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第四章 開かれた新たな世界

5 二人旅ですわ

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「男爵領は、どうやら落ち着いている感じだね」

 森を抜け、男爵領内に入った。

 あれから領軍の追跡はぴたりと止まり、ようやくのんびりと行軍ができるようになった。

 アリツェ――森を抜けたところで朝を迎え、昼モードになった――は街道を歩きながら周囲を見回す。

 一面農地が広がり、早朝から農作業に入っている農夫がちらほらと目に入った。とりあえず、表面上は日常の風景といった感じだった。

「もう少し行けば少し大きめの街があるはずだ。そこでしっかり休もう」

 男爵領の第二の街があるらしい。その規模の街であるならば、きちんとした宿もあるだろうし、買い物もできるはずだ。

「助かりました。霊素をだいぶ使ったので、消耗がかなり激しいですわ」

 逃走にほぼ空になるまで霊素を絞り出した。疲労で、少し頭がぼんやりする。

 切り替わった悠太は、今完全に沈黙していた。

「宿を取って、今日は丸一日休息に当てようか。アリツェの精霊術が頼りの部分もあるし。霊素を完全に回復させてから出発した方がいいよね」

 強がってみせる気力も出ないほどに、アリツェは疲労していた。ドミニクの提案に、反対することなくうなずいた。

「では、わたくし、今日一日はしっかりと養生させていただきますわ。もろもろのことは、ドミニク様、よろしくお願いいたしますわ」

 回復に専念する以上は、買い物はドミニクに任せざるを得なかった。

 歩き回っていては、霊素の自然回復が遅くなるばかりなのだから。

「でも、これではどちらが見習いかわからないですわね。すみません、生意気な態度になってしまいまして」

 ただ、同時に心苦しくもあった。

 完全休養に充てるのが一番効率がいいとは頭でわかっていても、ドミニクに良い姿を見せたい、役に立ちたいという気持ちもあり、アリツェは少し複雑な心境だった。

「気にしない気にしない。アリツェのほうが実力が上なのは事実だし。適材適所、かな」

「そういっていただけると、助かりますわ」

 ドミニクの言葉に安堵すると、素直に任せることにした。

「ゆっくり、休んでほしい」

 ドミニクはアリツェの頭をやさしく撫でた。アリツェは目をつぶり、されるがままになる。

「街ではペスをお付けいたします。危険が及べば、ペスを通じて、わたくしのもとに知らせが来ますから」

 しばらくドミニクの感触を楽しんだアリツェは、名残惜しい気持ちはあるものの、目を開き、ドミニクに提案した。

 万が一世界再生教なりの襲撃があっても、ペスが同行している限りは、ペスが念話ですぐ知らせてくれる。小さな街の広さ程度であれば、念話が通じなくなることもない。

「わかった。ペス、よろしく!」

 ドミニクは頷くと、ペスに声をかけた。ペスは一声吠えると、元気に応じた。






「さて、買い物も済ませましたわね」

 夜、男爵領第二の街の宿の一室。

 ドミニクは街で買い込んだ食料などを、バックパックに詰めなおしている。

 悠太――夜モードだ――もしっかり休息が取れ、頭は大分鮮明になっていた。

「これからの旅の道筋を、どうするかですわね」

 男爵領から西方面には街道がいくつか分かれている。通る道を選ばねばならない。

「うん。最終目的地は、王国の西の端、プリンツ辺境伯領だ。ただ、そこまで行くのには、いくつかのルートが考えられるね」

 ドミニクは、次の三つのルートを示した。

一.王国中央の王都を通るコース

二.辺境伯領まで最短の、王国北部の街道を抜けるコース

三.人目を避けられる、南部の山岳コース

「僕としては王都経由のルートがおすすめかな」

「なぜですの?」

 ドミニクを信用はしているが、かといって、決めるにしてもしっかりと理由を確認し自分自身で納得をしなければだめだろう、と悠太はドミニクに問うた。

「まず、山岳コースは追っ手からの安全は保障されるけれど、そもそもかなりの体力がないと山岳地帯を抜けられない。十二歳のアリツェには、精霊術があるとはいえ正直厳しいかな」

 確かに今のアリツェの短い手足では、登攀は厳しいかもしれなかった。体が軽いという利点はあっても、だ。

 鳩のルゥか馬のラースがいれば精霊術で飛行することも考えられるが、ペスではそれも難しい。確かに、積極的に選ぶコースではなかった。

「最短コースの北部ルートだけれど、道中、大きな街がほとんどないんだ。物資の補給や情報収集に、少し影響が出るかもしれない」

 男爵領は王国の北東部に位置している。西端の辺境伯領までは、中央からやや南部寄りにあたる王都を回るよりは、北部の街道を通る方が少し距離が短い。

 ただ、ドミニクが言うには、旅人の寄れるような大きな街がないようだ。

「なぜ、北部は大きな街がありませんの?」

 街道が通っているのだ。まったく旅人が通らないわけはない。大きな街の一つや二つ、あってもおかしくはない、と悠太は思った。

「一応、あるにはあるんだ。ただ。運が悪いことに、大きな街のある領が、よりにもよって世界再生教の王国総本山なんだよね……」

「あ、それは却下ですわね。やめましょう」

 ドミニクの答えに、悠太は即座に北部コースをあきらめた。危険すぎるコースだった。

「それで、僕としては王都経由をお勧めしたんだ。王都にはフェイシア王国の精霊教総本山があるし。今後安全に旅を続けていくためにも、いったんそこに支援を求めたほうがいいと思うよ」

 聞けば納得、確かに王都経由が一番無難なようだった。

「アリツェの『霊素』保有量の高さは、王都の教会の大司教の耳にも届いているはずだよ。君の重要性は、教会全体としても関心ごとになっている。おそらく、大司教も、アリツェ本人に会いたがっているはずだよ」

 ドミニクの説明に、悠太は面倒だと思い少し顔をしかめた。

「わたくしとしては、あまり地位の高い方とお会いするのは気が引けますわ。元貴族とはいえ、外には出なかったものですから社交は苦手なのです。精霊教布教は、わたくしも望むところなので、広告塔として利用したいというのであれば、協力することは吝かではないのですが……」

 マルティン子爵に屋敷に押し込められていたアリツェは、社交のマナーなども最低限教えられただけで、今までそういった場で実践をしたことがなかった。当然、悠太もそのような経験がない。『精霊たちの憂鬱』時代を含めても。それに――。

「何か、気になることでも?」

「権力闘争に巻き込まれるのは、困るのです。実は一つ、別に大きな目標がありまして、その実現にはかなりの準備期間を要するのですわ」

 一番心配をしている点だった。貴族などの権力争いに巻き込まれるつもりは、毛頭なかった。

「余計な騒動で望まぬ時間を浪費する事態は、避けたいのですわ」

 権力者との面会は、争いに巻き込まれる危険性を大きく押し上げてしまうものだ。避けられるものなら避けたかった。

 交渉術に長けた経験豊富な人間なら、逆にこういった権力者にうまく取り入り、自分の希望を押し通すこともできるのだろうが、悠太には無理だ。横見悠太の記憶も、世間知らずの十八歳の少年。アリツェの記憶に至っては、十二歳の少女だ。権力者にいいように操られるのが、悠太自身にも想像がつく。

「ふむ……。たしかに大司教と面会となれば、権力関係のごたごたに巻き込まれる危険性はあるね……」

「申し訳ございませんわ、せっかくの提案ですのに」

 良かれと思ってドミニクは提案してくれたのだ。断るのは悠太としても少し心苦しかった。

「いやー、気にしないで。ただ、教会への助力嘆願以外にも、王都に寄るメリットがあるかなって思っていたので、どうしたものかと」

「と、言いますと?」

 他に何かあるのだろうか、と悠太は思う。

「プリンツ辺境伯領の件だよ。アリツェは辺境伯領の情報、まったく持っていないよね。であれば、王国中の情報が集まる王都で辺境伯領の情報収取をするのがいいかなと、そう思ったんだ。目的地に行く前に多少でも情報があった方が、何かと心構えもできるだろうし」

 言われてみれば確かに、今、悠太の知る辺境伯領の情報はマルティンとマリエの会話を盗み聞きした内容だけだった。

 世界再生教側のみの、偏った情報の可能性もある。

 実はマルティンやマリエが把握している情報が、辺境伯領内の精霊教会や辺境伯家が、何らかの思惑で流した誤報という可能性もないとは言えない。

 王国中から情報が集まるという王都であれば、立場の違う側から見た同様の情報を各々比較して、より正確な判断を下せる可能性は高い。

「そう、ですわね……。悩ましいですわ」

 悠太は悩んだ。

 情報を得るか、それとも、教会――大司教を避け権力闘争に巻き込まれる危険性を排除するか。

「王都に寄る以上、教会を無視して情報収集だけという訳にもいかない。そもそも、情報を集めるのであれば教会で聞くのが一番早いはずなんだ。その教会を避けるのであれば、収集の効率はかなり下がると言わざるを得ない」

 大司教に接触をせず情報はきっちり得る。この選択肢は、どうやら難しいもののようだった。で、あるならば――。

「覚悟して大司教に会いましょうか。辺境伯領の情報、欲しいですわ」

 不確かな危険性を恐れて得られる情報を逃すのは間違っているだろう、と悠太は思った。

「アリツェの懸念も心にとめておきます。大司教がアリツェを権力争いに利用しようとするそぶりを見せたなら、僕が、絶対に頑張って守ります」

「でも、いち伝道師が大司教に逆らったら大変ですわ」

 こぶしを強く握りしめて力説するドミニクだったが、悠太は少し不安だった。

 教会ヒエラルキーの埒外に当たる伝道師だ。組織としては、神官の一つ上、司祭と同程度の権力しか持っていない。王国教会最高権力者ともいえる大司教に、果たして逆らえるのか。

 悠太のためを思ってドミニクが教会から不利益を受ける事態は、当然望んでいない。

「気にしないでほしいな。少しの間だけれどもアリツェと旅をして、君のことを気に入ってしまったんだ。ぜひ、君の力になりたい。僕に、頼ってほしいんだ」

「い、いやですわ。わたくしを口説くおつもりですの?」

 アリツェのためにと洞穴密着作戦を実行したが、効果が効きすぎてしまったのだろうか、と悠太は内心かなり焦った。

「あ、いや、そんなつもりは……。精霊使いとして尊敬しているから、と。そういうことにしてもらえないかな?」

「わかりましたわ。お気持ち、ありがとうございますわ」

 とりあえず、悠太自身の精神安定のためにも、そういうことにしておいた。
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