かに、その瞳には決意が浮かんでいた。揺らがない真っ直ぐな瞳で、彼女は紅子を見つめていた。
彼女は「家族」とずっと一緒に居たいのだ。それがたとえ、死へ繋がる未来だとしても。
目に涙の膜が張られ、視界がぼやけた。
「え、なんで泣くのぉ」
サクラは慌てて紅子の頭を撫でる。
「別に死ぬのは怖くないんだよぉ。私が怖いのは、ひとりぼっちになること。家族を失うこと。それ以外、怖いとは思わないもの」
サクラは穏やかな笑みを浮かべている。
紅子はただ涙を一筋零しただけで、何も言わなかった。いや、言えなかった。
「生きる続ける」ことが全てだと、紅子はどこかで思っていた。
死ぬことは悪で、避けることだと。
しかしこの少女は、そういう価値観を持ってはいなかったのだ。
──でもそんな生き方は、やはり悲しい。
そう思うのは、きっと私の我儘でしかないのだろう。
紅子はサクラを抱き寄せた。
「えっ、えっ?」
サクラは動揺していたものの、その手を振り払うことは無かった。
「……あーちゃん、柔くて温かい」
くすくすと笑うサクラを、紅子はもう一度抱き直した。
華奢な体は、少し力を込めると折れてしまいそうなほど儚いものに思えた。
「なんか、あーちゃんはお姉ちゃんみたいだ」
腕の中で彼女は微笑んだ。
「私も皆も、主様に拾われたの。私の家族は流行病でみんな……もう、助からないだろうって……言われたんだけど、私だけ助かったの。私だけ…………」
ふっと目に影が落ちる。
「お姉ちゃんは……病にかかった人を助けるために村を出た。でも、帰ってこなかった」
少し寂しそうに眉を下げ、「だからね」と紅子を見上げた。
「私はもう、大切な人たちを失いたくはないの」
居なくなって欲しくないの、とまたサクラの目に涙が溜まっていく。
「……そうですよね」
出ない声は吐息に変わり、空気中に消えていく。
桃色の髪をそっと撫で、紅子は眉を寄せながら目を閉じた。
母親を喪って、幼い彼女は独りになった。だけど彼女の周りには「家族」
と呼べる大切な存在ができていた。
その家族を、また喪うことになるのを想像するだけで喉が焼けるように熱くなる。
「私にも、守りたい人たちがいます」
声が届かないことは分かっていたが、どんどん感情が溢れて言葉になっていく。
ふと、空を見上げた。
小さな窓から覗く星空はどこまでも広がり、果てがない。
ああ、帰りたい。
宿に帰りたい。みんなに会いたい。
だけど、私の居場所は今はもうあそこには無い。
──紅子さん。
私を呼ぶ優しい声が、今でも鮮明に思い出せる。思い出してしまう。
本当なら、彼の腕の中に居たかった。彼と笑いあって生きていたかった。ずっと、ずっと彼の隣で。
だけど彼はそんなこと思っていなかった。
自惚れていた。私なんかを好きになってくれる人が居るわけないのに。
ぼうっとしていると、サクラが背に腕を回してきた。
暖かな温もりに、サクラをそっと見下ろす。
「あーちゃんは嫌だっただろうけどね、私はあーちゃんと会えて嬉しいって思っちゃう」
ごめんね、とサクラは困ったように笑った。
そんな彼女に、紅子は優しく微笑みかけた。
紅子は拐われたというのに、恐怖心や怒りが全くと言っていいほど湧かなかったのだ。
ああそうか、と紅子は目を伏せた。
──私はあの御屋敷をまだ「家」と認識していないし、「家族」ほど大切に思えていないのか。
だからさして帰りたいとも思わなかったのだ。気がかりなのは、秋桐家に迷惑がかかってしまうこと。それだけだった。
冷たい風が、ゆるりと紅子の首筋を撫でた。
「つまり、彼女たちは関係の無い人たちを大勢殺そうとしているってことですか?」
紅子の問いかけに、シンは「いや?」と笑う。
「標的は姫様と違ってこの地に生きるもの全てじゃあない。敵は宗主だけ」
納得いっていなさそうな紅子の表情に、シンは「大丈夫大丈夫」と明るい声を出す。
「君の身をどうしようとかは考えていないから──俺は」
意味深なシンの言葉に、紅子は無意識に扉から一歩後ずさった。
「……ま、そう警戒しとくことだな。だがサクラには……あいつには普通に喋ってやってくれ。接してくうちわかると思うが、アイツだけは俺らと違うんだ」
そう話すシンは、とても優しい瞳をしていた。
「ま、拐ったやつなんかの言うことを信じろってのも無理な話だろうけどな」
彼はカラッと笑うと「じゃな」と、振り返ることなく部屋を出ていった。
残された紅子は、部屋の端に備えられた古びた布団に腰掛けた。
──宗主が敵。
宗主というのは領主の下っ端に当たる役職で、地方を治めることを職としている。近年宗主の横暴が目立つ、と弥生が食事時に呟いていたのを思い出した。
敵が宗主ということは、全面戦争になることは避けられまい。
それ以外に気になることはもう二つあった。
一つ目は、どうしてか、紅子が能力者であると噂らしきものがあるようだ。でなければ誘拐なんてしようがなかっただろう。明らかに計画的犯行のため、誰かが紅子の能力について情報を提供したのやもしれないのだ。
そしてもう一つは、「主」の存在。
どうやら黒幕がまだいるようだ。
紅子の背を、再び嫌な汗がつたった。
どれほど時間が経ったのだろう。
外からコンコン、とノックする音で、紅子は意識を引き戻した。
扉が開き、桃色の髪を持つサクラが「入るね」と顔を覗かせた。
「体調どう?」
と、水の入った器を床に置く。
漆黒のマントはしておらず、腰まである長い髪が露になっていた。
「ごめんね」
ふと、サクラが呟く。
紅子が視線を上げると、サクラは手を膝において目を伏せていた。
「でもどうか、恨まないでね。みんな、本当はとっても優しくてあったかい人たちなの。……いきなり拐われた人に対して、身勝手なこと言ってるかもしれない。だけどどうか……みんなを、憎まないで」
頭を下げるサクラは、「殺さないで」と言っているように見えた。
すっと頭を上げ、「あのね」と照れ笑いをうかべた。
「私、全然役に立てないのにみんな優しくて……。優しくて、傷つきやすいのに誰かを守るために戦う人たちなの」
紅子に顔を向け、
「私も逃げない。殺されても仕方ない。……悔いもない。だって、皆一緒だもん。死ぬ時は、みんな一緒」
そう言うサクラは、明るく笑っていた。
笑顔で、死を語っていた。
だが確かに、その瞳には決意が浮かんでいた。揺らがない真っ直ぐな瞳で、彼女は紅子を見つめていた。
彼女は「家族」とずっと一緒に居たいのだ。それがたとえ、死へ繋がる未来だとしても。
目に涙の膜が張られ、視界がぼやけた。
「え、なんで泣くのぉ」
サクラは慌てて紅子の頭を撫でる。
「別に死ぬのは怖くないんだよぉ。私が怖いのは、ひとりぼっちになること。家族を失うこと。それ以外、怖いとは思わないもの」
サクラは穏やかな笑みを浮かべている。
紅子はただ涙を一筋零しただけで、何も言わなかった。いや、言えなかった。
「生きる続ける」ことが全てだと、紅子はどこかで思っていた。
死ぬことは悪で、避けることだと。
しかしこの少女は、そういう価値観を持ってはいなかったのだ。
──でもそんな生き方は、やはり悲しい。
そう思うのは、きっと私の我儘でしかないのだろう。
紅子はサクラを抱き寄せた。
「えっ、えっ?」
サクラは動揺していたものの、その手を振り払うことは無かった。
「……あーちゃん、柔くて温かい」
くすくすと笑うサクラを、紅子はもう一度抱き直した。
華奢な体は、少し力を込めると折れてしまいそうなほど儚いものに思えた。
「なんか、あーちゃんはお姉ちゃんみたいだ」
腕の中で彼女は微笑んだ。
「私も皆も、主様に拾われたの。私の家族は流行病でみんな……もう、助からないだろうって……言われたんだけど、私だけ助かったの。私だけ…………」
ふっと目に影が落ちる。
「お姉ちゃんは……病にかかった人を助けるために村を出た。でも、帰ってこなかった」
少し寂しそうに眉を下げ、「だからね」と紅子を見上げた。
「私はもう、大切な人たちを失いたくはないの」
居なくなって欲しくないの、とまたサクラの目に涙が溜まっていく。
「……そうですよね」
出ない声は吐息に変わり、空気中に消えていく。
桃色の髪をそっと撫で、紅子は眉を寄せながら目を閉じた。
母親を喪って、幼い彼女は独りになった。だけど彼女の周りには「家族」
と呼べる大切な存在ができていた。
その家族を、また喪うことになるのを想像するだけで喉が焼けるように熱くなる。
「私にも、守りたい人たちがいます」
声が届かないことは分かっていたが、どんどん感情が溢れて言葉になっていく。
ふと、空を見上げた。
小さな窓から覗く星空はどこまでも広がり、果てがない。
ああ、帰りたい。
宿に帰りたい。みんなに会いたい。
だけど、私の居場所は今はもうあそこには無い。
──紅子さん。
私を呼ぶ優しい声が、今でも鮮明に思い出せる。思い出してしまう。
本当なら、彼の腕の中に居たかった。彼と笑いあって生きていたかった。ずっと、ずっと彼の隣で。
だけど彼はそんなこと思っていなかった。
自惚れていた。私なんかを好きになってくれる人が居るわけないのに。
ぼうっとしていると、サクラが背に腕を回してきた。
暖かな温もりに、サクラをそっと見下ろす。
「あーちゃんは嫌だっただろうけどね、私はあーちゃんと会えて嬉しいって思っちゃう」
ごめんね、とサクラは困ったように笑った。
そんな彼女に、紅子は優しく微笑みかけた。
紅子は拐われたというのに、恐怖心や怒りが全くと言っていいほど湧かなかったのだ。
ああそうか、と紅子は目を伏せた。
──私はあの御屋敷をまだ「家」と認識していないし、「家族」ほど大切に思えていないのか。
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