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幕間 三国の過去
3 失感情症
しおりを挟むシャロンの縁談を断って以降エヴァンジェリンは事ある毎にその命を脅かされていた。
彼の国より放たれたであろう暗殺集団はライアーン人の中にも存在し、何時如何なる場所で誰がどの様な方法を用いて彼女を襲うのかは全く予想が出来なかった。
長閑な農業国家ライアーン。
穏やかな争う事を何よりも嫌う国民性だったのにである。
繰り返される刺客の為にその頃では誰が敵で誰が味方なのかもう判別等無理に等しかった。
お互いにお互いの事が信じる事が出来ない危機的状況。
暗殺集団は街や王宮の人間に空気の様に馴染み、そして何の違和感もなく突如エヴァを狙うのである。
そんな異常な環境下の中エヴァは物心のつく前より出来るだけ人との接触を極力少なくしていた。
また食物から始まり衣服や生活の細部に至るまで毎日点検し、漸くその瞬間の安全を確保するという生活を強いられてきた。
結果として当然エヴァの代わりに犠牲者は続出する。
主に彼女付きの侍女や護衛の騎士が対象となった。
攫う事も殺す事も出来ない代わりにと、まるで見せしめの様に態々エヴァの見える所で彼らは命を摘み取られていく。
最初こそは殺されるだろう者達へエヴァは感情を昂らせ刺客達へ彼らを殺さないでと喚き叫んでいた。
だがエヴァが感情を露わにすればする程にシャロンから、アーロンよりもっと手酷く嬲り殺せと命が下される。
アーロンにしてみればお気に入りのエヴァがこのゲームを愉しんでいると、自分の許へ来ないのはこの殺人ゲームを続けたいからこそなのだと捉えていた。
狂っている!!
エヴァだけでなくライアーンの国民皆がアーロンの残虐性に恐れを抱いた。
狂気に満ちた日常の中でエヴァは両親や周りの人間へ感情をぶつける事も、助けを乞う事も次第になくなっていく。
年相応の子供達に比べ遙かに聡明な彼女は、自身の置かれている状況を教えられずともちゃんと弁えてもいた。
しかしどんなに弁えていたとしてもだ。
王族としての矜持が備わっていたとしても、エヴァはまだ幼い子供である。
頭では理解出来ても心はまだまだ不完全。
毎日毎時間毎分毎秒……何時何処から誰がどの様にして自分の命を狙ってくるのか、若しくは誰が目の前で惨殺されるのだろうか。
考えまいとしても息を吸って吐く様に自然に脳裏をよぎる。
万が一死の瞬間が訪れた際、自分は王族らしく毅然とした態度で死を迎える事が出来るのであろうか?
美しくも愛らしい幼い王女の心の中では何時もその事ばかり考え……いや、本当は違うのだ。
口に出す事すら憚れるが本心では泣き叫びたい程にこの状態が嫌だった。
物心つく前より常に何かに怯えて暮らす自分にも!!
そして何時も周りを警戒する両親もだが、自分の世話をしてくれる侍従や侍女並びに警護してくれる騎士に国民全てを!!
心より信じる事の出来ない自分が、情けない自分の心が堪らなく嫌!!
それに護ってくれる皆が目の前で惨たらしく殺されていく様を見るのはもっと嫌!!
だって私は誰よりも臆病者――――なの。
エヴァを取り巻く環境が、彼女を護りたいと思う者達が、自然と彼女を追い込んでいく。
何とか身の安全を図ってはいるものの、エヴァの精神は徐々に蝕まれていく。
表面上は何も変わらない。
だから最初は誰もエヴァの異変に気付かなかった。
彼女の笑顔や仕草、王族らしい立ち居振る舞いに受け答えからは、とても5歳の子供とは思えないくらい小さな淑女だったのだ。
そんな娘の小さな異変に気が付いたのは母親である王妃だった。
元々大人びた娘ではあったが、美しい表情からは何時しか感情というものが存在しなかったのだ。
最初は母親特有の勘で抱いた小さな違和感が、日が経つ毎にその違和感が徐々に大きくなるにつれてエヴァンジェリンは生きた人形の様になっていく。
確信を持った王妃は直ぐに夫である王へと相談し、王は医師へ診断を仰いだ。
医師より齎された診断は強度の精神的ストレスによる失感情症。
国王夫妻は愛する娘の身の安全ばかりに気を取られ、それによる心の病まで気を配る事が出来なかったのを心より悔いた。
幼いエヴァの心の病ををこれ以上悪化させない為に国王は幼い頃より親交が深く、そして最も信頼のおけるベイントン伯爵と相談した。
伯爵の末娘に白羽の矢が刺さる。
末娘アナベル・ベイントンはエヴァの護衛兼話し相手として呼び寄せられた。
何時殺されるかもしれないエヴァの傍近くへ……。
最初はエヴァとアナベルの関係は良好とはお世辞にも言い難かった。
でも幾多の困難を乗り越える毎にほんの少しずつではあるが二人の間に信頼が構築されていく。
そうして失感情症が少し快方へと向かった頃だった。
シャロンよりルガートと再び開戦するから加勢しろと強要してきたのだ。
それはエヴァもう直ぐ8歳となる少し前の事である。
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