わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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第三章 生い立ちの秘密

5 謎の訪問者ですわ

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 アリツェは何度か変装の練習をして、光の精霊術に体を慣らした。

 そろそろ行動に移せるかな、とアリツェが思い始めた頃、不意にペスが低いうなり声をあげ、周囲を警戒しだした。

「ペス、どうかしましたか?」

『ご主人、何者かがこの家に近づいてきているワンッ!』

 アリツェは驚き、慌てて自らに変装を施した。

 アリツェの容姿は手配書でグリューン中に知れ渡っている。ありのままの姿をさらしては危険だった。

「不在のはずのエマ様の家に、来訪者ですか? 怪しすぎますわね……」

 やがて扉のノブを回す音が聞こえてきた。だが、アリツェがカギをかけているため扉は開かない。

 すると、今度は静かに『コンコンッ』と、ノックをする音が聞こえた。

 アリツェは警戒をし、返事は返さない。相手がわからない以上、このまま居留守をとおすべきだと判断した。

 繰り返しノックの音が聞こえたが無視した。ノックは十回くらい続いただろうか。しつこかった。

 相手はやがてあきらめたのか、ノックの音は止まった。

 と、思ったのだが――。

 今度は激しく『ガンガンッ』と、大きな音で扉を叩きだした。これでは周囲にも叩く音が聞こえる。この家が不用意に目立ってしまう。

 このまま無視を決め込んでも具合が悪いと思ったアリツェは、あきらめて対応に出ることにした。

「どちら様ですか?」

「こちら、エマさんのお宅ですよね? こちらにアリツェさんというかたが、いらっしゃると思うのですが……」

 相手はピンポイントに、この家にアリツェがいると確信して来訪している。何者かはわからなかったが、怪しすぎるにもほどがあった。

 若い男の声だったが、アリツェには全く聞き覚えがない。アリツェの知人の訪問という線もなかった。

「もしかして、あなたがアリツェさんですか?」

 相手の問いに、どう答えたものかアリツェは悩んだ。

 敵か味方かわからない。もしかしたら、エマに頼まれた精霊教の協力者かもしれない。はたまた、子爵家からの使いの恐れもある。

 対応に困ったアリツェが押し黙っていると、外から優しげな声がした。

「ご心配なさらないでください。僕は精霊教の伝道師、ドミニクと言います。司祭の指示でこの街へと戻りました。あなたを助けるように言われています」

「その話、信じるとお思いで?」

 でたらめの作り話の可能性もある。警戒は、まだ解けない。

「では、これならいかがでしょうか? 僕がアリツェさんにお会いした際に信用していただけるようにと、エマさんから聞いたお話です」

 ドミニクは、エマとアリツェ、孤児院長しか知らない思い出話を話し出した。アリツェが人さらいから助けられた時の話だ。

 アリツェはこの話を、それ以外の人に話した記憶がなかった。エマも院長も、アリツェに危険が及びかねないこの話を、不用意に他者に漏らしているとは考えにくかった。ドミニクが知っているということは、確かにエマから話を聞いた、ということだろう。

 ならば、ドミニクは精霊教の関係者で間違いはない。

「わかりました、信用させていただきますわ。中へどうぞ」

 鍵を外し扉を開け、ドミニクを家の中へ迎え入れた。

 ドミニクは家に入る際に、一瞬、周囲を警戒した。誰かに見られていないか、確認をしているようだ。

「監視の目はないようですね」

 ドミニクは一つ頷くと、家の中へと入った。

 ……なぜかドミニクはひどく驚いた顔を浮かべていた。

「あの、本当にアリツェさんですよね。その……。僕には、男のかたに見えるのですが……」

 うっかりしていた。商人の偽装をアリツェは慌てて解いた。

「それも精霊術なのですね。腕前はすごいと伺ってはいましたが、いやはや」

 ドミニクは目を丸くしていた。

 アリツェは気を取り直すと、椅子をドミニクに勧め、台所へ行ってお茶の用意をした。

 あまりお茶を入れるのは得意ではなかった――不器用なアリツェだ――が、わざわざ自分を助けるために危険を冒してグリューンに戻ってきたドミニクを、もてなさないわけにもいかないと、アリツェは思った。

「粗茶でございますが」

 アリツェはカップに入れた紅茶を、ドミニクの前に置いた。

「すみません。貴族のご令嬢にこんなことを……」

 すっかり恐縮するドミニクにアリツェは苦笑を浮かべ、
「貴族の地位は捨てました。今はただの、精霊教の見習い伝道師ですわ」
と、返した。

 未熟者として邪険に扱われるのも困るが、かといって、慇懃な対応をされてもかなわない。精霊教の聖職者として考えれば、ドミニクは正式な伝道師なのに対し、アリツェはあくまで見習いだ。聖職者として生きていくと決めたアリツェにとっては、ドミニクのほうが上位者なのだ。

「僕がここへ来た理由を、改めてご説明しますね」

 ドミニクと正対するように、アリツェも椅子に腰かけた。

 ドミニクは年のころは一七、八歳に見える。伝道師としての旅が多いせいか、肌は日に焼けてやや浅黒い。苦労もそれなりにあったのだろう、年の割には精悍な目つきをしていた。ただ、全体としては凛々しいと言ってもいい、とアリツェは感じた。

 つやのある黒髪は、耳の隠れるくらいの長さで切りそろえられ、ややウェーブがかかっている。

 体型にしっかりと合わせた麻の服を着込み、贅肉のない、引き締まった体つきを強調している。普段から体を鍛えているのだとわかる。

 アリツェは話し始めるドミニクの顔を注視した。

「昨晩、精霊教グリューン支部はグリューンから逃げ出して、ヤゲル王国のクラークの街まで逃げのびました。陽動に当たった武装神官も含めて、無事に全信徒がクラーク入りできたと思っていたのですが、調べてみると、あなたがいなかった」

 ドミニクの言葉で、アリツェの懸念の一つが解消された。どうやらアリツェ以外は全員無事のようだ。

 犠牲者が出なかったことに、アリツェは精霊王への感謝の意を心の中でささげた。

「孤児院長トマーシュ殿の話では、東門外で世界再生教の導師の待ち伏せにあったとのこと。しかも、アリツェさんがその場に残り、おとりを買って出た、と」

「はい、あの場でまともに戦えるのは、精霊術が使えるわたくしのみでした。孤児院の子供たちは戦えません。足手まといになりかねないのです。であれば、わたくし一人が残って、殿を務めるべきかと思ったのですわ」

 あの場ではあの決断が最善だったと、アリツェは思っている。

 結果として、アリツェ以外の全員が無事に逃げのびたのだ、判断は正しかったと胸を張れる。

「トマーシュ殿は子供たちを安全なところまで誘導した後、子供たちをエマさんに任せ、自身はアリツェさんの様子を窺いに戻ったそうです」

 危険だったろうに、院長がわざわざ様子を確認しに戻ってくれたと聞き、アリツェは嬉しかった。院長に大切に思われているのだと、実感できた。

 両親からの愛情をもらえなかったアリツェにとっては、身近な人間からの親愛の念は、とても心地の良いものであった。

「ところが、アリツェさんの姿が見当たらない。世界再生教の導師と領兵もいない。地面に戦いの跡はあったので、間違いなく戦闘があったことはわかる。トマーシュ殿は、それで、アリツェさんが領兵たちに捕まったのではないかと、思ったそうです」

 消えた領兵たち、地面には激しい戦闘の跡、クラークに来ないアリツェ。

 出せる結論としては、当然、アリツェの捕縛になるだろう。

「急いでクラークに向かい、司祭に事の次第を説明し、指示を仰いだそうです」

 その時の司祭の慌てぶりは、ものすごいものだったそうですよ、とドミニクは付け加えた。

「アリツェさんはおそらくは精霊教グリューン支部最大の『霊素』の保有者です。しかも、扱い方もうまい。司祭としても、失ってはならない人材だと考えているようでした」

 おそらくでも何でもない。間違いなくアリツェが、支部最大の霊素保有者だ。支部どころか、世界最大の可能性もある。受精卵データ上の霊素の才能限界値は、カンストしていた。いまだ成長途上ではあるけれど、アリツェ以上に霊素の保有量を成長させている人間がいるとは、とても思えなかった。

 可能性があるとすれば、同じ転生者と思われるヤゲル王国の『聖女』くらいだろう。

「そこで、司祭は僕に、あなたをグリューンから助け出してくるよう指示を出したのです。僕の父は、グリューンの街で建築設計の仕事に従事していました。おかげで、街の地下水路の地図を見ることができたのです」

 グリューンの地下には上水道と下水道が網の目のように張り巡らされていると、聞いたことがあった。

 だが、ここでなぜ地下水路の話が出たのだろうか、とアリツェは思う。

「警戒の厳しい南門や北門はつかわず、地下水路経由でこうして街中に侵入しました」

 精霊術を扱えるアリツェですら門の突破をどうするべきかと、妙案が浮かばずに困っていた。いったいどんな経路でドミニクは街に侵入したのだろうと、疑問に思ってはいた。

 まさか地下水路を侵入に使っていようとは、アリツェには考えも及ばなかった。

「街中に入ったはいいけれど、アリツェさんの行方の手がかりがありませんでした。出回っていた手配書から、領館にはもういないのではと考えましたが、確証はない。もう少し情報を集めようと思いました」

 手配書が出回っている事実は確認したものの、その手配書が、街に残った精霊教徒のあぶり出しを目的としている可能性もある。隠れている精霊教徒が、匿う目的で街中を逃げ回っているだろうアリツェを探し出すそぶりを見せたところを、一斉に捕縛するといったように。

 安易に手配書を信用るのは早計だと考えた、とドミニクは言う。

「しばらくこの街に滞在することになりそうでしたので、拠点としてエマさんから紹介されたこの家を利用しようと、こうしてやって来ました。鍵をかけていないから自由に使ってよいと言われていたのですが、いざ来てみると、なぜか鍵がかかっている」

 家主の言う状況とは違っていたんだ。驚いたことだろう。

「もしかして中に誰かがいるのでは? そう考えました。そして、その人物は誰なのかと推測したわけですが、まぁ、今のこの状況では、アリツェさん以外にいないだろうと、そう結論付けて先ほどのようなやり取りとなったわけです」

 なるほど、それでドミニクは家の中にアリツェの存在を確信したのか、と納得した。

「居留守をつかわれるだろうなとは思っていました。少し危険ではありましたが、大きな音を立てればきっと出てきてくれるとにらみ、扉を強く叩かせてもらいました。家の中に隠れていることを周囲に知られたくないでしょうし、騒ぎになることを恐れるだろうと踏んで。本当に、すみません」

 すまなそうに頭を下げるドミニク。

 真摯な態度に、アリツェは好感を持った。

 そして、なぜドミニクがわざわざ騒音を立てたのか、行動の意図もよくわかった。
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