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エピローグ

VRMMO『新・精霊たちの憂鬱』

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 ここ数日恒例になっていた会議も前日でひとつの区切りがついたため、この日は開催されなかった。代わりに、アリツェはひそかにラディムに呼ばれていた。誰も伴わずに来てほしいとの話だったので、アリツェはドミニクにも黙ってラディムの私室を訪れた。

 ラディムの部屋に着くと、アリツェは中へと招き入れられ、椅子を勧められた。アリツェが腰を下ろせば、ラディムも相対するようにベッドサイドに腰を下ろした。

「これで、中央大陸の大国すべてが精霊教を国教とするか、保護を打ち出した」

 落ち着いたところで、ラディムが口を開いた。

「世界崩壊を防ぐための第一段階が、ようやく成った形になりますわね、お兄様」

 世界を精霊で満たし、余剰地核エネルギーを消費させる。精霊を保護する精霊教が世界中に広まることで、その道筋の第一歩を踏み出せる。

「残された時間はそれほど多くはない。今回の事態の真の黒幕にあたる、世界再生教の大司教は、残党を連れて大陸中央のエウロペ山脈へ逃げたと報告が入っている」

 世界の崩壊までのタイムリミットは残り約二十六年。まごついていたら、あっという間に過ぎてしまう。アリツェもラディムも、精霊使いとしては今だに二属性同時行使程度の実力にとどまっている。効率よく大地の余剰地核エネルギーを消費するためには、最低でも四属性、可能であれば、最大の五属性同時行使ができるように、もっと精霊使いの熟練度を溜めなければならなかった。

 それに加え、精霊教を邪教に仕立て上げようとした世界再生教の大陸中央支部大司教の一派は、いまだ捕まらず逃げ回っている。アリツェたちの与り知らぬところで、またも非道な計画を企てられてはたまらない。しかと対処をしなければならない案件だった。

「かの者たちを、このまま放置しておくわけにはいきませんわね」

「ああ。まずは、奴らを捕縛し、裁きに掛けねばならない。その後、アリツェや私、クリスティーナで余剰地核エネルギーの消費を行うのだ」

 多くの不幸をもたらした。大司教にはきちんと報いを受けさせなければ、死んでいった者たちも浮かばれないだろう。

「エウロペ山中ですと、軍で向かうわけにはまいりませんわよね。どうなさるおつもりですの?」

 エウロペ山脈は、この中央大陸でも最も険しい。軍隊規模での行軍は無理のある場所だった。

「ここは、フェイシア国王やヤゲル国王の意見も聞かねばならないが、アリツェ、クリスティーナ、私、そしてほかに護衛を何名か連れた少人数で、追撃隊を組織したいと考えている」

 ラディムの意見に、アリツェは目を見開いた。

 大規模での作戦が難しいのであれば、確かに精霊使い三人で大司教たちの後を追うのが一番効率がいいのかもしれない。だが、ラディムはもちろん、アリツェもクリスティーナも、国内ではそれなりの立場の人間だ。その身に何かがあったら、国を揺るがす大事件になりかねない。

「わたくしは構いませんし、クリスティーナ自身も、おそらくは断らないと思いますわ。ただ、フェイシアやヤゲルの国王陛下がどう判断するかまでは……」

 アリツェ本人の意思としては、同行にやぶさかではない。ただ、国のトップたちがどう判断するかは別問題だ。

 アリツェは将来の公爵の妻であり、王国随一の精霊使いでもある。危険のない場所を伝道師として巡行する程度なら、国王たちもとやかくは言わないかもしれない。だが、さすがに急峻なエウロペ山中に、敵勢力である世界再生教の大司教を討ちに行くとなると、話は別だろう。

「両国王への説得、試してはみる。だが、ダメだったら最悪、私だけでも……」

 ラディムは言葉を濁した。

「それはいけませんわ、お兄様! 危険すぎます!」

 アリツェは頭を左右に大きく振った。

 さすがにラディム――皇帝一人で行かせる場所ではない。これから復興という大イベントが待つバイアー帝国を引っ張らねばならない存在の皇帝が、ここで命を落としては、帝国の将来はめちゃくちゃになりかねない。

「しかしなぁ……」

 ラディムは渋い表情を浮かべた。どうしても、自らの手で大司教を討ちたいらしい。

 ラディムの気持ちも、わからないでもなかった。大司教こそ、ギーゼブレヒト皇家をだまし、ベルナルドらが取り返しのつかない過ちを犯すよう誘導した元凶の一人なのだから。

「わたくしはきっと大丈夫ですわ。ドミニクがどうにか説得してくれるはずです。それに、クリスティーナもヤゲル王国内ではかなりの発言権を持っております。おそらくはどうにかすると思いますわ」

 どうにか上を説得し、アリツェもついていかなければならない。このままでは絶対に、ラディムは単独でエウロペ山脈へ挑むはずだ。双子の兄を、みすみす死地に赴かせるわけにはいかなかった。

「吉報を期待するってところか。世界のためにも、うまくいくといいのだが」

「大丈夫ですわ! お兄様と旅ができる日を、わたくし楽しみにしておりますわ!」

 アリツェの言葉に、ラディムはわずかに表情を緩めた。






 その後、紆余曲折を経て、各国王の理解を取り付けたアリツェたちは、精霊使いによる少数精鋭でエウロペ山脈へと分け入った。晩秋に差し掛かるエウロペ山脈の環境は、厳しいものだった。だが、得意の精霊術により暖をとれるアリツェたちにとって、この過酷な環境はかえってプラスに働いた。

 逃げのびた大司教たちは精霊術を使えない。雪が降りしきる中で、思うように行動がとれなくなっていた。アリツェたちは使い魔たちの鋭い五感を総動員し、山の中腹の洞穴に逃げ込んでいた大司教一派を見つけた。

 逃げ出そうとする大司教たちを、アリツェたちは拘束玉で捕縛にかかる。すでに寒さでどうにもならなくなっていた大司教たちは、さしたる抵抗もせずにアリツェたちによって捕らわれた。

「私の野望が、こんな場所で終わろうとは……」

 大司教のつぶやきが耳に入り、アリツェは腹立たしさが沸き起こる。

「あなた様のその野望のせいで、どれだけの民が苦しんできたのか、わかっているのですかっ!」

 殴りかかりたくなる衝動をぐっと抑え込み、アリツェは大司教を鋭くにらみつけた。

「私の崇高な理想は、お前たち凡人にはわからんのだろうな……」

 大司教は捨て台詞を吐くと、そのままラディムによって猿轡を噛まされ、ラースの背に載せられた。






 捕縛した大司教一派を連れてエウロペ山脈を脱する頃には、季節は初冬に差し掛かっていた。

 朝の冷え込みの中、アリツェたちはバイアー帝国とフェイシア王国との分岐点にたどり着いた。大司教たちの処遇はラディムに一任するとの話が付き、ここで、ラディムとクリスティーナ、捕縛された大司教たちからなる帝国を目指す一団と、アリツェ、ドミニクのグリューンを目指す一団とに分かれる。

 大司教一派の連行に人手が必要だろうと、クリスティーナは自ら、同行をラディムに提案した。今までラディムと絡む機会が少なかったため、もっとじっくりと話をしてみたいとクリスティーナは思っていたらしい。そこで、今回はいい機会だと考え、同行を決断したとクリスティーナは話した。

「大司教たちの処置が決定したら、すぐに連絡する」

 ラディムはすっと手を差し出してきた。

「お待ちしておりますわ、お兄様」

 アリツェは意図を察し、同じく手を差し出すと、ぎゅっとラディムと固い握手を交わした。

「ここからはアリツェとドミニクの二人旅だ。道中くれぐれも気を付けてくれ」

 ラディムは心配げな表情を浮かべている。

「お兄様も、お気を付けくださいませ。いくらクリスティーナも同行するからと、油断してはなりませんわ」

 むしろ、道中が危険なのはラディムのほうだ。敵である大司教一派を連れて行くのだから。

 警戒を怠らないよう、アリツェはラディムにくぎを刺した。

「ミアたちもいるんだ。大丈夫さ」

 ラディムは使い魔たちを指さしながら、軽く笑い飛ばす。

 確かに、ミアとラースに加えて、クリスティーナの三匹の使い魔もいる。滅多なことは起こらないだろう。

「ラディムは私に任せておいて。無事ミュニホフまで送り届けたら、その足でヤゲルに戻るつもりだから、途中でグリューンにもよらせてもらうわ」

 クリスティーナが自信満々の様子で、胸をそらした。

「楽しみにお待ちしておりますわ。おいしいケーキでも用意して」

 アリツェは微笑みながら、「たくさんおしゃべりいたしましょう」とクリスティーナに伝える。

「ふふ、今から待ち遠しいわ」

 クリスティーナはパチッと片目をつむった。






 すべての片が付き、世界は落ち着いた。

 十五歳を迎えたアリツェはドミニクと結婚した。臣籍降下して公爵となったドミニクとともに、プリンツ子爵領改め新生ヴェチェレク公爵領を大いに盛り立てた。二人の間には男の子が二人、女の子が一人生まれ、アリツェは幸せな家庭を築き上げるのに成功する。

 アリツェは子供たちに精霊術を教えつつ、世界各地を巡り、定期的な大規模精霊術で世界の余剰地核エネルギーを消費させた。クリスティーナも同様に、各国をめぐっているらしい。さすがに皇帝になったラディムは帝国から離れられないようだが、それでも、帝国内を精力的に回り、同様に精霊術により地核エネルギーの消費に努めている。

 ヴァーツラフが予言した四十年が経過しても、世界が崩壊する兆しは見られない。アリツェたちは見事に、一つの大きな仕事を成し遂げた。世界の崩壊を防ぐという、偉業を……。






 それから幾星霜――。

 アリツェがこの世界に生まれ落ち、八十余年が経った。とうとうやってきた。この日が……。

「ひいおばあさま、お体痛いの?」

 アリツェの横たわるベッドにのしかかるように、幼女は身体を寄せた。

「ふふ、大丈夫ですわ、わたくしの可愛い可愛いアマーリエ」

 アリツェは震える手で、愛しいひ孫アマーリエの頭をやさしく撫でた。ふわふわの金髪が心地よい。

 ドミニクと永遠の別れを告げてから三年。兄ラディムも先月鬼籍に入った。クリスティーナも、だいぶ体調を崩していると聞いている。精霊使い第一世代《ファーストジェネレーション》も、おそらくは年内で皆、その生涯を終えるだろうとアリツェは予感していた。アリツェ自身も例外ではない。

 そして、その日がまさに今、アリツェの眼前に迫っていた。

「思えば、幸せな人生でしたわ……」

 幼少期はつらい出来事も多かった。養父に疎まれ、命を狙われさえした。だが、悠太の人格との出会いで、すべてが一変した。精霊使いとしての力を手にしたアリツェは、以後自身の人生を自らの力で切り開く。

 最愛のドミニクとの出会い。双子の兄ラディムとの邂逅と、出生の秘密の解明。国を想って演じた悪役令嬢と婚約破棄。養父への復讐。そして、宗教戦争。波乱万丈の前半生だったが、つらいばかりではなかった。多くの出会いがあり、その一つ一つが、アリツェの大きな糧となった。多くの喜びも得た。

 ドミニクとの結婚後は、それこそ幸福感に目いっぱい包まれたものだった。領の統治は成功し、ヴェチェレク公爵領はフェイシア王国内随一の経済力を誇っている。隣国ヤゲルとの交易も、クリスティーナとの個人的な付き合いもあいまって、非常に活発になった。

 子宝にも恵まれ、一族は大いに繁栄した。アリツェの血を継いだものは皆、精霊使いとしての才能に恵まれていた。ヴェチェレク一族は、悠久の栄光が約束されたのだ。

「悠太様も、どうやら満足なさっているようですし」

 十四歳の誕生日をもって、悠太の人格はアリツェに融合した。だが、心の片隅で、確かに悠太は生き続けている。

 アリツェはゆっくりと手を胸元に持ってきて、静かに目を閉じた。

 込み上げてくる歓喜の情は、かつての悠太の人格から発せられたものだ。アリツェと悠太……、満足のいく人生だったと、お互いに胸を張れる。

「もはや思い残すものは、ありませんわね……」

 アリツェはつぶやいた。

 感じる。最期の瞬間が訪れようとしている……。

「母上……。今まで、本当にありがとうございました」

 アリツェのつぶやきを聞き、傍に立つ息子――現ヴェチェレク公爵のエミルが、アリツェの手を取り、ぎゅっと握りしめてきた。

「エミル、後のことは頼みましたわ。わたくしとドミニクの教えを、決して忘れてはなりません」

 アリツェも最期の力を振り絞り、エミルの手を握り返した。

「もちろんです。ヴェチェレク家の名に恥じないよう、しかと次代へ繋いでまいります」

 目に涙を浮かべながら誓いの言葉を述べるエミルの姿を見て、アリツェは心が次第に穏やかになっていくのを感じた。

 強烈な眠気が襲ってくる。もはや、目を開け続けること能わなかった。

「精霊王様と……この世界のすべての精霊に……感謝いたします……」

 アリツェは静かに目を閉じた――。






 オレはゆっくりと目を開いた。

 一面の白。地に足がついていないのに、感じない浮遊感。この感覚には覚えがある。そう――。

「ゲームクリア、おめでとう。悠太君」

 長年聞きたくても聞けなかった声が、周囲に響き渡った。

「ヴァーツラフ……。まったく、あんたには言いたいことがたくさんあるよ」

 オレは目の前の少年、ゲーム管理者ヴァーツラフの姿を鋭くにらみつけた。

「おおっ、怖い怖い」

 ヴァーツラフはおどけたように両手を広げた。相変わらず憎らしい態度だ。

「まぁ、悠太君の怒りもわかるよ。でもね、あのイレギュラーは、ボクのせいじゃない」

 不満げな表情でヴァーツラフは頭を振った。

「じゃ、何が原因なんだ?」

 オレは首をかしげた。

 ヴァーツラフがやらかしたんじゃなければ、いったい何が原因で、性別の違う素体に入り込む事態になったのか。さっぱりわからん。

「悠太君の作った受精卵データの遺伝子突然変異と、カレル・プリンツの使ったゲームシステム上の『祈願』の技能才能、そして、優里菜さんの転生のタイミングの三つが、絶妙に絡み合って起こった不幸な事故、そう僕は結論付けたよ」

 不幸な事故って、それですまされても正直困る。こっちは第二の人生を存分に満喫するって、楽しみにしてたんだ。

「アリツェちゃんの人生も、悪くなかったんでしょ? ならいいじゃないか」

 ヴァーツラフはニヤニヤと笑っている。

 アリツェとしての人生ももちろん、満足のいくものだった。だが、それとこれとは話は別だ。男としての第二の人生を送りたかった。これが、オレの嘘偽りのない本音だった。

「まぁ、そうなんだけれどな。あれはあれで、楽しかったよ。ただなぁ……」

 納得しきれない部分もあり、オレは顔をしかめた。

「とにかく、テストプレイは成功裏に終わったよ。悠太君たちのおかげだ。どうもありがとう」

 ヴァーツラフは頭を垂れた。

 以後は、精霊術を身につけたAIたちが、自律的に文明を発展させていく。どのような世界になっていくのか興味があったが、ヴァーツラフはあの世界を一般に公開するつもりはないと言っていた。

 もう二度と、オレがあの世界に行く機会は得られない。残念だった。

「さ、これで、君と話すために作ったこの一時的な空間も、まもなく崩壊するよ。お別れの時間だね」

 ヴァーツラフの言葉とともに、周囲の白い空間にひびが入りだした。

「もう、あんたには会えないのか?」

 最後にオレは尋ねた。できれば、この管理者からもっといろいろな話を聞きたかった。態度は最悪だが、持っている知識には興味がある。

「ごめんねー。もう少ししたら、ここの管理を地球人に任せて、僕は自分の星に帰る予定なんだ。そろそろ大学の卒論を書かなければいけなくてね」

 そういえば、こいつは自分の星で学生をやっていると言っていたか。AIの自律進化の観察が、こいつの研究テーマだったはずだ。今回のテストプレイで、ある程度必要なデータはとれたのだろう。

「残念だな……。できれば、もっといろいろな話を聞きたかったよ」

 オレはため息をついた。

「もう少し時間が取れればよかったんだけれどね。っと、タイムリミットだ。じゃ、悠太君、ありがとうね」

 オレの脳裏にヴァーツラフの言葉が響き渡る。と同時に、世界は暗転した――。






 こうしてオレの第二の人生、VRMMO『新・精霊たちの憂鬱』でのテストプレイは終わった。

 意識を覚醒させると、病室にはヴァーツラフの指示のもと送られてきたスタッフが、数人控えていた。二か月の間VRに籠りっぱなしだったはずなのに、身体の違和感がまったく無い。このスタッフたちの施した処理は、相当に高度なものなのだろう。さすがはヴァーツラフの星の技術だった。

「今、先生とご両親を呼んできますね」

 スタッフはオレに告げるや、病室を出て行った。

 オレはその様子をじっと眺めながら、この二か月――体感では八十余年だが――の間の体験を、脳裏に思い浮かべた。胸の奥に、熱いものがこみあげてくる。この記憶がある限り、オレは病と闘える。

 今までのオレは、半ば自暴自棄になり、VRの世界に逃避していた。現実世界での目的もなく、ただゲームをするだけの日々。

 だが、今のオレは違う。一人の人生を追体験したおかげで、もう死も怖くはなくなった。通常人の一生分の経験を、オレはもうすでに積んだのだから。

 それに、この現実世界に新たな目標もできた。――片倉優里菜に会いたいという目標が。

 そのためには、より体調を万全にし、どうにかして外出許可を得られるようにしなければならない。優里菜に会うためならば、オレは何だってやる。生きるための希望が、生まれた。

「ヴァーツラフ、感謝しているよ。オレは確かに、変われたんだ」

 何とか動かせる指先を、オレは何度も何度も曲げ伸ばした。このまま体を衰えさせるわけにはいかなかった。やれることはすべてやってやる。



 だってオレは、未来を見続けると決めたんだから――――。







『わたくし悪役令嬢に成りますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!』

   ―― 完 ――
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