黒狼さんと白猫ちゃん

翔李のあ

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story .03 *** 貧窮化した村と世界的猛獣使い

scene .23 親と子供

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 どれほど経っただろうか。すすり泣くロロを慰めるように、何度目かの暖かな風が吹く。

「お母さんは」

 そろそろ戻らないといけないな、そう思ったロルフに待ったをかけるようにロロが何かを呟いた。

「どうして帰ってこないの? どうして皆わたしから離れて行っちゃうの?」

 静かなこの場所ですらやっと聞こえるようなロロの声は、小さく震えている。
 見かけないとは思っていたが、母親はどこかへ行ったきり帰ってきていないのだろう。ロロと出会った時、別の大陸へ行こうとしていたのもそれが要因かもしれない。

「お母さんに、会いたいの。会って、叱ってもらいたい……昔みたいに」

 甘えたい、ではなく、叱ってもらいたい。その言葉を聞いて、ロルフは黙って視線を落とした。
 表面的な返事をすることはできるが、ロロの気持ちを考えるとそうすることはできなかった。その意味を理解できない生い立ちである自分が、安易に返事をするべきではない、そう思ってしまう。

「ロルフは? ロルフのお母さんとお父さんはどんな人?」

 今までとは違い、少し期待をしているような目を向けてくるロロに、ロルフは思わず視線を逸らす。昔からこの話題は苦手だ。

「そう、だな……」

 村の上部でそよぐ木の葉を見つめながら、言葉を濁す。こんなタイミングで本当のことを言ってもよいのだろうか。
 物心つく前からゴルトに育てられていたロルフは両親の顔を知らない。幼い頃は会いたい、知りたいと思っていたこともあった。だが、何を聞こうとも、ゴルトは一切両親について教えてはくれなかった。生きているか死んでいるのかすらも。唯一違うのだろうと核心を持てたのは、自分が捨てられたのではないという事くらいだ。
 自分は捨てられたのか? その質問をした時のゴルトの表情と頬の痛みは絶対に忘れないだろう。それ以降、ロルフから両親の話題を口にすることは無くなった。

「ロルフ……?」

 遠くを見つめたまま動かなくなってしまったロルフに、ロロは首をかしげる。

「あぁ、悪い。……知らないんだ」

 そう言いながらロルフは気まずそうに笑う。

「知らないってどういう……」

 そう聞きかけたロロは、先日のことを思い出した。
 世界図書館に向かう日の早朝、森を抜けた先の綺麗な花畑の奥に見つけたロルフは、何やら小さく積み上げられた岩に向かって手を合わせていたことを。あれはもしかして……。

「もしかして」
「ん?」
「もしかしてロルフが……ロルフが前、図書館に向かう日の朝いたところって」
「……ついてきてたのか」
「ごめんなさい……あのね、でも……その……」

 ロロはばつが悪そうに視線をきょろきょろと動かしている。
 少しの間の後、ロルフは口を開いた。

「気にするなロロ、別にあれは……あれに深い意味は無いんだ。俺が勝手にああしてるだけで」

 そう言ってロルフは笑う。
 本人は普通に笑っているつもりなのだろう。だがその笑顔には、少女の心を締め付けるのに十分すぎる程の悲しみが秘められていた。

「おいおい……どうしてロロが泣くんだ? ロロにはちゃんと優しそうなお父さんがいるだろ? 離れていたって、お母さんもいる」
「だって……ふぇっ……そんなっ……そんなに寂しそうな顔っ……するからっ」

 突然泣きじゃくりだしたロロに、ロルフは困惑する。元々あまり表情作りが得意ではない自分が、どんな顔をしているのかなど想像もできなかった。そんなに酷い笑顔だったのだろうか。

「……優しいな、ロロは」

 ロルフはロロの頭を撫でる。

「でも本当に寂しくなんてないんだ。二人には悪いけど、顔や声どころか、本当にいたのかすら記憶にない。それに」

 寂しくなんてない、そう言うのは簡単だったが、当時ロルフがロロと同じ位の年齢の時はすぐにそう思うことはできなかった気はする。大人になるまで本当にそうなんだと、幾度となく自分にも言い聞かせてきたのだ。だからこそ、やっと今になって本当に寂しさが薄れてきたのだと思う。
 言葉の続きを伝えるべく、ロルフはロロの顔を覗き込んだ。

「それに今は、シャルロッテやゴルトがいる。それにロロだっているだろ?」

 恐る恐る顔を上げたロロの前には、いつもと同じように笑うロルフがいた。
 ロロは涙を拭うと、強く頷く。
 そんなロロに安心したのか、「あぁ、ゴルトっていうのは育ての親なんだがこれがまた変わり者なんだ」ロルフはそう言いながら前を向いた。そして、何かを考えるように眼鏡のブリッジをそっとあげると、

「まぁ、なんというか、俺なんかが推測でこんな事を言ってしまっていいのかわからないが、お母さんも早くロロに会いたい、きっとそう思ってる」

 先程は伝えるのを躊躇った言葉を、ロルフは確信をもって口にした。
 自分がもし、ゴルトと会う事のできない状況に陥ったとすれば会いたいと思うであろう。それは、見たこともない両親の影を追い求めるのとは違う、考えや気持ちよりも前に出てくる感情だ。その思いはきっと、家族として過ごしてきた時間が作り出した紛れもない親と子としての関係から来るのだと思う。血の繋がりがなくともそう思えるのだから、本当の親子だとしたらもっと大きな感情に違いない。
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