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第三章 生い立ちの秘密

3 疎まれていた理由がわかりましたわ

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 アリツェは衝撃の事実に、大分心の中を痛めつけられた。だが、心の平穏をぎりぎりで保ち、ペスの助力を得つつ、どうにか気付かれずに領館を脱した。

 裏の通用口から建物の外へ出ると、すぐそばの領館の裏門から街中へと出た。

 グリューンの街は、一見して普段とは変わらない落ち着いた様子に見えた。

 昨晩の精霊教徒脱出事件の影響は、表面上は見られない。

「さて、グリューンを脱出するのはいいのですが、このまま街の外へ出ようとしても絶対に門番に止められますわ」

 さすがに検問は厳しくなっているはずだ、とアリツェは思う。農夫などが城壁外の畑を耕すために行う一時外出すら、おそらくは認められないだろう。

(どこか潜伏できる場所を探して、いったん計画を練るべきだな。脱出するにしても、やはり夜だろう)

 悠太の言うとおり、まずは落ち着ける場所を探さなければならなかった。無策では、再び捕らえられるのが関の山だ。

「としますと、どこに逃げ込みましょうか」

(当てはないのか?)

 パッとは思い浮かばなかった。アリツェはこの二年間生活してきたグリューンの街の生活範囲を思い起こし、どこか良い場所はないかと考える。

「そうですわね……。あ、あそこならもしかして」

 考え着いたのは、人さらいに襲われた時にエマが匿ってくれた、裏通りのあの家だ。

 今でもエマが管理しており、あそこなら人の往来の多い大通りからも離れていて、隠れるには好都合だった。

(なるほど、エマの家か。行ってみる価値はありそうだ)

 悠太も文句はないのか、同意した。

「では早速――。ペス、お願いしますわ」

『お任せだワンッ』

 念のためペスに再度臭いと音を消してもらい、人目を避けながらエマの家へと向かった。






(どうにかこうにか領館は脱出できたけれど、いろいろな情報が手に入ったな)

 ペスのおかげで巡回の領兵に見とがめられることもなく、無事にエマの家に侵入した。

 アリツェは椅子に座り、やっと一息付けた。子爵邸内では緊張のしっぱなしだったので、精神的な疲労が濃い。

「そうですわね……。心が痛むお話も、多かったですが」

 そして、精神的な疲労は緊張のせいだけではなかった。

 次々とわかる新事実に、アリツェの心はついていくのがやっとだった。

(ま、そう気落ちするな。というわけで、いったんこれまでの情報を整理しよう)

 悠太に促されるまま、アリツェは得た情報を頭の中で整理しなおした。

 そして、順に口にする。

 言葉にすることでより一層考えが整理されるだろう、との悠太の配慮でもあった。

「わたくしが、お父様……マルティン・プリンツ子爵の実子ではなかった」

(子爵家の本家筋、プリンツ辺境伯家の娘だった。で、実の父親は、先代辺境伯のカレル・プリンツ)

 マルティンの実の娘だと思い込んでいたが、実際は違っていた。子爵邸で生活している間、養子だと気付けるような事件が特段なかったので、アリツェは疑問に思ったことすらなかった。

 それだけに、ショックも大きかった。今までのアイデンティティの一部が、崩壊するかのようだ。

 自分は子爵の一人娘、自分が良い子になれば、きっと両親は愛してくれる。そう考えてずっと過ごしてきた。だが、前提がそもそも誤りだったのだ。

 そして、実の父が、マルティンと険悪な本家筋の辺境伯家の前当主、カレル・プリンツ。

「悠太様のキャラクター名と、同じ名前でいらっしゃいますよね……」

(だよなぁ。これ、どういうことなんだ? 偶然にしちゃできすぎだぞ)

「システム上の父の名と今世の実父の名が、家名を含めて完全一致していますわ」

 偶然の一致にしてはできすぎた事実。転生の処置を行ったとき、ヴァーツラフが何やら、やらかしたのだろうか。

(前辺境伯のカレルが、オレの転生元たるカレルと同一人物のはずはない。これはオレの記憶を見られるアリツェにも、わかるだろう?)

 そう、ありえないのだ。悠太自身、先代辺境伯であるカレルの記憶などは、一切持っていない。

「えぇ……。ただ、無関係だとも言い切れない一致の仕方なのが、気になると言えば気になりますわよね」

 二人の父の名前が同じという点が、アリツェはどうしても気がかりだった。

 根拠はないが、何かがある、と。その思いは、ぬぐい切れなかった。

(オレの転生元は、世界一ともいわれた精霊使いだった。だが、前辺境伯のカレル・プリンツは、システム上の制約もあり、絶対に精霊術は使えなかったはずだ)

「そこで気になるのが、お父様のあの言葉ですわね。前辺境伯は、よくわからない奇妙な力を持っていたと」

 奇妙、というからには、あまり世間では知られていない何らかの能力なのだろうとは推察できる。

 ただ、それが何なのか。わからない。

 直接見たわけでもなし、ただ奇妙というだけの情報では、何とも判断はつかなかった。

(精霊術ではない、何らかの特殊技能……。いったいなんだろうな?)

『精霊たちの憂鬱』プレイ時に、悠太はかなりの数の特殊技能を見てきた。なので、直接前辺境伯の能力を見る機会があれば、判別をつける自信はあった。だが、件の人物はすでに鬼籍に入っている。

 直接見ることが敵わない以上、詳細を知るためには、辺境伯領へ行ってゆかりの人物から話を聞く以外にないだろう。

「それと、前辺境伯は十二年前、わたくしが生まれるころに亡くなっていますわ。わたくしの生れ落ちる前なのか、あとなのか、そこまではわかりませんでしたけれど」

(アリツェの生まれる前に死んでいたとしたら、実は、アリツェの中にさらに前辺境伯の魂までもが転生していましたーとか、ありそうだな)

「荒唐無稽なお話ですわね。冗談としては面白いですわ。現実だったら、三重人格で卒倒しそうですけれど」

 アリツェとしては今の悠太の人格だけでも持て余している。これに、もう一つ人格が加わるなどと言われたら、きっと頭が爆発してしまう、と思った。

(ま、とりあえずは思いつくまま、いろいろな可能性を検討してみよう。意外なところから真実にたどり着く。そういった例は、枚挙にいとまがないぞ)

 一見本筋から外れているような思い付きでも、実は重要な真実を言い当てている場合がある、と悠太は言う。なかなか、深い言葉だった。

「つぎに、子爵家と辺境伯家の関係悪化についてですわね」

 本家と分家という関係の両家。いったいなぜ、関係が悪化したのだろうか。

 アリツェは最初、マルティンからの一方的な敵視が原因と思っていたが、事情は少々複雑だったようだ。

(単に金の問題だけかと思ったけれど、宗教がらみとはねぇ。精霊教を信奉しその信仰を子爵家に強要する辺境伯家と、精霊教を邪教とみなしかたくなに拒否をする子爵家。子爵家は篤く世界再生教を信奉しており、その教会の後ろ盾を得て、辺境伯家と手を切ろうとした)

 悠太が言うには、横見悠太の世界でも、宗教が理由で大規模な戦争が起こる場面は頻繁にあったそうだ。

 宗教は人の心を救うが、しかし、扱いを誤ると非常に厄介なものにもなる。人の心理とは、とかく難しいものだ。

「心の問題では、お金だけで解決できない以上、将来にかなりの禍根を残しますわね。正直、関係改善の糸口が見えませんわ」

(これはもうオレたちの埒外の話だな。いち個人のレベルでどうこうはできないだろう。それこそ、アリツェがどちらかの家の当主になるか、それ以上の権力を持つかしないと、な)

 ただの小娘のアリツェには、現状どうしようもない。それに、精霊教に所属をしているアリツェがこの宗教問題に首を突っ込んだところで、世界再生教徒からは批判を受けるだけだろう。

「権力争いは勘弁してほしいですわ。私は、精霊術の教育普及に一生を捧げるって決めましたもの」

(オレも、この人生は面白おかしく生きたいしなぁ。生々しい権力闘争は、ちょっと……)

 貴族としての道は完全に捨てたアリツェ。一般庶民への精霊教育に将来を見出した以上、いまさら、頼まれたところで貴族に戻る気もなかった。

「それに、確かわたくしたち、ヴァーツラフ様から世界崩壊を防ぐよう、精霊術を広めてほしいって言われていましたわよね」

(それなー。あいつも、ほんといい性格してるよ。オレが反論できない状況になった時に、言い捨てるように頼んでいきやがって。まぁ、オレ自身、この人生を終えるなら寿命を迎えてがいいので、世界崩壊を防ぐことは吝かではないんだが)

 ヴァーツラフの言葉を思い出す。確か、崩壊までのリミットは四十年。

 今は、あの時の会話から十二年が経過しているので、期限までおよそ二十八年だ。

「受けた使命を考えますと、わたくしたち、権力闘争なんてしている時間はありませんわ」

(まったくだ。そういった無駄な時間は、権力をお持ちのやんごとなき方々が浪費すればいいのさ。オレたちは、権力争いに手を出すべきではない)

 一般大衆に広く精霊術の知恵を広め、霊素持ちには適切な精霊術行使の訓練を積ませる。そして、自らは大規模精霊術を定期的に行使することで、大地の地核エネルギーを消費させ、世界崩壊を引き起こしかねない余剰エネルギーを発散させる。

 二十八年では足りないかもしれない。改めて考えると、それほど時間に余裕があるとは思えない。

「手を出したくとも出せない。こうも言えますけれどね。子爵家からは捨てられ、辺境伯家からはすでに養子に出された無関係な子と、わたくしはそう思われているはずですもの」

(そうだなー。たとえ貴族社会に入りたくとも、もう入れないな)

 両家にとって、いらない子扱いのアリツェ。伝道師として活動するには好ましい事実だが、一人の人間としては、少し悲しい。どの家族からも、見向きもしてもらえないということだから。

「あとは、子爵家と世界再生教会との関係ですわね」

(世界再生教会側が辺境伯家の親戚筋としての子爵家の地位を利用したかったのか、それとも、子爵家が辺境伯家に対抗をしたくて、精霊教と敵対する世界再生教会を利用したのか)

 まるで、鶏が先か、卵が先か、みたいな話だなと悠太は言った。

「正直、どちらもありそうな理由ですわね。というよりも、両方とも正しい、が正解なのではないでしょうか。どちらが先に接触を試みようとしたのかは別にしまして」

(お互い利用しあう、持ちつ持たれつの関係ってことか。ズブズブだなー)

 どちらにとっても、互いに欠かせない存在。おそらくそれが真相だと、アリツェは思う。

「王都から派遣されてきたあのマリエという少女。霊素持ちですし、何やら不思議な拘束術を使ってきましたわ。あの年齢で領兵を指揮できるだけの頭脳もあるようですし、世界再生教会でも割と重要な位置づけの人物ではないでしょうか。導師という身分が、何を表しているかまではわかりませんが。そんな人物をこのような片田舎に派遣してきているのです。世界再生教会と子爵家の結びつきは、強固なものなのでしょうね」

 マリエがただの少女だとは思えない。油断はあったとはいえ、経験豊富な悠太を完全に制圧したのだ。将来有望ということで、幹部候補になっていてもおかしくはない。

 それだけの人間を、この子爵家に送り込んできているのだ。関係は相当に深いと、思わざるを得なかった。

(じゃ、ここいらでいったん結論を出そうか。この情報の結果を受けて、今後オレたちがどう行動するか)

 いつまでもエマの家に隠れているわけにはいかない。速やかに次の行動を決めなければならなかった。

「まずは、当初の計画通りグリューンを脱出して、ヤゲル王国へ向かう案ですわ」

(支部の司祭が言っていた『聖女』ってやつ、気になるしなぁ。霊素や精霊術の使い方を聞いていると、オレと同じ転生者のようにも思えるし。であるならば、オレの知り合いの記憶を持って生まれてきている可能性が高い)

 まだこの世界では精霊術の研究がそれほど進んでいないはずなのに、大規模な治療や浄化の力を見せた『聖女』。悠太の言うとおり、転生者の可能性が高そうだとアリツェも思う。

「次に、グリューンを脱出後、プリンツ辺境伯領へ向かう案ですわね」

(辺境伯家が生家だとわかった。自分の詳しいルーツを知るためにも、辺境伯領へ一度出向く価値はある。オレと前辺境伯との関係もそうだし、そもそも、なぜアリツェが養子に出される事態になったのか、この点の疑問もある)

 悠太の言葉に、アリツェはハッとした。気づいていなかった。

「確かにそうですわね。わたくし、なぜ辺境伯家から捨てられることになったのでしょうか」

 辺境伯からの養子の押し付けが、自分が疎まれて生きる直接的な原因となったものだ。理由を知っておくべきだと、確かに思う。

(オレが思うに、聖女を調べる前に、まずは自分のことをもっと知るべきではないかと思うんだ。先にプリンツ辺境伯領へ向かうことを提案するよ)

「わたくしもそちらの案に傾いておりましたわ。辺境伯領であれば、精霊教が強いと聞きます。お父様にわたくしの生存を知られてしまった以上、この子爵領周辺は危険ですし、世界再生教が強い領地も危険です。であるならば、辺境伯領で精霊教会の庇護下に入った方が、安全だと思いますわ」

 自分の立ち位置、確固たるアイデンティティーをしっかりと確立するためにも、ルーツを正確に知る必要がある。大人になる前に自分の過去をすべて知り、きっちりと清算をすべきだと、アリツェは決意した。

(んじゃ、決まりだな。グリューンを脱出して、プリンツ辺境伯領へ向かおう)
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