ダンデリオンの花

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5. 上辺の関係

アランジュ家の神童

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「疎まれているのは、令嬢が悪魔の加護を受けているからでしょうか」
「はずれ」
 ラヴィールの推測を一刀両断したテトラ嬢は紅茶で舌を湿らせる。ほんのり出ていた湯気が消えており、既にぬるくなっている紅茶に視線を落としながら続けた。

「オルガがなんでもこなす神童だったからよ」

 予想外の回答にラヴィールは思わず「え」と声を漏らす。
 あの消極的かつ言葉すら発そうとしないあの令嬢が、神童とまで評される能力を秘めていると言われてもにわかには信じられない。
「えーと なんでもこなすというのは、要領が良いということでしょうか」
「あなた、要領がちょっと良いだけの子が神童と言われるとでも?」
 ちょっとは考えてものをいいなさい、とテトラ嬢は眉をひそめる。
「要領が良いという言葉で収められないほど、あの子はなんでもできたのよ。常人が何時間も、何日も費やして習得する技術をたったの一時間ほどで習得してしまうような感じね」
「それは……でも家族ならむしろ誇らしいんじゃ」
「才色兼備と言われた姉がいたとしても?」
 テトラ嬢は嘲るように目を伏せ、うねった髪を弄る。光を反射した金の髪がかすかに緑を帯びる。主の、オルガ嬢の髪は青を帯びていた。池の美しい青だけを吸い込んだ光を纏っていた。
 そんな美しい髪をもつ令嬢は、ひけらかすことなく髪をまとめて黒いベールで覆い隠している。絶対に人前でそのベールをとろうとしないし、周りもそれを容認しているどころか推奨しているようにすら見えた。
「姉君の自尊心を、傷つけないためですか」
「半分は当たりだと思うわ。けれどたぶん、それだけじゃないのよ」
 過去を振り返るように、テトラ嬢は遠くを見るぼんやりした瞳を上げる。
「それだけが理由だったら、きっとオルガはここまで心を閉ざしていないもの」
 声が湿り気をもつ。悔恨というより、怒りのこもった声だった。
「意外です。てっきり、テトラ様はオルガ様が嫌いなんだと思ってました」
「いかにも単純思考な考え方ね」
 棘のある物言いにラヴィールは顔をしかめる。
「感情っていうのはいくつも複雑に絡むものよ。好きとか嫌いとか、そんな言葉ひとつで片付けられるようなことばかりじゃないわ。たとえば愛している人がいたとして、その人のすべてが好きになるかしら?嫌いなところだってあると思うわって話よ」
 テトラ嬢の説明に、ラヴィールは半ば無意識に「ああ」と相槌を打つ。素直な反応をみせたラヴィールだが、表情は影を帯び、腰の辺りでだらりと垂れていた腕が拳をつくっていた。
「今までの話だと、令嬢はこの家で家族からも疎まれて育って、自尊心がなくなってるってことですか」
「さぁ わからない。と思いたいところだけど、……あの子は、独りの時間があまりに長すぎたから」
 肯定せず、テトラ嬢は膝の上で組んだ己の手に視線を落とした。


***


「悪いわね、夜になってしまって」
 こぽぽ、と紅茶がティーカップに注がれる音がやけに大きく響く。聞き慣れたはずの音が、嗅ぎなれているはずの香りが、今この瞬間だけは緊張を誘う要素でしかなくなる。
「とんでもございません──奥様」
 深夜にさしかかろうとしている夜の屋敷で、ソッフィオーニはアランジュ家の夫人、ハウィル・アランジュと席を共にしていた。
「一介のメイドの頼みをお聞き届けくださり、感謝しております」
「この屋敷で働く者の相談なら、家守である私が受けるのが妥当でしょう」
 それに、とハウィル夫人は扇を広げる。
「あなたにはあの子の面倒を全部任せてしまっているもの。待遇の改善だって前向きに検討するわ」
 夫人の言葉に、ソッフィオーニはつと背中を針で刺されたかのような、かすかな痛みにも似た違和感を覚えた。
「奥様、私は不満を言いに参ったのではございません。オルガお嬢様のことを知りたいと思ったから訪ねたのです」
 ソッフィオーニの申し出に、夫人は目を瞬いた。嬉しそうにするでも、悲しげな目をするでもなく、夫人は静かな声で「そんなことを言われたのは初めてだわ」とつぶやいた。
「その申し出からすると、家族から見たあの子のことを知りたい、ということかしら」
「それもありますが、……奥様は何故オルガお嬢様のことを避けるのか、差し支えなければお聞かせください」
 単刀直入な物言いに、ハウィル夫人はぴくりと肩を揺らした。やがてため息まじりに、
「気づかれないわけがないわね」と嘲るように唇の端を持ち上げた。
「あなた、いつからここで働いているのだっけ」
「オルガお嬢様が6つのときです」
「そう、だから……だから疑問をもったのね。あの子が呪いを受けたのは7つの礼拝式典のときだもの。ゆえに、避ける理由に悪魔に呪われた以外の理由があるのだと確信をもって言えるのね」
 頭を整理するように、夫人は言葉にしていく。自身に言い聞かせるような物言いの夫人に、
「それだけではありません。私が赴任して間もなくの頃からずっと、普段の奥様の行動は、明らかにオルガお嬢様を避けていらっしゃいました」とソッフィオーニは抑揚なくつづける。
「たとえば、アリスティア様には音楽など芸事を自らお教えになるのに、お嬢様にはなさいませんよね。お部屋だって、奥様やアリスティア様のお部屋と近いはずですのに、実質鉢合わせることがほぼありませんでした。オルガお嬢様の行動を、ご自分のメイドに確認させていたからではありませんか。……それを、オルガお嬢様のメイドを担当して間もないメイドが勘づくのです。オルガお嬢様がなにも気づいてないなんて、私には到底思えません。それを奥様もわかっておいでだったから、あのとき──ビビの不祥事が露見したときに」

──私がひどい母親というのもまた、変え難い事実なのよね。

 たしかに夫人はそうつぶやいていた。それは自分の過失を認める言葉であったが、その後なにか変化があったわけではなかった。
「奥様は、ご自分のなさったことを悔いているようにも見えました。それでも尚、なにもなさらなかったのはなぜなのか──それは、できなかったからなのではないか、と思ったのです。オルガお嬢様に対し、なにかしらの強い負の思いがあったから、だからオルガお嬢様を避けているのではないのかと思ったのです」
 ぼう、と風に吹かれた蝋燭が切っ先のような炎を揺らす。夫人のガラス玉のような瞳に、橙色の光がゆらめいた。
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