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第二章《突然の別れと思惑》
【七】
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笑みを浮かべたクロが一歩、紅子に近づく。後ろでは変わらず光が消えてはすぐ現れ、荒れた天気が変わることはなさそうだった。
「一体どういうことでしょうか」
柔らかい笑みに、紅子の背筋を冷や汗が伝う。
眉間に皺を寄せ、紅子は「どうもこうも」と、形の良い唇を震わせながらもクロを瞳に映す。
「あなたから、生気を感じないんです」
人間は生まれ落ちた瞬間から死ぬまで、独特の「暖かさ」をもつ。体温とは別の、周りに漂う暖かな気が誰にでもあるはずなのだが、目の前にいる人物にはそれがない。
「生気、ですか」
クロはふむ、と口元に手を当てて考え込むような仕草をした。だがすぐにぱっと顔を上げ、
「そういうことでしたか。あなたはやはり、分かってしまうのですね」
と自分の中では納得した様子だ。
「分かる?」
怪訝そうに見上げてくる紅子に、クロは優しく微笑んだ。
「私、もうとっくの昔に死んでいるんです」
紅子はきゅっと唇を引き結んだ。
そんな紅子の様子に、クロはくしゃっと笑った。
「恐ろしいというより、びっくりって顔ですね。自分から聞いたのに」
屈託のない笑みに、紅子の胸がきゅうと締めつけられた。
「だって、死人とは少し……いいえ全然違うので」
戸惑った様子の彼女に、クロは元の仮面を被ったような笑顔になった。
「そりゃ、造りが違いますからね。……申し訳ないですけど、これ以上は私の口からは話せませんので」
と、線引きを明確に口にした。
紅子は「はい」としか応えられなかった。
疎外感にも似た感情が胸に一瞬広まったが、それもまたすぐに掻き消した。
「……先程は」
紅子は小さく声を漏らした。
クロは話題を切り出されると思っていなかったようで、若干の戸惑いを見せた。
「先程は、得体の知れないなんて言って失礼致しました」
真っ直ぐクロと目を合わせ、紅子は頭を下げた。
「いや別に……気にしてませんよ。実際得体の知れないというのは事実ですからね」
ニコニコと笑いながら「では」と背を向けるクロに、紅子は「いいえ」と返した。
クロはまた戸惑ったように紅子のほうに向き直った。
「クロ様は、秋桐様の従者で信頼を置かれている人物ということですよね。得体なんて充分すぎるほど知れているじゃありませんか」
と、ふわっと口元が綻んだ微笑を浮かべた。
クロはぽかんと口を半開きにしたが、すぐに「……はい」と微笑んだ。
仮面でない笑みに、紅子もつられて笑顔になる。
「それでは、お願いしますね」
「お任せ下さい。我が主の姫君」
ふかふかの布団に潜り込み、数分経たないうちに寝息が聞こえはじめた。
しんと静まった深夜、カタンとどこかの窓が開いた。
ひたひたと足音を忍ばせ、ゆっくりと寝室に近づいていく。
寝室前の扉のドアノブに手を触れようとした瞬間──その人物の首元には鈍く銀色に光る鋭利な物が突きつけられていた。
「やはりお出ましですか?ここになんの御用でしょうか。……ここは、貴殿が踏み入っていい場所ではありませんよ?」
言葉遣いは丁寧だが、その瞳は冷気をも漂わせていた。
忍び込んだ人物は唇をカタカタと震わせ、ゆっくりと後ろを振り向き──失神した。
クロが手元の時計を見ると、もう明け方になる頃合だった。
これで刺客は五人目。一体どこからの差し金なのかは、今後尋問して決める。
「……まああの方は、暗殺者如きに心が折られるような芯の弱い方ではないでしょうけど」
そう呟いたクロの、サラリとした髪質の茶髪が、月明かりに照らされ色を変えていく。
色素の薄い顔立ちとプラチナブロンドが月明かりに照らされ、その一角が別世界のように煌めく。
「気に食わなければ、主との婚約なんて破棄してやろうとも思いましたが」
優しい笑みを思い出すと、自然と口角が上がる。
「まさか、ここまで主と似たお方だとは……これは守らないわけにいきませんね」
ある日突然屋敷の主の従者として雇われることになったクロは、当然のことながら皆から様々な視線を受けてきた。
得体の知れないクロは、ずっと屋敷の者からも陰口をよく叩かれていた。
クロは別に構わなかった。
弥生は気にしていたようだが。
いつだったか、従者の一人がクロについて問い詰めたことがあった。
「なんであんな得体の知れない奴をいきなり直々の従者にしたのですか」
すぐ側に控えるクロにも当然この会話は聞こえている。承知の上で、彼は切り出したのだ。
彼の怒りも尤もだった。だが弥生は微笑して、
「彼は、私の従者です。得体の知れないなんてことありませんよ」
と、言ったのだ。
従者は他にもなにか言おうと意気込んでいたが、弥生の不思議な雰囲気に喉元まで出かかっていた言葉を全て失ってしまったかのように落ち着いた表情に戻り、
「……はぁ、もう。わかりました」
と溜息を吐いて部屋を出ていった。
その時の光景が、クロの記憶に鮮明に残っているのだ。
その時の弥生の表情も、声も、胸の熱さも全て。
主と似たもの同士に思える婚約者の笑顔を思い出すたびに、クロの胸は満たされたように温かくなる。
「さて、まだ気を緩めるには早いですね」
ぐっと腕の筋を伸ばし、クロはカタンと音のした方へと飛んで行く。
向かう途中の足取りが、先程よりも軽い気がした。
「一体どういうことでしょうか」
柔らかい笑みに、紅子の背筋を冷や汗が伝う。
眉間に皺を寄せ、紅子は「どうもこうも」と、形の良い唇を震わせながらもクロを瞳に映す。
「あなたから、生気を感じないんです」
人間は生まれ落ちた瞬間から死ぬまで、独特の「暖かさ」をもつ。体温とは別の、周りに漂う暖かな気が誰にでもあるはずなのだが、目の前にいる人物にはそれがない。
「生気、ですか」
クロはふむ、と口元に手を当てて考え込むような仕草をした。だがすぐにぱっと顔を上げ、
「そういうことでしたか。あなたはやはり、分かってしまうのですね」
と自分の中では納得した様子だ。
「分かる?」
怪訝そうに見上げてくる紅子に、クロは優しく微笑んだ。
「私、もうとっくの昔に死んでいるんです」
紅子はきゅっと唇を引き結んだ。
そんな紅子の様子に、クロはくしゃっと笑った。
「恐ろしいというより、びっくりって顔ですね。自分から聞いたのに」
屈託のない笑みに、紅子の胸がきゅうと締めつけられた。
「だって、死人とは少し……いいえ全然違うので」
戸惑った様子の彼女に、クロは元の仮面を被ったような笑顔になった。
「そりゃ、造りが違いますからね。……申し訳ないですけど、これ以上は私の口からは話せませんので」
と、線引きを明確に口にした。
紅子は「はい」としか応えられなかった。
疎外感にも似た感情が胸に一瞬広まったが、それもまたすぐに掻き消した。
「……先程は」
紅子は小さく声を漏らした。
クロは話題を切り出されると思っていなかったようで、若干の戸惑いを見せた。
「先程は、得体の知れないなんて言って失礼致しました」
真っ直ぐクロと目を合わせ、紅子は頭を下げた。
「いや別に……気にしてませんよ。実際得体の知れないというのは事実ですからね」
ニコニコと笑いながら「では」と背を向けるクロに、紅子は「いいえ」と返した。
クロはまた戸惑ったように紅子のほうに向き直った。
「クロ様は、秋桐様の従者で信頼を置かれている人物ということですよね。得体なんて充分すぎるほど知れているじゃありませんか」
と、ふわっと口元が綻んだ微笑を浮かべた。
クロはぽかんと口を半開きにしたが、すぐに「……はい」と微笑んだ。
仮面でない笑みに、紅子もつられて笑顔になる。
「それでは、お願いしますね」
「お任せ下さい。我が主の姫君」
ふかふかの布団に潜り込み、数分経たないうちに寝息が聞こえはじめた。
しんと静まった深夜、カタンとどこかの窓が開いた。
ひたひたと足音を忍ばせ、ゆっくりと寝室に近づいていく。
寝室前の扉のドアノブに手を触れようとした瞬間──その人物の首元には鈍く銀色に光る鋭利な物が突きつけられていた。
「やはりお出ましですか?ここになんの御用でしょうか。……ここは、貴殿が踏み入っていい場所ではありませんよ?」
言葉遣いは丁寧だが、その瞳は冷気をも漂わせていた。
忍び込んだ人物は唇をカタカタと震わせ、ゆっくりと後ろを振り向き──失神した。
クロが手元の時計を見ると、もう明け方になる頃合だった。
これで刺客は五人目。一体どこからの差し金なのかは、今後尋問して決める。
「……まああの方は、暗殺者如きに心が折られるような芯の弱い方ではないでしょうけど」
そう呟いたクロの、サラリとした髪質の茶髪が、月明かりに照らされ色を変えていく。
色素の薄い顔立ちとプラチナブロンドが月明かりに照らされ、その一角が別世界のように煌めく。
「気に食わなければ、主との婚約なんて破棄してやろうとも思いましたが」
優しい笑みを思い出すと、自然と口角が上がる。
「まさか、ここまで主と似たお方だとは……これは守らないわけにいきませんね」
ある日突然屋敷の主の従者として雇われることになったクロは、当然のことながら皆から様々な視線を受けてきた。
得体の知れないクロは、ずっと屋敷の者からも陰口をよく叩かれていた。
クロは別に構わなかった。
弥生は気にしていたようだが。
いつだったか、従者の一人がクロについて問い詰めたことがあった。
「なんであんな得体の知れない奴をいきなり直々の従者にしたのですか」
すぐ側に控えるクロにも当然この会話は聞こえている。承知の上で、彼は切り出したのだ。
彼の怒りも尤もだった。だが弥生は微笑して、
「彼は、私の従者です。得体の知れないなんてことありませんよ」
と、言ったのだ。
従者は他にもなにか言おうと意気込んでいたが、弥生の不思議な雰囲気に喉元まで出かかっていた言葉を全て失ってしまったかのように落ち着いた表情に戻り、
「……はぁ、もう。わかりました」
と溜息を吐いて部屋を出ていった。
その時の光景が、クロの記憶に鮮明に残っているのだ。
その時の弥生の表情も、声も、胸の熱さも全て。
主と似たもの同士に思える婚約者の笑顔を思い出すたびに、クロの胸は満たされたように温かくなる。
「さて、まだ気を緩めるには早いですね」
ぐっと腕の筋を伸ばし、クロはカタンと音のした方へと飛んで行く。
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