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番外編

もう一つの序章  4  さようなら、どうぞお幸せに……

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「え、エルネスティーネ様⁉」

 昨日に続き突然の私の訪問に心底驚愕の色を隠せないままエントランスで立ち尽くすグスタフ。

「ジークヴァルト様はご在宅なのでしょう」

 テアを伴い急遽訪れた私へと言うよりもです。
 恐らく十中八九私の今の装いに驚いているのでしょう。
 しかし驚いているグスタフに私は用がある訳ではなく、彼の主人であるジークヴァルト様へお逢いする為にここへ訪れたのです。
 ですからグスタフの制止する声に従わず中へと、ジーク様の私室のある三階へと私は階段を一歩一歩踏み締める様にゆっくりとそして優雅に上って行きます。

 ふふ、まるで本当にバージンロードを一人で歩いている様な錯覚さえ感じてしまいますわ。

「お、お嬢……様」

 階下より心配そうなテアの声。

「テアはここに居て頂戴。私はジーク様と二人きりでお話をするのですから……」

 そうこれより先に登場するだろう人物は私とジークヴァルト様のみ。
 それ以外の方達には是が非とも辞退して貰わねばいけません。
 何故ならその為に私は今日ここへ来たのですから……。





 コンコンコンコン

「入れ」

「失礼致します」

 入室の許可を頂いた私は静かに彼の私室へと入りました。

「――――⁉ キルヒホフ、侯爵……令嬢なのか、そ、その姿は……⁉」

 

 ふふ、今更ながらどうしてなのでしょう。
 明日結婚式を控えているだろう婚約者である私へ、婚約を交わして七年も経っていると言うのにも拘らずです。
 貴方は少しも変わる事なく私をそう呼ぶのですね。

 何時も、そう何時も何時も私とジーク様の間には見えはしないけれども、それはとても頑丈で決して壊れる事のない大きな壁が、ずっと七年もの間立ち塞がっておりました。

 そしてその正体こそが……。

「アーデルトラウト……様にはお名前で呼ばれるのにどう、して?」

 ぽろり……と一筋の涙が頬を伝ってしまいました。
 ここで泣く心算なんてなかったのに何故でしょう。

 ジーク様のお顔を拝した瞬間、情けなくもぽろぽろと涙が溢れれば、見る間にそれらは零れ落ちてしまうのです。
 ですがジーク様は私の気持ちなんて一切気付く事はなく、反対にアーデルトラウト様のお名前を出した事へ不信感を募らせられていらっしゃるご様子ですわね。

「何故? どうして彼女の名を、一体アーデルトラウトが貴女へ何を――――いや、もうよい」


 何を?
 何をと申されてましても、私の方こそではないでしょうか。

 そう私は昨日……。

「わ、私は昨日ジークヴァルト様より呼び出されるまでっ、私はっ、ほ、本当にな、何も存じませんでしたわ!!」
「昨日?」

 その単語を怪訝そうな面持ちで呟かれるジークヴァルト様。
 訝し気な表情お顔で私を誰何する様に見つめられるその厳しい眼差しでさえも、本当にこの様な時になってまでもっ、私の心は情けなくもドキドキと貴方を想い胸が高鳴ってしまうのです。



 七年もの間ずっと、ずっと貴方を恋い慕ってまいりました。

 その間に一度たりともジークヴァルト様が私へ振り向かれた事はありません。
 その証拠にキルヒホフ侯爵家へ参られる事はなく、何時も訪ねるのは私の方なのですものね。

 そうして私は何時も貴方の大きな、温かみの一切感じられない冷たい背中だけを静かに見つめておりましたのよ。

「コホン、侯爵令嬢してその姿は、確か私の記憶によれば令嬢との婚姻は明日――――だった筈」

 えぇ、今私が身に纏っているドレスは間違いなく明日の結婚式で纏う予定だったウェディングドレス。

 然も王家より特別に下賜された濃淡のあるアイボリーホワイトの生地。
 特別製の蚕により作られしその生地は、光の具合によって七色へ光り輝く貴重で稀少なもの。

 華やかなプリンセスラインのドレスは美しい銀色の刺繍を、薔薇の花の中心には大粒の真珠が幾つも散りばめられ、それはそれはとても見事な仕上がりのドレスなのです。
 
 流石にヴェールとブーケは身に付けてはいませんよ。
 しかし見る者全てを魅了してしまう程に素晴らしいドレスなのです。
 ですから最期にジークヴァルト様、貴方にだけはどうしても見て頂きたかったのです。


 余りの突然故にその場より微動だに出来ないジークヴァルト様とは違い私はこの部屋へ入室したと同時に少しずつ、そうまるで軽やかなステップを踏む様に、ゆっくりと目指す場所へと向かいます。

「ふふ、昨日は余りにも何もかもが刺激的過ぎて吃驚してしまいました。まさかあの様な形で呼び出されるだなんて……」
「な、何を、私は貴女を呼び……⁉」

 私は茶目っ気たっぷりな所作で以って人差し指を自身の唇へと軽く当てます。
 勿論とびっきりの笑顔で……。

「もう宜しいのです」
「こ、侯爵……令嬢?」

「えぇ存じておりましてよ。私と貴方様との婚姻は王命なのですもの。幾ら公爵様であられるジークヴァルト様と言えど無碍には出来ない婚姻なのだと私は存じております」

 私は愉しげにくるりとターンをしながら目的地へと到着しました。

「ジーク様が私をお好きでない事も存じております」

 そっとバルコニーの扉へ手を伸ばします。

「ですからこれは私からジーク様へ最初で最期の贈り物ですわ」

 バン――――と勢いよく扉を開け放てば流石にジーク様もその先を理解されたのでしょう。

「ま、待つのだ!!」
「嫌です。もう待ちません」

 そう私はもう待つ事にとても疲れてしまったのです。

「と、兎に角落ち着いてゆっくり話そう」

 私はゆっくりとかぶりを左右へ振ります。

「お願いだからこちらへ来なさい」

 もう、遅いのですよ。

「わ、お、俺は貴女とこれからについて話し合おうと……」

 何について?
 いいえそれすらももうどうでも良いのです。

「ジークヴァルト様」
「さぁこちらへ……」

 ゆっくりと近づいてこられますがでも――――。


「さようなら、そしてどうぞお幸せに……」


 私は今までで一番の幸せに満ちた笑みを湛えたまま、心のほんの片隅にでもいい。
 貴方を慕っていた娘がいた事を、出来れば笑顔のままで覚えていて欲しい。


 私は彼へ笑顔を向けたまま身体を宙へと投げ出しました。

「エルネスティーネえええええええええええええええええ!!」


 ふふ、最期の最後で初めて名を呼んで、下さい、ました……のね。
 

 さようなら、どうか彼女とお幸せに……。


 そうして私の意識は暗闇の中へと堕ちていったのです。


 ※これにてもう一つの序章は終わり本編へと入ります。

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