上 下
182 / 272
第十六章 王国軍対帝国軍

9 空中散歩で『でぇと』ですわ

しおりを挟む
 アリツェのある意味で飯テロな騒動があった翌日、すっかり回復したドミニクがアリツェの天幕へやってきた。

「アリツェ、いるかい?」

「どうなさいましたの? ドミニク」

 アリツェは天幕に入ってきたドミニクの全身をざっと眺めたが、昨日泡を噴いて倒れていた面影はない。ほっと胸をなでおろした。

「少し時間もできたし、ちょっと散歩をしないかな」

 ドミニクはにこやかに微笑みながら、手で外を指し示した。

「それは素敵ですわね。喜んでご一緒させていただきますわ」

 帝国軍が国境地帯から撤兵したわけではないが、再侵攻はまだないだろうとフェルディナントからは言われている。ストレスの溜まる戦争の中での、束の間の休息の時だった。であるならば、婚約者とともに息抜きをしていたところで、咎める者もいないはずだ。そもそも、アリツェがこの貴重な時間を作り出した最大の功労者なのだから。

「それでね、一つお願いがあるんだ」

 ドミニクにしては珍しく、何やら少し気恥しそうなそぶりを見せている。

「何でございましょうか?」

 アリツェは怪訝に思い、小首をひねった。

「空中散歩って、どうかな?」

「といいますと、精霊術でですの?」

 ドミニクの言う『空中散歩』は、渓谷などにかかったつり橋を一緒に歩くなどといった話ではないはずだ。精霊術を用いての、文字どおりの空中散歩だろう。

「うん、ルゥだっけ? あの使い魔の精霊術で飛んだ奴さ」

 やはり予想どおりの言葉が返ってきた。

「構いませんけれど、いったいなぜですの?」

 切迫した状況でもなし、霊素を多少大目に消費しても特段問題はない。娯楽としての飛行術による空中散歩も、防寒対策さえしっかりしておけば、乙なものかもしれないとも思う。断る理由もなかった。

 だが、ドミニクはなぜ突然、このような提案をしてきたのだろうか。先日の戦場での飛行術が、ドミニクのお気に召したのだろうか。

「今後の作戦でも、空からの急襲を行う場面があるかもしれないし、慣れておきたいんだ。で、どうせ慣らすなら楽しみながら、ね」

 趣味と実益を兼ねた発案のようだった。

「わかりましたわ。では、お空のお散歩を楽しみましょう。国境方面は危険ですし、オーミュッツ方面に行きましょうか」

 アリツェとしても、ドミニクを伴いながらの飛行訓練は望むところだった。申し出に乗って、今日は存分に羽を伸ばそうと決心した。






 防寒用の外套を用意し、アリツェとドミニクは王国軍陣地を出てオーミュッツ方面に少し歩いた。

 この日も雲一つない快晴だった。珍しく風もほとんど吹いていないため、かなり快適な空の旅ができそうだ。肌に突き刺さる冷たく乾いた風がないだけでも、体感温度は相当に変わってくる。まさに空中散歩日和と言えよう。冬真っただ中でそれほど景色を楽しめるわけではないが、普段見慣れない視点から周囲を眺めるのも悪くはないとアリツェは思う。

 ある程度陣地から離れたところで、アリツェはルゥとペスに霊素を纏わせ、精霊具現化を施した。ルゥには風で飛行術を、ペスには火で防寒対策を行わせる。

 アリツェの背に現れた白く半透明な翼がはためけば、ふわりと体が浮き始めた。ペスはすかさずアリツェの背嚢に収まり、ドミニクはアリツェの腰にしがみついた。

「うわっ、やはり上空は寒いねっ」

 ドミニクの言うとおり、ある程度の高度にまで達すればかなり寒さが堪えた。風がない分、先日の対帝国軍戦での空中作戦よりはましであったが……。

「でもこうやって、アリツェのぬくもりをより一層感じられるのはうれしいなぁ」

 ドミニクは甘えたような口調でつぶやく。

「もうっ、いつもバカなことをおっしゃって……。少し我慢なさってくださいませ。すぐにペスの火の精霊術で暖を取りますわ」

 アリツェは苦笑を浮かべつつドミニクをたしなめ、すぐさま念話でペスに精霊術行使の指示を送った。

 ペスから放たれた霊素により、アリツェとドミニクの周囲にぼんやりと赤い空気の膜ができ、急速に体感温度が上がっていった。やがて、快適な気温に達したところで安定する。

「こいつはいいね!」

 ドミニクが感心したように声を上げた。

「ありがとうございますわ」

 精霊術を褒められ、アリツェも自然と笑みがこぼれた。

「しかし、こうやって今後も空から戦うような機会があるのなら、ボクも自由に動けるような方法を何か見つけないとかな?」

 アリツェの腰に抱き着いていなければ、ドミニクは落下してしまう。両手がふさがってしまうので、飛行状態でドミニクのできることといえば、アリツェの相談相手を務めるくらいしかない。

「もう一匹使い魔を操れるようになれば、ドミニクにも翼をつけて差し上げられると思うのですが……」

 さらに別の使い魔を背嚢へ忍ばせ、風の精霊術を施し翼を生成できれば、ドミニクもある程度自由に行動がとれるようになるはずだった。

「それまではこうして、アリツェにしがみついているしかないか。役得だから、うれしいと言えばうれしいけれど」

 おどけた調子でドミニクは笑った。

「うふふ、わたくしもうれしいですわ。だから、ドミニクが気に病む必要はございませんのよ」

 アリツェもこうしてドミニクに抱きしめられているのは心地が良い。いつまでもこのままでいられたらいいなとも思う。なので、戦闘に直接参加をできないからといって、ドミニクに引け目を感じられても困る。

「そういってもらえると、すごく助かるよ」

 ドミニクは安堵したような声で答えた。

 おしゃべりをしつつ景色も楽しみながら、アリツェたちは二時間ほどの空の旅を満喫した。霊素残量が心許なくなってきたところで、眼前にオーミュッツの街が見えてくる。

「オーミュッツが見えてきましたわ。少し買い物をして、陣地に戻りましょうか」

 アリツェはそう告げると、滑空しながら少しずつ高度を下げた。

「そうだね。それにしても、空の旅だとあっという間だね。馬よりも圧倒的に早いじゃないか」

 予想以上の移動速度に、ドミニクは感服しているようだ。

「空ですと障害物もないですし、一直線に目的地に行けますから。ただ、霊素消費が大きいので、オーミュッツよりもさらに遠い場所まで行こうとなると、往復は難しいですわね」

 移動速度自体馬よりも相当に速いし、路面状況に左右されないため、一定の速度を保てるのも大きい。ただ、難点は霊素の燃費が非常に悪いところだった。近場を高速で移動するのには向いている。だが、遠距離の移動には、途中の霊素の回復休憩なども含めれば、あまり効率がいいとは言えなかった。

「そうか、それは残念だね」

「ただ、こうして霊素消費の多い精霊術を積極的に使えば、わたくしの霊素の最大量もどんどんと増していくはずですわ。今後のためにも、わたくし自身の成長を図れるので、空のお散歩は今後も定期的に行いましょう」

 燃費が悪いということは、それだけ、使えば使うほど精霊使いとしての熟練度が増しやすい。安全に精霊術関連の能力を伸ばすためには、飛行術はある意味で最適とも言えた。他の大規模精霊術で熟練度の成長を図ろうとすれば、突風やら洪水、大地震を引き起こしたりなどで、地形に悪影響を及ぼしかねない。

 このまま定期的に飛行術を繰り返し、霊素が才能限界値近くまで伸びれば、今の倍の時間は飛んでいられるはずだった。そこまで飛べるようになれば、使い道も格段に増えるだろう。

「おー、それは楽しみだね」

「うふふ」

 アリツェはドミニクの期待に応えられるように頑張ろうと、心に誓った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

嘘つきと言われた聖女は自国に戻る

七辻ゆゆ
ファンタジー
必要とされなくなってしまったなら、仕方がありません。 民のために選ぶ道はもう、一つしかなかったのです。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

《完結》転生令嬢の甘い?異世界スローライフ ~神の遣いのもふもふを添えて~

芽生 (メイ)
ファンタジー
ガタガタと揺れる馬車の中、天海ハルは目を覚ます。 案ずるメイドに頭の中の記憶を頼りに会話を続けるハルだが 思うのはただ一つ 「これが異世界転生ならば詰んでいるのでは?」 そう、ハルが転生したエレノア・コールマンは既に断罪後だったのだ。 エレノアが向かう先は正道院、膨大な魔力があるにもかかわらず 攻撃魔法は封じられたエレノアが使えるのは生活魔法のみ。 そんなエレノアだが、正道院に来てあることに気付く。 自給自足で野菜やハーブ、畑を耕し、限られた人々と接する これは異世界におけるスローライフが出来る? 希望を抱き始めたエレノアに突然現れたのはふわふわもふもふの狐。 だが、メイドが言うにはこれは神の使い、聖女の証? もふもふと共に過ごすエレノアのお菓子作りと異世界スローライフ! ※場所が正道院で女性中心のお話です ※小説家になろう! カクヨムにも掲載中

巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!

あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!? 資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。 そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。 どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。 「私、ガンバる!」 だったら私は帰してもらえない?ダメ? 聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。 スローライフまでは到達しなかったよ……。 緩いざまああり。 注意 いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

もういらないと言われたので隣国で聖女やります。

ゆーぞー
ファンタジー
孤児院出身のアリスは5歳の時に天女様の加護があることがわかり、王都で聖女をしていた。 しかし国王が崩御したため、国外追放されてしまう。 しかし隣国で聖女をやることになり、アリスは幸せを掴んでいく。

追放された聖女の悠々自適な側室ライフ

白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」 平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。 そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。 そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。 「王太子殿下の仰せに従います」 (やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや) 表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。 今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。 マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃 聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

処理中です...