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第1話 やって来た娘
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都の城塞の司令官である、アルベルト・グラムーン伯爵は機略、武勇に優れ、人民からの人気も高い。
しかし、そんな彼にも悩み事があった。一人息子で後継者であるシーンのことだ。
歳は16になってはいたが、生来読み書きも満足にできず、言葉も話せない。服すら一人で着替えることができなかったのだ。
学校や社交場に行っても友だちなど出来やしない。奇声を発して泣き出してしまうなど奇行も目立った。
「やーいやーい。うすのろシーン!」
「う、う、う、う」
「やーねー。きったないったらありゃしない」
教室で足を引っかけられ転んでしまったシーン。誰も手を差し伸べようとしない。むしろ笑われている。
長い金髪はざんばらで、前に大きく垂らして海藻を被っているかのよう。目は美しい碧眼であるもののまぬけに半分閉じているので誰も気付かない。おまけに鼻水を垂らし、口も開いたまま。大きな体なのに満足に制御できずこっちへフラフラ、あっちへフラフラ。
子どもとは残酷なもので、大人の見ていないところでシーンを嘲り、いじめた。シーンには抵抗も満足に出来ず、大声で鼻を垂らしながら泣きわめくしかできなかったのだ。
「あーん。あーん。あーん」
「あ、あ。洟まで垂らして。こっちにこないでよ。おおいやだ」
中でもこの国の大領主である大公爵令嬢のサンドラは徒党を組んでシーンを執拗に虐めた。
ウェーブのかかった紫色の髪に、薄いオレンジ色の瞳をもつ美しい彼女ではあったが、その女神のような姿とはうらはらに自分では手を汚さず、下僕のように貴族の子弟たちにシーンを転ばせたり、悪い言葉をぶつけさせたりした。
「お、お、お、お」
「気持ち悪いわね。犬みたいだわ」
「う、う、う、う」
「ほら、また泣くわよ。みんな笑いなさい」
「はははははは」
「うふふふふ」
「へへへへ。変なやつだなぁ」
ぎゃあぎゃあわめくから余計に面白がっていじめられる。そんなシーンだから、例え伯爵家のご令息で年頃とはいえ嫁の来手などあるわけがない。周りには婚約者など作るものもいたが、シーンは家柄が良くても誰も見向きもしないのだ。
アルベルトの城塞の司令官といえば要職。疎かにできない要の場所。シーンはそれを世襲できないであろう。グラムーン伯爵家には先祖代々の名誉があるが、息子の代ではそれは地に落ちてしまう。息子は可愛い。どうにか後ろ盾となるハクのある嫁が欲しい。仕事は部下にやらせて、名目ばかりの司令官でもよいので、守ってくれそうな公爵さまか、侯爵さまにお願いし、ご令嬢を是非にと出向くものの、ほとんどが門前払いでなかなか上手く行かない。
ならば武官の同僚のご令嬢でもよいと、多少ランクを落として頼み込むものの、どこの名家の令嬢もかたくなに固辞した。
あるとき、アルベルトが馬に跨がって仕事から屋敷に帰ると門の前に一人の娘が立っている。
着ているものはいささかくたびれており、荷物は小さな巾着袋だけ。しかし顔には気品が漂っており、立ち居振る舞いも上品。
その彼女は門番に丁度尋ねているところであった。
「グラムーン司令のお屋敷はこちらですか?」
弾むような言葉に、門番が顔を赤くしている。こんな上品なお嬢さんが一人で何の用事だろうと、そこにアルベルトは近づいた。
「いかにも。ここはグラムーン伯爵家。私の屋敷であります」
アルベルトも、自慢の口ひげを撫でながら答える。それを聞いて振り向いた彼女の顔はパッと花が咲いたように笑ったのだ。
「ああ、よかった! では、グラムーン司令ですね! 私は北都ノートストの城塞を守るパイソーン司令の三女でエイミーと申します。都見物にやってきたは良いのですが、道中、悪心をおこした家来たちが財産を奪って遁走してしまいました。私の侍女が先に気付きまして、逃がしてくれたので、厄災はありませんでしたが、ここで頼れるのは父の旧知であるグラムーン司令のみなのでこうして恥とは思いながらもやってきた次第でございます」
パイソーン司令とは、たしかに旧知の仲で昔はよく遊んだ。彼も爵位は伯爵で、外敵を侵入させない功労により、月銀章を賜っていたと聞いた。遠くにいながら、友人の功績に喜んだものである。
見ると、まだ14・5の娘だったが銀髪で白いドレスを纏う彼女は天女と思われるほど絶世の美女なのだ。
アルベルトはこんな娘がシーンの嫁になってくれたらと即座に思った。
「北都ノートストはここより遠い。私も任務がございますれば、しばらくはこちらにご逗留いただき、後にパイソーン司令の元に送り届けることといたしましょう」
「ああ、よかった。宜しくお願いいたします」
と、エイミーの同意を得てしばらく預かることにしたのである。
当然アルベルトは、逗留の間に彼女を口説き、シーンの嫁にしてしまおうという計略を思いついた。
シーンとは離れた場所に住まわせて、英邁だ、男前だ、回りが認めるほど立派だと言い続けていればエイミーもその気になるかも知れない。結婚の約束までしてしまえばこちらのもの。
愛だのなんだのは後からでも湧いてくるかも知れない。
友人のパイソーンには悪いが、息子のために目をつぶって貰おうと、使用人たちを呼んでエイミーにシーンの良い噂をするようにと命じ、その日は将来の夢を見ながら眠りについた。
シーンの部屋は大きな屋敷の一番東。エイミーに割り当てたのは、一番西にある小さな別邸。二人が会うには、敷地内の池や林を越えなくては会えないだろうとアルベルトは安心していた次の朝。早朝から楽しげな声がきこえる。
「さぁさぁシーン様ァ、こっちよ!」
「う、う、う、う」
「捕まえてご覧なさいなァ~」
「うお、うお、うお」
見ると、シーンがエイミーを追って楽しそうに遊んでいる。朝早くに二人は邸内で出会ってしまったのだろう。エイミーはきさくなお嬢さんだ。シーンがこの屋敷の息子と分かり優しい気持ちで遊んでくれているのであろう。
しかし、これはいけない。自分の計略が破綻したとアルベルトはガッカリした。これではエイミーはウスノロのシーンを好きにはなってくれまい。
その時のシーンは目脂だらけで、髪もざんばら。スカーフにはよだれなのかなんなのか、シミがついている。貴族の服もボタンを掛け違って、みっともないことこの上ない。
しかも言葉が満足でないものだから、声を漏らすだけ。
ボランティアで遊ぶ分にはいいが、恋の相手には務まらないだろうとアルベルトは残念に思った。
しかし、エイミーはそれを気にする風でもなく、背の高いシーンをしゃがませ、自分のハンカチで目脂をとってやった。
「ててててて」
「そんなに目の周りが汚れてて見えますの? ほら男の子なんだからがまんするのです」
「あ、あ、あ、あ」
「痛いですか?」
シーンは首を横に振って答える。
「じゃあ気持ちいい?」
「えへへ」
「うふふ。あっちで遊びましょうよ。ほら、シーンさまっ。大きなトンボ!」
「うおー!」
とても仲むつまじく寄り添い遊んでいる。
アルベルトはその行動に固まってしまった。なぜシーンにそんなに優しいのか?
だがこれはいいとばかりほくそえんだ。
そんなアルベルトの思いの裏で、エイミーは庭園の大樹の影へと回り、シーンの胸に深く頭を埋めていた。
「ああ、シーンさま。やっと、やっと会えましたね……」
「……うお」
そのエイミーの声は涙声で、戯れはほんの一瞬。それがため、屋敷のものはそんな密かごとのことを誰も知らなかった。
二人はまた子供のように駆け出す。シーンが楽しそうに笑うので、アルベルトはこれはよい友だちが出来たと喜んだ。それに、遊んでいればそのうちにシーンを好きになってくれるかもしれないと僅かな期待を抱いた。
しかし、そんな彼にも悩み事があった。一人息子で後継者であるシーンのことだ。
歳は16になってはいたが、生来読み書きも満足にできず、言葉も話せない。服すら一人で着替えることができなかったのだ。
学校や社交場に行っても友だちなど出来やしない。奇声を発して泣き出してしまうなど奇行も目立った。
「やーいやーい。うすのろシーン!」
「う、う、う、う」
「やーねー。きったないったらありゃしない」
教室で足を引っかけられ転んでしまったシーン。誰も手を差し伸べようとしない。むしろ笑われている。
長い金髪はざんばらで、前に大きく垂らして海藻を被っているかのよう。目は美しい碧眼であるもののまぬけに半分閉じているので誰も気付かない。おまけに鼻水を垂らし、口も開いたまま。大きな体なのに満足に制御できずこっちへフラフラ、あっちへフラフラ。
子どもとは残酷なもので、大人の見ていないところでシーンを嘲り、いじめた。シーンには抵抗も満足に出来ず、大声で鼻を垂らしながら泣きわめくしかできなかったのだ。
「あーん。あーん。あーん」
「あ、あ。洟まで垂らして。こっちにこないでよ。おおいやだ」
中でもこの国の大領主である大公爵令嬢のサンドラは徒党を組んでシーンを執拗に虐めた。
ウェーブのかかった紫色の髪に、薄いオレンジ色の瞳をもつ美しい彼女ではあったが、その女神のような姿とはうらはらに自分では手を汚さず、下僕のように貴族の子弟たちにシーンを転ばせたり、悪い言葉をぶつけさせたりした。
「お、お、お、お」
「気持ち悪いわね。犬みたいだわ」
「う、う、う、う」
「ほら、また泣くわよ。みんな笑いなさい」
「はははははは」
「うふふふふ」
「へへへへ。変なやつだなぁ」
ぎゃあぎゃあわめくから余計に面白がっていじめられる。そんなシーンだから、例え伯爵家のご令息で年頃とはいえ嫁の来手などあるわけがない。周りには婚約者など作るものもいたが、シーンは家柄が良くても誰も見向きもしないのだ。
アルベルトの城塞の司令官といえば要職。疎かにできない要の場所。シーンはそれを世襲できないであろう。グラムーン伯爵家には先祖代々の名誉があるが、息子の代ではそれは地に落ちてしまう。息子は可愛い。どうにか後ろ盾となるハクのある嫁が欲しい。仕事は部下にやらせて、名目ばかりの司令官でもよいので、守ってくれそうな公爵さまか、侯爵さまにお願いし、ご令嬢を是非にと出向くものの、ほとんどが門前払いでなかなか上手く行かない。
ならば武官の同僚のご令嬢でもよいと、多少ランクを落として頼み込むものの、どこの名家の令嬢もかたくなに固辞した。
あるとき、アルベルトが馬に跨がって仕事から屋敷に帰ると門の前に一人の娘が立っている。
着ているものはいささかくたびれており、荷物は小さな巾着袋だけ。しかし顔には気品が漂っており、立ち居振る舞いも上品。
その彼女は門番に丁度尋ねているところであった。
「グラムーン司令のお屋敷はこちらですか?」
弾むような言葉に、門番が顔を赤くしている。こんな上品なお嬢さんが一人で何の用事だろうと、そこにアルベルトは近づいた。
「いかにも。ここはグラムーン伯爵家。私の屋敷であります」
アルベルトも、自慢の口ひげを撫でながら答える。それを聞いて振り向いた彼女の顔はパッと花が咲いたように笑ったのだ。
「ああ、よかった! では、グラムーン司令ですね! 私は北都ノートストの城塞を守るパイソーン司令の三女でエイミーと申します。都見物にやってきたは良いのですが、道中、悪心をおこした家来たちが財産を奪って遁走してしまいました。私の侍女が先に気付きまして、逃がしてくれたので、厄災はありませんでしたが、ここで頼れるのは父の旧知であるグラムーン司令のみなのでこうして恥とは思いながらもやってきた次第でございます」
パイソーン司令とは、たしかに旧知の仲で昔はよく遊んだ。彼も爵位は伯爵で、外敵を侵入させない功労により、月銀章を賜っていたと聞いた。遠くにいながら、友人の功績に喜んだものである。
見ると、まだ14・5の娘だったが銀髪で白いドレスを纏う彼女は天女と思われるほど絶世の美女なのだ。
アルベルトはこんな娘がシーンの嫁になってくれたらと即座に思った。
「北都ノートストはここより遠い。私も任務がございますれば、しばらくはこちらにご逗留いただき、後にパイソーン司令の元に送り届けることといたしましょう」
「ああ、よかった。宜しくお願いいたします」
と、エイミーの同意を得てしばらく預かることにしたのである。
当然アルベルトは、逗留の間に彼女を口説き、シーンの嫁にしてしまおうという計略を思いついた。
シーンとは離れた場所に住まわせて、英邁だ、男前だ、回りが認めるほど立派だと言い続けていればエイミーもその気になるかも知れない。結婚の約束までしてしまえばこちらのもの。
愛だのなんだのは後からでも湧いてくるかも知れない。
友人のパイソーンには悪いが、息子のために目をつぶって貰おうと、使用人たちを呼んでエイミーにシーンの良い噂をするようにと命じ、その日は将来の夢を見ながら眠りについた。
シーンの部屋は大きな屋敷の一番東。エイミーに割り当てたのは、一番西にある小さな別邸。二人が会うには、敷地内の池や林を越えなくては会えないだろうとアルベルトは安心していた次の朝。早朝から楽しげな声がきこえる。
「さぁさぁシーン様ァ、こっちよ!」
「う、う、う、う」
「捕まえてご覧なさいなァ~」
「うお、うお、うお」
見ると、シーンがエイミーを追って楽しそうに遊んでいる。朝早くに二人は邸内で出会ってしまったのだろう。エイミーはきさくなお嬢さんだ。シーンがこの屋敷の息子と分かり優しい気持ちで遊んでくれているのであろう。
しかし、これはいけない。自分の計略が破綻したとアルベルトはガッカリした。これではエイミーはウスノロのシーンを好きにはなってくれまい。
その時のシーンは目脂だらけで、髪もざんばら。スカーフにはよだれなのかなんなのか、シミがついている。貴族の服もボタンを掛け違って、みっともないことこの上ない。
しかも言葉が満足でないものだから、声を漏らすだけ。
ボランティアで遊ぶ分にはいいが、恋の相手には務まらないだろうとアルベルトは残念に思った。
しかし、エイミーはそれを気にする風でもなく、背の高いシーンをしゃがませ、自分のハンカチで目脂をとってやった。
「ててててて」
「そんなに目の周りが汚れてて見えますの? ほら男の子なんだからがまんするのです」
「あ、あ、あ、あ」
「痛いですか?」
シーンは首を横に振って答える。
「じゃあ気持ちいい?」
「えへへ」
「うふふ。あっちで遊びましょうよ。ほら、シーンさまっ。大きなトンボ!」
「うおー!」
とても仲むつまじく寄り添い遊んでいる。
アルベルトはその行動に固まってしまった。なぜシーンにそんなに優しいのか?
だがこれはいいとばかりほくそえんだ。
そんなアルベルトの思いの裏で、エイミーは庭園の大樹の影へと回り、シーンの胸に深く頭を埋めていた。
「ああ、シーンさま。やっと、やっと会えましたね……」
「……うお」
そのエイミーの声は涙声で、戯れはほんの一瞬。それがため、屋敷のものはそんな密かごとのことを誰も知らなかった。
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