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第十六章 王国軍対帝国軍

11 一杯食わされましたわ!

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 アリツェはフェルディナントとの会話を終え、ドミニクとともに巡回に出ようと司令部の天幕を出ようとした。とその時、天幕の中へと伝令の兵士が飛び込んできた。

「た、大変です!」

 伝書鳩を小脇に抱えた伝令兵の表情は、すっかり血の気が引いている。どうやら、ただ事ではない事態が発生したのだとアリツェは悟った。

「どうした? 何があった!」

 フェルディナントはすぐさま伝令を傍まで呼びつけて、詳細を話すように促す。

「ムシュカ伯爵様からの報告なのですが……。とにかく、こちらをご覧ください」

 伝令は一枚のメモをフェルディナントに渡した。伝書鳩の足に括り付けられていた報告書だろう。

「……よりにもよって、最悪のパターンか」

 さっと内容を確認したフェルディナントは、沈んだ表情を浮かべた。

「叔父様? もしかして……」

 ムシュカ伯爵からの最悪の知らせ、となると――。

「うん、懸念していたとおりの状況だよ。ザハリアーシュ率いる導師部隊が現れたらしい」

 結局、導師部隊は対王国軍の主力部隊の中には、ただの一度も姿を現さなかった。恐れていたとおりに、対伯爵領軍側へ従軍していたようだ。おそらくは王国軍よりも脆弱な戦力しか抱えていない伯爵領軍を、先に叩いてしまうつもりなのだろう。

 対王国軍側に正規兵の主力を差し向けていたのは、導師部隊も当然主力側に従軍するはずだとのフェイシア王国側の誤認を誘うための、帝国の作戦にも思えた。

 魔術でかく乱ができるのであれば、正規兵の質が多少劣っていたとしても、対伯爵領軍戦に関しては問題はないと判断しての策に違いない。

「それで、伯爵様からは何と?」

 とにかく今は正確な情報が欲しい。伯爵領軍にはバルデル公国からの援軍もあるので、そうやすやすと敗れ去るような事態にはならないはずだ。……そう信じなければ、やっていられない。

 だが、アリツェもいまだに導師部隊の全容を把握しているわけではない。アリツェの思いもよらないマジックアイテムを開発している可能性も、無きにしも非ずだ。

 伯爵領軍にどのような被害が出るか、正直、まったく想像がつかなかった。

「苦戦中、至急救援を求む、と」

 苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべながら、フェルディナントは吐き捨てた。

「あぁ、なんという……」

 アリツェはつぶやき、天を仰いだ。

 王国側も帝国の主力部隊と対峙している。伯爵もその点は承知のはずだ。それでもなお、フェルディナントの元にこのような知らせを寄こしてきた。考えるに、伯爵側は相当に厳しい状況なのだろう。

「こいつは参ったぞ。伯爵が敗北しては、帝国が全戦力をもってこちらに向かってくる。伯爵領側に傾けていた部隊まで寄こされては厄介だ」

 今よりも帝国兵の数が増えたうえに、危険な導師部隊までくっついてくれば、大苦戦は必至だ。単純に数は力でもある。あまりに多ければ、アリツェの大規模精霊術だけでは対処しきれなくなる。

 そもそも導師部隊までいるのであれば、魔術への対処でアリツェはかかりきりになるため、大規模精霊術を使っている暇はないかもしれない。そうなれば、勝敗の決め手は正規兵同士の会戦となる。

 帝国軍全軍で来られては、王国軍側の劣勢は免れない。ヤゲル王国の弓兵隊が加われば問題はないのかもしれないが、いまだに到着していないのであてにはできなかった。

「そもそも伯爵が敗れれば、最終的に皇帝を打ち破ったとしても、ラディムが安心して政務を託せる貴族が帝国内にいなくなってしまう」

 フェルディナントの言葉に、アリツェは「あっ!」と声を上げた。

 すっかり失念していたが、皇帝ベルナルドの宣伝工作で、ラディムの帝国内での評判は非常に微妙なものになっている。ムシュカ伯爵がいなければ、頼れる人物が皆無になりかねなかった。

「ラディム自身はまだ子供で、帝国内で個人的に親しく付き合っていた貴族がいない。治世を担えるだけの人材をすぐにそろえるのは厳しいだろうし、不味いな……」

 伯爵の人脈なしで一から態勢を整えるのは、非常に困難に思えた。人材の育成には時間がかかる。一朝一夕には解決しない問題だ。どうにか内政に明るい貴族を取り込まなければ、早晩立ちいかなくなるだろう。

「王国側から人材を提供すれば、王国の内政干渉だなんだと言われそうですものね」

 かといって、フェイシア王国から内政のできる者たちを斡旋すれば、帝国の他の貴族たちは面白くないだろう。間違いなく謀反や反乱の火種になる。

「頭が痛いな……。何とか伯爵に援軍を送りたいが、国境沿いに帝国軍がいる以上は、送りたくとも送れない」

 国境を越えて帝国内に入るには、森を縫って走る街道を通るしかない。だが、その街道は今、帝国側が占拠している。ならばと、森の中を進もうとすれば、あまりに深すぎて迷い、抜け出られなく恐れがあった。それに、大軍で森の中を進軍するのはかなり無理がある。こうして考えると、今フェルディナントが取れる手段はなさそうに思えた。

「では、わたくしが行くべきでしょうか」

 大軍でダメなら、ここは少数精鋭で行くしかない。ラディムを帝都ミュニホフから救い出した時と同様だ。少数の手勢とともに、アリツェ自らが帝国軍の監視の目をかいくぐって帝国内に侵入し、伯爵領へと向かうのが最善だろう。

「……アリツェ、いいのかい?」

 少し躊躇しながら、フェルディナントは問うた。

「導師部隊に対抗するには、精霊使いのわたくしが最適です。それに、わたくし単独であれば、精霊術で上空から安全に帝国内に侵入できますわ」

 アリツェの飛行術を用いれば、うっそうとした森の中を無理に進む必要もなかった。途中休憩も必要だが、休むだけであれば、適当に森の中に降りれば帝国兵に追われる心配もない。そしてなによりも、魔術への対策を練るのに、アリツェ以上の人材はいなかった。

「アリツェにとってはかなり危険だと思うけれど、他に手はないか……。伯爵を見殺しにするわけにはいかない」

 たびたびアリツェを危険な場所に送り込む形になり、フェルディナントはやりきれないといった表情を浮かべている。

「お任せください、叔父様!」

 アリツェは元気よく答えた。フェルディナントが感じているであろう後ろめたさを、跡形もなく吹き飛ばすかのように。

 アリツェはこれこそが自分の役割だと理解をしていた。

 役立たずのまま安全地帯に引っ込んでいるよりは、精霊術で多くの人の役に立てる今の状況は、歓迎すべきものだとさえ思う。

 人々に精霊術の有用性を披露できるし、また、たびたび行使する大規模精霊術によって、余剰地核エネルギーの消費もできる。今、アリツェは充実感に満たされていた。

「帝国側に一杯食わされるとはな……。申し訳ないが、アリツェ、頼んだよ」

 フェルディナントは労わり気な目線を寄こし、アリツェの肩に手を置いた。

「はい!」

 アリツェは肩に置かれたフェルディナントの腕に自分の手を重ね、力いっぱいうなずいた。

「プリンツ卿、ボクがついている。アリツェを危険な目には決して合わせないさ」

 ドミニクが腰に下げた剣の柄に手を当てながら、ためらうことなく言い切った。

 アリツェはちらりとドミニクの横顔を眺める。

 その意志の強そうな鋭い目鼻立ちに、アリツェは愛おしさと心強さを感じた。

 ――ドミニクが一緒なら、絶対に大丈夫。アリツェはそう確信できた。

「殿下、どうか、姪をお願いします」

 フェルディナントはドミニクに向き直ると、深々と頭を垂れた。
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