ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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第二章《突然の別れと思惑》

【一】

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 突然の嫁入り話は、ちょっとした騒動になった。
「私、ずっとこの宿に勤めるのかと思っていたわ」
「まぁ、お年頃だしそんなものでしょ。いいご身分だわ」
 下働きで紅子の家庭事情を知らない者たちは口々に噂する。
 その様子に滋宇は眉間のシワを隠そうともしない。
「なんなのよ!知りもしないくせによくもまぁペラペラと……!」
 憤る滋宇を見ずに、桃李は「仕方ないわ」と窘める。
「人の数だけ、考えも感情も違うのよ。言いたい人には言わせておきなさいな。ネタが無くて話し足りないだけなんだから」
 素っ気ない態度の桃李に、滋宇の怒りはそちらへ向かう。
「お紅ちゃんが傷つくじゃない」
 台布巾を手に口を尖らせる滋宇に、梅夜が箒の柄を頭にコツンとぶつける。
「そんときは、あんたが何とかしなさい」
 カラカラと戸を開けて、梅夜は滋宇を振り返らずに表へ出る。
 怒りのぶつけどころを失った滋宇は、渋々テーブル磨きを再開させた。


 今日は、紅子が縁談相手と初対面する日だった。



***



 いつも身につけなどしない上物の着物を身にまとった紅子は、身体を固くしていた。
「姉様、よくお似合いです!」
 まだ小さいのに大人びた見た目の義妹、椿つばきは手を合わせて微笑んでいる。
 少し話をすると、椿はもう十二歳になるらしいことが判明した。
「私も縁談相手が居るらしいのですよ。たしか、この縁談の証人の次男様とか」
 その縁談相手を耳にした時、紅子は卒倒しそうになった。
 本当に全部、お見通しなのだろうか。
 思わず溜め息が漏れ出る。
「まぁ、変わるやもですけどね。そんなことより、姉様。向こうに着いたらお手紙をまたくださいね」
 まだ小さい手で、紅子の手をそっと握る。
 椿と紅子の接点などほとんど無いが、紅子は一度、文字の読み書きを覚えたという椿から手紙を渡されたのだ。一応返事は書いた。
 だが、渡されるはずもない。
 そんなふうに思っていたのだが、予想外に義妹から拙い返事がきたのだ。
 それ以来、年に二、三回手紙を交わすようになったのだ。
 義妹は紅子を慕っているため、仲は良いのだ。
「今日初めてお会いになるのでしょ?お父様ったら、勝手にお話を進めて……本当に姉様に大して意地悪ですよね」
 本人に同意を求めてくる義妹に、自然と苦笑を返す。
「仕方のないことです。結婚なんて、今も自由にできる家の方が珍しいものですよ」
 なんて、もっともらしい言い方をする。
 だが椿は矛を収めない。
「わかってますけどね。もう。愛せない人と一緒になっても何がいいんだか……結局、わが子よりわが身、なんですかね」
 嫌味ったらしく言う椿は爪を弄る。
 ふと、椿は「姉様」と静かに呟いた。
「姉様が、嫌だと言うことができないことは知っています」
 ですが、と濡れた瞳を紅子に向ける。
「何かあったら……私、お力添えいたします。勿論、頼りないことはわかっています。ですけど……私は」
 必死に言葉を紡ごうとする椿を、紅子は抱き寄せた。
 そっと艶やかな髪に触れ、優しく撫でる。
「ありがとう」
 心根が優しく、力の無さを嘆く血の繋がらない妹の小さな肩をそっと掴み、ゆっくりと上体を起こさせる。
「きっと、幸せになってみせるから」
 唇の端をそっと、柔らかく曲げてみせる。
 椿は軽く口を開いたが、結局何も言わずに口を閉ざした。
「陰ながら、応援しております」
 椿もそっと口角を上げるだけの笑みを返した。
 そしてどちらともなく二人は立ち上がり、甘い香りを残す部屋を後にした。


 女中に通された部屋は、宴会などで使われる大きな部屋ではなく、こじんまりとしているが、構造がしっかり練られていてモデルルームを思わせるような部屋だ。つまりは、とてもいい部屋だということだ。
 当然ながらまだ相手は来ておらず、義妹と義父と三人きりになり重い空気が流れる。
「お待たせ致しました」
 外から別の女中の声がきこえたすぐ後に、襖がカラリと軽い音を立てて開いた。
「……え?」
 紅子は思わず声を漏らした。
 すると相手も、紅子を見て穏やかに微笑み、
「こんにちは。私のことを覚えているのですか」
 流石ですね、と目を細めた。
「え……えと、あの」
 紅子はかなり動揺した。
 相手は、一度だけ会ったことのある男だった。
──眼鏡をかけていらしたし、うちの宿屋にも泊まっていらしたからお金持ちだろうとは思っていたけれど……。
 義父が気に入るほどの財力を手にしている人物だったのか、と紅子は首を竦めた。
 男はそんな紅子を見て、「松江まつえ殿」と七兵衛に向き直った。
「彼女は私のことを全く知らないでしょうし……少し、二人きりで庭を散策してきてもよろしいでしょうか」
 予想外の提案に、紅子は身を固くした。
 そんな紅子を嘲笑うように七兵衛は唇の端を曲げて「どうぞご自由になさりませ」と酒を飲んだ。
 そんな七兵衛を、男は一瞬背筋が凍るような冷ややかな瞳で眺めみたが、そんな表情はいつの間にか消え去り、元の温厚そうな笑顔に戻っていた。
 そのやり取りを垣間見た紅子は、手の細かい震えが止まらなかった。


 庭は、紅子の暮らす宿屋よりも広い上に花の種類が多く、小さな池には鯉も泳いでいた。
「……さて。撒きましたかねぇ」
 と、男は眼鏡をくいと掛け直した。
「え、撒く、とは……?」
 じり、と後ずさる紅子に、男は慌てて手を振った。
「すみません。別に何かするわけでは……あなたのお父上がいらっしゃると、少々話しづらくてですね」
 紅子はぎゅっと拳を握った。
 義父に聞かれたくない話と言われて思いつくのは、婚約の破棄しか頭に浮かばない。
 だがそんなことを頼まれても、紅子は七兵衛に言い出せない。そんな関係を知られてもならない。もし知られたら、きっと酷い罰を与えられるに決まっている。
 それを考えただけで、紅子の体はすくみ上がった。
「あの」
 どうしよう。
 紅子の表情は真っ青を通り越して真っ白だ。震えが止まらないし嫌な汗も出てくる。
「あなた、七兵衛殿と血縁ではないですよね」
 予想外の言葉が耳に滑り込んでくる。
 何故それを。
 と言いたかったが、驚きすぎて声にならない。
 そんな重大なことは、基本外に漏れるわけがないのだが。
「……お役所の方、なのですか」
 名も知らぬ、素性も知らぬ男を紅子は見つめた。
 男は目を瞬き、「違いますよ」と微笑む。
「この情報は独自のルートから仕入れたものです。その様子だと、本当のようですね」
 くるっと向き直り、意外なことを彼は口にした。
「縁を、切りたいですか?」


 ザッと、植木が強風に煽られてざわめいた。
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