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序章

1  記憶の始まり

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 覚えているのは……このシーン。
 それ以前は霞が掛かった様にすっきりとしない。
 ガタゴトと馬車に揺られ目的地であるだろう場所へ到着すれば、扉が開かれる様に物語は始まる。



「御機嫌ようグスタフ。ジークヴァルト様はお待ちになっていらっしゃるのかしら」

 私キルヒホフ侯爵が息女エルネスティーネ・イザベラ・イェーリスはジークヴァルト様の婚約者。
 あ、いえ後二日もすれば壮麗な大神殿で沢山の人達より盛大に祝われ、晴れて正式な夫婦となる。

 えぇ二日先の明るい未来……ですわね。

 そして今挙式二日前と言う残された日々に忙殺されている私へ昨日突然、ある意味常のジークヴァルト様の行動とは思えませんでした。

 『

 たった一言。
 然も時間指定……はされていました。
 でもそれは普通の事なので然程気にしてはいませんでしたの。
 それよりも婚約者ジークヴァルト様からの呼び出しが初めてだった事の方に驚きと嬉しさで胸が温かさで一杯になっていたのですから……。

 愛しい彼からの呼び出しを受けた私はこうして王都にあるシュターデン公爵家のタウンハウスへ幸せな気持ちのまま訪れましたの。

 そうこれまでの不安が一瞬で払拭された気持ちでしたわ。 




「こ、これはエルネスティーネ様!?本日は如何様なるご用向きに……」

 品の良い初老の紳士然とした男性はシュターデン家の家令ハウス・スチュワードのグスタフ。
 
 常はとても穏やかで冷静沈着なのにこれは一体どうした事なのでしょう。
 何時もとは違う僅かながらに視線を泳がせている様相は明らかに訪問した私に対し動揺……している?

 その様な……私とした事が余りにも現実的でない考えを致しましたわ。

 きっとそう、ええ多分私の気の所為なのでしょう。
 結婚式間近である事、そして初めての呼び出しでグスタフではなく私の精神が昂っているのです。

 この時の私は安易にもそう思い至ったのです。
 あぁ本当に深く考える事もなく余りにも浅慮な私はこの直後、海よりも深く後悔する事となるとも知らずに……。




「ジークヴァルト様よりこちらへ来る様にと昨日連絡がありましたの」

 用向きをグスタフへ伝えれば、彼はほんの一瞬だけ沈黙しましたがその直後何時もの様に穏やかな笑みを湛え私を温かく迎え入れてくれました。

「ならばどうぞこちらへ。直ぐにエルネスティーネ様のお好きなお紅茶とお菓子をご用意致しましょう」

 そうして案内されようとする先は一階にある賓客用の応接の間だと思います。
 でもこの時の私はどうしてなのでしょう。
 グスタフの案内する方向とは違いジークヴァルト様がおいでになられるだろう三階にある私室へと、階段を上り始めましたの。

「え、エルネスティーネ様どうかお待ちを⁉」

 何故か慌てて私の行く手を阻もうとしたのはグスタフ。

「何故?私は後二日でジークヴァルト様の妻となりますもの。ですので応接室よりもこちらの方がよろしいでしょう」
「で、ですが⁉」

 可笑しいですわね。
 どうしてグスタフはこの様に慌てているのでしょう。
 本当に何時もの彼らしくない振る舞いが気にならないと言えば嘘になりますがでも……。

「大丈夫。万が一ジークヴァルト様のご機嫌が損ねられた際には私の一存で決めたと申しますからグスタフは心配しないで」

 私は彼へ安心させる為に微笑みましたわ。
 ですが何故なのでしょうか。
 益々グスタフが……と言うよりもです。
 周りの者達の顔色が何とも冴えません。
 これまでこの様な事は一度としてなかったと言うのにです。
 しかし何時までもこうしている訳にもいかないのでグスタフや皆が止めるのを振り切り、私は気を取り直しそのまま三階にある私室へと向かいましたの。


 コンコンコンコン


 あら変ですわ。
 常ならば音速級並みの速さ且つ一片の感情すら籠らない、低くも男性的なお声で以って『入れ』と直ぐに入室許可をお出しになられると思ったのにです。
 何故か今日に限ってお返事が返ってきませんわ。

 しかしだからと言って勝手に異性のお部屋へ入るだなんて、然も幾ら二日後に夫婦となる相手であっても淑女と致しましては許されない行いです。

 なので私は部屋の前で許可が出るまで待つ――――とは言えです。
 流石にもう五分以上何のお言葉もなく、また廊下へ立たされている状態と言うのもはっきりと申しまして何とも頂けませんわ。

 ですので私はこっそり?
 いえ、ここは静かにジークヴァルト様の私室へと入る事に致しましたの。
 
 当然後でお叱りは受けるでしょう。
 けれども先に私を呼び出されたのはジークヴァルト様なのです。
 挙式二日前ともなれば花嫁は色々と忙しいのです。
 その時間の合間を縫って駆けつけたのですもの。
 このくらいは許されてもいいのでは……と私は思い至ったのです。


「……失礼致しますわね」

 無言で入室もどうかと思いましたので物凄く小さな声で挨拶をしましたの。
 そうして重厚な造りの扉を開けばお部屋は爽やかな柑橘系とムスクなのでしょうか。
 この爽やかな香りの中にも男性的な香りは何時もジーク様が纏われているもの。
 またお部屋は何時もの様に綺麗に整頓されてはいますけれども調度品はどれも素晴いもので、シックな色合いと言いジーク様の趣味の良さが引き立てられております。

 ですが静かに周囲を見回してもお部屋の主であるジークヴァルト様のお姿は何処にも見当たりません。

 可笑しいですね。
 グスタフの様子では間違いなくジーク様は私室にいらっしゃる筈でしたのに……と何気に奥へ視線を向ければ扉が三つありましたの。


 一つ目は浴室だと思います。
 二つ目は衣装兼支度部屋なのでしょう。
 三つ目は――――きゃっ⁉

 あ、そ、そのき、きっとええそうですわ。
 三つ目の扉の向こうは……寝室。

 後二日もすれば夫婦で使用する事となるし、寝室ですわ。

 す、少し頬が、いえ顔が物凄く熱く感じてしまうのは気の所為にしてしまいましょう。
 
 私は顔が火照まいとぶんぶんかぶりを左右へ考えもなしに振りましたの。
 そこで初めて気が付いたのです。
 右奥の扉が薄らと、ほんの少しだけ開かれたままになっているのを……。


 それと同時に何やら押し殺した様な呻き声、なのでしょうか。
 また思い当たらない音の様なものも何やら聞こえてきますわね。
 
 あ、もしかすると向こうは寝室で、何処か具合を悪くなされたジーク様が助けを呼んでおられるのかもしれません⁉

 きっとそうですわ!!
 それならば全て合点がいきますもの。
 そうとわかれば一刻も早く駆けつけなければ!!
 ここは未来の妻として放っては置けません!!

 私はただひとえにジーク様の身を案じ開いている扉へと向かいました。


 でもまさかあの様な事となるとは⁉

 この時の私は余りにも何も知らなさ過ぎたのです。
 いえ何も知らないだけではなく正義の味方宜しくと言った具合に、私は決して開けてはならぬパンドラの箱を思い切り、然も盛大に開いてしまったのです。
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