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第二十章 大司教を追って

3-3 いったいどこに隠れ潜んでいるのでしょうか~後編~

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 ごうごうと鳴り響く防風壁外の風の音と、パチパチという焚火の火の爆ぜる音だけが、アリツェたちの周囲を包んでいた。

 アリツェはちらりとラディムたちの様子を窺った。皆が皆、表情は暗い。使い魔の身を案じている気持ちは、全員が同じだった。

 アリツェはため息をつきつつ、横目で防風壁外の藪を見つめた。墨汁で塗りつぶされたかのように、ただただ漆黒の闇に覆われた空間。アリツェの目では、先がまったく見通せなかった。早く無事に戻ってこないか、そればかりが、今のアリツェの胸の内を占めていた。

 とその時、不意に防風壁から一陣の風が漏れ入り、焚火の立てる煙を揺らした。運悪く、アリツェは揺れる煙を直に浴び、激しくむせこんだ。

 どうにか呼吸を整えなおし、ほうっと息をつくや否や、今度は脳裏にけたたましい声が鳴り響いた。

『ご主人、ご主人! 見つけたっポ!』

 ルゥからの報告の念話だった。

『ルゥ、お疲れさまっ! 見つけたって、大司教一派の居所ですの?』

 アリツェは煙で涙ぐみながらも、可愛い使い魔の無事にほっと胸をなでおろした。次の瞬間、さらなる風がアリツェに向かって吹き込み、ルゥが上空から舞い降りてきた。そのままふわりと、静かにアリツェの肩に留まった。

 ルゥの羽はだいぶ乱れていた。呼吸も荒く見える。強風の中、無理を押して飛行していたのが、アリツェにも容易に分かった。

 主人のために頑張って動いてくれたルゥの気持ちを想うと、アリツェは胸の内がじわりと熱くなる。なんとも、いじらしい……。

『まだ確証はないっポ。でも、複数の人間のにおいがする横穴を、ペスが発見したっポ!』

 ルゥは喉をクックッと鳴らしながら、アリツェの問いに答えた。

『わかりました、お手柄ですわ! ペスたちにも、気を付けて戻るように伝えてくださいませ』

 アリツェは柔らかな手つきで、ルゥの玉虫色に輝く喉を軽く撫でた。ルゥは目を閉じ、嬉しげに鳴く。

 愛らしい使い魔の様子に、アリツェは「うふふ」と笑みを浮かべながら、しばらくの間撫で続けた。精霊使いにとっては大事な、精神リンク強化の絶好の機会だ。ルゥの満足のいくまで、しっかりと触れ合った。

『わかったっポ! すぐ戻るので、待っててくださいっポ!』

 やがて、十分に満足がいったのか、ルゥは力強く宣言すると、再び上空へと舞い上がった。アリツェはその頼もしい後ろ姿を目に遣りつつ、ペスたち他の使い魔たちの身を案じた。

 ルゥの話しぶりでは、他の使い魔たちも特にトラブルには見舞われていなさそうだ。だが、無事にこの場に戻るまでは、油断できない。

「ルゥから連絡が入りましたわ。まだ大司教一派のものかはわかりませんが、複数の人間のにおいが残る横穴らしきものを、ペスが発見いたしましたわ!」

 ルゥを見送ったところで、アリツェはラディムたちへ向き直り、ルゥから上がった報告を伝えた。

 アリツェの言葉に、ラディムとクリスティーナの表情は一気に柔らかくなる。半身ともいえる使い魔たちの無事を確認できて、アリツェ同様ほっとしたのだろう。

「おぉ、そいつは僥倖だね! 今このタイミングで、こんな山中に複数の人間の気配って言ったら、十中八九、大司教たちで間違いないよ」

 一方でドミニクは、満面の笑みを浮かべながらぐっと両手の拳を固めた。

「まぁ、当然そうなるわね。……いよいよ、追いつめたわ!」

 ドミニクの気合に当てられたのか、クリスティーナも鼻息荒く声を張り上げた。

 アリツェも、吹き込んだ風で乱れた髪を整えなおしながら、脇に置いた愛用の槍をちらりと目に遣った。つらい山中行軍も、とうとう終点が見えてきたと思えば、自然と力も入ってくる。

「陛下……いや、ベルナルド……。あなたの無念を晴らすときが、間もなくやってきます……!」

 ラディムは目を閉じ、ブツブツと叔父ベルナルドへの祈りの言葉を捧げていた。

「お兄様……」

 ラディムの様子を見て、アリツェは胸がちくりと痛んだ。

 ベルナルドの最期の瞬間を看取ったのは、ラディムとアリツェだけだ。ドミニクもクリスティーナも、あの場面にはいなかった。なので、この場で真にラディムの心境を理解できるのは、アリツェだけだ。

「気負いすぎては、為せるものも失敗いたしますわ。お一人で抱え込みすぎないでくださいませ。わたくしもギーゼブレヒトの血を引いているのです。お兄様とともに、最後まできっちりと、叔父様の敵はとりますわ」

 アリツェは微笑みながら、ラディムの瞳をじっと見つめた。

「……そうだな。ありがとう、アリツェ」

 ラディムもうなずくと、アリツェに微笑み返した。

「血を分けた双子ですもの。当然ですわ!」

 アリツェは声を張り上げると、立ち上がって焚火のそばへ寄り、器とお玉を手に取った。焚火に掛けられた鍋から、ひと掬いスープを取り出すと、器に注いでラディムに渡す。さらに別の器を手に取り、今度は自分の分を注いだ。

 アリツェはラディムの隣に座り直すと、静かに寄り添いながら、スープに口をつけた。ラディムも同じように、アリツェへと身体を預けつつ、器へ口をつける。アリツェは片割れ同士の連帯感を抱きつつ、ゆっくりと目を閉じた。

 適度に香辛料のきいたスープのおかげで、身体の奥深くから熱が沸き起こってくる。鼻腔をくすぐる刺激的な香りも相まって、アリツェのやる気もみなぎってきた。






 ペスたちの無事の帰還を喜び合った後、アリツェたちは大司教一派との最後の決戦に向け、体力を万全にしようと早々に就寝した。

 温泉で芯から温まった効果もあり、翌朝の目覚めは非常に良かった。

 アリツェは両腕をぐりぐりと回しながら、全身の状態を確認した。筋肉のこわばりもなく、疲労感はまったく残っていない。まさに温泉様様だった。ラディムたちも同様のようで、皆血色もよく、身体も軽そうに見えた。これで、対大司教一派に全力を注げる。

 朝食を済ませ、キャンプを撤収したアリツェたちは、ペスの案内の下、獣道へ分け入った。しばらく進むと、ペスは立ち止まり、アリツェに念話で『ここだワンッ!』と伝えてきた。

「ここですか……」

 アリツェはペスの視線の先の藪を注視した。

「確かに、妙な霊素だまりができているわね」

 アリツェの視線の先を睨みつけながら、クリスティーナもつぶやいた。

 クリスティーナの弁のとおり、アリツェにも藪の中から不自然な霊素の蓄積が感じられた。

「ペスが言うには、ここから下る獣道に出られるそうですわ。あとはそのまま道なりに進むと、山間のくぼ地に出るようです」

 アリツェはペスに光の精霊術を具現化させ、大司教によって施されたと思われる幻術を破らせようと試みた。精神に作用する精霊術の属性は闇。それを打ち消すには、反属性である光が有効だとの判断だ。

 アリツェの予想は見事に当たり、「バチッ」とひときわ大きな音が鳴り響くや否や、今までただの藪だと思われていた場所に、細い獣道が現れた。気付きにくいが、いくつか足跡も見えたので、間違いなく、この獣道を大司教一派が通ったと、アリツェは確信した。

 クリスティーナやドミニクの歓声が上がると、アリツェは少し自慢げに「さすがペスですわっ」と口にし、ぐいっと胸をそらした。

「そのくぼ地に、件の横穴があるってわけだ。……うーん、ようやく役に立てそうで、腕が鳴るよ」

 ドミニクは腰に下げた剣を引き抜くと、表れた獣道へと先頭を切って足を踏み入れた。弾む足取りでずんずんと先へ進むドミニクの後を、アリツェたちは慌てて追った。

 ドミニクは体中に棘が刺さるのも、まったく気に留めていない。生い茂る草や木の根に足を取られないか、アリツェはハラハラしながら前方のドミニクを見遣った。

「張り切るのはいいですが、無茶はなさらないでくださいませ。あなたに何かがあったら、わたくし……」

 役に立ちたいとうっぷんを溜めていたドミニクの気持ちはわかるが、猪突猛進は危険すぎる。アリツェは小走りでドミニクのそばへ寄ると、外套の裾を引っ張りながらたしなめた。

「大丈夫、まかせてくれ。君も見て理解しているだろ? ボクの奥の手を」

 なおもドミニクは歩調を緩めず、剣の切っ先で下草を刈りながら進んでいった。

「えぇ、はい。……ですが、それでも心配なものは、心配なのですわ。だって、わたくしはあなたの、婚約者なのですから」

 全員無事で下山できなければ、意味がない。今ドミニクを失えば、アリツェは自身を支える精神的支柱のうちの、大きな一本を失うことになる。当然、アリツェの心は悲しいまでに脆くも崩れ落ちるだろう。まともな精神状態では、生きていけなくなる。

 アリツェはドミニクに訴えつつ、外套の裾を握り締める手の力を、より一層強くした。放しはしないと……。

「アリツェ! やはり君は最高だよ!」

 ドミニクは急に立ち止まって振り返ると、アリツェの身体を抱き締めようと両手を大きく広げた。

「きゃっ!」

 アリツェは勢い余って、そのままドミニクの胸に飛び込む形になった。ドミニクは両腕をアリツェの背に回し、ぎゅっと締め付ける。アリツェはドミニクの胸の中で、「苦しいですわ」とうめくも、ドミニクはしばらく腕を解こうとはしなかった。

「……いや、もう何も言うまい」

 背後からラディムの呆れたような声が聞こえた。

「あーあ、なんだか胸焼けしそうだわ」

 クリスティーナの声も、どこかため息交じりだった。

「私も帰ったら、アーちゃんに甘えちゃおうかしら」

 クリスティーナのけらけら笑う声が漏れ聞こえてきたが、アリツェは気に留めなかった。意識を集中し、ドミニクの心臓の鼓動に優しく耳を傾けた。

 早鐘を打つのは、アリツェを抱きとめているが故だろうか。だとしたら、うれしい。アリツェは場違いとは思いつつも、ドミニクの温もりにしばし身も心も預けた。






 わずかに漂う硫黄のにおい。ちょろちょろと聞こえる水のせせらぎは、温泉地から下ってくる細流のものだろうか。進むたびに標高が下がる安心感を、アリツェたちは存分に楽しんだ。

「だいぶ標高が下がってきたか? 気温も、外套をマジックアイテム化しなくても、十分耐えられる程度になったな」

 ラディムは一旦外套を外し、外気の具合を確かめている。

 汗がしたたり落ちるようになった背中の感触から、アリツェも十二分に実感していた。気温がだいぶ上昇している事実を。

 いい加減、火の属性を付与した外套を着用したままでは、のぼせそうだった。かなり暑い。

 ラディムから問題なさそうだとの言葉をもらい、アリツェはすぐさま外套の霊素を取り除いた。涼風が、湿ったアリツェの背を一気に撫でる。ぶるりと体を震わせはしたものの、寒気というよりも、むしろ心地良さが勝った。実に爽やかだった。

 ラディムたちも外套の霊素を取り除き、暑さから解放されたためか、めいめい「ほっ」と息を吐きだしている。

「このまま防風壁や火の精霊術もいらなくなれば、霊素を相当節約できるし、ありがたいよね」

 ぐるりと周囲を見遣りながら、ドミニクはつぶやいた。

 さらに標高が下がれば、防寒対策はまったく不要になりそうだった。平地であればまだ秋口、下界に近づけば近づくほど、気温はぐんぐんと上昇するはずだ。このまま獣道が下り続けるのであれば、確かに、いずれはドミニクの言う状況になる。

「そうなればうれしいけれど、あまり妙な期待は持たないほうがいいでしょうね。二属性展開を維持しつつの探索が続くものと、思っておきましょ」

 クリスティーナは頭を振った。

「……そうですわね。ただ、少なくとも、寒さによる遭難の不安が和らいだのは、歓迎できますわ」

 悲観的過ぎてもいけないが、過度の楽観も考え物だった。クリスティーナの言うとおりだとアリツェも思い、首肯した。

 しかし、現状だけでも、霊素の消費量は相当に抑えられるようになった。加えて、寒さで凍える不安――特に精霊術の使えないドミニクに対しての――もほぼ消えた。状況は、アリツェたちにとって有利になってきている。






 さらに獣道を下り続けると、突然、目の前が開けた平地になった。

「ここ、か……」

 ラディムはつぶやき、周囲をきょろきょろと窺っている。

「確かに、怪しい横穴がいくつかありますわね」

 平地の両脇には崖が見えた。その崖には、無数の横穴が開いている。ペスから報告のあった、複数の人間のにおいがする横穴とは、ここのことだろう。アリツェの確認の念話に対し、ペスからは元気よく、『ここで間違いないワンッ!』と返ってきた。

「大司教一派がいる予感が、ぷんぷんするね」

 ドミニクは剣の切っ先で下草を払い、地面の状態を確認している。足跡がないか、気になっているようだ。

 アリツェもつま先立ちになり首を伸ばし、ドミニクの肩越しに地面を見遣った。はっきりとはわからないが、地面が荒れているような気がする。

「さて、どういたしましょうか」

 無数の横穴を前に、どこから捜索すべきかアリツェは迷った。ペスに確認するも、正確にこの穴、とは明言できないようだった。

 帰還の際には再び山道を登り、寒さの厳しい環境を通らなければならない。本格的な冬に入れば、元のルートを辿るのが困難になる恐れがある。虱潰しにすべての横穴を捜索するには、正直言って時間が足りなかった。

「ここで下手を打てば、大司教たちを目の前に、タイムリミットで帰還する羽目になりかねませんわ」

 慎重に、しかし、迅速に捜索目標を定め、行動に移さなければならなかった。

 選択を誤れば、ここまでの苦労がすべて水泡に帰す。なかなか厳しい運試しでもあった――。
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