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第二章《突然の別れと思惑》
【二】
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──縁を、切りたいですか?
予想外の申し出に、紅子は当惑した。
「縁を……どうやって?」
「単純な話ですよ」
男はくすりと笑いながら、池にかかった橋の手すりにそっと手を置く。
「私と、結婚してください」
「け……っこん」
初日でプロポーズされるとは思わなかった紅子は、言葉を失った。
──まぁ、普通のプロポーズとはいささか違う気もするけど。
そっと視線を下げ、紅子はボソリと呟いた。
「……メリットはあるのですか?貴女方に。何も無いかと思うのですが」
試すような瞳に、男は微笑を浮かべた。
「メリットなら、お美しい貴方と一緒になれる、ということではないですか?」
「建前は結構でございます」
ピシャリと言い放つと、男から漂う柔らかい気配が消えた。
その変化は、紅子の背にゾッと冷たいものを走らせる。彼女は怯えを表に出さずに、小さく息を吐いた。
「貴方様の仰る通り……私は義父との仲は良くありません。私が義父に情報を漏らしても、私に得など一切ございません。……それでも、教えて頂けませんか」
ピリリとした雰囲気の中、紅子は物怖じせずにはっきりと要望を述べた。
すると男は、ひんやりとした空気の中で、ふっと笑った。瞬時に張り詰めていた空気が破られる。その様子に、紅子は目を見開いた。
「七兵衛さんに聞かれたくない……というより、君にバレたくない、の方が正しいですかね」
頭を掻きながら、男は困ったように「えーとですね」と言葉を繋いだ。
「君のその能力を、世間にバラすわけにはいかないんですよ」
ドクッと、心臓が重い音を鳴らす。
手に力が自然と込められ、冷や汗が背を伝うのがわかる。顔は蒼白に近かった。
「何故それを」
か細い声は、池にいた鯉の水音にいとも容易く消えていく。
「こっちには独自の情報があると言いましたよね。それに、そういう特殊な力は、何も貴方だけが持っているものでは無いのですよ……だから貴方が承諾してくだされば、七兵衛殿も簡単には却下できないかと」
簡単には却下できない?
逆だ。
「義父は……私を疎んでおられます。そして私は、この能力をあの方に知られないよう細心の注意を払ってまいりました」
「……では、まさか……」
だんだんと、男が驚愕の表情になっていく。
「ええ。──義父は私の能力のことなど、存じておられないかと」
紅子の瞳には、黒い閃光が走っているかのように鈍く光っている。
今度は男が背に冷たいものが走るのを感じる番だった。
──この娘、底がしれない。
自分とどこか似たような臭いを感じる。
「では、私の求婚をお受けしてくださるという事でよろしいのですか」
その一言は、紅子の動きを止めた。
「それは」
何故。
何故頷けないの。なぜ肯定できないの。
「それ、は……」
喉が、自分のものかと問いたいほど乾いて、痛い。
──痛い。ああ、私は、まだ……。
「まぁ、いきなり故郷を離れろというのも無理がありますか」
男の言葉に、紅子はバッと頭を上げた。
「どういうことですか」
紅子の表情に、男は「え」と声を漏らした。
「お聞きでないのですか?私は隣国に住まう者です。結婚したら、私の家に来ていただく手筈になってまして」
聞いてない。
くらっと紅子は上体が傾くのを感じた。
慌てて倒れないよう腹部に力を込める。
「聞いて、ないです」
隣国ならば、そう簡単に宿に立ち寄ることはできないだろう。皆と永遠の別れになってもおかしくはなくなってしまう。それは嫌だ。だが──………。
「……私はとうにこの生を諦めております。今回のお話、私が仮にお断りしたとしたら、私に残るものは何も無いでしょう。むしろ、酷い条件付きのもと、もう一度婚約話を持ってくるでしょうね」
「それでは」
にこりと口元に微笑みを浮かべる男に、紅子は胸元に右手を添え、恭しく頭を下げた。
「そのお話、謹んでお受けいたします」
この土地から離れるのは寂しい。
だけど、あの人を忘れられる良い機会となるだろう。
この方と幸せに、なれるようにしよう。
「ところで、貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
戻ろうと踵を返す男に、紅子は声をかけた。
「……成程。聞かされてはいなかったのですか」
ぴたりと足を止め、男は柔らかな笑みをたたえながら言う。
「秋桐家の長男、秋桐弥生と申します。自己紹介が遅くなってしまい、申し訳ありません」
名を聞くなり紅子の顔色がだんだん青ざめていくのを、弥生は「ダヨネ」という表情になる。
秋桐家といえば、隣国の領主の名ではないか。
何故そのような家からの申し出がこちらにまでくるのだ。いくら松江が民間の中では古く由緒ある家とはいえ、どう考えても釣り合いが全くとれない。
「まぁ、こちらにも色々事情がありまして……簡単に言えば、和平と保護、ですかね」
和平とは、他国に自国の民を嫁がせることによって、他国への信頼を示し、なおかつ他国はその民の安全を保証することによって相手国にその誠意を見せる。それにより両国の仲が色濃くなるのだ。
保護というのは、おそらく能力のことだろう。
紅子の住む国に能力のことは知れ渡っていない。だが、隣国で「保護」というくらいなのだから、おそらく珍しくはあるものの、何人かは存在しているということだ。
「わかりました。どのみち貴方ほどの人がお相手でしたら、こちらからお断りすることはできませんよね。私は、貴方様の決定に従います。どうぞ末永く、よろしくお願い致します」
と、紅子は再び頭を下げる。
サァと優しい風が、池の水面に波紋をつくった。
予想外の申し出に、紅子は当惑した。
「縁を……どうやって?」
「単純な話ですよ」
男はくすりと笑いながら、池にかかった橋の手すりにそっと手を置く。
「私と、結婚してください」
「け……っこん」
初日でプロポーズされるとは思わなかった紅子は、言葉を失った。
──まぁ、普通のプロポーズとはいささか違う気もするけど。
そっと視線を下げ、紅子はボソリと呟いた。
「……メリットはあるのですか?貴女方に。何も無いかと思うのですが」
試すような瞳に、男は微笑を浮かべた。
「メリットなら、お美しい貴方と一緒になれる、ということではないですか?」
「建前は結構でございます」
ピシャリと言い放つと、男から漂う柔らかい気配が消えた。
その変化は、紅子の背にゾッと冷たいものを走らせる。彼女は怯えを表に出さずに、小さく息を吐いた。
「貴方様の仰る通り……私は義父との仲は良くありません。私が義父に情報を漏らしても、私に得など一切ございません。……それでも、教えて頂けませんか」
ピリリとした雰囲気の中、紅子は物怖じせずにはっきりと要望を述べた。
すると男は、ひんやりとした空気の中で、ふっと笑った。瞬時に張り詰めていた空気が破られる。その様子に、紅子は目を見開いた。
「七兵衛さんに聞かれたくない……というより、君にバレたくない、の方が正しいですかね」
頭を掻きながら、男は困ったように「えーとですね」と言葉を繋いだ。
「君のその能力を、世間にバラすわけにはいかないんですよ」
ドクッと、心臓が重い音を鳴らす。
手に力が自然と込められ、冷や汗が背を伝うのがわかる。顔は蒼白に近かった。
「何故それを」
か細い声は、池にいた鯉の水音にいとも容易く消えていく。
「こっちには独自の情報があると言いましたよね。それに、そういう特殊な力は、何も貴方だけが持っているものでは無いのですよ……だから貴方が承諾してくだされば、七兵衛殿も簡単には却下できないかと」
簡単には却下できない?
逆だ。
「義父は……私を疎んでおられます。そして私は、この能力をあの方に知られないよう細心の注意を払ってまいりました」
「……では、まさか……」
だんだんと、男が驚愕の表情になっていく。
「ええ。──義父は私の能力のことなど、存じておられないかと」
紅子の瞳には、黒い閃光が走っているかのように鈍く光っている。
今度は男が背に冷たいものが走るのを感じる番だった。
──この娘、底がしれない。
自分とどこか似たような臭いを感じる。
「では、私の求婚をお受けしてくださるという事でよろしいのですか」
その一言は、紅子の動きを止めた。
「それは」
何故。
何故頷けないの。なぜ肯定できないの。
「それ、は……」
喉が、自分のものかと問いたいほど乾いて、痛い。
──痛い。ああ、私は、まだ……。
「まぁ、いきなり故郷を離れろというのも無理がありますか」
男の言葉に、紅子はバッと頭を上げた。
「どういうことですか」
紅子の表情に、男は「え」と声を漏らした。
「お聞きでないのですか?私は隣国に住まう者です。結婚したら、私の家に来ていただく手筈になってまして」
聞いてない。
くらっと紅子は上体が傾くのを感じた。
慌てて倒れないよう腹部に力を込める。
「聞いて、ないです」
隣国ならば、そう簡単に宿に立ち寄ることはできないだろう。皆と永遠の別れになってもおかしくはなくなってしまう。それは嫌だ。だが──………。
「……私はとうにこの生を諦めております。今回のお話、私が仮にお断りしたとしたら、私に残るものは何も無いでしょう。むしろ、酷い条件付きのもと、もう一度婚約話を持ってくるでしょうね」
「それでは」
にこりと口元に微笑みを浮かべる男に、紅子は胸元に右手を添え、恭しく頭を下げた。
「そのお話、謹んでお受けいたします」
この土地から離れるのは寂しい。
だけど、あの人を忘れられる良い機会となるだろう。
この方と幸せに、なれるようにしよう。
「ところで、貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
戻ろうと踵を返す男に、紅子は声をかけた。
「……成程。聞かされてはいなかったのですか」
ぴたりと足を止め、男は柔らかな笑みをたたえながら言う。
「秋桐家の長男、秋桐弥生と申します。自己紹介が遅くなってしまい、申し訳ありません」
名を聞くなり紅子の顔色がだんだん青ざめていくのを、弥生は「ダヨネ」という表情になる。
秋桐家といえば、隣国の領主の名ではないか。
何故そのような家からの申し出がこちらにまでくるのだ。いくら松江が民間の中では古く由緒ある家とはいえ、どう考えても釣り合いが全くとれない。
「まぁ、こちらにも色々事情がありまして……簡単に言えば、和平と保護、ですかね」
和平とは、他国に自国の民を嫁がせることによって、他国への信頼を示し、なおかつ他国はその民の安全を保証することによって相手国にその誠意を見せる。それにより両国の仲が色濃くなるのだ。
保護というのは、おそらく能力のことだろう。
紅子の住む国に能力のことは知れ渡っていない。だが、隣国で「保護」というくらいなのだから、おそらく珍しくはあるものの、何人かは存在しているということだ。
「わかりました。どのみち貴方ほどの人がお相手でしたら、こちらからお断りすることはできませんよね。私は、貴方様の決定に従います。どうぞ末永く、よろしくお願い致します」
と、紅子は再び頭を下げる。
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