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第二十一章 隠れアジトにて

6-2 どうにか動きを止められませんか?~後編~

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 クリスティーナの叫び声に驚いたアリツェは、すぐさま目線をマリエから外し、傍らのペスへと向ける。

 ペスはぐったりとした様子で、地面にへたり込んでいた。体を揺すり、声をかけるも、返事がない。

 触れた手には、ペスの確かな心臓の鼓動が感じられる。どうやら、命を奪われたわけではないようだ。

「まずいな、おそらくは闇の精霊術だ。何らかの、好ましくない精神作用を受けたのかもしれない」

 ラディムは床に突っ伏しているミアに触れながら、推論を口にした。

 アリツェも同感だった。マリエが使い魔を通じて、精霊術を放ったのだろう。闇の精霊術は、主に心理的、精神的作用を及ぼす。今のペスやミアたち使い魔の状況を鑑みるに、闇の精霊術を使われたと考えるのが、妥当だった。

「わたくしたち、闇の精霊術は使いませんものね。どう対処いたしましょう……」

 光の精霊術を得意とするアリツェたちにとって、闇の精霊術はあまりなじみがない。ラディムがわずかに使えるが、実戦用には程遠い。このため、アリツェは対抗手段がすぐには思い浮かばなかった。

 加えて、アリツェの心中に、目の前のマリエに対するさらなる疑惑が沸き起こる。やはりこの幼女は、アリツェの知るマリエと何らかの関係があるのではないか……。

 というのも、かのマリエが闇の精霊術に精通していた事実を、ラディムから聞かされていたからだ。

「まずいわ。使い魔なしじゃ、精霊術が使えないわよ」

 どうにか正気に戻そうと、クリスティーナは床に転がる使い魔たちの身体を、必死に揺り動かしている。だが、反応はない。

 ペスも未だに、動き出す気配がなかった。このままでは精霊術なしで、マリエと対峙しなければならない。負けるような事態にはならないだろうが、かといって精霊術の支援がなければ、無傷でマリエを拘束するのは難しいかもしれない。

「精霊使いが三人もいるっていうのに、私たったひとりを相手に、ご自慢の使い魔たちがそろいもそろって無残にも無力化されたご感想は、いかがかしらね?」

 マリエは胸を張り、フンッと鼻息荒くふんぞり返った。にたりと笑う顔が、幼女に似つかわしくない不気味さを醸し出している。

 不利な状況に陥っているのは間違いない。今すぐにでも、マリエからの追撃が来る恐れがある。

 どうすればよいのか、アリツェはぐるぐると頭の中で考えを巡らせた。急いで結論を出さねば、危険だ。再び得体のしれない闇の精霊術を使われては、たまったものではない。

 槍を握り締めるアリツェの手は、汗でびっしょりと濡れていた。

「まだ完全に、無力化されたってわけじゃないわよ!」

 クリスティーナは動けない使い魔たちを庇うように前に立つと、マリエをきつくにらみつけた。

「まったく、強がりを……。さて、やっかいな使い魔たちをこうやって封じている間に、術者を排除といきますかねぇ」

 マリエは両脇に控えるイタチ型の使い魔に、ちらりと目配せをする。

『ラディム! あの拘束玉って、使い魔が封じられていても、いけるわよね?』

 クリスティーナの念話が飛んできた。

『あぁ、あれは精霊術ではない単なるマジックアイテムだからな。使用に問題はない。だが、使い魔の精霊術がなければ、あの娘の隙を作るのは難しそうだぞ? そのまま投げつけたところで、かわされる恐れが強い』

 ラディムは懐に手を入れながら、クリスティーナの問いに答えた。上着の内ポケットに、例の拘束玉をしまっているようだ。

『それに、今手元にある拘束玉は、一つだけなんだ。残念だが、無駄撃ちはできないぞ』
 
 ラディムは顔をしかめつつ、頭を振った。

 外に待機しているラースに予備をいくつか預けているらしいが、相手の隙をついて小屋から脱出し、予備の拘束玉を取りに行くだなんて、さすがに無理がある。したがって、マリエに一発で、確実に拘束玉を当てなければならない。

 拘束玉は便利ではあるが、毛糸の玉を元に作られたマジックアイテムなため、かさばって数を持ち込めない。拘束玉の唯一ともいえる弱点が、ここにきて重くのしかかってきた。

 持ち運びがしやすいような改良を、事前に加えておくべきだったのだろう。だが、他に優先順位の高い事項が多く、そこまで気が回らなかった。

 アリツェは唇をかみしめながら、マリエの追撃に備えて身構える。

『ルゥかラースに、どうにか頑張ってもらえないかしら?』

 クリスティーナはちらりと窓の外を一瞥した。

 窓から直接その姿は見えないが、ルゥとラースは小屋の外で周囲を警戒している。

『小屋の中に連れていくつもりもなかったので、ラースには今、霊素を纏わせていないんだよな。失敗した』

 ラディムはため息を漏らした。

 仔馬のラースは、狭い小屋の中では身動きがとりにくいだろうとの判断で、外の警戒に当たらせている。突入前に自身の霊素を余計に消費してはまずいと考えて、あえてラースには霊素を纏わせなかったと、ラディムは苦笑交じりに話した。

 ラディムの言葉を聞き、クリスティーナは『なんて間が悪いのよ……』と呟きながら、頭を抱えている。

『ルゥはどうなの、アリツェ?』

 クリスティーナは一回、ふぅっと大きく息を吐きだし、あらためてアリツェに質問をぶつけてきた。

『問題ないですわ。あの子なら、なんとかしてくれるでしょう。小屋の状況調査をさせた際に纏わせた霊素が、まだ残っているはずです!』

 アリツェはうなずいた。

『さっそく、ルゥに頼んでみますわ!』

 アリツェはすぐさま、意識を小屋の外へと向けた。ルゥの気配を感じ取るや、念話を送る。

 状況を手早く説明すると、ルゥからは承諾の声が帰ってきた。

『ご主人、どうするっポ? かまいたちを窓から屋内に向けてぶっ放すっポ?』

『外部からの奇襲で油断させるのであれば、そのあたりが無難でしょうね。霊素は、足りていますか?』

 アリツェの見込みでは、かまいたちを一回放てる程度の霊素は、十分に残っているはずだ。ルゥも自分からかまいたちを使うと進言してきているし、霊素残量は問題ないのだろう。

 だが、念のために具体的な量を確認しておく必要がある。かまいたち自体は問題なく放てたとしても、そのために霊素が完全に空になってしまうのであれば、以後、ルゥ自身の身を護る術がなくなる。ラースが霊素を纏っていない現状では、ルゥにある程度の霊素を残しておかないと、小屋の外の警戒に不安がよぎる。

『ご主人からの霊素の補充がなかったので、残量が心許ないっポ。弱めのかまいたち一発が精いっぱいっポ。強めで放てば、霊素が空っぽになるっポ!』

『相手を傷つけるのが目的ではありません。弱めで問題ないですわ』

 マリエを傷つけずにとらえるために、ルゥの精霊術を使いたいだけだ。負傷させるほどの威力は必要ではない。奇襲によるかまいたちでひるませ、拘束玉を確実に当てられるだけの隙を作れれば、目的は果たせる。

『では、窓越しにかまいたちを放つっポ。どのあたりを目標にすべきかと、発動のタイミングの指示をお願いするっポ』

 ルゥからの頼もしい言葉に、アリツェは胸が軽くなった。これで、どうにか目の前のマリエを、傷つけることなく拘束できそうだ。

『お兄様、クリスティーナ。外からルゥのかまいたちで奇襲をいたします。あの娘がひるんだ隙を逃さず、拘束いたしましょう!』

 アリツェはラディムとクリスティーナのうなずく様子を、ちらりと横目で確認する。と同時に、両手で構えた槍を振りかぶった。

 相対するマリエは、すぐさま振り上げられた槍の穂先を油断なくにらみつけ、警戒を強める。

 アリツェの思惑どおりだった。マリエの意識を槍の動きに集中させておけば、余計にルゥによる奇襲の効果が高まる。うまくいったとばかりに、アリツェは口角を上げた。

『いきますわ!』

 槍を上段から一気に振り下ろした。行動開始の合図だ。

 アリツェの動きに合わせ、窓の外からルゥによるかまいたちが発射される。バリンッと大きな音を立てて窓ガラスが割れると、一気にマリエと傍に控える二匹の使い魔に、暴風が襲い掛かった。

「チッ! 外にまだ使い魔がいたのね!」

 側面からの不意打ちに、マリエは完全に後手を踏んでいた。怒鳴り声を上げながら、慌ててかまいたちの飛び込んできた方向へと身体を向けようとした。だが、遅かった。

 身体の小さなマリエは、すっぽりと激しい空気の渦に捕らわれる。使い魔たちも同様だ。

 使い魔に闇属性の精霊具現化をしていたのであれば、精霊術での対応は難しいはず。闇は、物理的な効果を発する術がない。暴風を抑えるための効果的な手段は採りえないと、アリツェは睨んでいた。

 実際に、効果はてきめんだった。マリエたちはさしたる抵抗も見せず、かまいたちに完全に翻弄されている。

「今です! お兄様!」

 好機だった。拘束玉を使うなら、今しかない。

 アリツェの上げた声に、ラディムは即座に反応した。懐から赤く輝く拘束玉を取り出し、狙いすましてマリエに投げつけた。

 と同時に、ルゥもかまいたちを解除する。せっかくの拘束玉が、かまいたちに巻き込まれては意味がない。マリエにはすでに、大きな隙を生じさせている。かまいたちを維持する必要は、もうなかった。

 マリエの身体に触れた拘束玉は、霊素を帯びた糸を周囲に向かって一気に放出し始めた。やがて糸は透明な腕となり、マリエの小さな体をぐるぐるとはい回る。

 這いずり回る腕の気色悪さに、マリエは悲鳴をあげた。だが、腕の動きは一向に収まらない。

 やがて、腕は幾重にも絡まり合い、マリエの動きを完全に封じた。

「な、なによこれ!?」

 何とか腕を引きちぎろうと、マリエは必死の形相で身じろぎをする。だが、無駄だ。鍛えた大人の男ですら、破るのは不可能なほどの頑丈な腕だ。幼き少女の姿をしているマリエに、外せるはずもない。

「どうやら、拘束玉を知らないようだな。……てことはやはり、あのマリエとは別人なのか?」

 ラディムはマリエの使い魔のうちの一匹を押さえつけながら、ぽつりとつぶやいた。

 アリツェはもう一匹の使い魔を拘束しつつ、ラディムの言葉の意味を考える。

 かつてラディムが言っていた。この拘束玉は、マリエの発案であると。であるならば、確かに目の前のマリエは、かつてアリツェが手をかけたあのマリエとは、別人なのだろう。

 ……それとも、大司教による何らかの処置がなされ、記憶を操作されている?

「クッ! 外れない!」

 マリエのうめき声に、アリツェはハッとして顔を上げた。

 今はあれこれと余計な考えを巡らせている時ではない。マリエたちを完全に無力化させ、早々に大司教を追わなければ。

 マリエは霊素の腕にがんじがらめにされ、床で芋虫のように転がっている。

「おとなしくしてください。わたくしたちの目的はあくまで大司教。抵抗をやめるなら、あなたをこれ以上害するつもりはありませんわ」

 アリツェの言葉に、マリエはぎゅっと顔を歪める。

「……お伺いしたい点も、ありますし」

「冗談じゃない! 私が大司教様を、裏切るとでも思っているの! 聞かれたって、何も答えるつもりはないねっ!」

 マリエは一気にまくしたて、アリツェをきつくにらみつけた。

 とそこに、背後から声がかかる。

「ま、あなたがどう考えようが、今はどちらでもいいわ」

 クリスティーナが、胸元に革袋を抱えながらやって来た。

 ラディムとアリツェがマリエの使い魔を抑え込んでいる間に、クリスティーナには小屋の外のラースの元へと行ってもらっていた。使い魔の無力化に、追加の拘束玉が必要だったからだ。

 クリスティーナの言葉に、マリエは一度グッと悔しそうなうめき声を上げる。だが、もはやなすすべもないと悟ったのだろう、抵抗をやめて押し黙った。

 クリスティーナはすぐさま拘束玉を使用し、マリエの使い魔たちの動きを封じる。使い魔たちも、主人があきらめたの見て、無駄に暴れたりはしてこなかった。

 これで、当面の脅威は去った。

 闇の精霊術を掛けられていたペスたちも、正気を取り戻してそれぞれの主人の傍に駆け寄る。

「さて、動きを封じたはいいが、この娘たちはどうするか……」

 ラディムは床に転がるマリエと使い魔たちに一瞥をくれた。

 このまま大司教の追跡に連れていけば、完全に足手まといになる。

「ペスを見張りに置いていきましょう。拘束状態なので、ペスだけでも問題はないでしょうし。もちろん、念のためペスには多めに霊素を纏わせておきますわ」

 アリツェの提案に、ラディムも異論は挟まず首肯した。

 ここで無駄に議論をして、時間を消費するわけにもいかない。先ほどのマリエとのやり取りで、大司教側にアリツェたちの侵入はバレているはずだ。急いで追わなければならない。

 アリツェはペスの身体に触れ、すぐさま霊素を纏わせた。いくつか念話で指示も送る。

 ペスがマリエたちの元へと移動し、警戒態勢に入ったのを確認したアリツェは、立ち上がってラディムとクリスティーナに視線を向けた。

「では、急ぎましょう!」

 三人でうなずきあうと、意を決して小屋の奥へと通じる、真っ暗な通路へと足を踏み入れた。






 漆黒の闇を抜けて急に明るくなった視線の先には、朽ちかけの外見をした小屋には似つかわしくない、煌めく調度品の数々が鎮座していた。

 まるでどこぞの成金趣味が、金にものを言わせて無理やりそろえたのではないかと思うほどに、豪華さ一辺倒の、統一感もなにもない、悪趣味ともいえる内装を備えた部屋が、眼前に広がっている。

 醜悪さに、アリツェは思わず顔を歪めた。

「くそっ! やはり侵入者は貴様らだったか!」

 部屋の奥に立つ、漆黒のローブを身にまとった、白髪の老人が怒声を上げる。

 アリツェたちが長年、必死で探していたお尋ね者。世界再生教大陸中央支部の大司教、その人だった。

 大司教は背後に控える男数人に、あれこれと何やら指示を送っている。男たちは、おそらくは大司教配下の精霊使いに違いない。わずかに霊素を感じる。

 感じる霊素量は大したことがないとはいえ、警戒を怠るわけにはいかない。

「さぁ、観念してください!」

 油断なく槍を構えながら、アリツェは声を張り上げた。

「犠牲になった我が帝国臣民の恨み、きっちりと晴らさせてもらうぞ!」

 ラディムは抜身の剣を大司教に向け、険しい表情を浮かべている。帝国を大混乱に陥れた黒幕たる大司教を前に、冷静さを失ってはいないだろうかと、アリツェは少し心配になる。

 アリツェはちらりと横目でラディムの様子を窺ったが、どうやら理性を失ってはいなさそうだ。怒りに任せて無茶な行動をとる危険性は、ないだろう。

「冗談じゃない! 私の野望は、こんな場所で潰えてよいものではないのだ!」

 大司教も負けじと、大声で反論をする。

「頼みのあの娘も無力化した今、あなたたちにはもはや、抵抗する術はないでしょう。無駄なあがきは、やめなさい!」

 アリツェは声を張り上げ、投降するように呼び掛けた。しかし――

「そいつはどうかな?」

 大司教がニヤリと笑うと、突然、背後に控えていた精霊使いたちが、懐から何かを取り出した。

「なにを――」

 ラディムがつぶやいた瞬間、視界が一気に奪われた。
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