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第八章 皇帝親征
2 汚物は消毒ですね!
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日課のマリエとの魔術研究――。
マリエの誕生日まであと一週間。二人で研究ができるのも、残りわずかだ。別れの時が刻一刻と近づいている。交わす言葉も、自然と少なくなっていた。
「……マリエ」
ラディムの問いかけに、マリエは顔を少し上げ、視線を向けてきた。
「プラガへの出発は、準成人を迎えた翌週だったか?」
「はい、殿下。今は旅の準備の最終確認をしているところです」
「そう、か……」
ラディムはまだ、マリエに伝えていなかった。ラディム自身が侵攻軍に従軍する事実を。
「実はな、私も従軍するんだよ、侵攻軍に」
「え!?」
マリエは椅子から滑り落ちそうになった。よほど驚いたらしい。
「あぁ、そんなに不安がらないでくれ。騎士の軍務としてついていくわけではない。私の魔術の腕を見込んでの話のようだ」
ラディムは努めてにこやかに、マリエの懸念を取り除こうと微笑んだ。
「そうですか……。では殿下に危険は及ばないんですね?」
心配そうな表情をマリエは浮かべている。
「そこまではわからん。戦争だからな、後方部隊が狙われる事態も考えられよう」
マリエの表情は一気に青ざめた。
戦争だ、絶対はない。ベルナルドの評価では、戦力的に負けはまずありえないと言っていたが、相手には精霊教徒がついている。精霊術を駆使してかく乱されでもしたら、何が起こるかわからない。相手の遊撃部隊が、こちらの後方部隊を狙う危険性は高いだろう。
「しかし、まだ殿下は十二歳ですよ? いくら皇族とはいえ、初陣が早くありませんか?」
強い口調でマリエは抗議の声を上げる。
「辺境伯家は精霊教が強い。精霊術に対する切り札として、魔術を欲しているのだ、陛下は」
ベルナルドとの会話の中の節々で感じた、魔術に対する期待感。わざわざギーゼブレヒト家の伝統を破ってまで、ラディムを魔術の研究に従事させた意図。
考えるまでもない、ベルナルドはラディムの魔術を奥の手、隠し玉として活用したいのだ。なにしろ、世界再生教会が、精霊教で言う『精霊術』――実際は『魔術』だが――を研究しているなど、精霊教徒たちはまだ知らないはずだ。辺境伯軍も、帝国側が『精霊術』を全く使えないことを前提に行動してくるだろう。なにしろ、帝国内の精霊教徒は皆、追放されているのだから。
そういった観点で見ると、ラディムの『魔術』は、今回の侵攻作戦で絶大な戦略的利用価値があった。
「しかし、何も殿下が……」
マリエはいまだに不満顔を浮かべている。
「しかたがないだろう。『生命力』持ちは結局、私たち同年代の子供しかいない。であるならば、皇族の責任を持つ私が従軍するのが筋というものだ」
マリエも含めた民間人の子供に任せられる問題ではなかった。
「それに、私はプリンツ辺境伯家の一族でもあるからな……」
「身内で争うなんて、ひどいです!」
ラディムが自虐気味につぶやくと、マリエはテーブルを叩き、語気を強めた。
「それが貴族、王族というものだ。なんともバカバカしいがな」
自分一人の意志ではどうにもできないしがらみが多すぎるのが、権力者というものだ。皇族という何不自由ない生活が保障されている身としては、甘んじて受け入れねばならない枷だとラディムは思う。
ただ、ラディムは赤子の時に辺境伯家から出されている。血縁という意識もほとんどない。母からも常々、辺境伯家に対する当てこすりを聞いてきた。戦うことにそれほど抵抗感はなかった。
「私の双肩には、あまたの帝国臣民の命がかかっている。私の感傷だけで物事は決められないよ。それに、打倒精霊教は、私の宿願でもあるんだ。望むところさ」
精霊教に情けをかけてはいけない。準成人の儀の場で誓ったように、ラディムは帝国臣民のために戦わなければいけなかった。
「帝国を、そして、世界を護るためにも、プリンツ辺境伯家には滅亡してもらわなければいけない。辺境伯家の領民を、邪教の洗脳から救い出すんだ!」
ラディムは立ち上がり、こぶしを強く握りしめた。
ラディムの強い決意にマリエも心打たれたのか、先ほどまで浮かべていた不満げな表情を消していた。
「殿下による世直しの物語の始まり、ですか?」
マリエの言葉に、ラディムは「ああ、そうだ」と力強く答える。
「では、私もプラガの街で、少しでも多くの精霊教徒を正しい道に戻せるよう努力します!」
マリエも立ち上がると、ラディム同様にこぶしをぎゅっと握りしめた。
「誤った妄想で世を乱す精霊教は邪教そのものです。私も、殿下に倣い、精霊教を根絶すべく命を懸けます!」
マリエは目をぎらぎらと輝かせながら宣言した。
「ありがとう、マリエ。君の力も加われば、私たちに負けはない!」
握りしめられているマリエのこぶしに、ラディムは自分の手のひらを重ねて握った。
「はい、殿下! 汚物は消毒ですね!」
ラディムとマリエは頷きあった。
マリエの誕生日まであと一週間。二人で研究ができるのも、残りわずかだ。別れの時が刻一刻と近づいている。交わす言葉も、自然と少なくなっていた。
「……マリエ」
ラディムの問いかけに、マリエは顔を少し上げ、視線を向けてきた。
「プラガへの出発は、準成人を迎えた翌週だったか?」
「はい、殿下。今は旅の準備の最終確認をしているところです」
「そう、か……」
ラディムはまだ、マリエに伝えていなかった。ラディム自身が侵攻軍に従軍する事実を。
「実はな、私も従軍するんだよ、侵攻軍に」
「え!?」
マリエは椅子から滑り落ちそうになった。よほど驚いたらしい。
「あぁ、そんなに不安がらないでくれ。騎士の軍務としてついていくわけではない。私の魔術の腕を見込んでの話のようだ」
ラディムは努めてにこやかに、マリエの懸念を取り除こうと微笑んだ。
「そうですか……。では殿下に危険は及ばないんですね?」
心配そうな表情をマリエは浮かべている。
「そこまではわからん。戦争だからな、後方部隊が狙われる事態も考えられよう」
マリエの表情は一気に青ざめた。
戦争だ、絶対はない。ベルナルドの評価では、戦力的に負けはまずありえないと言っていたが、相手には精霊教徒がついている。精霊術を駆使してかく乱されでもしたら、何が起こるかわからない。相手の遊撃部隊が、こちらの後方部隊を狙う危険性は高いだろう。
「しかし、まだ殿下は十二歳ですよ? いくら皇族とはいえ、初陣が早くありませんか?」
強い口調でマリエは抗議の声を上げる。
「辺境伯家は精霊教が強い。精霊術に対する切り札として、魔術を欲しているのだ、陛下は」
ベルナルドとの会話の中の節々で感じた、魔術に対する期待感。わざわざギーゼブレヒト家の伝統を破ってまで、ラディムを魔術の研究に従事させた意図。
考えるまでもない、ベルナルドはラディムの魔術を奥の手、隠し玉として活用したいのだ。なにしろ、世界再生教会が、精霊教で言う『精霊術』――実際は『魔術』だが――を研究しているなど、精霊教徒たちはまだ知らないはずだ。辺境伯軍も、帝国側が『精霊術』を全く使えないことを前提に行動してくるだろう。なにしろ、帝国内の精霊教徒は皆、追放されているのだから。
そういった観点で見ると、ラディムの『魔術』は、今回の侵攻作戦で絶大な戦略的利用価値があった。
「しかし、何も殿下が……」
マリエはいまだに不満顔を浮かべている。
「しかたがないだろう。『生命力』持ちは結局、私たち同年代の子供しかいない。であるならば、皇族の責任を持つ私が従軍するのが筋というものだ」
マリエも含めた民間人の子供に任せられる問題ではなかった。
「それに、私はプリンツ辺境伯家の一族でもあるからな……」
「身内で争うなんて、ひどいです!」
ラディムが自虐気味につぶやくと、マリエはテーブルを叩き、語気を強めた。
「それが貴族、王族というものだ。なんともバカバカしいがな」
自分一人の意志ではどうにもできないしがらみが多すぎるのが、権力者というものだ。皇族という何不自由ない生活が保障されている身としては、甘んじて受け入れねばならない枷だとラディムは思う。
ただ、ラディムは赤子の時に辺境伯家から出されている。血縁という意識もほとんどない。母からも常々、辺境伯家に対する当てこすりを聞いてきた。戦うことにそれほど抵抗感はなかった。
「私の双肩には、あまたの帝国臣民の命がかかっている。私の感傷だけで物事は決められないよ。それに、打倒精霊教は、私の宿願でもあるんだ。望むところさ」
精霊教に情けをかけてはいけない。準成人の儀の場で誓ったように、ラディムは帝国臣民のために戦わなければいけなかった。
「帝国を、そして、世界を護るためにも、プリンツ辺境伯家には滅亡してもらわなければいけない。辺境伯家の領民を、邪教の洗脳から救い出すんだ!」
ラディムは立ち上がり、こぶしを強く握りしめた。
ラディムの強い決意にマリエも心打たれたのか、先ほどまで浮かべていた不満げな表情を消していた。
「殿下による世直しの物語の始まり、ですか?」
マリエの言葉に、ラディムは「ああ、そうだ」と力強く答える。
「では、私もプラガの街で、少しでも多くの精霊教徒を正しい道に戻せるよう努力します!」
マリエも立ち上がると、ラディム同様にこぶしをぎゅっと握りしめた。
「誤った妄想で世を乱す精霊教は邪教そのものです。私も、殿下に倣い、精霊教を根絶すべく命を懸けます!」
マリエは目をぎらぎらと輝かせながら宣言した。
「ありがとう、マリエ。君の力も加われば、私たちに負けはない!」
握りしめられているマリエのこぶしに、ラディムは自分の手のひらを重ねて握った。
「はい、殿下! 汚物は消毒ですね!」
ラディムとマリエは頷きあった。
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