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第三章  過去2年前

17  漆黒の月

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『いいね、実に良い表情かおをしている。愛しい僕のエヴァンジェリン。君のその恐怖で引き攣った顔を見ているだけで僕は最高に幸せな気持ちになれる。あぁやはり本物には敵わない。君だけだよ可愛いエヴァ。君だけが僕の心を満たしてくれる存在だ』

 恍惚に浸っている声の主はそう囁きながら更にエヴァへと近づいてくる。
 エヴァは逃げなくては……と心の中で思ってはいるのだが、余りに突然齎された恐怖で助けを呼ぶ為の声を、一言すら発声出来ないでいた。

 今現在のものだけでなく幼い頃より受けた恐怖がフラッシュバックし、咽頭だけでなく口腔内がカラカラに干上がり、唾液を生成する事も叶わない。
 また身体の震えも酷くなるばかりだ。
 何よりもこの場より逃げる為のエヴァの手や足も恐怖で竦み上がると共に指一本すら動かす事が出来ないでいた。


『可愛いエヴァ、本当に可愛過ぎるよ君は……。あぁ今直ぐ君を僕のモノにしてしまいたい』

 ひぃっと思わず心の中で叫んでも実際に声となって発する事さえ叶わない。
 余りの恐怖で涙腺も既に可笑しくなっている。
 だけどこのままでは本当にこの恐怖に囚われ逃げられなくなってしまう。

 彼女は恐怖に押し潰されそうになりつつもありったけの勇気を振り絞りこの状況から逃げる術を考える。

 そこで初めてエヴァが考えたのは、何故だ!!

 深く考えなくとも就寝時彼女は確かに離宮の寝室にいた。
 またアナベルに知られる事なくこの場所にいるのかという事実。
 アナベルならば絶対に異変には気づいてくれた筈。
 そしてきっとエヴァを奪われまいと動いてくれただろう。

 だが彼の声の者は一切アナベルの事に触れてはいない。

 アナベルは強い。
 その強いアナベルが暴漢が襲ってきた時点でエヴァへ何かしら危機を伝えてくれただろう。
 でもその形跡はない。
 だとすれば……エヴァは何か手掛かりはないのだろうかと、恐怖と闘いながら必死に大きな瞳をクルクル動かし周囲を見る。
 そうして目に入ったのはこの部屋の大きな窓だった。


 大きくも立派な窓であればさぞかし月明かりもしっかり入る筈なのに、どうしてこんなにも昏いの?
 月が、月の光があれば……っ!?


 カーテンは閉められてはいない。
 当然外の景色も見えていた。
 そしてエヴァの探し求める月は確かに存在していたのである。


 黒い……月?
 雲一つない闇夜にあるのは大きな漆黒の月だなんて……⁉


 そこでエヴァは昔、まだライアーンにいた頃王宮にいた魔法師より聞いた話を思い出す。

 新月……さくの夜の中でも十五年に一度やってくるその夜は、闇の支配をより強く高められる漆黒の月が姿を現すらしい。
 漆黒の月が昇る間は闇に属せし者の呪術を用いどの様な結界をも超え、また求める者の夢の中へ直接入り込む事が出来ると伝えられている。

 これは寝物語の様にエヴァが聞いていた話であり実際に存在するとは夢にも思わなかったのである。


『ククク、流石は僕の愛しいエヴァンジェリン。その様子では気がついたのだね。これは夢現の中だという事を……』

 声の主は彼女がカラクリに気づくと然も愉しいと言わんばかりに言葉を紡ぐ。

『だけどねエヴァ、確かに僕は今君を直接触れる事は出来ない。でも君が見ている光景は夢ではないよ。これはちゃんと現実だ』

 現実であると告げられた瞬間エヴァは恐怖で益々顔を引き攣らせたのだった。
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