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第八章 皇帝親征
17 二つの影
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帝国軍陣地への帰路の足取りは重い。ミアを胸に抱きながら、ラディムはとぼとぼと歩いた。
「はぁ、無駄足に終わったな……」
自然とため息が漏れる。
(そんなに落ち込まない、落ち込まない)
優里菜は明るい声で励ました。
「でもなぁ、優里菜。陛下がいつ作戦行動に移るかわからない以上、早めに済ませたい」
両軍が実際にぶつかり合うまで、どれほどの猶予があるかがわからない。戦端が開かれれば、辺境伯家への潜入は絶望的だ。
『ご主人様、ちょっと待つにゃ! 誰かいるにゃ!』
ミアがびくっと体を震わせ、念話で警告を発した。
「何者だ!」
ミアの視線の先に黒い塊を二つ見つけ、ラディムは叫んだ。
「お、お待ちになってくださいませ。怪しいものではありませんわ」
黒い塊――女性が、慌てたように弁明する。声からして、年若い少女のようだ。
「驚かせてすまない。ただの旅人さ。王都からやっとオーミュッツに着いたと思ったら、戦争がはじまりそうじゃないか。街の中に入ってよいものか迷っていたところなんだ」
もう一つの黒い影――若い男が争うつもりはないと示すように、両手を挙げて近づいてきた。
ラディムは念のため、警戒は緩めない。懐にしまっている爆薬の小石を握り締めて用心をした。いつでも生命力を注ぎ込んで、相手に投げつけられるようにと。
「……で、私に何か用なのか?」
ラディムは鋭く二人組をにらみつけた。
「あの……、失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
おずおずと少女が尋ねた。
「なぜ見ず知らずの者に、名乗らなければならない」
突然のぶしつけな頼みに、ラディムはむっとした。失礼な少女だと思い、自然と語気を強める。
「いえ、あなた様がわたくしの知り合いにそっくりでして。何か関係がおありになるのかと」
ラディムは威圧したつもりだったが、少女は思いのほか気が強いのか、動じた様子は見えなかった。
「であれば、まず、そちらから名乗るのが筋では?」
自分からは名乗らずに相手の名だけを聞くなんて、無作法にもほどがあるだろう。ラディムは不機嫌さを隠さず、少女をたしなめた。
「あっ! そうですわね。わたくしったらうっかり……。わたくし、フェイシア王国子爵マルティン・プリンツが一子、アリツェ・プリンツォヴァと申しますわ。今はこうして、精霊教の伝道師見習いとして旅をしておりますの」
少女は驚いたようにはっと手の平を口元にあて、すぐに自己紹介をすると、深々と一礼した。
「アリツェ……プリンツォヴァ、だと?」
名を聞いてラディムは目を丸くした。
プリンツォヴァ……、辺境伯家と同じ家名だった。フェイシア王国の子爵級の貴族まではさすがに把握していなかったので、このアリツェと名乗る少女の家と辺境伯家がどのような関係にあるか、ラディムにはわからない。
だが、まったくの無関係ということはないだろう。わざわざこの地にまで赴いている事実を考えても。
「私はアリツェの護衛兼指導役の、精霊教伝道師ドミニク・ヴェチェレクといいます。以後お見知りおきを」
ドミニクは丁寧に一礼した。
ラディムはちらりとドミニクの腰に目を遣る。長剣をぶら下げているが、豪華な金の細工が施された鞘が妙に不釣り合いで、目を引かれる。聖職者の癖に長剣を扱うのかと、ラディムは訝しんだ。
ドミニクの慇懃な態度が、かえってラディムの心に不信感を植え付ける。用心した方がよさそうだ。
「お前どこかで……、いや、精霊教関係者に知り合いはいないか」
しかも、なぜだか知らないが、どこかで見たことがある気がする。いったいどこだったか……。皇宮か?
だが、ドミニクは精霊教伝道師と自己紹介をした。顔見知りのはずがない。精霊教関係者が、皇宮に入れるわけがないからだ。
「はぁ、無駄足に終わったな……」
自然とため息が漏れる。
(そんなに落ち込まない、落ち込まない)
優里菜は明るい声で励ました。
「でもなぁ、優里菜。陛下がいつ作戦行動に移るかわからない以上、早めに済ませたい」
両軍が実際にぶつかり合うまで、どれほどの猶予があるかがわからない。戦端が開かれれば、辺境伯家への潜入は絶望的だ。
『ご主人様、ちょっと待つにゃ! 誰かいるにゃ!』
ミアがびくっと体を震わせ、念話で警告を発した。
「何者だ!」
ミアの視線の先に黒い塊を二つ見つけ、ラディムは叫んだ。
「お、お待ちになってくださいませ。怪しいものではありませんわ」
黒い塊――女性が、慌てたように弁明する。声からして、年若い少女のようだ。
「驚かせてすまない。ただの旅人さ。王都からやっとオーミュッツに着いたと思ったら、戦争がはじまりそうじゃないか。街の中に入ってよいものか迷っていたところなんだ」
もう一つの黒い影――若い男が争うつもりはないと示すように、両手を挙げて近づいてきた。
ラディムは念のため、警戒は緩めない。懐にしまっている爆薬の小石を握り締めて用心をした。いつでも生命力を注ぎ込んで、相手に投げつけられるようにと。
「……で、私に何か用なのか?」
ラディムは鋭く二人組をにらみつけた。
「あの……、失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
おずおずと少女が尋ねた。
「なぜ見ず知らずの者に、名乗らなければならない」
突然のぶしつけな頼みに、ラディムはむっとした。失礼な少女だと思い、自然と語気を強める。
「いえ、あなた様がわたくしの知り合いにそっくりでして。何か関係がおありになるのかと」
ラディムは威圧したつもりだったが、少女は思いのほか気が強いのか、動じた様子は見えなかった。
「であれば、まず、そちらから名乗るのが筋では?」
自分からは名乗らずに相手の名だけを聞くなんて、無作法にもほどがあるだろう。ラディムは不機嫌さを隠さず、少女をたしなめた。
「あっ! そうですわね。わたくしったらうっかり……。わたくし、フェイシア王国子爵マルティン・プリンツが一子、アリツェ・プリンツォヴァと申しますわ。今はこうして、精霊教の伝道師見習いとして旅をしておりますの」
少女は驚いたようにはっと手の平を口元にあて、すぐに自己紹介をすると、深々と一礼した。
「アリツェ……プリンツォヴァ、だと?」
名を聞いてラディムは目を丸くした。
プリンツォヴァ……、辺境伯家と同じ家名だった。フェイシア王国の子爵級の貴族まではさすがに把握していなかったので、このアリツェと名乗る少女の家と辺境伯家がどのような関係にあるか、ラディムにはわからない。
だが、まったくの無関係ということはないだろう。わざわざこの地にまで赴いている事実を考えても。
「私はアリツェの護衛兼指導役の、精霊教伝道師ドミニク・ヴェチェレクといいます。以後お見知りおきを」
ドミニクは丁寧に一礼した。
ラディムはちらりとドミニクの腰に目を遣る。長剣をぶら下げているが、豪華な金の細工が施された鞘が妙に不釣り合いで、目を引かれる。聖職者の癖に長剣を扱うのかと、ラディムは訝しんだ。
ドミニクの慇懃な態度が、かえってラディムの心に不信感を植え付ける。用心した方がよさそうだ。
「お前どこかで……、いや、精霊教関係者に知り合いはいないか」
しかも、なぜだか知らないが、どこかで見たことがある気がする。いったいどこだったか……。皇宮か?
だが、ドミニクは精霊教伝道師と自己紹介をした。顔見知りのはずがない。精霊教関係者が、皇宮に入れるわけがないからだ。
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