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第一章 レント城塞
第三十七話 惨劇の館
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―――歌声が聞こえる。
優しい女の声。
子をあやし、包み込み、抱きしめる温かな腕。
思いっきり甘えられる存在に身を預け、その胸に顔を擦り付ける。
なんて幸せなんだろう―――
目が覚めたら、血まみれの書斎に横たわっていた。
目の前に、半分喰いちぎられ片方の眼球が飛び出した男の片目が、僕を見つめている。
恐怖に悲鳴を上げたいのに、声が出ない。
猿轡を噛まされ、両手を後ろ手に両足共縛られているからだ。
くぐもった悲鳴を聞きつけ、月光石を持ったテオフィルスが、死体を踏みつけやって来る。
「この館が他人の住居というのは嘘だな。お前の王は、嘘つきだ。しばらくそのままでいろ、騒がれると厄介だ。用件が済めば立ち去る。置き去りにするが、お前はそのうち誰かが見つけるだろう」
[若君、ありました。「サリタの隠し絵」です。老トムニ、解読願います]
[ふむふむ、「サリタの隠し絵」を使うとは、エドウィン様らしい。ご家族に気を使われての事じゃ]
テオフィルスは、模様に見える暗号文を確認するために、仲間の元に戻って行った。
三人の男達が手がかりに夢中になっている間に、恐怖から逃れようと泣きながら這いずり、部屋の入り口に向かう。
血が全身を汚した。
夜なのに白昼夢のように、この館の惨劇の全てが見える。
屍食鬼に殺された者達の魂は地獄につながれ、永遠の責苦に遭うという。
惨殺された者達の、うめき声が聞こえる。
ただ違うところは、殺戮する屍食鬼達の姿が無い事だが、僕にはその事に気付く余裕も無い。
書斎の入り口の扉は開いていて、何かの気配が向こうにある。
呼んでいる……。
入り口近くの廊下に、喰いちぎられ血にまみれた女の背中が見える。
それを見ないようにしながら、扉を抜ける。
怯える狭い視界で、不意に進む頭が、何かに当たった。
恐怖を噛み殺しながら見上げる。
セルジン王が立っていた。
王は口元に人差し指を当て、静かにするように動作で伝える。
僕の目から、安堵の涙が溢れ出す。
猿轡と両手両足の戒めが解かれた。
「王さま……」
王にしがみ付き、声を噛み殺して泣いた。
彼は優しく抱きしめる。
「そなたに、ここは無理だ。早く館の外へ」
「血が……、ここ、血まみれ……。オリアンナ……、ここ、嫌」
意識が、幼いの子供に戻っている。
王は横抱きに僕を抱き上げ、優しく語りかける。
「そうだな、ここは血塗れた記憶がこびり付いている。そなたは記憶の中にいるのだ、目を閉じ、耳を塞いでいろ。何も感じ取るな。必ず守る、安心するのだ」
言われた通り、目と耳を塞ぐ。
何も感じ取らないはずだった。
……何かが聞こえた。
それは昼と夜の狭間、黄昏時の鳥達の喧騒にも似た、帰巣本能の叫び。
人とも鳥ともつかぬその叫びは、僕を求めている。
「呼んでる……」
「耳を傾けるな、何も考えるな。ここはただの館だ」
王は足早に二階の書斎を離れ、吹き抜けの廊下を渡り、階段から玄関ホールに降りた。
「あそこ……」
目を開け、一階のホールの中央を指差す。
そこは僕が、公開処刑のように殺された場所だ。
王は見ない。
「ならぬ! 感じ取るな」
「光ってるの……、剣が。血の中で呼んでる、オリアンナって……」
彼は足を止めた。
「……剣?」
ゆっくり、その方向を見る。
そこは八年間の埃と、蜘蛛の巣が厚く積もった床、夜目が利く王でも、何も見えない。
「剣は、光っているのか?」
「うん。おいでって、呼んでるの。あれで母さまを助けられる?」
王に降ろされ、そのまま彼の手を引っ張りそこへ行く。
王は導かれるまま、その手から手へ魔力を送り込む。
僕の見ている過去の記憶を、映し出す魔力を……。
「或いは、そうかもしれぬ。その光を手にしてみよ、オリアンナ。ただ、見るのは光の剣だけだ。それ以外は感じ取るな」
僕の周りに、血で染まったホールが現れ、やがてそれは館全体へ広がっていった。
この館の惨状を再度目の当たりにした王は、一瞬目を背ける。
妹の無残な姿を、捉えてしまったのだ。
王の目に、悲しみが浮かぶ。
「何も見てはならぬ、見るのはただ光の剣だけだ。呼び声に答える事だけを考えるのだ」
まるで自分に言い聞かせるように、王が言う。
書斎から、恐怖の叫び声が上がった。
突然現れた血の海のような惨状に、アルマレーク人達が書斎から駈け出して来る。
館全体に広がる惨劇の跡に、吐き気を催しながら、テオフィルスは懸命に冷静になろうと努力した。
「怖い所」の意味が、嫌という程理解出来る。
王は怒りの目を彼等に向け、腰に下がる長い剣を鞘から抜いた。
(オリアンナ……)
内なる呼び声に意識を集中させ、僕は光る剣に近付く。
横たわり絶命した五歳の僕の、背の血だまりに、光り輝く剣が浮かび上がる。
剣に手を伸ばそうとした時、反対側から異様な人型の手が伸びてくる。
手だけで他が見えないそれは、光り輝く剣を取ろうとしていた。
王は長剣をかざし、切っ先で魔物の手を突く!
叫び声が木霊した。
「早く、手に取るのだ。魔王が来る!」
王の切羽詰まった声に即されて、血の中から輝く剣を拾い上げた。
優しい女の声。
子をあやし、包み込み、抱きしめる温かな腕。
思いっきり甘えられる存在に身を預け、その胸に顔を擦り付ける。
なんて幸せなんだろう―――
目が覚めたら、血まみれの書斎に横たわっていた。
目の前に、半分喰いちぎられ片方の眼球が飛び出した男の片目が、僕を見つめている。
恐怖に悲鳴を上げたいのに、声が出ない。
猿轡を噛まされ、両手を後ろ手に両足共縛られているからだ。
くぐもった悲鳴を聞きつけ、月光石を持ったテオフィルスが、死体を踏みつけやって来る。
「この館が他人の住居というのは嘘だな。お前の王は、嘘つきだ。しばらくそのままでいろ、騒がれると厄介だ。用件が済めば立ち去る。置き去りにするが、お前はそのうち誰かが見つけるだろう」
[若君、ありました。「サリタの隠し絵」です。老トムニ、解読願います]
[ふむふむ、「サリタの隠し絵」を使うとは、エドウィン様らしい。ご家族に気を使われての事じゃ]
テオフィルスは、模様に見える暗号文を確認するために、仲間の元に戻って行った。
三人の男達が手がかりに夢中になっている間に、恐怖から逃れようと泣きながら這いずり、部屋の入り口に向かう。
血が全身を汚した。
夜なのに白昼夢のように、この館の惨劇の全てが見える。
屍食鬼に殺された者達の魂は地獄につながれ、永遠の責苦に遭うという。
惨殺された者達の、うめき声が聞こえる。
ただ違うところは、殺戮する屍食鬼達の姿が無い事だが、僕にはその事に気付く余裕も無い。
書斎の入り口の扉は開いていて、何かの気配が向こうにある。
呼んでいる……。
入り口近くの廊下に、喰いちぎられ血にまみれた女の背中が見える。
それを見ないようにしながら、扉を抜ける。
怯える狭い視界で、不意に進む頭が、何かに当たった。
恐怖を噛み殺しながら見上げる。
セルジン王が立っていた。
王は口元に人差し指を当て、静かにするように動作で伝える。
僕の目から、安堵の涙が溢れ出す。
猿轡と両手両足の戒めが解かれた。
「王さま……」
王にしがみ付き、声を噛み殺して泣いた。
彼は優しく抱きしめる。
「そなたに、ここは無理だ。早く館の外へ」
「血が……、ここ、血まみれ……。オリアンナ……、ここ、嫌」
意識が、幼いの子供に戻っている。
王は横抱きに僕を抱き上げ、優しく語りかける。
「そうだな、ここは血塗れた記憶がこびり付いている。そなたは記憶の中にいるのだ、目を閉じ、耳を塞いでいろ。何も感じ取るな。必ず守る、安心するのだ」
言われた通り、目と耳を塞ぐ。
何も感じ取らないはずだった。
……何かが聞こえた。
それは昼と夜の狭間、黄昏時の鳥達の喧騒にも似た、帰巣本能の叫び。
人とも鳥ともつかぬその叫びは、僕を求めている。
「呼んでる……」
「耳を傾けるな、何も考えるな。ここはただの館だ」
王は足早に二階の書斎を離れ、吹き抜けの廊下を渡り、階段から玄関ホールに降りた。
「あそこ……」
目を開け、一階のホールの中央を指差す。
そこは僕が、公開処刑のように殺された場所だ。
王は見ない。
「ならぬ! 感じ取るな」
「光ってるの……、剣が。血の中で呼んでる、オリアンナって……」
彼は足を止めた。
「……剣?」
ゆっくり、その方向を見る。
そこは八年間の埃と、蜘蛛の巣が厚く積もった床、夜目が利く王でも、何も見えない。
「剣は、光っているのか?」
「うん。おいでって、呼んでるの。あれで母さまを助けられる?」
王に降ろされ、そのまま彼の手を引っ張りそこへ行く。
王は導かれるまま、その手から手へ魔力を送り込む。
僕の見ている過去の記憶を、映し出す魔力を……。
「或いは、そうかもしれぬ。その光を手にしてみよ、オリアンナ。ただ、見るのは光の剣だけだ。それ以外は感じ取るな」
僕の周りに、血で染まったホールが現れ、やがてそれは館全体へ広がっていった。
この館の惨状を再度目の当たりにした王は、一瞬目を背ける。
妹の無残な姿を、捉えてしまったのだ。
王の目に、悲しみが浮かぶ。
「何も見てはならぬ、見るのはただ光の剣だけだ。呼び声に答える事だけを考えるのだ」
まるで自分に言い聞かせるように、王が言う。
書斎から、恐怖の叫び声が上がった。
突然現れた血の海のような惨状に、アルマレーク人達が書斎から駈け出して来る。
館全体に広がる惨劇の跡に、吐き気を催しながら、テオフィルスは懸命に冷静になろうと努力した。
「怖い所」の意味が、嫌という程理解出来る。
王は怒りの目を彼等に向け、腰に下がる長い剣を鞘から抜いた。
(オリアンナ……)
内なる呼び声に意識を集中させ、僕は光る剣に近付く。
横たわり絶命した五歳の僕の、背の血だまりに、光り輝く剣が浮かび上がる。
剣に手を伸ばそうとした時、反対側から異様な人型の手が伸びてくる。
手だけで他が見えないそれは、光り輝く剣を取ろうとしていた。
王は長剣をかざし、切っ先で魔物の手を突く!
叫び声が木霊した。
「早く、手に取るのだ。魔王が来る!」
王の切羽詰まった声に即されて、血の中から輝く剣を拾い上げた。
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