勇者の三つの願い

家紋武範

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勇者の三つの願い

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 あちしは悪魔のスラング。もうすぐこの道を通るであろう人を岩に腰掛けて待っていた。
 暖かい風があちしの黒髪を棚引かせる。あちしはそれをかきあげながら道の先を眺めると、目的の人物はやって来た。

 伝説の兜、鎧に身を包み、深紅のマントをなびかせて、腰には見事な聖剣。まさに勇者の出で立ちだった。

「ハロー」

 あちしが岩の上で手を振ると、彼はペコリとお辞儀して通りすぎようとしたので、岩から飛び降りて通せんぼした。

「通りすぎるなんてずいぶんじゃない?」
「道を急ぐ身ですので、これにて」

 まったく面白くない回答に、あちしはため息をつく。

「なによぉ。こんな美人が声をかけてるっていうのに」
「キミは人の心を惑わす悪魔だろう?」

 ぐ。知られていた。さすが勇者。彼はスタスタと歩いて行ってしまうので、横に並びながら話を続けた。

「そーよ。あちしは悪魔。でも、あーたが倒そうとしている魔王とは別枠。元天使の堕天使ってとこかしら?」
「それで?」

「だからあ、あーたに手を貸してやろうってのよ。こんな可愛い子が手を貸してくれるなんて有り難いと思わない?」
「どうやって?」

「そこよ!」

 あちしは勇者の前に回り込んで両手を広げながらクルクル回った。

「このあちしが、あーたの願いを三つ叶えてしんぜよう! 神と等しい力を持っていたあちしには造作ないこと!」

 しかし、足を止めて見るとすでに勇者の姿はない。あちしが踊っている間に通り過ぎて居やがったようだ。マジなんなの?
 あちしは走ってその背中を追いかけた。

「ちょいちょいちょい! つれないじゃない。願いを叶えるって言ってるのに」
「不要だ。悪人から力を借りようとは思わない」

「ま! 勇者さまとあろうものが、か弱い女の子にヒドイことをおっしゃる。もう泣いちゃう。えーん、えんえん」

 あちしが泣き真似をすると、彼は深くため息をついて足を止めた。

「願い? 三つの願いとは?」
「よくぞ聞いて下さった! 勇者さまだって、人としての欲望があるはず。金、名誉、名声、権力、女……。あちしならそれらを難なく与えて差し上げれるのよォ。ただし、三つ願いを叶えた暁には、勇者さまの魂は私のものとなります」

「ふむ……」
「さあどうぞ! おっしゃってください! 王様のような栄耀栄華! たくさんの若い女性に囲まれたパラダイス! 世界一周旅行! 神のような叡知でも、なんでも好きなの言っちゃって!」

 彼は顎下に拳を押し当て、しばしの熟考……。そして口を開く。

「では、世界を平和にしてくれ」
「は?」

「平和だ。みんな仲良く暮らせるようにしてくれ」
「な、なーんやそれ」

 あちしは彼の胸を軽く叩いて突っ込んだ。

「ん? もう叶ったのか?」
「いやいやいや、あーたバカぁ? そんな薄ボンヤリした願いなんて叶えられないわよ。平和ってなに? 何の平和? みんなってどこまでのみんなよ?」

「人も獣も魔物だって一緒に暮らせる世界だ」
「そんなん無理に決まってるじゃない。あーただって肉を食べるでしょう? 魔物だって人を──。それぞれ平和の基準が違うもの。それにあーたの魂一つで叶えられるものじゃないわよォ。ちょっと、どこいくの!?」

 話の途中でさっさと歩き出す勇者。
 う。コイツ、なんだってのよ。あちしの美貌にも目もくれないし。またもや隣りに並んで歩く。

「ね、ね。寒くない? お腹空かない?」
「おお、そうだな。では、みんなが暑さ寒さに悩まないように快適にしてくれ」

「無理に決まってるでしょ。星の動きを止めろっての?」
「では、みんな飢えないように、思ったところに食べ物が出るようにしてくれ」

「ちょちょちょ、なによそれー」
「では貧富を差を無くすのは?」

「そーゆーんじゃなくて、もっと自分の願いよ」
「これが私の願いだが?」

 ホント腹立つ。あちしは立ち止まると、アイツは目もくれないで先へ先へと歩いて行く。

「ンベー、だ!」

 あちしはアイツの背中に向けて舌をだし、別な方向に歩き出した。あんなヤツに商談を持ちかけたのが間違いだった。
 そもそも、あーゆーヤツこそ簡単に自分の欲望をさらけ出すと思ったのに。

 考えながら歩いて行くと、左腕に刺すような痛みが走った。見ると矢が刺さっている。矢の放たれた方向を見ると、男たちが数人高いところに立って嫌らしい笑みを浮かべていた。

「へっへっへ、女だ」
「楽しんで殺そう」

 山賊だわ。油断した。男たちは、笑いながら高いところから駆け下りてきたが、矢を引き抜いて投げつけると、一人の顔に当たって簡単に倒すことが出来た。それを見て彼らは怯んで間隔を取っていた。

 あちしは、大きく息を吸い込む。

「がおーー!!」
「ひぃ!!」

 あちしが一声叫ぶと、驚いて倒れた一人を抱えて立ち去った。口ほどにもない。

 ふと──。

 人影を感じてそちらに目をやると、アイツが片手に剣を引き抜いて、もう片手には火球魔法を宿らせて立っていた。
 アイツは無表情に、身を翻すと同時に、魔法を解除し、剣を鞘へと戻して街道へと歩き出した。
 あちしは、面白くなって、その背中を追いかける。

「ちょっと、ちょっと、ツンデレくん!」
「誰がだ。怪しい場所に行こうとするから気になっただけだ。どこへなりとも行くがいい」

「なによお! ツンデレくんはあちしのことが好きなんでしょ? そりゃそうよね、この美しい顔にボディ。さすが元天使だと思わない?」
「ブレイクだ」

「は?」
「私はそんな変テコリンな名前ではない」

 ぶっ。あちしは笑ってしまった。コイツは『ツンデレ』という名前だと思われてると思っているのだ。

「まっじめー。知ってるよ。ブレイクって名前だって」
「そうか?」

「当たり前でしょうよ。有名人だもの」
治癒魔法クリンク

 彼の言葉が淡い光を放って、あちしの矢を受けた左腕を包む。

「え、なに? 今の」
「血が出ていた。治してやったのだ」

「いや、知ってるけど? あんなんツバつけときゃ治るって。あちしの傷を治してくれるなんて、やっさしーね、ツンデレくんわぁ」
「ブレイクだ」

「別に? どっちでもいいけど?」

 あちしは、この頼り甲斐のある堅物の腕に自分の腕を絡ませた。

「お、おい。放せよ……」
「あら、それが第一の願いでいいかしら?」

「は、はあ?」
「だって離れて欲しいんでしょ?」

「それはズルい。押し売りだ!」
「うん、そーよね。あちしもそう思う」

「それに私の旅は危険だ。さっさと腕から離れて、ここから立ち去れ」
「んー、つまり、それが第一、第二の願いになっちゃいますぜ、ブレイクの旦那」

「くっ……。勝手にしろ」
「勝手にするもーん」

 あちしは、面白がってさらに腕に絡み付いて胸まで押し付けてやった。荒い息を漏らしてる。
 ざまぁ! マジでざまぁ! 真面目ぶってるから変なことできないもんねー、ブレイクくんは!




 そのうちに日が落ちかけた頃、夕闇に紛れてコウモリの皮膜を持つ軍団が音も立てずに空から奇襲してきた。
 ブレイクは、あちしを突き飛ばすと、剣を抜いて炎の魔法で応戦した。しかしどうやら、向こうも手の者らしく、ブレイクから疲労の色が見え始めていた。

「くっ……!」
「はっはっは! 勇者よ。どうやらここが貴様の墓場のようだな!」

 多勢に無勢でブレイクは、魔物の放つ攻撃にすっ飛んで地面に倒れてた。

雷光一閃シャイニングヴォルト!!」
「ぐあ!!」

 焼け落ちたのは魔物たち。目を丸くするブレイク。あちしが放った魔法で、魔物を一掃したのだ。
 あちしは倒れているブレイクへと手を伸ばすと、彼はそれを掴みながら言った。

「た、助かったよ。それに光の魔法……。元天使というのは本当だったのか」
「それなー」

 勇者ブレイクは始めて微笑んだ。あちしもそれに微笑み返す。

「か弱い女子かと思ったら、君は頼りになるのだな」
「そーそー。あーただって、今まで仲間も取らずに一人で魔物と戦うなんて無謀よ?」

「今まで仲間を取らなかったのは、私が神の加護を受け、強すぎるからだ。常人には戦えない。無理に危険な場所に行って巻き込むわけにはいかぬ」
「自惚れてるね~。でもブレイクくんは思った分けだ。ふーむスラングは頼りになる。魔法も使えるし、仲間になって貰おう、って?」

「そうだな。よろしく頼む」
「じゃ、それが第一の願いね?」

 そう言うと、急にブレイクはそっぽを向いて歩き出した。あちしはそれを追いかける。

「な、なによぉ! 別にいいじゃん一つくらいの願い」
「いや結構だ。今からは野宿しなくてはならない。女子と二人でそんなことは出来ぬ」

「ま。勇者さまは、自分の理性も利かずに、このわがままたっぷりボディを襲っちゃうってことー?」
「……まさか。あらぬ噂も立つし、むさ苦しい私と野宿なんて、君にとって失礼であるし、迷惑だろう」

「ハン! 勝手についていくもんね~」
「そうか。よろしく頼む」

 くそ。コイツはじめから? あちしが仲間になるように仕向けやがったわけ? ムカつくわ~。



 ともかく、二人の旅が始まった。ブレイクは私に食事も作ってくれた。二つ作ると大きいものや多いものを私にくれた。

 川を渡るときは、私を抱き抱えて濡らさないようにしてくれた。

 木の実を取る時は、私を肩車してくれた。

 宿に泊まる時に、「部屋はダブルベッドにしよう」「いや二部屋だ」「はぁ? いつも近くで寝る癖に?」「それはそれだ」「金掛かるだろ、秘薬貯金してるのに!」という争いはしょっちゅうだった。

 ともに歩き、ともに笑い、同時にあくびをしながら、魔王の待つ城へと向けて進んだのだ。



 やがて四天王最強の魔剣士クリフォードとの決戦となった。クリフォードは多くの人々を殺した最大の敵だった。力も拮抗していて、今までの道の途中で何度も死闘を繰り返したものの、引き分けとなっていたと聞いた。

 戦いが始まり、あちしが加勢しようとすると、ブレイクは不要だと叫んだ。どうやら、この一戦だけは一対一でやりたいらしい。マジ無駄な作業。
 あちしは、壁に寄りかかりながら、二人の戦いを見ていた。
 激しい剣撃、うなる魔法。二人はそれを笑い合いながら楽しむよう。

 クリフォードは強かった。だがブレイクは今までの戦いで更に強くなっており、ライバルであったクリフォードを己の技で倒したのだ。
 ブレイクは、そのクリフォードへと駆け寄り、身を抱き抱える。クリフォードは、フッと少しだけ笑った。

「腕を上げたな」
「ああ、お前に勝ちたい一心で──」

「だが、まだお前の戦いは終わっちゃいない。気を緩めるなよ」
「うう……」

「泣くな。結構なことじゃないか。我々は戦わなくてはならなかった。どちらかが死なねば終わらなかったのだから」
「しかし、私はお前にいつしか親愛の情を……」

「それは奇遇だな──。そして光栄な話だ」
「ううう、クリフォード……」

「……なあブレイク。私はお前より先に死ぬ。だから、な?」
「うん?」

「来世では、お前の兄に生まれ変わるよ。そしたら、家族として、出来の悪い弟を鍛え上げてやるから、そう思え」
「く……、コイツ……」

「はは」
「はは、はは」

 二人は静かに笑うと、やがてクリフォードの声は途絶え、その腕はだらりと垂れ下がった。
 ブレイクは、クリフォードの手を胸の前で組ませ、己の涙を自分の腕で拭いさって立ち上がった。
 そして、小さい声で言う。

「なあ、スラング」
「なによ……」

「第一の願いを言っていいか?」
「願い? 本当に?」

「ああ、クリフォードは魔物だ。その魂は生まれ変わっても魔物にしかならない。彼の魂が平安を得て、次は魔物以外になれるようにしてやってくれ」
「は? ええ? このさんざん苦労した魔物の魂を?」

「そうだ。私の掛け替えのない友だった」
「フッ──」

 あちしは小さく笑って、クリフォードの魂を呼んでウインクした。すると、その魂はするすると天に登って行く。

「……はい。おしまい」
「ほう。今ので……」

「まったく。バカな男。大事な願いをこんなことに使うなんて。だいたい、魔物には生まれ変わらなくても、次に何に生まれ変わるかなんて分からないわ。魚かも? それとも虫かしらね?」
「そうかもな。だが、人間になれるのもゼロじゃない」

「そりゃそうだけど……」

 ブレイクはあちしのほうに振り返り、今までにない笑顔を向けた。

「ありがと、な」
「──フン。なによ、今までそんなこと言わなかったクセに。まあいいや。このまま第二、第三の願いも言っちゃおう!」

 そう提案する間に、ブレイクは剣を腰に戻し、出口に向かって歩き出す。

「置いていくぞ?」
「はあ!? なにそれ! ふっざけんな!」

 あちしは、走ってブレイクの横に体当たりしながら並んだ。

「人が話してんのに、置いていくなんて、あり得なくない?」
「いやぁ、女子はいろいろ準備が遅いなぁ、なんて」

「おっ前、マジで殺すかんな!?」
「はっはっは!」

「ぷっ、あっはっはっは!」

 ふふ。今までの激戦とクリフォードとの戦いの悲しさを消すみたいに。コイツ、本当に──。

 あちしは、ブレイクの腕に絡み付いて、手のひらを合わせて強く握った。彼もそれに握り返す。

 なんか、心が通じあった気がした。





 それから時が経ち、あしちたちの旅も終わりに近づいてきた。あちしたちは、魔王の城にたどり着いたのだ。
 大魔道師や魔王親衛隊を協力して倒し、いよいよ魔王の玉座の間の前に来たときだった。

「──スラング」
「なに? ここまで来たらちゃっちゃと片付けちゃおう?」

「ここまでだ。今までの協力に感謝する」
「え? あ、うん。そりゃどーも」

「ここからは俺だけで充分だ。君はこの場からすぐに離れてくれたまえ」
「は、はあ?」

 あちしは、ブレイクを睨んだ。今までもそうだったが、危険だから自分だけで突っ込むということだ。何度も何度も言うから正直うんざりしていた。この最終決戦でまで、あちしの力がいらないとは、軽く見ている。腹が立ってしょうがなかった。

「そんな気遣いは不要よ! 二人で戦ったほうが良いに決まってるじゃん。もういい加減にしてよね!」

 あちしは、ブレイクのこういうところが嫌なのだ。声を荒げて抗議した。それに対してブレイクも強気に言ってきたのだ。

「ここのヤツは、今まで通りにはいかない! 女の力では無理なのだ!」
「はあ!? なにその、女、女、女……! あーただって今まで、その女に何度助けられてきたぁ? 男だからって、危険じゃない? なーにそれ? ホントにバカね?」

「もういい。今は言い争ってる時じゃない。お前は好きな男と一緒になって、その子供を生んで育てる……。それがお前の幸せだ!」
「は、はあ!!? 好きな男!? 好きな男ですって!? それの子供を産む……、あーたはそれでいいってわけ!?」

「もちろんだ。今までありがとう」
「ふざけんな! それにまだ願いが二つ残ってるし! あちしはここに残る!」

 ブレイクは、あちしに背を向けて扉に手を掛ける。だから一緒に入るのだと思ったが違った。

「スラング。第二の願いだ」
「は? なによ。ここで?」

「お前は足手まといだ。さっさとこの城から出ていってくれ」



 ────────。



 コイツ、ホンマもんのアホだ。バカだ。くそバカ。
 あちしはブレイクに背を向けて歩きだした。そして、パタンというドアが閉まる音を聞いて振り向いたが、そこにはバカの姿はなかったので、出口に向けて歩き出した。

「はあ、せいせいした。あんなのに付き合うもんじゃないね。さっさと次の客探そうっと。次はそうだね、欲の深い貴族なんかがいいかも」

 頬をつたう涙がうざったい。あちしは強引に腕でそれを拭い払う。後ろでは剣撃と魔法の爆発音。うるさいったらありゃしない。
 あちしが城からでる頃には、その音も収まり、静寂の中あちしの靴音だけが響いていた。

「戻らない。戻るもんか。アイツはこれを二番目の願いだって言ったもん。勝手に死ね! 死んじゃえ! 野垂れ死ね! 好きな男と結婚だって。ああ、してやるとも。アイツより良い男なんてたっくさんいるんだから! 逆にアレより悪い男なんている? 自分勝手で、わがまま。こっちの気持ちなんて考えてない。男、男って、女を軽く見てるもん。最悪の男。何が勇者だ」

 城の外には冷たい風が吹いていた。風の音だけが世界を支配する。そこにはあちしの靴音はなかったが、城の中に再度あちしの靴の音が響き出す。

「確かめるだけ。あのバカが無様に死んでる姿を。墓標もない墓の上で踊ってやるんだ。ザマァ見ろってさ……」

 玉座の間の前──。中に動きは伝わらない。だけど少しだけ感じる。ハァハァと喘ぐ声。アイツの……。あちしは急いでドアを開けた。

 そこには魔王が倒れており、アイツがかろうじて剣を杖がわりに立っていた。だがもう一歩も動けないらしい。
 あちしはソイツの前に立った。ソイツはニヤリと笑う。

「……どうやら三番目の願いが叶ったらしい」

 あちしは、そういったヤツの頬に泣きながら思い切り平手打ちをすると、簡単に倒れ込んだので胸倉を掴んで顔の前に引き寄せた。

「ああん!? 何がだよ! おおかた、死ぬ前にあちしに一目会いたいとでも願ったのか? このムッツリ野郎!!」

 そしてさらに、拳をアゴに叩き込んでやると三歩先に吹っ飛んだので、近寄って再度胸倉を掴んでやった。

「くっ……! さすがスラング。いい拳だな」
「てめえ! なんでくたばってねぇんだよ! このクズ!」

 わずかに笑うブレイクの顔を引き寄せて、もう一度殴ってやろうと思ったが、その気が失せた。代わりに思い切りキスしてやった。初めてのキスを──。

 そしたら、このムッツリはあちしの頬に手を当てて、自分からも求めてきた。あちしは驚いたものの、それに応じてると、そのうちに舌を入れて来やがったので、襟を掴んで力を込めて片手で放り投げると壁に背中を激突させて悶絶していた。
 あちしは駆け寄って、また掴んだ。今度は髪の毛だ。そして強引に顔を近付ける。

「いててて」
「んなわけねぇだろ! さっきのキスで命を吹き込んでやった。もう自分で立てるだろうが!」

 そう。経口で治癒魔法を吹き込んだのだ。そしたらムッツリがムッツリな行動をしてきやがったので投げた。本当にコイツのこと嫌いだ。

「はははは、なんだよ。魔王より強いじゃないか」
「この野郎、今の今まであちしの何を見てきた!? 何当たり前のこと言って笑ってやがる! 治癒してやったお礼を言え! そして扉の前で言ったことを謝れ!」

 また床にアンダースローで放り投げる。ヤツは床を滑って止まったところで一言。

「すまなかったな」

 それに近付いて、また掴む。その時のあちしは悔しいが笑っていた。そしてソイツに言う。

「やったな。一人で魔王を倒したんだ」
「はは……。すまないがスラング、立たせてくれないか?」

「てめえ、今さら何度願うんだよ。まあいい、サービスだ」

 あちしはブレイクの体を支えて立たせてやった。ブレイクは床に落ちていた自分の剣を拾い構えると、再度魔王の元へと向かう。
 あちしは訪ねる。

「死んでるんじゃないの?」
「いや、まだだ。とどめを刺さなくちゃ……」

 ブレイクが魔王に近づくと、奥の扉が開いたので、あちしたちは身構える。だがそこには、魔族の女と小さい子どもが二人。それが魔王に駆け寄って行った。

「お止めください! どうか陛下の……、夫の命はお救いください!」
「もうやめてよ、お兄ちゃん! パパを殴らないで!」

 おそらく、これは魔王の妃。そして次代の魔王となるべく子どもたち……。

 ブレイクは、固まったまま動けなかったが、やがて剣を鞘へとしまったので、あちしはそこに近付いた。

「いいの?」
「魔王にもはや戦意はない。充分だ」

「爪が甘いね。まだ死んでないし、次の魔王がそこにいるのに」

 ブレイクは、その家族を見つめながら小さく答える。

「私にはこのものたちを斬れん」

 あちしは呆れてため息をついた。

「はあ~、アマちゃん。今まで何のために戦ってきたの? 何のためにクリフォードを殺した? 人類のためと、尊敬し、敬愛したクリフォードを殺したって、ここに火種を残したら、また人類は魔王に生活を脅かされるし、あーただって、また戦わなくちゃならない。あーたが死ねば次の勇者が……。いつまでも戦いは終わらないんだよ?」

 あちしのド正論にブレイクは目を丸くしていたが、やっぱり剣を抜くのはためらっていた。
 やっぱり、コイツはバカなのだ。しかし、あちしはそんなブレイクに苦笑した。

「はっ。アンタらしいっちゃ、アンタらしいわ。どうする? あちしは戻って来ちゃったから、二番目の願いからまだ残ってるけど?」
「二番目の──? しかし、どうしたらいい?」

「そんなん、自分で考えな」

 ブレイクは少し考えてから、あちしのほうへと顔を向ける。

「我々は共存するからいさかいが起きるのだ。もう一つ世界があればいいのに、な」

 そう言って悩んでいたので、あちしは苦笑して答えた。

「もう一つの世界に魔族を送る。それが第二の願いでいい?」
「できるのか? さすがに無理かと……」

「まあね。でも善処しましょ」

 あちしは背中に天使の羽を生やし、頭上には輝く光輪を出した。そして、魔王たちを指差すと、空間がブレて同じ世界が離れて行く。
 魔王とその家族たちを乗せて、もう一つの世界が闇の中に消えて行く。あちらには人のいない世界。こちらには魔族のいない世界を作って分離させたのだ。

「す、すごい。本当に天使の力だ」

 ブレイクは驚いてあちしを尊敬の眼差して見ていたので、尻をひっぱたいてやった。

「痛!」
「当たり前。結局あちしに頼らなくちゃいけなかったくせに格好つけやがってさ」

「まあ、無様に負けるところを見せたくなかったし、お前を守る自信もなかったしな」
「バーカ」

「ま。終わりよければ全て良しだ」
「なによォ。まだ終わってないでしょ?」

「なにがだ?」
「第三の願いは?」

「第三の? いや。もういい」
「なに言ってんの? あるでしょ?」

「いやぁ、ないかな?」
「意気地無し」

「なんでだよ。この魔王を倒した俺が意気地無し?」
「そうでしょ。あちしを目の前にしたら、ホントに腰抜けなんだから」

「む……」
「自分の気持ちに正直になりなよ」

「む、む……」
「唸ってないでホラ!」

「あー、スラング。俺は故郷に帰って小さな家で暮らすつもりだ」
「ハイハイ、だから?」

「だからあ、ホラ。つまり、その~」
「はっきりしないね、ホントに勇者なの? 勇気全然ないじゃん。臆病者に変えたら?」

「──言うよ。ちゃんと」
「さっきから待ってますけど?」

「一緒についてきてくれ」
「は? 声、ちっちゃ! そんで、一緒についていけばいいの? それで満足ね?」

「だから、その……。俺の妻になってください──」

 あちしは赤くなって下を向いているブレイクに近付いて、腕に絡み付く。ブレイクは、それを見てニコリと笑った。あちしもそれに笑い返す。

「じゃあ、あーたの故郷に行っちゃいましょう!」
「あ!」

「なに? 忘れ物?」
「第三の願いの後は魂を取るんじゃなかったっけ?」

「ああ、アレ? ウソ、ウソ」
「なんだよソレ。はー、良かった」

 ブレイクは安堵のため息をついてから聞いてきた。

「なあ、そもそも、どうして願いを叶える必要があるんだ?」
「そりゃそうでしょ。あちしは天界を追放されても、いつかは戻りたい志を持ってる。だから善行を積んでるのよ」

「でも魂を取るって……」
「そのくらいの覚悟を持てってこと」

「はぁ……、なるほど」

 あちしたちは、誰もいなくなった魔王の城を出た。空は青々と光り輝き、そこには希望しかないように感。





 あちしたちは、ブレイクの故郷の集落で自給自足の生活を始めた。そこには苦労もあったが、幸せもあった。
 あちしは、ブレイクの子を五人産んで育て上げ、それぞれを独立させた。
 二人だけになった家の中で、ブレイクはあちしに聞く。

「なあ、スラング。俺の顔には皺もシミも出来た。髪は白髪だらけだ。だがお前は昔のまま、美しく煌めいている。なぜなんだ?」
「だってしょうがないじゃない。あたしは元天使。この天地と齢を同じにするものなのだもの」

「そうか。では俺は、お前を残して死んでしまうのか……」

 寂しそうにブレイクは呟くので、あちしはその手を握りながら答える。

「なーに言ってんの。あーたはあちしに願ったわよね。『俺の妻になってくれ』って。魂が願ったものだもの。あちしは、その願いを叶えるだけ」
「と、言うと?」

「ふふ。あーたが魔剣士クリフォードと魂の契りを結んだように、あちしとも結んでるってことよ」

 それにブレイクは、シワを刻んで笑った。

「そうか、来世で。待っていてくれるのか?」
「当たり前よ。あちしはあーたの妻なんだから。すぐに探し出すからね」

「そうか。ならば結構だ」
「ふふふ。前世でも同じこと言ってたけどねぇ」

「え?」
「一体何度目だと思ってるの?」

「おうおう、そうか。はっはっは」
「素直じゃないのも毎回一緒だけどね。あっはっはっは」

 あちしたちは、小さい家で大きな声で笑いあった。



 やがて……。ブレイクは死んだ。それは生き物には平等に訪れるもの。久しぶりに子どもたちが孫をつれて帰ってきた。
 あちしは、家の片隅にブレイクを埋めて、墓石を建てた。

 それから、何十年も年が流れた。あちしは墓の近くの畑を耕しながら生きていた。
 だが、ふと気付いて、すぐに旅支度を始めた。



 そして、数週間歩き続けて、小さな村にたどり着いた。風車が回る風景の美しい村だった。
 そこで、二人の男児が棒を振りながらこちらに駆けてくる。

「待ってよぅ。クリフォードお兄ちゃ~ん」
「まったくおっせぇなあ! ブレイク。そんなんで強い騎士になれるかよ!」

 クリフォードと呼ばれる少し大きな男児は風のようにあちしの横を通り過ぎた。そして小さなブレイクは、あちしの横にたどり着く前に転んでしまったのだ。

「いて!」

 ったく。あんなに上手に全身で転ぶかね? 地面に伏してる子どもに近づく。

「ホラ、ボク。手を貸してあげる」

 子どものブレイクは、顔を上げてあちしの手のひらに小さい手を乗せた。

「えへへ。ありがとー、おねえさん」
「うふふ。ホラお兄ちゃんが待ってるみたいだよ」

 あちしが顔を道の先に向けると、クリフォードが、壁に寄りかかって待っている。ブレイクは土を払いながら立ち上がった。
 あちしはそれに微笑む。

「ホラ、行きな」
「うん!」

 小さなブレイクは駆け出した。しかし、すぐ立ち止まってあちしのほうへと顔を向ける。

「えへへ。おねえさん、大きくなったらお嫁さんにしてあげる~」

 ふふ。確かに聞いたよ。小さいから素直だね~。

「うん! じゃあ楽しみに待ってるね!」
「うん! じゃあね!」

 少年たちは走り出した。あちしはその背中が消えるまで見つめていた。そして独り言を呟く。

「今のはノーカン。まだ第一の願いじゃないよ、ブレイク。次に会うのは十年くらい先かしらね? そしたらまたあんなに憎らしくて素直じゃなくなっちゃうのかな? ふふ」

 とりあえず、楽しみだ。寂しくなんかないよ。あーたは何度でも生まれ変わってくれるもの。
 さ。あの人の眠る村に一度戻ろうか。
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