FIM WSBK World Diary

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CBR使い、最後の戦い。

Round6~11心機一転(ドニントン・パーク~アルガルヴェ)

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第5戦から、程なくして迎えた第6戦。舞台はドニントン・パーク。このラウンドからチーム名を「HRC MORIWAKI TSR Fire Blade Team Soaring Sky!Precure Racing 」へと改名してエントリーに。もう1つの方は「HRC MORIWAKI TSR Fire Blade With IDEMITSU Team ASIA Precure Racing Project」へと改名した。そしてこのラウンドから最終戦前のアルガルヴェまで、全チームCBR1000RR-RWを使用する様にという通達が来た。そう、CBR1000RR-RW EVOが「特例特認参戦」というのもあったが、最終戦まで温存しておきたいというHRC側の意向もある。俺は、1年ぶりの愛機にライディングする事になった。8耐までに何とか結果を残したい俺には、最高のチャンスだった。実は、以前問題になっていたR-CBSは、どうやら改良型が搭載されてるとの事。プロトタイプよりも約3.5kg近く軽量化されており、小型コンパクトになった。プロトタイプは重さ約5kgと、タイヤとマシンにとっては「生き地獄」とも言える物だった。それを1.5kgまで軽くしたのだから採用しない訳ない。こうしてフリー走行を迎えた。タイム的にも速さを見せたが、ヤマハとカワサキに一歩及ばない結果になった。ホンダ勢は皆トップ10に入って速さを見せた。予選では、ケリーが脅威的な速さでポールを奪取。俺は「あのさケリー、アンタさ?BSB出てた?でなきゃあんなタイム出ないよ?!」と言うと「ワイルドカードでここ走ったから、体が覚えてた。それだけよ。あとは、ガーロフをボコボコにしたかったからね。前回あんな酷いことしたお返しよ!」と前の事を相当根に持っていた。レース1では、前のリベンジとして、俺とケリーの一騎打ちを再び展開。結果、俺が最後の最後で振り切って優勝というレースになった。スーパーポールでは、美海が嵐珠とのバトルを展開して、現地のファンを大いに湧かせた。お互い一進一退の攻防戦を繰り広げ、最後は美海が僅かな差で逃げて優勝。レース2は、本当は避けたかったけど、チームメイトバトルを展開する事になった。俺は、美海をブロックしながら走っていたが、途中から集中力が限界を迎えつつあった。俺は、ほぼ気合いで最後までトップを守り切り優勝。レース後はかなりヘトヘトになったりもした。

第7戦イモラは、ヤマハ勢がかなり速く、そのペースに追い付くのがやっとのレースだった。個人的にはレミーの前には出たいという気持ちと、ラズカットリオグルに勝ちたいというレースでもあった。だけどこれが裏目に出て、最後の最後でペースを崩したどころか、焦りが前に出てしまい、転倒リタイヤという結果になった。幸いにも無傷の為、欠場は回避する事が出来た。

第8戦モストは、8耐前最後のレースでもあった。ここで上手いこと結果を残して8耐に繋ぎたいところだ。ホンダ勢は、ここで「最後の手段」に出た。何と「サテライトチーム」として「ワークスチーム」を出すという荒業を行使したのだ。しかも全日本選手権のワークスチーム格とも言える日本郵便レーシングを緊急ワイルドカードエントリーという形で出場させた。香里奈ちゃんも自身3度目のWSBK参加となった。レースウィーク通してホンダ勢は、速さを見せた。それぞれ一度は表彰台に登壇した。その中でも「今季ベストバウトレースの1つ」としてもカウントされたのがズバリ、レイナルドの「WSBK初優勝」だ。あの時の緑さんの嬉し涙とレイの嬉し涙には、俺にもグッと来た。レイナルドもインタビューで「やりました!!やりました!!最後後ろで輝が走ってるの見えた時は、もう…もう…すいません…涙で前見えなくなって、やっと勝てる!!そう思えて来て…ゴール通過した時に、感情溢れて涙止まらなかったです!!よっしゃァァァァァ!!!勝ったぞォォォォォ!!!」と涙を流して勝利の雄叫びをあげていた。そして、フィリピン人ライダーとしても初のWSBK優勝を達成した。俺もパルクフェルメに、「何故か一足早く到着」してしまい、レイナルドの帰りを待っていて、本人が到着すると皆して「おめでとう!!レイナルド!!遂に歴史を作っちまったな!!!フィリピン人初優勝だぜ!!初優勝!!!こんな歴史的瞬間マジで見れた事を俺は誇りに思うし、お前を誇りに思うし、尊敬してる!!それくらいすげぇ事成し遂げたんだぜ!?レイ!!今、お前が持ってる日の丸とフィリピンの国旗は、凄く凄くカッコよく靡いてたぜ!!」と俺が言うと「ありがとう輝!!遂にやったよ!!Moto3時代には考えてもなかった景色が僕の目に広がってる!!皆が笑顔で祝福してる!!大歓声が僕を包み込んでる!!なんて最高の光景なんだ!!!」と喜びを爆発させていた。シャンパンファイトでも皆して、レイナルドにシャンパンを浴びせた後に飲み干したりもした。

そんなベストバウトレースと8耐からしばらくして迎えた第9戦マニクール。前戦の優勝で波に乗ったレイナルドが、予選で脅威的な速さを見せて、フィリピン人ライダー初のポールポジションを獲得。全レースで表彰台及び優勝という最高のレースを披露した。俺も優勝と表彰台を獲得。美海と星奈は、レース2で2台同時にゴールした際、カメラ判定にまでもつれて、1000分の1秒差で美海が優勝を掴み取った。第10戦アラゴンは、まさに「レース・オブ・レイナルド」というレースに。あの勝利から、「勝利の美酒の味」と「勝利という名の「媚薬と麻薬」の快感」を知ってしまったらしく、完全に俺らの仲間入りを果たしている。そんなレイナルドもレース2で星奈との一騎打ちを展開して、WSBKベストバウトレースを繰り広げた。最後は、集中力が切れた星奈の隙を突く形でレイナルドが優勝を奪い取った。俺は、スタート直後の多重クラッシュに巻き込まれてリタイアに追い込まれた。あれはマジで怖かった。俺のすぐ後ろをバイクが滑って来て、危うく死ぬかと思ったくらいだ。ガーロフにはマジで命を救われた。俺が「おい、ガーロフ無事か?」と言うと「無事だよ。ヒカルこそ無事で良かったよ。にしても、ケリーのやつ、何故あそこまで俺に殺意と敵意剥き出しなのか知ってるか?」と聞いてきて「ほら、前にケリーが転けた時に、ガーロフが故意にやったって思ってるらしくて、あの後にやたら罵詈雑言を吐きまくってたよ。今でも相当根に持っているよ。」と話してる時「おい!ヒカル!後ろ!」とガーロフが叫んだ直後に、凄いスピードでバイクが「ザザザーッ!!」という音と共に俺の所に向かって来て、俺は「ヤベェ!!」と言いながら回避して「ふぅ…死ぬかと思ったよ。サンキュ。ガーロフ。」と言ったりもした。そんなマニクールだった。一方美海達は、このサバイバルレース無事に完走してポイントを獲得した。

第11戦アルガルヴェ。これが最終戦鈴鹿前の最後のレースに。俺が2連覇するというのは、前回の時点で潰えてる為、2位をキープする方向へと切り替えた。ここでは美海が全レースを制圧して、ポイントを大量獲得。俺も表彰台を獲得して、2位のまま最終戦鈴鹿サーキットへと向かうのだった。
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