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第二章 メイダール大学街

第二話 計画の実行

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 目が覚めた時、僕は霞む目でぼんやり見慣れぬ天井を見ていた。
 痛みと気分の悪さのせいで視界が狭い。
 顔をしかめていると、良い香りがしてくる。
 マールのれる薬草茶の香りだ。
 僕を覗き込むセルジン王の顔が、微笑んでいる。

「……陛下」
「オリアンナ、気が付いたな。マール、意識が戻ったぞ。薬草茶のいい香りのおかげだ」
「恐れ入ります」

 マールが微笑みながられた薬草茶を杯に注ぎ、スプーンを入れて王に渡す。
 王はスプーンでお茶を自分の口に入れ、温度を測る。

「まだ熱いな」

 そう言って杯を揺らした。
 薬草茶を冷ましているのだ。

「そなたの導の魔力は強力だ、こんなに早く治るとは……。泉の精に感謝せねば」

 僕は身体を起こそうとしたが、あまりの痛みと気分の悪さに再び枕に顔を沈める。

「無理をするな、ゆっくり休むのだ。死にかけたのだぞ」
「そうです、一時はどうなる事かと心配しましたよ」

 マールが枕に布を置きながら、僕を上向きにさせた。
 起きるにしても僕は包帯以外身に着けていない、王の前で肌が露わになる事に気付き、痛む腕で慌てて毛布を被る。
 王は再びスプーンでお茶を口に運び、温度を確かめた。

「もう良いだろう。オリアンナ、口を開けよ」
「え?」
「飲ませてやろう」

 気分の悪さが吹き飛び、顔が赤くなり鼓動が跳ね上がる。

「じ、自分で、飲みます」
「遠慮するな、まだ気分が悪いだろう? ほら……」

 そう言って王は、お茶の入ったスプーンを僕の口元に差し出す。
 口を開けるのが恥ずかしいと思いながら、おずおずと口を開けた。
 丁度良い温かさの薬草茶が、口に流れ込んでくる。
 入りすぎてむせないよう、王は少しずつ流し込む。
 甘く爽やかなお茶は、僕の気分を良くさせる。
 いや、王にお世話されている段階で、気分はこれ以上無い程浮上しているのだ、ふわふわと……。


 薬草茶を飲み終えた後、またしばらく眠った。
 次に目が覚めた時に、エランが心配そうに僕を見ていた。

「大丈夫?」
「うん、大丈夫。…………もう死ぬのかって思った。もう……、怖くて……」

 涙が出て来た。
 今頃になって霧魔に捕まった恐怖感が甦ってきたのだ。
 対応しているのがエランだから、素直に弱音が言えるのかもしれない。
 彼は僕の涙を手で拭き取り、優しく頬に温かい手を添えた。 

「ごめん、守れなくて」

 エランの顔に苦悩が浮かんだ。
 周りから何か言われたのかもしれない。
 責任の重さに苦しんでいるような、そんな様子が見て取れる。

「エラン、霧魔は陛下でも防げない魔物なんだよ。君が気に病む事はないよ」
「そうだけど……」

 僕は彼の手を取って、掌にくちづける。

「笑ってくれよ、エラン。僕は君の笑顔を見ていたいんだ」
「…………まるで、妻に言うセリフだ」

 二人で吹き出した。
 笑うと傷口が痛むからマールに止められたけど、笑っている方が幸せだ。
 エランは僕の額に優しくくちづけをして、マールに促されるまま部屋を出て行った。
 僕は見送りながら、また眠りに落ちる。



 翌朝、僕は起き上がれるまでに回復した。
 《聖なる泉》の精の魔力、〈生命の水〉のおかげだ。
 侍女のミアに腕輪と新しい服を渡され、それらを身に着けた後《ソムレキアの宝剣》を腰に提げる。

 失くさなくて、本当に良かった。

 どうやって助かったのか、痛みの記憶と同様に思い出せない。
 何か大事な事を見失ったまま、僕はマールに連れられて王のもとに向かった。

「本当に動けますか? 無理はされていませんか?」
「大丈夫だよ。それより、僕は何日寝込んでいたの?」
「五日です」
「そうか……。それじゃあ、早く計画を実行しよう。いい手を思いついたんだ」



 セルジン王のいる部屋の扉を開けた時、僕は不思議な感覚を味わった。
 《聖なる泉》の門をくぐる感覚と似て、重厚な入り口の扉やそれを開けた先の部屋も、煌々こうこうと火の燃える暖炉やそこにいる召使達も、まるで全てが幻のように見えた。
 何かの魔法の一環に、迷い込んだみたいに。

「オーリン、大丈夫なのか?」
「あ……、はい」

 明らかに執務中のセルジン王に助けを求め、彼と目を合わせる。
 王は安心させるように優しく微笑みうなずき、僕はホッとして緊張を解く事が出来た。
 王の側にいると心が安らぐ。
 エランはどうだろうと思い彼を見るが、特に何も感じていないように王の執務を手伝っている。
 レント領を出てから、彼は王に仕える従騎士になった。

 オリアンナではなくオーリンという呼びかけは、近くにいる見知らぬ小柄な老人を気遣っての事だ。
 その老人は不思議な雰囲気をかもしている。
 まるで掴み処のない霧が凝縮したような希薄な存在感だ。
 僕は一瞬、幻を見ている気がした。

「お怪我は……、もう宜しいのですか?」

 老人は優しい目をしながら、じっと僕を観察している。
 早過ぎる回復を、不思議に思っているのだろう。
 王がさり気なく二人の間に立ち、彼を紹介する。

「そなたは大怪我をした状態で、メイダール大学街に運び込まれた。彼は学長のヴァール・ケイディス。我々に自宅を開放してくれたのだ」
「ご迷惑をお掛けしました、ケイディス学長」

 病院より個人邸の方が、僕を隠せる。
 それに王の薬師は、優秀な医師でもある。
 だが提供した方は迷惑だろう、僕は瀕死の状態で、血に塗れていたはずだ。
 学長はなんでもないと首を振る。

「ゆっくりお休み下され殿下、無理は禁物ですぞ。もし本当にご回復されたのなら、細やかですが今夜にでも歓迎の宴を用意させましょう」
「ありがとうございます」

 宴を断るのは失礼にあたるので、僕は嬉しそうに微笑み、頷いた。
 学長は王に礼を取り、家令に指示を与えるために側を離れた。
 僕はチャンスとばかりにエランの手を掴み、驚く彼を引きずり王の前に立つ。

「どうした?」
「歓迎の宴まで時間があるのなら、エランと二人で外を見て来ても良いでしょうか? 行きたい場所があります!」
「回復したばかりで、大丈夫なのか?」
「大丈夫です。マールさんが付いてきてくれますから」

 事前にマールと打ち合わせしてある。
 王はいぶかしむように、僕とエランを見つめている。
 嘘がばれている気がして、僕の心臓は高鳴った。

「この大学の自治と自由は王権で保障している、だから《王族》の我儘は通じぬぞ。出来れば大人しくしていなさい」
「我儘なんて言いません!」

 まるで我儘な《王族》と言われたようで、僕は意味が解らず王を睨む。
 彼は微笑みながら、釘を刺す。

「大学街で起きた事は大学の法が裁く、つまり国王には手出し出来ないのだ。それでも行きたいのなら、私も同行しよう。そなたが行動する時は、私も付き合う事にする」
「デートです! 二人で行きます、陛下はついて来ないで下さい!」
「オーリン様!」

 王に対する口答えに、ミアが慌てて口を挟む。
 エランは焦ったように僕の腕を引っ張る。
 そんな打ち合わせはしていないので、戸惑うのは当然だ。
 王は声を上げて笑った。

「なるほど、デートか。では、そなたのドレスを用意させよう」
「え? いえ、僕はこの格好で構いません!」
「その格好で行くのなら、デートと認めぬ。私も同行する」
「……あの、僕はドレスを持ってきませんでした。だから、この格好で……」
「ドレスならあるな。サフィーナがこの一カ月で三着作らせた。そなたの荷物の中に入っている」

 僕は驚愕して固まり、そのうち怒りで震え始めた。

 どうして義母上ははうえは、そんな余計な事ばかりするんだ!

 養母サフィーナは男子として育った僕を昔から娘として扱い、ドレスを何着も作らせ、何度も着せようと画策してきた。
 その度に僕は彼女に反発して、何度も泣かせてきたのだ。

「ドレスを着た場合、護衛の数を増やさないと外には出せぬが、それで良いか?」
「か……、かかかかかまっ……、いません」
僭越せんえつながら、私もお供させていただいて宜しいでしょうか?」

 王の近衛騎士隊長トキ・メリマンが、無表情に礼を取り王に願い出る。
 彼も同じ目的で行動する協力者。
 大学図書館へ行く僕達の行動を他の護衛達が疑問に思っても、彼がいると疑問を投げかけてくる兵達を抑え込める。
 それはとても助かる事だ。

「ふむ、そなたがいるなら、心強いな。よかろう、同行を許す。必ず王太子を守れ」
「は!」

 トキは礼を取った。

「大学街は霧が出ているが、夢魔は入り込めないように対策を施してある。安心して出かけるといい。では、侍女を呼べ」

 王は側近に指示を出し、侍女達が集められた。
 僕は強制的な衣装替えに目の前が真っ暗になり、いかに墓穴を掘ったかを思い知る。

 計画を実行するためだ。
 王がついて来るよりマシと思おう……。

 僕がドレス姿になった後、セルジン王は念を押すように言う。

「そなたがドレス姿でいる時は、エアリス・ユーリア・ブライデイン以外を、名乗ってはならぬ。皆にも徹底させる、判ったな?」
「はい……」

 僕は長い金髪のかつらの髪を揺らしながら、がっくり項垂れる。
 偽名であるエアリスを名乗るのは、別人にならなければならず好きではない。
 町娘風の比較的身軽なドレス姿で、僕は顔を引き攣らせながら外に出た。

 セルジン王を、人間に戻すための第一歩だ。
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