君を、夏ごと消してしまいたい。

木風 麦

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 別れの時がくるのは、意外と遅く感じられた。

 結局彼は毎日病室にやってきた。嬉しいけど、正直来てほしくないときのほうが多かった。日数が進むにつれて、私の体調が良くなるわけではない。
 彼がいくら顔を出してくれたところで、私の病状は悪化の一途を辿るだけなのだ。
 私からすれば特別な存在に、私が吐く姿や喀血かっけつする姿は見られたくない。
 来てほしくないと思う時が増えるにつれて、私は心の余裕が無くなっていった。気遣える余裕が無くなっていた。彼がせっかく遊びに来てくれても、私は定まらない焦点を彼に向けるだけなのだ。

 カツコツと靴音を響かせて、誰かが病室に近づいてくる。
「香夜、あなたの好きなプリン作ってきたよ」
 母が病室に入ってきて、カップに入った黄色いプリンを手に笑顔を向ける。
「こんにちは」
 彼が笑顔で会釈する。
 主治医じゃなくてほっとした。母から向けられる笑顔は、私の精神安定剤のようなものなのだ。
 主治医はいい人なのだろう。私のことも心配してくれるし、優しく話しかけてくれるし。だけど、あの人は毎回のように、

「大丈夫、あきらめなければ神様が君を助けてくれるから」

「心配しないで。向こうの国は医療が発展してて、何人も不治と思われていた病が完治するってことがいっぱいあったから!」

 と言う。
 私は他の人がどうこうよりも、私が助かるという保証がほしい。
 そんなことを思い出して、つい暗い顔になってしまいそうになる。私はあくびをするふりして誤魔化した。
 すると母が、
「涼くん。お友達がお外で待っていたわよ」
「え」
「なんでも、涼君がいないとバスケの人数が足りないとか……」
 彼は困ったような顔をした。けど、嫌そうではない。
「行ってよ。子どもは外で遊ぶもんなんでしょ?」
 にこり、と笑顔を向ける。
 彼はもじもじと体を揺らし、何か悩むように口をもごもごさせている。
「もー。友達待たせちゃダメでしょ。早く行ってこい」
 ベッドにもたれていた背を起こして、ドアを指す。
 彼は「うん」とうなずいて病室から出ていった。
 彼の足音が遠ざかってから、私は溜息とともにベッドに身を投げた。
「何か、したいことある?」
「……とりあえず、プリン食べたい」
 はいはい、と母は笑う。
 泣き崩れていた母はもういない。
「……涼くんがくるの、嫌なの?」
 母は自身のプリンに匙を入れながら尋ねてきた。私は声に詰まって、無言でプリンを口に運んだ。
「まあ、複雑よね。ママもインフルエンザの時はパパに会いたいけど会いたくなかったし」
 こくこくと勢いよく相槌を打つと、母はクスクスと笑った。
「でも香夜。今会っておかないと、たぶんあなた飛行機の中で泣くわよ?もっと会っておけばよかったって」
 母の指摘に、私は視線を逸らす。
 きっとその指摘どうりになるのだ。どんなに辛くても、会えないより会える方が幸せだって思うに決まっている。
「頑張る」
 何を、とは言わなかったけど、母は優しく「ええ」と微笑んだ。


***


 その日の夜、彼はまた病室に来た。
 てっきり今日はもう来ないかと思っていた。
「別に、暇だったから」
 と彼は言う。
 だけど小学生が夜外に出歩くことが推奨されているわけがない。彼はこっそり家を出てきたに違いなかった。
「さすがにこんな時間に来ちゃだめだよ。心配してるよ」
「だからすぐ帰るって。つか、俺のことより自分の身の心配しろよな」
 そう言って彼はカバンを漁りだした。帰らないんかい、とこっそり眉をひそめる。
「ほら、これ」
 彼が手にしていたのは、小さなガラスだった。
「海でとれる……シーグラス?とかいうやつらしい。姉ちゃんからもらった」
 そのガラスは、沖縄の海のような優しい青色をしていた。
 見惚れていると、
「それ貸してやる」
 と彼は笑った。
「返せよ?貸すだけなんだから」
 なんとなく、彼の言いたいことが分かった。
 私はそのガラスを両手で受け取って、そっと包み込んだ。

「うん。……絶対、返す」
 借りるね、と笑顔を向けると、彼も笑みを返してくれた。


 彼が帰った後も、何回も取り出してはそのガラスを月にかざした。明るい月が、暗い室内に青い影を落としている。
 その日は、欠けていくことを定められた満月だった。
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