わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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第二十三章 火口での攻防

2 四属性陣って難しいですわね

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「これから僕が陣を描く! みんなで、ある程度時間を稼いでほしい!」

 マリエは叫び、懐から愛用のナイフを取り出した。

「了解っ! いくわよ! イェチュカ、ドチュカ、トゥチュカ、チティカ!」

 クリスティーナは使い魔たちの名を呼ぶと同時に、遠距離からの先制攻撃をしようと、背負っていた短弓を構えた。

 クリスティーナの実家、ヤゲル王家に伝わる由緒ある弓だというが、確かに細かな細工が施されており、観賞用としてもすぐれている。陽の光を受け、キラキラと輝いていた。

 クリスティーナは矢筒から矢を取り出し、弓弦に番えて一気に引き絞った。主人の動きに合わせるように、傍に集まった使い魔たちも身を屈め、すぐにでも飛び掛からんと唸り声を上げている。

 チティカはクリスティーナが新たに加えた四匹目の使い魔だ。他の三匹同様、真っ白な体毛をもち、しっぽだけにやけに派手な模様がある、目立つ子猫だった。

 初の実戦で気負っているのか、そのチティカだけが前に出すぎているとアリツェは感じた。

 だが、クリスティーナもすぐに察知し、すぐさま立ち位置を修正させている。

 クリスティーナは慎重に狙いを澄ませ、矢を放った。

「お兄様! わたくしたちも、クリスティーナに続きましょう!」

 アリツェは叫ぶと、ラディムと示し合わせて、クリスティーナの矢でひるんだ魔獣に向かって突っ込んでいった。

 遭遇した魔獣は、大型のネコ科の動物が素体となっているようだ。動きが俊敏で、クリスティーナの初撃はかわされた。

 だが、体勢は崩れており、次の行動までに大きな間ができる。

 アリツェは隙を逃さなかった。槍を両手でしっかりと握りしめ、上段に構える。

 一気に魔獣の側面まで駆け抜けた。狙いを定めて、地面を蹴る。

「食らいなさいっ!」

 気合一閃、魔獣の左肩を槍の刃先で切り裂いた。

「遅いなっ!」

 同時に、反対側の側面に立つラディムから怒声が上がった。魔獣の右足から、勢いよく血が噴き出す。

 相手は単体。しかも、魔獣化してそれほど経っていないようだ。アリツェたちの相手ではない。

 これなら、安全に『四属性陣』の練習ができそうだった。

「さて、とっとと陣を描いちゃおうかねぇ」

 背後からマリエの声が聞こえる。

 アリツェは時間を稼ぐため、次々と細かな傷を与え続け、魔獣の動きを鈍らせた。

 ラディムも剣を振り、魔獣を翻弄している。だが――

「うわっ! ちょ、頼むよ陛下!」

「マリエ、悪い!」

 ラディムが魔獣の誘導に失敗し、マリエが地面に描いた『四属性陣』の文様の一部が、暴れる魔獣の動きで消された。

「やれやれ。もう一度、描き直しだ……」

 マリエのため息が漏れた。

 アリツェたちは再び魔獣を陣から引き離し、致命傷を与えないよう手加減をしながら、時間を稼いだ。

 暴れる魔獣の抵抗が、次第に強くなる。一方で、アリツェたちはうっかり魔獣を殺してしまわないよう、慎重に魔獣の動きを観察した。なかなか骨の折れる作業だ。

「マリエさん、まだですの!?」

 集中力が落ちてきた。霊素を維持しながらあちこち飛び回っているために、体力と気力の消耗が激しい。

「今やっている!」

 イラついたようなマリエの叫び声が返ってきた。

 だが、アリツェたちは限界だった。このままでは逆に、アリツェたちが大きなダメージを受けかねない。

「支えきれないわ。仕方がない、普通に倒すわよ!」

 クリスティーナの掛け声に合わせ、アリツェたちは使い魔に精霊具現化を施す。

「今回は失敗だ! マリエ、君も精霊術を!」

「チッ!」

 ラディムの言葉を受けて、マリエは舌打ちをし、陣構築をあきらめた。使い魔とともに魔獣の傍まで駆け寄り、精霊術の準備をする。

 マリエの準備が整ったところで、アリツェたちは各々の精霊術を発動し、狂ったように暴れる魔獣にぶつけた。






 アリツェたちは、街道から少し外れた場所に広がる草原の上に、車座になっていた。

 時折頬を撫でる涼風が、汗に濡れたローブを冷やし、ほてったアリツェの身体から、熱を心地よく奪う。

 魔獣は無事に撃退した。だが、当初の目論見からは完全に外れている。 

「さて、反省会だ」

 ラディムはつぶやくと、アリツェたちに視線を巡らせた。

「すみません。僕の見通しが甘かったです。許してください」

 マリエはぺこぺこと土下座をした。

「ダメです。許しません」

 クリスティーナは真顔で、冷たく言い放った。

「おいおい、あまりいじめてくれるな、クリスティーナ」

「もちろん、冗談よ」

 ラディムが苦笑を浮かべると、クリスティーナは一転してニヤリと笑う。

 土下座をしていたマリエも、ぺろりと舌を出しながら体を起こした。

「さて、と。マリエ、何がまずかったんだい?」

 ラディムはマリエに顔を向けて、失敗の原因を尋ねた。

「少しの衝撃で、陣が消えてしまった点だね」

 マリエは肩をすくめて、ため息をついた。

「ナイフの柄で、地面に溝を掘って描いていたよね。確かにあれじゃ、ちょっと戦闘が激しくなると、厳しいかなぁ?」

 ドミニクはうんうんとうなずいている。

「どういたしましょうか……」

 皆、黙りこくった。

 先ほどの戦闘は、現状のアリツェたちよりも弱い魔獣を、たった一匹相手にしただけだった。

 だいぶ余裕がある中での『四属性陣』の練習だったわけだが、それでも陣の構築に失敗している。

 根本的にやり方を変えなければ、実戦では使えそうもなかった。

「ちょっといいかしら?」

 クリスティーナが右手をすっと上げた。

「そもそも、エウロペ山中でこの陣を使うって前提なら、地面が土じゃない可能性が高くない?」

「あぁ、場所によっては、岩だらけの可能性もあるな……」

 クリスティーナの口にした推論に、ラディムはうなずいた。

 前回、大司教一派を追ってエウロペ山脈に分け入った時は、偶然かもしれないが、岩がむき出しになっている場所を通らなかった。

 だが、今回もそうなるとは言えない。活火山でもあるため、噴火口に近づけば、自然と岩場も増えるはずだ。
 
「そのあたりも考慮に入れると、何が最善となるでしょうか……」

 アリツェは腕を組み、考えを巡らせる。

 とその時、正面に座っているラディムの服から、チラリと拘束玉がはみ出している様子が目についた。

「あっ!」

 アリツェは思わず大きな声を上げて、両手をパンっと叩いた。

「あら、アリツェ。何か思い浮かんだの?」

 クリスティーナの問いに、アリツェはコクコクとうなずいた。

「お兄様! その、拘束玉です!」

 アリツェは身を乗り出し、ラディムの胸元を指さす。

「ん? これがどうかしたか?」

 ラディムは訝しげにつぶやくと、懐から拘束玉を取り出した。

「その拘束玉のように、霊素を込めた糸のようなもので、陣を描くのはどうでしょうか? 地面がデコボコでもいけますし、それこそ、空中にすら描けると思います。霊素で強化していれば、少々の衝撃にも耐えられますし!」

 アリツェは得意になって考えを披露した。身を起して、ぐっと胸を張る。

「あぁ、なるほど……。どう思う、マリエ?」

 ラディムは手に持った拘束玉を、じいっと見つめている。

「悪くないね。その拘束玉ってたしか、再転生前のマリエの発案で作ったやつだよね? であるならば、実に僕向きの方法だ」

 マリエはニッと口角を上げながらうなずいた。

 この拘束玉は、ラディムが前のマリエとともに共同研究をして作ったマジックアイテムだ。もともと、マリエ自らが作り上げたマジックアイテムなだけに、応用もお手の物に違いない、とアリツェは思う。

「陛下、いくつか予備の拘束玉をちょうだい。僕のほうで、陣作成に使いやすいように、霊素を調整してみる」

「ラースにいくつか持たせている。あとで分けよう」

「じゃ、悪いけれど、今日はここでキャンプを張ってもらえるかな? みんなが寝ている間に、陣作成に使える新たなマジックアイテムを、いくつか作ってみるよ」

 マリエは『四属性陣』成功のための算段が付いたのが嬉しいのだろうか、ニコニコと笑っている。

「お願いいたしますわ」

 改善策も出された。

 アリツェたちは反省会をお開きとして、各々キャンプの準備に入った。






「さて、とりあえず地面に試してみたけれど」

 マリエはつぶやくと、眼前を指さした。

「これは、思った以上によさそうね」

 クリスティーナが感心したようにうなずいている。

「そうだね。霊素を込めたおかげで、僕の意図を毛糸のほうである程度くみ取って、自動で文様を描いてくれる」

 マリエは満足げに笑いながら腰を落とすと、霊素で地面に焼きつけられた青い毛糸の模様を、手で優しく撫でた。

 マリエが拘束玉を応用して作った、『四属性陣』作成のためのマジックアイテムは、見事にその効果を発揮した。

 アリツェたちの眼前には、霊素交じりの青い毛糸によって描かれた複雑な文様が、鎮座している。手持ちの武器などで何度か陣文様を消そうと試したが、おいそれとは消えなかった。

 これなら、それなりの規模の戦闘に巻き込まれても、安定して陣を維持できそうだ。

「すべてを描き終えるまで、だいたい五分ってところか。これくらいなら、陣作成まで問題なく、魔獣を押しとどめていられるな」

 ラディムはマリエの頭を撫で、「ご苦労様」とねぎらった。マリエは嬉しそうに「当然さ」とつぶやき、身をよじっている。

「じゃ、次は実際に、陣の中に魔獣を誘導する練習をしましょうかね」

「うまくいくといいですわ……」

 陣は問題なく作成できた。

 次なる課題は、四属性の精霊術をぶつけるために、魔獣を陣の中央に誘い込むための練習だ。






 翌日、アリツェたちは新たな魔獣を発見し、さっそく改良版『四属性陣』を試した。

 マリエの放った青に染色しなおされた毛糸玉――陣構築用のマジックアイテムが、よどみなく完璧に陣文様を描いていく。

 陣が完成すると、マリエの合図の下、アリツェたちはひきつけていた魔獣を陣の中央へと誘導し、待機していたドミニクに魔獣対応を引き継ぐ。

 魔獣の攻撃範囲から外れながら、各々マリエに指示された配置場所に移動をした。

「あら、実際にやってみると、割と簡単じゃない」

 クリスティーナはけらけらと笑った。

 アリツェも同感だった。魔獣のヘイトを集めて、指定した場所まで駆けるだけの、至極簡単な作業だった。

「みんな、配置についたね!」

 マリエは大声を張り上げる。

「いつでも行けますわ!」

 アリツェは指定された陣の東のポジションに立ち、精霊術発動のため、右肩にルゥを留まらせた。

 アリツェの担当は、風の精霊術。適任は鳩のルゥだ。

 アリツェは腕輪にため込んだ霊素ともども、ルゥに風の精霊具現化を施し、かまいたち発動の準備をさせる。

「じゃ、いくよ!」

 マリエの掛け声を合図に、ドミニクが《時間停止》を使って、素早く陣の外に逃れる。と同時に、アリツェは陣の中央に立つ魔獣へと、全力のかまいたちを放った。






「ちょっと……」

 クリスティーナのつぶやきが漏れた。

「わ、わたくしのせいではありませんわ!」

 アリツェは手をひらひらさせ、頭を振った。

 背筋につつっと嫌な汗が流れる。

「タイミングは合わせたぞ?」

 ラディムは手に持った剣を地面に突き刺し、不満げに口を尖らせた。

「うーん、これは……。てんでダメだねぇ」

 マリエは右手で側頭部を抑え、深いため息をついた。

 眼前には魔獣の死骸が転がっている。魔獣の撃破には成功した。

 だが、肝心の『四属性陣』発動には、失敗していた。単に個々人の精霊術がばらばらに魔獣を襲い、倒しただけだった。

 四属性の精霊術が絡み合い、一つになる……。本来の『四属性陣』の効果が発揮されていれば、魔獣の死骸など一片も残らない威力にならなければおかしい。

「タイミングを合わせる練習を、積まないとダメそうだな」

 ラディムは改善点を口にすると、目の前の魔獣の死骸の処理を始めた。

 失敗の原因は明らかだった。精霊使い四人の精霊術の発動タイミングが、微妙にずれていたためだ。このタイミングをぴたりと合わせない限り、『四属性陣』本来の威力は発揮できないに違いないと、アリツェは痛感した。

「とりあえず実戦で試しつつ、色々と方法を模索いたしましょう?」

 アリツェは場の雰囲気を変えようと、努めて明るい声で皆を励ました。






 魔獣の群れを倒しつつ二週間が経過した。

 アリツェたちはエウロペ山脈の麓まで達していた。

 眼前には濃い緑で覆われた樹海が広がっている。季節は盛夏。きつい日差しと、雑草が放つ湿気とが相まって、アリツェたちの体力を容赦なく奪う。

「さて、何年かぶりのエウロペ山脈ね!」

 クリスティーナは腰に手を当て、ふんぞり返りながら声を張った。

「なんだか、雰囲気が……」

 アリツェは山頂を見上げ、つぶやいた。

 初めての登山行から六年。かつての山様とは様変わりしているエウロペ山脈の姿に、アリツェは服の袖をぎゅっと握りしめた。

 前回来たときは、晩秋から初冬だった。記憶の中にある雪化粧の山の頂と違い、眼前の山頂は岩がむき出しの灰色だ。

 来るものを拒むような神聖さを感じた冬山と比べると、夏山はどこか、アリツェたちに優しく微笑んでいるようにも見える。

 だが、それもあくまで見た目だけ。実際には、過酷な登山行が待ち受けているのは間違いない。

「大司教側の罠が仕掛けられている可能性もある! 気を付けていこう!」

 ラディムは声を張り上げ、アリツェたちを見回した。

「そうですわね。こうしてマリエさんがこちらに付いた以上、マリエさん経由で、大司教の儀式の情報がわたくしたちに流れたであろうことは、大司教側も気づいているでしょうし」

 アリツェは首肯した。

 大司教たちは隠れアジトからの脱走時に、巧妙に隠されたルートを通っていた。そのような用意周到さを持った大司教一派が、このエウロペ山脈に何の仕掛けも施さずにいるとも思えない。油断はできなかった。

「いまだに『四属性陣』の発動タイミングが合わない。大司教たちと遭遇するまでに、間に合うかなぁ……」

 マリエは不安げな声を上げた。

 この麓に至るまでに、幾度となく『四属性陣』を試みた。だが、ことごとく失敗に終わる。どうしても、精霊使い四人の精霊術発動タイミングが合わなかった。

 アリツェも顔をしかめ、両手をぎゅっと握りしめた。

 果たして、『四属性陣』を成功させられるのだろうか――。

「みな、いくぞ!」

 ラディムの掛け声が耳に飛び込み、アリツェはハッとして顔を上げた。

 不安に押しつぶされてはいけない。最悪、『四属性陣』がなくとも、大司教は問題なく捕縛できる。

 アリツェは両手で顔をはたき、気持ちを入れなおす。

 アリツェはラディムの後に付いて、夏山へと足を踏み入れた。
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