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第六章  壊れ失うもの

20  二度目はKO Ⅲ

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「なあ桃園さんさぁ、もうさっさと入院患者さん担当Aチームへ行っちゃってよ。そしたら藤沢さんがこっちに帰って来れるしぃ」 

 退勤まで約30分を切った頃だと思う。
 何時もとは違う休日だったからこそほんの少しだけれどもだ。

 詰所には看護師四人が雁首揃え集まれば、その中心に鎮座する勤務表に記載されているだろうそれぞれ自分達の勤務とその日は誰と働くのかを何気にチェックしている時、完全に私がノーガードだったその一言はまたしても放たれてしまった。


 一度目ならばそう何とか我慢も出来たのだ。
 
 透析の経験がまだ浅いからとは言え私なりに日々頑張っても来た心算である。

 間違っている事を注意されるのは一向に構わない。

 だが私自身の存在そのものを全否定される事は、然も二度も同じ言葉と、同じ所作で以ってって言われるのは――――。

 耐えられる訳がない。

 そして勤務表を囲む誰も……大人しい森川さんにそれを求めても仕方がないのかもしれない。

 だがそれでも彼女もいい年齢をした大人である。
 善悪の判断は普通につく筈だと思う。

 またこの中で、センターのドンとして君臨するくらいなのだから藤沢さん、あなたならばその気になれば桜井さんを注意する事なんて造作もないでしょう。

 なのにその両者からは否定や肯定する言葉もなければだ。
 まるで今の発言はなかったかの様に、その何も聞いてはいませんよと無言と無視を貫く姿勢がより一層私をどんどん深い穴の底の奥底まで突き堕としていく。
 


 本音を言えば今直ぐにでも心がどうにかなってしまいそうな気持で一杯だった。

 訳の分からない自分の心の中で生まれ今にも飛び出してしまいそうな名前を付ける事の出来ない荒れ狂う感情。

 今まで感じた事のないその想いと目頭がぐっと熱くなる様な苛立ちと悲しさ、それから悔しさにきっとそれは挙げればキリがない様々な感情が綯交ぜ状態となり、出口を求め私の身体より隙あらば飛び出そうと全身をぐるぐると暴れ回る。

 そしてその感情達を内に秘めた器である私はと言えばである。
 前回は一瞬だけ、でもその一瞬後には引き攣ってはいたけれどもまだ笑って躱す事も出来ていた。


 でも今は?
 今の私は……違う。

 一瞬だけじゃあない。
 数分経っても何の言葉すら浮かばない。

 もしこの時の声を、言葉を何か発していたとしてもだ。

 それは私が私自身の意志として発したものではない。

 何故なら放たれてしまった言葉の暴力によりそれは私の中で大きな重石として私の身体へと載せられればである。

 余りの負荷が大き過ぎたのと、今までに張り詰めていたモノが動く事によってぐらぐらと膝より崩れ落ちそうになっていた。

 それでも頑なにまた必死に暴れ狂う感情を押し留めていたのはひとえに患者さんの前だったからなのかもしれない。


 どんな事が起ころうとも患者さんの前では一准看護師としてありたいと言う気持ちだけでまだ人間としての形を成していたと思う。


 だがそれも透析センターを出るまでの事だと思う。

 いや、もう既に限界は迎えていたのかもしれない。

 身体……患者さんの見える表面上は正常に見えていただろうとしてでもある。

 何故ならそれから退勤まで。
 
 放たれた言葉から更衣室へ行く間の約30分程の記憶がない。

 きっとそれ以降は彼女達は私の理解出来ない宇宙語で話していたのであろう。

 だから私には一切の記憶がないのである。
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