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第零章 『精霊たちの憂鬱』
1 精霊王の塔を登って栄誉をゲットだぜ!
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「やっと、着いた……」
オレは両ひざに手をつき、つぶやいた。
大きく息を吐いて、ゆっくりと顔を上げる。目に飛び込んできたのは、きらびやかに輝く黄金色の巨大な扉だった。
「ここが、あの精霊王の住処ねっ!」
オレの隣では、ユリナが仁王立ちになり、眼前の扉を鋭くにらみつけている。やや垂れ目気味の可愛らしい大きな目も、今は細められていた。
虚勢を張っているかのような姿は、扉から発せられる威圧感に、必死に抗っているようにも見える。その顔は、普段の透き通るような白から、うっすらと桃色に変化していた。手はきつく握りしめられ、袖をくちゃくちゃにしている。
身につけている胴着と袴は、あちこち擦り切れ、魔獣の返り血で所々赤く染まっていた。背負う薙刀の柄にも、赤黒く乾いた血糊がべっとりと張り付いていた。後頭部でまとめている長い金髪は、激戦の連続で乱れ、ほどけかかっていた。
無理もない。『精霊王の塔』の最上階までの道のりは、過酷としか言いようのないものだった。途中、何度もくじけそうになった。
雑魚の殲滅をほぼ一手に引き受け、小さな身体で薙刀を振り回し続けたユリナの姿は、オレにとっては戦女神のようにも見えた。だが、それほどの奮迅の活躍を見せた見返りに、ユリナは誰よりもボロボロになった。本当に頭が下がる。感謝しかなかった。
オレは、膝から両手を外し、上体を起こした。ユリナの肩に軽く手を添え、顔を向けて軽くうなずいた。ユリナもうなずき返すと、二人一緒に数歩進み、豪華な装飾の施された扉の前に立った。
周囲の壁や床は、長年人の出入りがなかったのか、埃が厚く堆積している。一方で、扉はチリ一つないのではないかと思えるほど、きれいに磨かれていた。窓からわずかに差し込む陽光が、黄金色の表面を照らし、扉の周りだけをうっすらと黄色く染めた。
歩いたことで巻き上がった埃にむせ返りながらも、その扉から目を離せなかった。胸が高まる。全身がじんわりと熱くなる。蓄積された疲労も、いつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。
「しっかし、でっけぇなぁ……」
低く響き渡る男の声に、オレとユリナは振り返った。声の主ゲイルは、埃が立つのを気にもせず、ドシドシと足音を立てながら、オレたちの隣に立った。
ゲイルはぼんやりと、焦点の定まっていないような視線を扉に送っている。大口を開け、「すげえや……」と呟くと、そのまましばらく呆けていた。愛用の片手斧を床に取り落としたのにも、ゲイルは気付いていない。大きな金属音が鳴り響いたにもかかわらず、だ。すっかり、扉に魅入られている。
ゲイルは纏った筋肉の鎧のおかげで、オレと同身長なくせに一回り以上は大きく見える。だが、立ち尽くす今の姿は、扉の威容に圧倒されているかのようだ。蛇に睨まれた蛙、鷹を目にしたウサギとでも言えばいいだろうか。
武骨な戦士ゲイルとは、もう長い付き合いだった。だが、今までゲイルが、これほどまでに無防備な姿をさらけ出している様子を、オレは一度でも見たことはあっただろうか。
それだけ、このクエストが達成困難な代物であったのだと、しみじみと実感していた。
オレが無遠慮に視線を向けていると、ゲイルは気づいたのか、バツが悪そうに苦笑いを浮かべ、「おいおい、あんまり見つめないでくれよ」と、頭を掻いた。
「ほらほら、あんたたち。突っ立っていないで、さっさとキャンプの準備をするわよ」
オレたち三人が扉の前で立ち尽くしていると、背後から細く甲高い声が響いた。
振り返ると、声の主ミリアが、ふくれっ面を浮かべていた。腕を組み、人差し指でトントンとせわしなく二の腕を叩いている。……ご立腹のようだ。
ミリアの鋭い切れ長の目で睨まれれば、この扉の先で待つであろう『精霊王』ですら、震えあがるに違いない。
「激戦の連続でへとへとなんだから、早く終わらせましょう」
ミリアはぶつぶつと文句を言いながら、床に置かれたキャンプ道具を指さした。四の五の言わず動きなさい、とその指は示している。
オレたちは頷き、すぐに行動にかかった。
ミリアを怒らせると怖い、口答えはダメだ。これまでの経験から皆、体に染みついていた。触らぬ神に何とやら、だ。
精霊王の塔――。
冒険者の間では『ラストダンジョン』とも呼ばれている、地上四十層の巨大な塔だ。最上部の精霊王の間には、この世界で最も強い『霊素』を持つといわれる『精霊王』が、鎮座する。
この精霊王に自らの力を示し、認められれば、世界中の精霊信奉者から最大限の尊敬を受けられ、この世で並ぶもののない栄誉を得られる。冒険者として成功したオレたちにとっては、これ以上の金銭などは無用の長物だった。欲するのは、ただただ栄誉だった。
この精霊王の塔へと挑んでいるオレたちのパーティーは、全部で四人。
まずはリーダーのオレことカレル・プリンツ。
具現化させた精霊を使役し、攻撃に防御に、そして回復にとあらゆる場面に対応をするオールラウンダーの『精霊使い』だ。手前味噌ではあるが、冒険者としての実力は、この世界でも五指に入るだろう。こと精霊に関しては、オレの右に出る者はいないと断言できる。
トレードマークの深緑のローブで長身痩躯の身を包み、愛用の銀のロッドを右手で握りしめ、肩のあたりで切りそろえたキラリと光沢のある金のストレートの髪をフードで覆えば、オレのお気に入りの戦闘スタイルの完成だ。
精霊の強力な加護を受けたローブは、あらゆる属性の攻撃を軽減し、また、精霊たちとの共感性を強める。銀のロッドは、具現化させている精霊の能力を底上げする。いずれも、とあるダンジョンから苦労して見つけてきた、貴重なマジックアイテムだった。
金髪碧眼の容貌も、オレは気に入っている。この整ったベビーフェイスで、あまたのお姉さま方を虜にしてきた……と思う、たぶん。ミリアも、「カレルはお姉さま方に大人気なのよね」と言っていた。オレの自意識過剰ではない。客観的な、事実のはずだ……。
次に、一番長い付き合いの『戦士』、ゲイル。
冒険初期から常に一緒にパーティーを組んできた、オレの相棒だ。
愛用の片手斧には、火と風の精霊による加護がかかっていた。霊素をわずかに消費することで、自分の意志で自由に『炎の嵐』を引き起こせる。
ゲイルは身を護る点でも隙がない。『炎の嵐』を効果的に使うため、水と火の精霊の加護がかかった銀製の胸当てで、炎に対する抵抗力を上げている。また、地の精霊の加護を受けて硬度と属性抵抗力を増した中型盾を持ち、接近戦への備えも万全にしていた。
お調子者な一面もあるが、難敵にも決してひるまずにオレたちの盾となり、隙あらばその腕力を生かした強烈な斬撃をお見舞いする、実に頼もしい漢であった。
三人目は、薙刀を自在に振り回す『槍士』のユリナ・カタクラ。
小柄な体に似合わぬダイナミックな薙刀さばきで、立ちふさがるモンスターたちをバッサバッサと切り倒す姿は圧巻の一言だ。子供っぽい言動がオレの庇護欲を誘うが、子供扱いをするとプクッと頬を膨らませて怒る。うん、かわいいやつだ。
薙刀を得物にしているためなのか、それとも何かこだわりを持っているのか、常に和装を基本にしていた。名前に似合わず、金髪で目鼻立ちもはっきりしている容貌のために、日本人っぽさはまったくないが、和装だ。だが、オレは似合っていると思っている。
戦闘時は、風の精霊の加護を受けて軽量化された胸当てと小手、脛当てを身に着けているが、決して面はつけない。「視界が遮られるのって嫌だし、何よりかわいくないよっ」とは本人の談である。
最後、四人目は、正確無比な弓による射撃で、パーティーを援護する『弓使い』のミリア・パーラヴァだ。
ちょっぴりきつい印象を受ける顔同様に、性格もなかなかに勝ち気で、ファーストアタックはミリアの専売特許だった。
風の精霊の加護による、強力な命中補正を受けた長弓による射撃は、ミリア自身の長い経験による高い射撃技術も相まって、もはや百発百中といっても過言ではない精度を誇っていた。また、敵に接近された時の護身用にと、ショートソードも持つが、下手な剣士も顔負けの剣捌きをみせる。
装甲よりも動きやすさを重視し、皮鎧を身に着けているが、地の精霊の加護を受けたマジックアイテムであるため、下手な金属鎧よりも頑丈だ。
赤のセミロングの髪をアップスタイルにし、これまたマジックアイテムであるリボン型のバレッタで止めていた。このバレッタにも風の精霊の加護がついており、敵の矢による攻撃を自動で防いでくれる優れものだ。
通常、オレたちは前衛にゲイル、中衛にオレとユリナ、後衛にミリアという隊列を組んでいる。
ミリアが長射程狙撃による先制攻撃、乱戦時に群れから外れた敵への射撃、補助武器によるショートソードでの遊撃を担当、ゲイルが近接攻撃に対するパーティーの盾役と、防御力の高い敵への斧による攻撃を担当、ユリナが持ち前のスピードと薙刀の間合いを生かしたヒットアンドアウェイ、槍士スキルによる範囲攻撃で、主に攪乱と装甲の脆い雑魚の殲滅を担当、オレは万能な精霊術を生かして、パーティー全体に指示を送りつつ、状況に合わせた行動をとるようにしていた。
これまで、この構成で割とうまくやってきたと思う。
この世界に魔法はない。だが、『精霊の具現化』により、精霊の持つ魔法のような特殊技能――『精霊術』と呼んでいる――を使うことができる。
精霊術は、炎や風で敵を攻撃したり光の力で傷の治癒を早め治療したりと、様々な効果を生み出せる。また、面制圧をするための範囲攻撃は、一部のクラスの特殊スキルを除くと、精霊術の専売特許といえた。
オレはそういった精霊を使役する『精霊使い』という職についているが、レベルの低い精霊使いは、一つの精霊の具現化しかできない。
だが、修練を積んだオレは、最大四つの具現化ができる。しかも、相性の悪い属性どうし――例えば水と火――であっても問題はない。オレの実力は、まさしく精霊使いの第一人者と言っても過言ではないはずだ。
オレはキャンプの設営をしつつ、改めてこの精霊王の間の前室をぐるりと見まわした。
いやでも目に付くのは、強烈な圧力を飛ばす黄金色の巨大な扉。この扉を開けば、精霊王とご対面だ。
扉とは反対側には、今オレたちが登ってきた、階下へつながる階段がある。下層のモンスターは根こそぎ退治してきたので、下から物音はしない。
それ以外にはこれといったものは見当たらない、殺風景でだだっ広いだけの広間だった。
キャンプの設営を終えると、オレたちは車座になった。携帯食を取り出し、食べ始める。
「外から見た時に覚悟はしていたけれど、ここまで長ったらしいダンジョンだったとはなぁ……」
「さすがに、ラストダンジョンだなんて呼ばれているだけはあったよね」
干し肉をかみ切りながらつぶやくゲイルに、オレも同意した。
ミリアが淹れたハーブティーをひとくち口に含むと、香りがスッと鼻腔をくすぐった。高ぶった気分が、幾分和ぐ。他のメンバーも同様に、ほっと一息ついていた。
「雑魚モンスターの強さも含めて、今までで一番きつかった、かな?」
今回主に雑魚殲滅担当だったユリナが、隣に座るオレの肩に頭を軽く乗せながら、口にした。
フィールドでの戦いであれば、雑魚の群れの殲滅には『炎の嵐』が最も効果的だった。怪しく目を輝かせながら、短く切りそろえた黒髪が焦げ付くことも厭わず、「何人たりとも、オレ様の歩みを止めることはできねぇぜ!!」と叫び、斧を振り回すゲイルの姿。斧を入手以降の、雑魚戦での日常風景だった。
だが、今回のダンジョンの攻略に当たっては、安易にゲイルの斧の『炎の嵐』に頼るのは、危険だと判断した。塔の内部の狭い空間を考えると、味方への延焼が不安だったからだ。結果、雑魚敵の相手は、ほぼユリナ一人に任せっきりになった。
ユリナの許容量を超える前に、オレも適度に精霊術で補助に入ったが、敵指揮官クラスの強烈な攻撃に耐えねばならないゲイルへの支援と治療に、どうしても注意を傾けざるを得なかった。
このため、疲労も、ユリナがメンバー中で一番濃いはずだった。
「ま、何はともあれ、こうやってボス部屋の目の前までは、誰も欠けずに来られたんだ。ここで態勢を万全に整えて、今回できっちりとヤツを倒しちまおう」
ゲイルは脇に置いた愛用の片手斧を、ポンっと軽く叩くと、ぐるりとオレたちに視線をくれた。
「そう、ね……。ボス撃破初回ボーナスは、他の誰にも渡したくないわ」
ミリアの言に、ゲイルはニヤリと笑っている。
ボス撃破初回ボーナス――。
この世界のダンジョンの最奥には、ボスと呼ばれる一際強力なモンスターが居座っている。そういったボスモンスターを最初に撃破したパーティーには、ボーナスとして他では決して手に入れられない限定レアアイテムがもらえる。
ボスモンスターは一月ほどでリポップするものの、そういったボスを倒しても、初回ボーナスはもう入手できない
限定レアアイテムの性能や価値は、ダンジョンの難易度が高ければ高いほど、ボスモンスターが強ければ強いほど、上がっていく。だれもがこの初回ボーナスを求めて、未踏のダンジョンに挑んでいった。
オレたちも例外ではない。いくつもの未踏のダンジョンを踏破し、ボスを倒してきた。初回ボーナスの限定レアアイテムも数多く手にしてきた。今の装備品の一部も、この手段により入手してきた品だ。
今までのダンジョンのボス撃破初回ボーナスアイテムでも、一生ものの名品といえる武具がいくつもあった。であるならば、ラストダンジョンとも呼ばれ、最強の名をほしいままにしている精霊王を倒したら、いったいどれほどの貴重なアイテムを入手できるだろうか。
オレたちの妄想は、止まることがなかった。
「ラスボスと目されている精霊王の初回ボーナスだ。いったいどんなお宝をゲットできるのやら」
ゲイルは頬を緩めてだらしなく笑う。目を閉じて揉み手を始めたが、おそらく、皮算用でもしているのだろう。
「私としたらお宝よりも、精霊王撃破の栄誉のほうが重要かなぁ! 最悪、お宝はなくてもいいよっ」
「おいおい、夢がないぞユリナ。お宝は、漢のロマンだぜ」
ユリナの言葉に、ゲイルは目を開き、チッチッと立てた人差し指を左右に振りながら、否定した。
「なぁ、カレルもそう思うだろ?」
同意を求めて、ゲイルはオレに視線を送ってきた。
脇でユリナが、「私、漢じゃないんですけどっ」とむくれている。かわいい。
「まあね。でも、ユリナの言いたいこともわかる」
ゲイルの言う漢のロマンもわかるし、ユリナが言うように、一番欲しいものが栄誉である点もまた、事実だ。お金には困っていない。栄誉さえもらえれば、確かに他のものはなくても、構わないといえば構わない。
「むぅー……。いったいどっちの味方なの、カレル。優柔不断はダメだよっ」
オレの肩に頭をのせながら、ユリナが不満そうにじとっとした視線を向けてきた。
「あはは、ゴメンゴメン」
オレは苦笑いを浮かべ、どうにかその場をごまかした。
「さて、それじゃ予定どおり、明日夜七時、ボス部屋に突入ということで、みんないいよね」
食事を終え、しばしの休憩をとったところで、オレは皆に確認をとった。
ダンジョン攻略に相当な時間がかかると予想できたため、オレたちはあらかじめ、ボス部屋突入の前に一日休息をとることを決めていた。パーティーリーダーとして、オレは改めて皆に念を押した。
全員の同意の頷きを確認すると、「じゃ、今日はこれでいったん解散。みんな、また明日」と伝え、ログアウトした。
オレは両ひざに手をつき、つぶやいた。
大きく息を吐いて、ゆっくりと顔を上げる。目に飛び込んできたのは、きらびやかに輝く黄金色の巨大な扉だった。
「ここが、あの精霊王の住処ねっ!」
オレの隣では、ユリナが仁王立ちになり、眼前の扉を鋭くにらみつけている。やや垂れ目気味の可愛らしい大きな目も、今は細められていた。
虚勢を張っているかのような姿は、扉から発せられる威圧感に、必死に抗っているようにも見える。その顔は、普段の透き通るような白から、うっすらと桃色に変化していた。手はきつく握りしめられ、袖をくちゃくちゃにしている。
身につけている胴着と袴は、あちこち擦り切れ、魔獣の返り血で所々赤く染まっていた。背負う薙刀の柄にも、赤黒く乾いた血糊がべっとりと張り付いていた。後頭部でまとめている長い金髪は、激戦の連続で乱れ、ほどけかかっていた。
無理もない。『精霊王の塔』の最上階までの道のりは、過酷としか言いようのないものだった。途中、何度もくじけそうになった。
雑魚の殲滅をほぼ一手に引き受け、小さな身体で薙刀を振り回し続けたユリナの姿は、オレにとっては戦女神のようにも見えた。だが、それほどの奮迅の活躍を見せた見返りに、ユリナは誰よりもボロボロになった。本当に頭が下がる。感謝しかなかった。
オレは、膝から両手を外し、上体を起こした。ユリナの肩に軽く手を添え、顔を向けて軽くうなずいた。ユリナもうなずき返すと、二人一緒に数歩進み、豪華な装飾の施された扉の前に立った。
周囲の壁や床は、長年人の出入りがなかったのか、埃が厚く堆積している。一方で、扉はチリ一つないのではないかと思えるほど、きれいに磨かれていた。窓からわずかに差し込む陽光が、黄金色の表面を照らし、扉の周りだけをうっすらと黄色く染めた。
歩いたことで巻き上がった埃にむせ返りながらも、その扉から目を離せなかった。胸が高まる。全身がじんわりと熱くなる。蓄積された疲労も、いつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。
「しっかし、でっけぇなぁ……」
低く響き渡る男の声に、オレとユリナは振り返った。声の主ゲイルは、埃が立つのを気にもせず、ドシドシと足音を立てながら、オレたちの隣に立った。
ゲイルはぼんやりと、焦点の定まっていないような視線を扉に送っている。大口を開け、「すげえや……」と呟くと、そのまましばらく呆けていた。愛用の片手斧を床に取り落としたのにも、ゲイルは気付いていない。大きな金属音が鳴り響いたにもかかわらず、だ。すっかり、扉に魅入られている。
ゲイルは纏った筋肉の鎧のおかげで、オレと同身長なくせに一回り以上は大きく見える。だが、立ち尽くす今の姿は、扉の威容に圧倒されているかのようだ。蛇に睨まれた蛙、鷹を目にしたウサギとでも言えばいいだろうか。
武骨な戦士ゲイルとは、もう長い付き合いだった。だが、今までゲイルが、これほどまでに無防備な姿をさらけ出している様子を、オレは一度でも見たことはあっただろうか。
それだけ、このクエストが達成困難な代物であったのだと、しみじみと実感していた。
オレが無遠慮に視線を向けていると、ゲイルは気づいたのか、バツが悪そうに苦笑いを浮かべ、「おいおい、あんまり見つめないでくれよ」と、頭を掻いた。
「ほらほら、あんたたち。突っ立っていないで、さっさとキャンプの準備をするわよ」
オレたち三人が扉の前で立ち尽くしていると、背後から細く甲高い声が響いた。
振り返ると、声の主ミリアが、ふくれっ面を浮かべていた。腕を組み、人差し指でトントンとせわしなく二の腕を叩いている。……ご立腹のようだ。
ミリアの鋭い切れ長の目で睨まれれば、この扉の先で待つであろう『精霊王』ですら、震えあがるに違いない。
「激戦の連続でへとへとなんだから、早く終わらせましょう」
ミリアはぶつぶつと文句を言いながら、床に置かれたキャンプ道具を指さした。四の五の言わず動きなさい、とその指は示している。
オレたちは頷き、すぐに行動にかかった。
ミリアを怒らせると怖い、口答えはダメだ。これまでの経験から皆、体に染みついていた。触らぬ神に何とやら、だ。
精霊王の塔――。
冒険者の間では『ラストダンジョン』とも呼ばれている、地上四十層の巨大な塔だ。最上部の精霊王の間には、この世界で最も強い『霊素』を持つといわれる『精霊王』が、鎮座する。
この精霊王に自らの力を示し、認められれば、世界中の精霊信奉者から最大限の尊敬を受けられ、この世で並ぶもののない栄誉を得られる。冒険者として成功したオレたちにとっては、これ以上の金銭などは無用の長物だった。欲するのは、ただただ栄誉だった。
この精霊王の塔へと挑んでいるオレたちのパーティーは、全部で四人。
まずはリーダーのオレことカレル・プリンツ。
具現化させた精霊を使役し、攻撃に防御に、そして回復にとあらゆる場面に対応をするオールラウンダーの『精霊使い』だ。手前味噌ではあるが、冒険者としての実力は、この世界でも五指に入るだろう。こと精霊に関しては、オレの右に出る者はいないと断言できる。
トレードマークの深緑のローブで長身痩躯の身を包み、愛用の銀のロッドを右手で握りしめ、肩のあたりで切りそろえたキラリと光沢のある金のストレートの髪をフードで覆えば、オレのお気に入りの戦闘スタイルの完成だ。
精霊の強力な加護を受けたローブは、あらゆる属性の攻撃を軽減し、また、精霊たちとの共感性を強める。銀のロッドは、具現化させている精霊の能力を底上げする。いずれも、とあるダンジョンから苦労して見つけてきた、貴重なマジックアイテムだった。
金髪碧眼の容貌も、オレは気に入っている。この整ったベビーフェイスで、あまたのお姉さま方を虜にしてきた……と思う、たぶん。ミリアも、「カレルはお姉さま方に大人気なのよね」と言っていた。オレの自意識過剰ではない。客観的な、事実のはずだ……。
次に、一番長い付き合いの『戦士』、ゲイル。
冒険初期から常に一緒にパーティーを組んできた、オレの相棒だ。
愛用の片手斧には、火と風の精霊による加護がかかっていた。霊素をわずかに消費することで、自分の意志で自由に『炎の嵐』を引き起こせる。
ゲイルは身を護る点でも隙がない。『炎の嵐』を効果的に使うため、水と火の精霊の加護がかかった銀製の胸当てで、炎に対する抵抗力を上げている。また、地の精霊の加護を受けて硬度と属性抵抗力を増した中型盾を持ち、接近戦への備えも万全にしていた。
お調子者な一面もあるが、難敵にも決してひるまずにオレたちの盾となり、隙あらばその腕力を生かした強烈な斬撃をお見舞いする、実に頼もしい漢であった。
三人目は、薙刀を自在に振り回す『槍士』のユリナ・カタクラ。
小柄な体に似合わぬダイナミックな薙刀さばきで、立ちふさがるモンスターたちをバッサバッサと切り倒す姿は圧巻の一言だ。子供っぽい言動がオレの庇護欲を誘うが、子供扱いをするとプクッと頬を膨らませて怒る。うん、かわいいやつだ。
薙刀を得物にしているためなのか、それとも何かこだわりを持っているのか、常に和装を基本にしていた。名前に似合わず、金髪で目鼻立ちもはっきりしている容貌のために、日本人っぽさはまったくないが、和装だ。だが、オレは似合っていると思っている。
戦闘時は、風の精霊の加護を受けて軽量化された胸当てと小手、脛当てを身に着けているが、決して面はつけない。「視界が遮られるのって嫌だし、何よりかわいくないよっ」とは本人の談である。
最後、四人目は、正確無比な弓による射撃で、パーティーを援護する『弓使い』のミリア・パーラヴァだ。
ちょっぴりきつい印象を受ける顔同様に、性格もなかなかに勝ち気で、ファーストアタックはミリアの専売特許だった。
風の精霊の加護による、強力な命中補正を受けた長弓による射撃は、ミリア自身の長い経験による高い射撃技術も相まって、もはや百発百中といっても過言ではない精度を誇っていた。また、敵に接近された時の護身用にと、ショートソードも持つが、下手な剣士も顔負けの剣捌きをみせる。
装甲よりも動きやすさを重視し、皮鎧を身に着けているが、地の精霊の加護を受けたマジックアイテムであるため、下手な金属鎧よりも頑丈だ。
赤のセミロングの髪をアップスタイルにし、これまたマジックアイテムであるリボン型のバレッタで止めていた。このバレッタにも風の精霊の加護がついており、敵の矢による攻撃を自動で防いでくれる優れものだ。
通常、オレたちは前衛にゲイル、中衛にオレとユリナ、後衛にミリアという隊列を組んでいる。
ミリアが長射程狙撃による先制攻撃、乱戦時に群れから外れた敵への射撃、補助武器によるショートソードでの遊撃を担当、ゲイルが近接攻撃に対するパーティーの盾役と、防御力の高い敵への斧による攻撃を担当、ユリナが持ち前のスピードと薙刀の間合いを生かしたヒットアンドアウェイ、槍士スキルによる範囲攻撃で、主に攪乱と装甲の脆い雑魚の殲滅を担当、オレは万能な精霊術を生かして、パーティー全体に指示を送りつつ、状況に合わせた行動をとるようにしていた。
これまで、この構成で割とうまくやってきたと思う。
この世界に魔法はない。だが、『精霊の具現化』により、精霊の持つ魔法のような特殊技能――『精霊術』と呼んでいる――を使うことができる。
精霊術は、炎や風で敵を攻撃したり光の力で傷の治癒を早め治療したりと、様々な効果を生み出せる。また、面制圧をするための範囲攻撃は、一部のクラスの特殊スキルを除くと、精霊術の専売特許といえた。
オレはそういった精霊を使役する『精霊使い』という職についているが、レベルの低い精霊使いは、一つの精霊の具現化しかできない。
だが、修練を積んだオレは、最大四つの具現化ができる。しかも、相性の悪い属性どうし――例えば水と火――であっても問題はない。オレの実力は、まさしく精霊使いの第一人者と言っても過言ではないはずだ。
オレはキャンプの設営をしつつ、改めてこの精霊王の間の前室をぐるりと見まわした。
いやでも目に付くのは、強烈な圧力を飛ばす黄金色の巨大な扉。この扉を開けば、精霊王とご対面だ。
扉とは反対側には、今オレたちが登ってきた、階下へつながる階段がある。下層のモンスターは根こそぎ退治してきたので、下から物音はしない。
それ以外にはこれといったものは見当たらない、殺風景でだだっ広いだけの広間だった。
キャンプの設営を終えると、オレたちは車座になった。携帯食を取り出し、食べ始める。
「外から見た時に覚悟はしていたけれど、ここまで長ったらしいダンジョンだったとはなぁ……」
「さすがに、ラストダンジョンだなんて呼ばれているだけはあったよね」
干し肉をかみ切りながらつぶやくゲイルに、オレも同意した。
ミリアが淹れたハーブティーをひとくち口に含むと、香りがスッと鼻腔をくすぐった。高ぶった気分が、幾分和ぐ。他のメンバーも同様に、ほっと一息ついていた。
「雑魚モンスターの強さも含めて、今までで一番きつかった、かな?」
今回主に雑魚殲滅担当だったユリナが、隣に座るオレの肩に頭を軽く乗せながら、口にした。
フィールドでの戦いであれば、雑魚の群れの殲滅には『炎の嵐』が最も効果的だった。怪しく目を輝かせながら、短く切りそろえた黒髪が焦げ付くことも厭わず、「何人たりとも、オレ様の歩みを止めることはできねぇぜ!!」と叫び、斧を振り回すゲイルの姿。斧を入手以降の、雑魚戦での日常風景だった。
だが、今回のダンジョンの攻略に当たっては、安易にゲイルの斧の『炎の嵐』に頼るのは、危険だと判断した。塔の内部の狭い空間を考えると、味方への延焼が不安だったからだ。結果、雑魚敵の相手は、ほぼユリナ一人に任せっきりになった。
ユリナの許容量を超える前に、オレも適度に精霊術で補助に入ったが、敵指揮官クラスの強烈な攻撃に耐えねばならないゲイルへの支援と治療に、どうしても注意を傾けざるを得なかった。
このため、疲労も、ユリナがメンバー中で一番濃いはずだった。
「ま、何はともあれ、こうやってボス部屋の目の前までは、誰も欠けずに来られたんだ。ここで態勢を万全に整えて、今回できっちりとヤツを倒しちまおう」
ゲイルは脇に置いた愛用の片手斧を、ポンっと軽く叩くと、ぐるりとオレたちに視線をくれた。
「そう、ね……。ボス撃破初回ボーナスは、他の誰にも渡したくないわ」
ミリアの言に、ゲイルはニヤリと笑っている。
ボス撃破初回ボーナス――。
この世界のダンジョンの最奥には、ボスと呼ばれる一際強力なモンスターが居座っている。そういったボスモンスターを最初に撃破したパーティーには、ボーナスとして他では決して手に入れられない限定レアアイテムがもらえる。
ボスモンスターは一月ほどでリポップするものの、そういったボスを倒しても、初回ボーナスはもう入手できない
限定レアアイテムの性能や価値は、ダンジョンの難易度が高ければ高いほど、ボスモンスターが強ければ強いほど、上がっていく。だれもがこの初回ボーナスを求めて、未踏のダンジョンに挑んでいった。
オレたちも例外ではない。いくつもの未踏のダンジョンを踏破し、ボスを倒してきた。初回ボーナスの限定レアアイテムも数多く手にしてきた。今の装備品の一部も、この手段により入手してきた品だ。
今までのダンジョンのボス撃破初回ボーナスアイテムでも、一生ものの名品といえる武具がいくつもあった。であるならば、ラストダンジョンとも呼ばれ、最強の名をほしいままにしている精霊王を倒したら、いったいどれほどの貴重なアイテムを入手できるだろうか。
オレたちの妄想は、止まることがなかった。
「ラスボスと目されている精霊王の初回ボーナスだ。いったいどんなお宝をゲットできるのやら」
ゲイルは頬を緩めてだらしなく笑う。目を閉じて揉み手を始めたが、おそらく、皮算用でもしているのだろう。
「私としたらお宝よりも、精霊王撃破の栄誉のほうが重要かなぁ! 最悪、お宝はなくてもいいよっ」
「おいおい、夢がないぞユリナ。お宝は、漢のロマンだぜ」
ユリナの言葉に、ゲイルは目を開き、チッチッと立てた人差し指を左右に振りながら、否定した。
「なぁ、カレルもそう思うだろ?」
同意を求めて、ゲイルはオレに視線を送ってきた。
脇でユリナが、「私、漢じゃないんですけどっ」とむくれている。かわいい。
「まあね。でも、ユリナの言いたいこともわかる」
ゲイルの言う漢のロマンもわかるし、ユリナが言うように、一番欲しいものが栄誉である点もまた、事実だ。お金には困っていない。栄誉さえもらえれば、確かに他のものはなくても、構わないといえば構わない。
「むぅー……。いったいどっちの味方なの、カレル。優柔不断はダメだよっ」
オレの肩に頭をのせながら、ユリナが不満そうにじとっとした視線を向けてきた。
「あはは、ゴメンゴメン」
オレは苦笑いを浮かべ、どうにかその場をごまかした。
「さて、それじゃ予定どおり、明日夜七時、ボス部屋に突入ということで、みんないいよね」
食事を終え、しばしの休憩をとったところで、オレは皆に確認をとった。
ダンジョン攻略に相当な時間がかかると予想できたため、オレたちはあらかじめ、ボス部屋突入の前に一日休息をとることを決めていた。パーティーリーダーとして、オレは改めて皆に念を押した。
全員の同意の頷きを確認すると、「じゃ、今日はこれでいったん解散。みんな、また明日」と伝え、ログアウトした。
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