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向井浩二の手紙

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向井浩二の手紙


     富川博之様へ

 義兄さんお元気にしていますか。私が逮捕されてから、もう一か月が経過しました。

 義兄さんには、この一か月色々とご迷惑をかけたと思います。本当に申し訳ございません。

 全て白状すると、すっきりとした気持ちになりました。これも岸辺刑事のおかげです。本当にあの刑事さんには感謝しています。

 姉さんも最初は口を割らなかったらしいですが、最近になり事件のことを少しずつ話し始めたようです。

 私には殺人の罪を一生黙っているような度胸は、正直言ってありません。だから今のうちに警察に全てを話して楽になることにしました。

 ただし、義兄さんは事件の全貌がまだつかめていないと思いますので、私から警察にお断りを入れてこうして一筆手紙を記すことにしました。

 ここに私たち姉弟の罪が記されていますので、しっかりと目を通されてください。

 私の姉の香織は表向きはハローワークの課長ですが裏の顔も持っていました。
 それは戸籍売買を行っていることです。

 対象者は主に就職先で問題を起こして懲戒解雇となった社員や倒産して夜逃げした企業の経営者などに対して、金銭と引き換えに新たなる戸籍を提供して人生の再出発を行わせることでした。

 なぜそんな事をするのか、と訊ねても姉さんは何も答えないでしょうから、私が代わりに答えておきます。姉さんが勤務していたハローワークでは昔から、それが慣習化していたのです。

 当初は人助けと思ってやり始めていたらしいですが、人間とは不思議なもので金銭が多く入るにつれて欲が出てきます。

 いつしか売買の対象者が拡大されて、反社会勢力の連中の逃亡のための戸籍作りまでするようになっていました。金銭の魔力とは怖いものです。

 私はハローワークの人間ではありませんが、姉さんから特別に引き抜かれて顧客探しとして働いていました。

 病院に勤務していると会社のことで困っていたり、反社会勢力の人間と出会う確率は高く、今まで百人以上の人間を姉さんに紹介しました。

 そんな暮らしを五年以上続けていました。

 今までミスやトラブルはなかったのですが、私にとって最悪の顧客が目の前に現れました。

 一人目は家で殺された長野司であり、もう一人はホテルで死んだ沖田遼《おきたりょう》です。

 長野は私が顧客探しをしているのを最初から知って近付いてきました。ですが、私は長野に警戒をしませんでした。長野のように私の情報を裏で入手して、やって来る人間が、たまにいたからでした。

 長野は借金取りに追われているから助けて欲しい、と私に言ってきました。私はすぐに姉さんに連絡をしました。

 ところが、これは罠でした。長野はマスコミの人間であり、最初から私と姉さんの戸籍売買の実態を社会にリークするのが狙いだったのです。

 戸籍売買が行われている場所については、私と姉が捕まったので義兄さんも知っているでしょう。

 あの家です。かつては、義兄さんと一緒に住んで楽しく過ごしたあの家を犯罪の場に使って申し訳ございません。謝ってすむものではないと分かっているのですが、どうしてもこの場で謝らせてください。

 話を戻します。あの日は家に私と長野、それから沖田がいました。沖田も借金で逃げていた男です。

 ちなみに私は、仕事を休んでいました。売買のある日は、なるべく休むように姉さんから命令されていました。

 私は長野と沖田に新たに作った戸籍を渡して、今後の生活について説明していました。その時、長野が持っていたカバンからボイスレコーダーが見えたのです。

 私はすぐに長野がマスコミの人間だと分かり、その場で長野と口論になりました。

 本性を現した長野は、黙っている代わりに指定する口座に毎月十万円を振り込むように、要求してきました。

 長野の意図は読めていました。最初は少額ですが、いつか高額を吹っかけてくるに決まっているはず。

 私は長野に現金を渡すと言って、その場から離れました。もちろん、現金ではなく持ってきたのは包丁でした。

 あとは長野を追い回して刺し殺した次第です。

 邪魔なやつを片付けて、ほっとしました。だがそんな私に、「やってしまいましたね」と沖田は野卑な声で語りかけてきたのです。

 私はこの時になり沖田のことを蚊帳の外にしていたのを不覚と感じました。しかし意外にも沖田は私を見逃そうとすることを提案してきました。

 なぜ沖田がそんな行動に出たのか分かりません。今になって思うと、あれは下手な芝居であり、金に困窮したら私を脅す気だったかもしれません。

 私はとりあえず、長野の遺体を誰かに発見してもらうことを考え、姉さんに連絡することにしました。

 すでに同居していない自分が発見すると義兄さんが怪しむ可能性は高かったし、近所の人に見つけてもらうには時間がかかると思ったからです。

 発見のために私は姉さんを呼び出すことに決めました。呼び出す方法を考えたのは沖田です。なるべく怪奇的に仕上げた方が、人間は気になって仕方がなくなるはず、と言っていました。
 
 使用する携帯は殺した長野の携帯を使い、かける役目は沖田が実行しました。ちなみに終わった後で長野の携帯は私が破壊して、職場近くの川に捨てました。

 ところが計画と上手くいかないものです。昼食中であった姉さんは自分で行くことをせずに、外勤をしていた義兄さんに頼みました。これは私も予想していないことです。

 結局、長野の遺体は義兄さんと小室さんによって発見されることになります。義兄さんが門柱で見た男は沖田です。私は沖田に従い、隠れて様子を見守っていました。

 本当に小室さんには気の毒な事をしました。いまだに職場には復帰をされていないと岸辺さんから聴きました。罪を償い終えたら必ず謝罪に行くことをお伝えください。

 さて、姉さんが家に到着したのは義兄さんが遺体を発見してから、少し経過してからでした。

 姉さんはまだこの時、家での殺人は私が犯人とは気づいている様子もなく、岸辺刑事の質問に淡々と答えているだけでした。

 私と沖田は、また何かあったら連絡をとる事を約束して別れました。思い返せば、この時に私が沖田を殺しておけば良かったと思います。

 そうすれば姉さんもホテルであのような真似はしなかったはずでしょう。

 沖田は私と別れた後に、義兄さんが泊まっているホテルに宿泊して、姉さんを呼び出しました。目的は金銭です。下手をすると姉さんの身体も要求していたかもしれません。

 だが、沖田は脅す相手を間違えました。義兄さんも知っての通り、沖田は姉さんの手にかかり殺されました。

 私は沖田がホテルで死んだ事を知り、姉さんに殺されたのだと悟りました。長野もそうだが、沖田も馬鹿で愚劣なやつである。先ほども述べましたが沖田を始末しなかったのを後悔しています。

 私は沖田を殺したのが姉さんであると分かると、逃げることは不可能であると考えて自首する決意を固めました。

 以上が今回の事件の顛末でございます。

 だけど不思議なことにハローワーク内で戸籍売買という不正を行われていたにも関わらず、逮捕者は私と姉さんの二名だけでしたね。

 私が知っている姉さんの上司や同僚は何のお咎めもないなんて世の中はどうなっているのでしょうかね。要するに姉さんは、とかげのしっぽ切りにあったのだと推測してもよろしいでしょうか。

 さて、これだけ書くのは実に疲れました。義兄さんも読み疲れたと思います。
 最後に記しておきたい内容がございます。

 それは姉さんが沖田を殺した理由です。沖田殺しの動機について姉さんは、沖田から戸籍売買の件で脅されて、金銭を要求されたと言っています。もちろん、それは事実でしょう。

 ただし、私は別の理由も考えています。

 それは家族を守るためです。

 その家族とは私ではなく、あなたです。

 富岡博之さん。

 姉さんにとってあなたは、金銭なんかでは買えないほど大切な存在でした。

 姉さんはいつも私に話していました。子どもはいないが二人で過ごす時間はいつも楽しい、と。

 確かに半分は保身もあったかもしれませんが、残り半分は家族への愛情で間違いないと私は思います。だからお願いです。姉さんの事は絶対に忘れずに待ち続けてください。

 身勝手なお願いかもしれませんが、これが最後のお願いです。

 長い手紙となってしまいました。読むのはさぞ、億劫《おっくう》でしたでしょう。私はこの辺りで手紙を終わろうと思います。

 義兄さんどうか、お身体をご慈愛願います。



                                      了



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