わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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第二十二章 マリエと名乗る少女とともに

5-1 微妙な三角関係ですって?~前編~

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 アリツェは丘の下に広がる帝都ミュニホフの姿を見渡した。皇宮や大聖堂、ギーゼブレヒト大通りに沿って居並ぶ石造りの建物群……。すでに、大戦の影響は見られない。

 高台に立ち、アリツェはしばし夏風を楽しんだ。

 大戦当時、ドミニクから十四歳の誕生日プレゼントとなるモルダバイトの指輪を贈られた、思い出の草原もこの近くにある。懐かしの緑の海原を思い出しつつ、アリツェは隣に立つドミニクの手を握り締めた。そのまま、ドミニクに寄り添う。

「相変わらず、仲がいいわね」

 アリツェは背後から人の気配を感じた。

「一週間ぶりね、アリツェ」

 クリスティーナが片手を上げながら近づいてくると、ドミニクとは反対側の傍らに立つ。

「王都はお変わりありませんでしたか?」

「相変わらずってところよ。霊素だまりへの対処でてんやわんやだったわ。アレシュやハヴェルと、ゆっくりする時間も取れなかったし」

 クリスティーナは苦笑し、「あーあ」と大きくため息をついている。

 クリスティーナとアレシュの子であるハヴェルは、まだ生まれたばかりの一歳児。そんな幼い我が子となかなか触れ合う時間が取れない不幸に、母としてはつらいものがあるのだろう。

 それに、ハヴェルはアレシュの後を継いでフェイシア国王になる身。成長をすればするほど、今度は帝王教育だなんだで、一緒に過ごせる時間がどんどん減っていく。王族であれば致し方のない話なのかもしれないが、やりきれないだろう。

 アリツェとて、幼い子を持つ身。グリューンに置いてきたエミルとフランティシュカの顔を思い浮かべれば、思わず涙も出そうになる。

 早く大司教一派を駆逐し、グリューンに帰ろう。アリツェは改めて誓う。

「公爵領も似たような感じですわ。世界崩壊、近いのでしょうか」

 霊素だまりの原因とその対処法は、マリエの情報のおかげでわかった。だが、大司教一派への対処の必要性もあり、現状では余剰地核エネルギーへの対策に、全精力を注げない状態だ。

 だが、無情にも時は刻一刻と過ぎていく。世界の崩壊も近づく。焦る気持ちは、どうしても抑えきれない。

「今後はマリエの力も加わるわ。何とかなるわよ。悩みすぎない悩みすぎない!」

 クリスティーナは微笑を浮かべながら、アリツェの肩を軽く叩いた。

「そうですね……」

 アリツェはうなずいた。

 たしかに、悩みすぎてもよくないだろう。その点は、今のクリスティーナの励ましもあり、多少は心が軽くなる。

 だが、すっかり気持ちが晴れたわけでもない。

「浮かない顔ね?」

「お兄様とマリエさんの関係が、少々……」

 クリスティーナの問いに、アリツェは大きくため息をついた。

 いまだに気持ちが晴れない理由。マリエのラディムに対する意味深な態度が、どうにもアリツェの胸に引っかかっていたからだ。

「あんなの、子供の悪ふざけとしか思われないわよ。気にしない気にしない」

 クリスティーナは肩をすくめ、頭を振った。

「えぇ、わたくしもそう思うのです。ですが、あと五、六年……マリエさんが正式に婚約可能になる準成人を迎えた時に、果たしてどうなるか」

 この地方では、十二歳で準成人を迎える。準成人になれば、多くの部分で大人同等の権利や義務が発生する。婚姻関係についても同様だった。

 正式な結婚は十五歳の成人を迎えなければならないが、婚約であれば十二歳から結べる。口約束程度ならそれ以前でも可能だが、お互いに破棄をしたら相応のペナルティが下る、正式な意味での家と家との婚約が結べるようになるのは、準成人からだ。

 今のマリエは六歳。六年経てば、その正式な婚約が結べる十二歳に達する。

 もしも、エリシュカの地位をかっさらおうなどと企んだりしたら……。

「考えすぎじゃない?」

 クリスティーナは苦笑を浮かべながら、アリツェの言葉を笑い飛ばした。

「だとよいのですが……。お兄様がマリエさんに恋をしたのは、十二歳の時です。マリエさんがその十二歳――準成人を迎える頃に、はたして二人の関係はどうなっているのでしょうか。マリエさんは、当時のあのマリエさんのクローン。姿かたちはまったく同じなのですから」

 たとえマリエが自重をしたとしても、今度はラディムからアプローチを仕掛けるような事態も、考えられなくはないだろう。

 ラディムの地位を鑑みれば、別に非難をされるような話ではないのかもしれない。だが、アリツェの気持ちとしては……。

「ま、この世界の常識に合わせれば、ラディムが側室を持つこと自体、おかしな話じゃないわ。十四歳差も、貴族の結婚ならそれほど問題視されるようなものじゃないし。側室を持ったところで、ラディムがエリシュカをないがしろにするような真似をするとも思えないな。だから、マリエが正妻になろうなどと企てたりしない限りは、見守っているだけでいいんじゃない?」

 アリツェを安心させようと思っているのか、クリスティーナはにこやかに笑っている。

「それに、マリエの両親って、今は大司教に従う精霊使いだけれども、元々帝国貴族の子弟だったって話じゃない。加えて、あなたが手に掛けたかつてのマリエも、調べてみたら庶民なんかじゃなかったって話なんでしょ?」

 クリスティーナの言うとおり、実はマリエの身分は決して低くはなかった。よくよく考えてみれば、片倉優里菜の転生体として生み出されたのだから当然だ。

 ラディムが言っていた。優里菜は出自設定をAにしていたと。であれば、かつてのマリエは王族かそれに連なる地位を持った両親のもと、生まれてこなければおかしい。

 ラディムが帝都ミュニホフで初めてマリエに出会ったとき、行き倒れ寸前だったという。ぼろを身にまとったマリエは、どう見ても高貴な出には見えなかっただろう。だがその後、マリエをラディムの最側近にしようという話が浮上した際、マリエを保護していた教会がひそかに身辺を調査したようだ。

「確か、南のエスタル王国の、王家に連なる一族とか。親の代にはすでに没落して、田舎の貧乏領主をしていたようですが」

 ラディムから聞かされたマリエのルーツを、アリツェは脳裏に浮かべた。帝国の南、険しいエウロペ山脈を越えた先に、大国エスタルはある。

 山のせいで交流はほとんどないが、かといって完全に関係を断っているわけでもない。マリエのように、ごくまれに帝国にやって来る者もいた。

 マリエの実家は、そんなエスタル王国の北方の最辺境にある、小さな村の領主を務めていた。流行り病か何かで両親を失ったマリエは、数少なかった使用人からも捨てられ、僅かばかりのお金とともにミュニホフへとやって来たようだ。

 確かに王族に連なる家の出で、出自Aを満たしているのは間違いがない。だが、さすがにこれは、ちょっとかわいそうではないか。もしかしたら、マルティンに虐げられてきたアリツェよりも、状況はひどいかもしれなかった。ラディムから話を聞いた当時、アリツェはマリエに大いに同情した。

「今のマリエとかつてのマリエ、どちらにしても、側室としてなら出自に不足はないわ。ラディムとの身分上のつり合いも、取れてるんじゃない?」

 クリスティーナはちょこんと首をかしげる。

「確かにそうなのですが……。転生者ゆえの、現実世界の常識がどうしても、胸に突っかかるのですわ」

 横見悠太の記憶を引き継いでいるがゆえに、一夫一婦制の現代日本の常識に染まっているアリツェとしては、一夫多妻制にはどうしても違和感が残る。

「そこは、慣れるしかないんじゃない? どちらかと言えば私たちのほうが、この世界では異分子なんだから」

 笑い飛ばすクリスティーナの表情は、どこか自嘲的だ。

 確かに、アリツェたち転生者は、もともとこの世界にいるべき存在ではない。異分子は異分子らしく、現地の習慣には従うべきなのだろう。

「それに今、ギーゼブレヒト皇室の血縁者は、ものすごく少なくなっているわ。ラディムを除けば、母親のユリナ・ギーゼブレヒト、エリシュカとの間に生まれた皇子、アリツェ、そして、アリツェの子供たちね。多くの子が生まれることは、皇室の安定のために歓迎されこそすれ、忌避されるような話にはならないわよ」

「確かに、そうですわね……」

 クリスティーナに言われ、アリツェはハッとした。貴族として、家の存続は最優先事項だ。

 今次の大戦の影響で、帝国のギーゼブレヒト皇家は継承者が極端に不足している。これからの皇家を想い、繁栄をさせていこうと考えるならば、ラディムが多くの子を成していかなければならないのは当然だろう。

「それに、ラディムの子供に万が一の事態がおこったら、アリツェの子供たちのいずれかが皇帝になる可能性だって、出てくるわ。あなた、それは嫌でしょう?」

 クリスティーナはニヤリと笑う。

「うぅ……。エミルやフランには、そんな重責を担わせたくはありませんわ」

 アリツェは顔をしかめ、頭を振った。

 現状のままだと、皇位継承順位第一位は、生まれたばかりのラディムの子。第二位は母のユリナ・ギーゼブレヒト。だが、第三位は皇帝ラディムの双子の妹アリツェになる。確かに、ラディムの子に何かが起これば、アリツェの子供たちに皇位が巡ってくる可能性が高い。

「なら、ラディムには子作りに励むよう、しっかりと言ってやりなさい」

 クリスティーナはけらけらと声を上げて笑うと、アリツェの背中をポンポンっと叩いた。

「あぁ、なんだか複雑ですわ……」

 双子の兄に面と向かって、「お兄様、子づくり頑張ってください!」などと言えるだろうか。

 アリツェは頭を抱えた。

「あはは、まったくアリツェらしい。今からそんな先のことを考えても、無駄に心労を重ねるだけだよ」

 黙って話を聞いていたドミニクが、もう我慢できないとばかりに笑い出す。

「ドミニク……」

 アリツェはドミニクに顔を向けると、不満ありありで口をとがらせた。

「そういえば、ドミニク様。公爵領を離れても大丈夫なのかしら?」

 さすがにアリツェをからかいすぎたとクリスティーナは思ったのだろうか、話題を変えてドミニクに話を振った。

「大丈夫じゃないよ! 大丈夫じゃないけれど、今は大司教をどうにかすべきだと考えた。話を聞くに、相手は霊素を妨害するようなマジックアイテムを使ってきたんだろう? であるならば、ボクの《時間停止》の技能才能は、きっと役に立つ」

 ドミニクは自分の胸を力強く叩く。

「あらあら、アリツェがどうしても心配ってわけね」

 クリスティーナは口元に手を当てながら、クックッと笑っている。

「むぅ……。まあ、そう受け取ってもらっても構わないよ。公爵領はシモンとガブリエラがいれば、当面はなんとかなるだろう。霊素だまりの原因も、そのマリエって娘のおかげではっきりと分かったんだ。理由がわかっているなら、今までほど、霊素だまりに対して恐れを抱く必要もない」

 ドミニクは一瞬不満げに口を尖らせたが、すぐに微笑を浮かべた。

 ドミニクはさらりと言ったが、実際は、ドミニクの同行が決定するまでに、グリューンでは家中を巻き込む大騒動になっていた。

 この非常時に、当主が二人とも不在になるのはあり得ないと、領の官僚たちは皆反対をした。アリツェもサーシャから考え直すようにきつく言われた。

 だが、霊素だまりに対して、現状のまま場当たり的な対応をしても、根本的な解決にはならない。アリツェとドミニクは必死に説得を試みた。

 そんな中、味方になってくれたのはシモンとガブリエラだった。精霊使いとして、現状の霊素だまり対策だけではこれ以上の状況の好転は無理だと、肌で実感していたからだろう。

 領の官僚たちも、ドミニクの名代として、シモンが責任をもって先頭に立つと主張したことで、とりあえずは納まった。ただ、主不在での領政は一年が限界なので、それまでには必ず戻るようにと、期限をきっちりと決められはしたが。

「ま、公爵家中できちんと検討をした結果だっていうなら、私からとやかく言う話でもないわ」

 クリスティーナはさっと真剣な表情を浮かべ直した。

「さぁ、間もなく皇宮ですわ。お兄様とマリエさんが待っています。行きましょう!」

 爽やかに頬を撫でる夏風が名残惜しい。だが、いつまでもおしゃべりをしているわけにもいかない。

 アリツェたちは丘を降り、ミュニホフに通じる街道へと戻った。
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