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第十九章 説得

5-2 どうにか同意を得ましたわ~中編~

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 アリツェは腕にはめた銀の腕輪へ、少量ずつ霊素を注入した。腕輪は白い霊素の膜にふんわりとつつまれ、やがて激しく明滅し、振動し始めた。

 腕輪の変化の様子を、国王や宰相、財務長官は目を見開きながら、興味深げに注視している。

「――どうした、アリツェ」

 明滅と振動が落ち着いたところで、腕輪からラディムの声が漏れ伝わってきた。と同時に、国王らの「おぉ……」というつぶやきが聞こえる。

「実は、陛下が帝国側の動向を確認されたいと……」

「わかった。ムシュカ侯爵を呼んでくるので、少々待っていてくれ」

 アリツェが要件を伝えると、ラディムは応じ、ムシュカ侯爵を呼びに行った。

 その間に、国王から腕輪の力についていろいろと尋ねられたので、アリツェはその特性と使い方について、丁寧に説明をした。

 実演をしてみせながらのアリツェの解説に、国王らはいちいちうなずきながら聞き入っている。実際に腕輪から響くラディムの声を聞いたため、アリツェの話を疑う者はいなかった。

「すまない、待たせたな」

 そうこうしている間に、ラディムが戻ってきた。アリツェは再び、腕輪に意識を集中する。

「あー、あー」

 腕輪から侯爵の声が聞こえてきた。

 声のみなので表情はうかがい知れないが、明らかに戸惑った風だ。声色が、やや上ずっていた。

「これで、私の声が本当にアリツェ殿たちに聞こえているのか?」

 侯爵の疑問に、「間違いなく、伝わっているはずだぞ」とのラディムの声が重なる。

 侯爵は「そうか……」と呟き、一つ咳払いをした。

「そちらに、フェイシアの国王陛下がいらっしゃると伺ったが」

「久しぶりだな、ムシュカ侯爵。息災であったか?」

 侯爵の問いかけに、国王は厳かな口調で答えた。

「お久しぶりでございます、国王陛下。ミュニホフでの、我が娘エリシュカとラディム陛下との婚約の儀以来、ですかな……」

 侯爵と国王が直接顔を合わせたのは、戦後処理の際に帝都ミュニホフで催された、ラディムとエリシュカとの婚約の儀が最後のはずだ。その際に、フェイシア王国とバイアー帝国との今後について、二人であれこれと話し合ったとアリツェは聞いている。残念ながら、詳細までは知らされていないが。

「我が国の動向を確認されたいとのことですが……。具体的にはどのような?」

「おそらくは侯爵も、ラディム皇帝から聞いておるだろう。件の大司教追討隊の派遣についてだ」

「ええ、確かに。ラディム陛下から、精霊使いたち少数精鋭でエウロペ山脈に向かいたいなどと、無茶ぶりをされて困っておりますな」

 アリツェたちの立てた作戦に、どうやら侯爵も戸惑っているようだ。ラディムも説得に苦労をしているのだろうか。

 もしそうであるならば、侯爵と国王との会談は、実はあまり好ましいものではないのかもしれない。ここで、両者が派遣反対の立場で結託されては、実に都合が悪い。

 アリツェはドレスの裾をきつく握りしめた。

「ハッハッハッ! 私も今まさに、その困惑の渦中におるわ」

 国王は考えの近い仲間を得られたためか、ほら見たことかとばかりに、アリツェとドミニクに視線を向けながら豪快に笑った。

 アリツェは足元をじっと見降ろした。胃が重い……。

 直接、ラディムたち帝国の人間との通信を取り持てば、うまく事を進めていけるに違いないと、アリツェは安易に考えていた。だが、むしろ失敗だったのではないかと思いはじめ、歯噛みした。

「そこで、確認なのだが……。ラディム皇帝がエウロペ山中へ向かう件について、侯爵は賛成なのか、それとも反対なのか」

 侯爵の『否』の返事を期待しているのか、国王の声はわずかに弾んでいるように、アリツェには感じられた。

「私としては、ラディム陛下の意思を尊重したいと考えております。大司教と皇家との因縁については、私も重々承知しておりますゆえ」

 侯爵の答えを聞くや、国王は途端に顔をゆがませた。欲していた回答とは違ったのだろう。不満げにため息をついている。

 アリツェも息をのみ、顔を上げた。

 まさかこの会話の流れで、公爵が『諾』ととれる発言をするとは、予想外だった。

「しかし、いくら実力のある精霊使いとはいえ、子供だけの少人数で、険しい山中に向かわせるのはどうかと思うのだが。逃走中の大司教側の戦力も、はっきりはしないしな」

 侯爵から望みの回答を引き出そうと、国王はなおも食い下がる。

 アリツェはその様子を、ただ黙って聞いていた。トップ同士の話に、下手に横入りをするわけにもいかない。両手を握りしめ、唇を噛みつつ情勢を見守った。

「その点は、私も気にはなっております。ですので――」

 侯爵はいくつか条件を付けて、同意をしたと説明した。

「そう、か……」

 国王は肩を落とし、うなだれた。

「ラディム陛下も相当な覚悟をお持ちのようなので、私としても、強硬に反対はできないのです。娘にも叱られますしな」

 侯爵の深いため息の音が漏れてきた。承諾は侯爵の本意ではないようで、その声に不満の色がありありと感じられる。

「横から失礼いたしますわ。侯爵様、エリシュカ様は納得されておられるんですか?」

 侯爵がエリシュカに言及をしたので、アリツェは気になって問いかけた。

 ラディムとエリシュカは、正式に婚約して間もない。ラディムが危険な場所へ自ら乗り込む今次の作戦に、エリシュカが反対の意を示したとしても、おかしくはない。

「あの娘は、ラディム陛下を完全に信頼しきっておるからのぉ。無事に帰ってくると、信じきっておるようだ」

 ラディムとエリシュカは、婚約するずっと以前からの長い付き合いだ。互いに強固な信頼関係が築けているのだろう。

 少し羨ましいな、とアリツェは思った。

「帝国側の判断はわかった。……ラディム皇帝が向かうのであれば、双子のアリツェが同行するのに、私も強くは反対できないな」

 国王は頭を振った。

「父上……」

「ありがとうございます、陛下」

 ようやく得られた国王の『諾』の言葉に、アリツェは強張らせていた全身が、一気に緩む感覚を覚えた。思わずほうっと息を吐いた。

「だが、その代わりに」

 国王は鋭くアリツェとドミニクを見据えた。

「私も、ムシュカ侯爵がラディム皇帝に課した条件と同等のものを、お前たちに課すぞ。この点は絶対に譲れない。わかったな?」

 国王の強い言葉に、アリツェとドミニクは首肯した。

 本格的な冬が訪れる前に、大司教捕縛の成否の如何にかかわらず、必ず下山をしなければならない。これが、国王から課された条件だった。探索のタイムリミットが示された形だ。

 だが、アリツェとしても、いつまでもだらだらと山中をさまよう愚行は、避けなければならないと理解はしている。無茶な条件が付されたわけではないので、不満はない。

「クリスティーナの動向はまだわかりませんが、こうしてエウロペ山脈へ向かう許可は得られたのです。時間もありませんし、さっそく準備に取り掛かりましょう!」

 アリツェはドミニクに顔を向け、早口で一気にまくしたてた。ドミニクも表情を緩ませながらうなずいた。

「以前の会議で話したとおり、ミュニホフ南方にあるジュリヌの村で待ち合わせだ。そこで、旅に必要な物資を用意しておく。なので、アリツェたちは最低限の装備だけ持って、こちらへ向かってくれて構わない」

 今後の方針について、ラディムから指示が飛んだ。

「わかりましたわ!」

 アリツェは声高に言葉を返した。

 待ち合わせ場所については、以前の三者会議での申し合わせどおりなので、問題はない。物資の手配もラディムが済ませてくれるのであれば、旅の準備の手間もかなり軽減できる。

 こうと決まれば、時間が惜しかった。アリツェは急く気持ちを抑えつつ、手早く腕輪に纏わせていた霊素を解除し、通信を遮断する。切断が確認できるや立ち上がり、国王らに一礼をして、謁見の間を後にした。
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