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第九章 永遠の別れ
1 密やかに近づく正体不明の病魔
しおりを挟むそれは玉子焼きで始まり、それでも最初はまだ認知症らしき病の進行は緩やかにも思えたのである。
件の玉子焼き事件が起こったのは2月。
丁度その一年前に母は軽い、障害が全く残らない程度の小さな脳梗塞を患い一週間だけ糖尿病で通院しているO総合病院へと入院をした。
入院中の経過は頗る順調で特にそれ以降問題もなく念の為一年後、そう今年の6月にスクリーニングとして脳のMRIの検査と診察が予約されていた。
そんな母は元来極度の病院嫌いである。
因みに我が家……祖母の実家は医師の一家だと言うのに拘らずである。
数年前に糖尿病を発症した際も直ぐには病院へ行きたがらず、そのままずるずると時間だけが流れ気が付いた時には白内障からの網膜症を発症すれば、ほぼほぼ見えなくなって初めて慌てたくらいなのだ。
そう糖尿病を舐めてはいけない。
准看護師の私がどんなに口を酸っぱく説明しても首を縦には振ってくれなかった。
また嫌いなものは頑として絶対に受け付けはしない。
いい面も沢山あるけれど一方そう言う頑固な一面も母は持っている。
そうして当時O病院で夜勤のバイトをしていた私は、その頃に仲良くして貰った糖尿内科の田中先生を母へ紹介した。
少しばかり頭の毛は寂しいけれどもである。
田中先生は私が知る中でダントツに優しく人当たりの良い医師である。
それは患者さんだけでなくスタッフに対しても決して無理難題は言わない。
また指示を出すにしても非常に分かり易くひと月に四ないし六回の夜勤バイトをしていた私は非常に助かってもいた。
それに患者さんからも人気のある先生だけでなくだ。
自宅が病院の傍だからと言って真夜中にも拘らず、受け持ちの患者さんが死亡退院される時には一緒にお見送りをしてくれるDr何て田中先生くらいなものである。
『何時もと言う訳でもないけれど、出来る時は最期のお別れはしたいからね』
さらりとそう普通に述べる先生に私は正直に言って吃驚した。
普通そこはさくっと夜間当直の医師に丸投げですからね。
でもそんな先生だからこそ私は母を診て貰いたいと思ったのだ。
まあ最初は勝手に決めて横暴だとか色々言っていた母だけれどもだ。
田中先生の診察を受ける様になって無事に信頼関係も構築され私達三人の子供は皆一様に安堵したものである。
だから私はその6月の脳神経内科の検査と診察に賭けたのである。
認知症ならば脳の萎縮等と言った何かしらの所見が分かるだろうと。
また昔のよしみで田中先生へ連絡をし初期の認知症状があるから、先生の方からも少しだけ脳神経内科のDrへプッシュして欲しいと、実に厚かましいお願いをしたのにも拘らず田中先生は二つ返事で了承してくれたのに⁉
『へ? こんなちょっとした事を問題視する?』
6月某日母一人での受診は流石にちょっと危ないかも……と言う姉弟で相談した結果、妹が態々有給を使用し付き添いをして病院へ行ったのにも拘らずである。
また田中先生も態々母の状態を心配し対診依頼を出してくれたのにも拘らずである。
MRI検査の後の診察で脳神経内科の医師は別に問題はないとそうはっきり妹へそう宣ったのである。
だがその僅か半年後、この時に撮影したMRIではそれらしい画像は薄ら模様だったけれどもその兆候はよく見れば現れていたのである。
でも誰もそれを問題なしとし、その結果母はある病に侵されていたのを知らぬまま半年もの時間を無駄に過ごす事となる。
そして私達家族はその病の名と正体を知らぬまま、その戦いのゴングは静かに鳴り響いたのであった。
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