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第十六章 王国軍対帝国軍

10 おかしいですわね……

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 オーミュッツへの空中散歩以後も、アリツェとドミニクは定期的に飛行術の練習を繰り返した。随分と慣れてきたのか、以前と比べて思いどおりに動けるようになったとアリツェは実感していた。

 そのような上空を駆ける二人の姿が、王国軍陣地の日常風景に溶け込みかかってきた時分、アリツェはフェルディナントから事態が動いたとの連絡を受けた。すぐさま、ドミニクとともに司令部の天幕へと赴いた。

 司令部周辺では、伝令兵が忙しく走り回っている。ピリピリとした緊張感がきつく肌へと突き刺さる。アリツェとドミニクは、そんな兵士たちの間を縫って、天幕の中へと入った。






「帝国軍が再び集結しているのですか?」

 フェルディナントからの報告を受け、アリツェはため息をつき、肩を落とした。どうやら楽しいドミニクとの空中散歩も、今日で終わりらしい。

「そろそろ、第二波が来そうなんだよね」

 伝令兵から上がった報告をまとめた資料を、フェルディナントはアリツェに示した。

 アリツェはざっと目をとおしたが、どうやら第一波よりも大規模なものになりそうだ。資料に描かれた帝国軍の予測布陣を見れば、二連敗は絶対に避けたいとの皇帝ベルナルドの強い意志を感じる。

「わたくしをお呼びになったのは……」

 アリツェはフェルディナントの顔をじっと注視した。呼ばれた理由は想像がつく。精霊使いとしての仕事だろう。

「そう、また上空から一発ぶちかましてほしい」

 やはり、フェルディナントからは予想どおりの答えが返ってきた。

「……承知いたしましたわ」

 アリツェはこくりと首肯した。

 アリツェの高い能力を見込まれているからこその頼みだ。断る理由も特にない。

「ここ数日、ドミニクと飛行訓練をしておりました。おかげさまで、以前よりも空中での動きが円滑になった気がいたしますのよ。より効果的な嫌がらせを、してさしあげますわ!」

 フェルディナントの口ぶりから、初戦で披露した大規模精霊術の再現を欲しているのだろうとアリツェは察した。さっそく飛行術の特訓の成果を見せられると思えば、気分も高揚していく。アリツェは自然と、握ったこぶしを前へと突き出していた。

「そいつは心強い。……でもね、くれぐれも無茶はしないでくれよ。アリツェは私のかわいい姪っ子でもあるんだ」

 フェルディナントはアリツェの頭をぽんぽんっと軽くたたく。

「もちろんですわ! わたくしもここで倒れるようなへまを、犯すつもりはございませんもの」

 言われるまでもない。アリツェも無理をするつもりは毛頭なかった。ザハリアーシュらもいないところで、身を危険にさらしてまで頑張る必要性はまったく無い。

「ドミニク殿下、アリツェをお願いしますね」

 フェルディナントはドミニクに向き直り、深く頭を下げた。

「プリンツ卿、任せてくれ! いざとなれば、ボクが盾になるさ」

 ドミニクは声を張り、ドンっと胸を叩いた。

「あら、いけませんわ、ドミニク。あなたは王子なんですから、命を粗末すべきではありませんわ!」

 せっかくのドミニクの気持ちに、アリツェも心打たれるものがあった。だが、ドミニクはフェイシア王国の王子でもある。無茶をさせるわけにはいかない。

「もちろんさ。でもね、今王国軍に必要なのは、ボクよりもアリツェなのは間違いないよ。アリツェだけは、何としても護る!」

 ドミニクは首肯しつつも、身を挺してでもアリツェを護って見せる、との強い意気込みだけは、変えようとしなかった。

「ではお互いに、十分気をつけましょう」

 であるならば、互いに互いを注意しあうまでだ。アリツェはドミニクとうなずきあった。






 アリツェとドミニクはすぐさま戦闘の準備を整え、初戦と同様に空へと舞いあがった。

「どうする? また光の精霊術でかく乱かい?」

 ドミニクの問いにアリツェはしばし考え、同意しようとした。だが――。

「どうやら、そううまくはいかないようですわ」

 眼下の帝国兵たちの様子がおかしかった。顔に何かをつけているように見える。目を凝らしてよく観察すれば、どうやら色のついたメガネのようだ。

「あー、本当だね。色メガメを用意してくるとは、なかなか考えたね」

 前回の帝国軍の敗戦の直接的な原因は、アリツェの光を使った目つぶし攻撃による混乱だ。当然、対策をしているだろう。第二波を寄こすまでに時間がかかったのも、このサングラスを用意するためだったに違いない。

「また光の目つぶしが来るだろうと読んで、あのメガネを身につけているのでしょうね」

「ってことは、少し地形に影響が出るのは目をつぶって、風か地の精霊術を使うかい?」

 光の精霊術が最も周囲の環境に影響を及ぼすことなく、敵の足止めができる。だが、その手段を封じられた以上は、ドミニクの言うとおり多少の被害は致し方なしとして、暴風や地震、落とし穴などでの嫌がらせを選ばざるを得ない。だが――。

「それも考えたのですが、水の精霊術のほうが、より地形に影響を与えずに足止めできるのではないかと考えましたわ。今は冬ですし」

 アリツェにはもう一つ、自然環境への影響が少なそうな精霊術の心当たりがあった。

「というと?」

「敵陣にのみ強烈な土砂降りの雨を浴びせ、兵たちを凍えさせます。小雨程度への対策はあっても、さすがに土砂降りの雨にはどうしようもないでしょう? こんな真冬に、大雨はめったに降りませんもの」

 ドミニクの問いに、アリツェは詳細を説明した。

 水の精霊術で敵陣の真上のみに土砂降りを降らせ、寒さで行動不能に陥らせようとの考えだ。夏場ならともかく、池の水も氷りそうな気温の今の時期なら、かなり強烈な嫌がらせになるとアリツェは睨んでいた。手先がかじかみ、武器もろくに握れなくなるだろう。

 幸いにも、今日は風が強い。濡れた衣服の上から風にあおられれば、一気に体温が奪われるはずだ。

「あー、なるほどね。確かにこの季節って、降っても小雨か雪だもんね。土砂降りの雨を浴びれば、凍えて戦いどころじゃないか」

 ドミニクはアリツェの説明に納得したのか、首肯する。

「ただ、指揮官が愚かでないことを祈りますわ。凍死者が出ては後味が悪いですもの。びしょぬれになれば、すぐに兵を引くと思うのですが」

 凍死する者が出たとすれば、それは間接的とはいえアリツェが殺したようなものだ。できればそのような状況に陥ってほしくはなかった。賢明な指揮官であれば、すぐにでも撤退を決断するはずだ。

「じゃ、その手でいこうか」

 ドミニクの同意を得たアリツェは、背嚢に収まるペスに指示を送り、素早く水の精霊術を具現化させた。






「いや、本当に見事なお手並みだったよアリツェ」

 アリツェが司令部の天幕に戻るや、フェルディナントはぱっと笑顔を浮かべ、両手を広げながら迎え入れた。

「ありがとうございますわ、叔父様」

 アリツェはちょこんとスカートの裾をつまみ、礼をした。

「二戦連続で一方的な展開になったし、しばらくは帝国軍もおとなしくなるだろう」

 帝国軍の第二波は、第一波よりも兵の数を増していた。それがあっさりとアリツェの精霊術の手玉に取られ、一方的にやられるだけに終わった。さすがにしばらくは、軍全体の士気にも影響が出るだろう。

「こちらから攻め込んだりはしないのかい?」

 隣に立つドミニクが、フェルディナントに問うた。

 現状は、王国軍側が一方的に帝国軍を撃退している状況だ。この余勢をかって帝国内に攻め込もうと思えば、やってやれないことはないだろう。

「それが、いまだにザハリアーシュたちの動向がつかめていないのです。下手に追撃して、背後から襲われたりしたらたまりませんので、なかなかこちらから攻め入るのが難しい状況でして……。すみません、ドミニク殿下」

 フェルディナントは渋い表情を浮かべた。

 斥候部隊から導師部隊を発見したとの報は、残念ながら入っていないようだ。継続して続けているアリツェの巡回にも引っかからない。帝国の切り札のはずだが、主力を差し向けているはずの対王国軍側に同行している様子がまったく無かった。

「そいつは困ったね……」

 ドミニクはため息を漏らした。

「対伯爵領軍側に向かっているのでしょうか。ちょっと心配ですわ」

 こうも動向がつかめないと不気味だった。何やら帝国軍側に秘策があるのではないかと勘繰ってしまう。ここまでアリツェの精霊術にやられ放題の現状を鑑みれば、対策として導師部隊を投入するのが筋ではないかとアリツェは思う。

 帝都防衛に割くにはあまりにももったいない戦力だ。であるならば、導師部隊は対ムシュカ伯爵領軍の側に向かっているのだろうか。そうなれば最悪のパターンなので、できれば避けてほしいところだった。

「今のところはそういった報告は伯爵から受けていないから、大丈夫だとは思うけれど……」

 フェルディナントは言葉を濁した。口では大丈夫といいつつも、やはり一抹の不安はあるようだ。

「しばらくはまだ、定期巡回を続ける必要がありそうですわね」

 いくら大勝続きだとはいえ、戦場での油断は厳禁だ。監視を怠って奇襲攻撃を受けてはたまらない。

 霊素を掴める人間が、現状でアリツェとラディムのみである以上は、日々の警邏はアリツェがこなさねばならない役割だった。

「悪いけれど、お願いするね」

 フェルディナントはすまなそうに頭を垂れた。
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