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夏侯家の娘は筋肉男に憧れる
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私は夏侯三娘。まだまだ若いですけどね、伯父には名将夏侯淵がおりますの。遠縁には夏侯惇おじさま!
ああ、なんてカッコいい。お二人は曹操さまの信用ある配下で親類でもあらせられる出世コースまっしぐら!
つい先日なんて、巨大勢力の袁紹軍をとっちめてしまって──! ますますの勢力拡大! もはや中原で曹軍でないものは人に非ずって状態よ。ウフフ。
私はその栄誉ある夏侯家の娘なんですもの。誇らしいー! 我が世の春よ。
「お母さま。ちょっと出掛けてくるね!」
「あらあなた。我が家は夏侯家よ? その家の娘が野っ原に出て花摘なんて笑われるわよ」
「大丈夫。大丈夫。すぐ戻るから~」
私は大好きなお花を摘みに外に出た。しかし家の回りの花はあらかた摘んでしまって、ご近所にはめぼしいものはない。
「そうだ。山のほうに行けば可愛いお花があるのかも」
私は鼻歌交じりに山に入ると、美しい花、花、花。
「キャー! 素敵! さっそく摘んじゃおう」
蝶々が飛び交う花畑。時を忘れてお花摘み。あちらではウサギやキツネが顔を出す。
「うふ。こんにちわキツネさん」
するとキツネはスッと体を花畑に隠した。
「ウフフ。かーわいい」
「ぐるるるるる」
え? 可愛くない声……。
私が恐る恐る振り返ると……。
虎だわ!!!
そこには八尺もあろう大虎が私に向かってのそりのそり。そして身を伏せてお尻を振ってる!
終わった。あれは獲物をとる姿勢。僅か十四歳にして三娘花畑に散る──。
私が恐れて目をつぶるものの、虎はなかなか襲いかかってこない。恐る恐る目を開けると、そこには虎はいなかった。
「はれ?」
「大丈夫かい? お嬢ちゃん」
私は声のほうに顔を上げると、そこには虎を担ぎ上げた大男が立っていた。鎧はしているものの筋肉ムキムキのイケメンだ!
「あ、あなたが助けてくれたの?」
「ん? ああ。そうなっちまったな」
そう言って彼は、長い槍に虎を結びつけてる。どうやら槍で倒したわけじゃなくて絞め殺したみたい。
くぉー! マジか! 見せかけの筋肉じゃなくて、実用性筋肉! 強い! まるで伯父さまみたーい!
「ねぇ。あなたは伯父さまの配下?」
「ん? 伯父さま? 誰だそれは」
「伯父さまを知らないの? 夏侯淵って知ってる?」
「ああ知ってるよ」
やっぱり。伯父さまは有名なのね~。彼は槍に結んだ虎を軽々と肩に担いだ。
「ねぇ。その虎をどうするの?」
「ああ、これ? 俺たちの晩飯」
「晩飯? すごーい! 虎を食べるのね! 豪傑って感じ」
「まぁな。お前も食ってみる? うめぇぞぉ~」
キャー! まさかのお誘い。カッコいいし、強いし。伯父さまを知ってるから大丈夫よね?
「じゃ馬に乗せてやるよ。俺がクツワをとるからよ」
私より十歳以上年上のその人は、嬉しそうに微笑みながらそう言った。もうこの時点で恋に落ちてたし。くぅ~。
馬に乗せられて歩き出す。
「ねぇ。私は三娘よ。夏侯三娘。あなたは?」
「なんでぇ。夏侯家の縁者か」
「そうよ。あなたのお名前は?」
「うーんと。ムニャムニャだな」
「へー。変なお名前ね」
変な名前だけど、頼もしい! いろいろなお話をした。この人も戦人で、黄巾の乱の頃から戦場に出てるみたい。
そうこうしてると、開けた場所にたくさんの人たちがキャンプをしていた。その中の一人が彼を見ると楽しそうにこちらに走ってきて、彼の胸を拳でつついたのだ。
「益徳ぅ。遅ぇぞぉ」
「うん。兄者。虎とってきた」
「虎ァ!? やっぱ益徳はすげぇやぁ!」
そう言って彼の胸にしがみつく。スッゴいフランク! でもこの人、ものすごく手が長ーい! 耳たぶも長ーい!
「長いのは手と耳だけじゃねーぞ、お嬢ちゃん。見せてやろうか?」
どうやら彼は私に気付いたようで、こちらをにこやかに見てきた。でもズボンを下ろそうとしている。ウソでしょ? 下ネタ?
すると、大きな手が私の前に伸びてきて抱き締めてきた。ウソ! 益徳さんが私を抱いてる……!
「やーめーろーよーなー兄者! 三娘には手を出すなよォ!」
「ヒヒヒ。弟のものは俺のもの。俺のものも俺のもの」
益徳さんは私を両手に掲げて兄者さんから逃げ惑った。
すごい力持ち! こんな高い高い、初めて!
「コラ!!」
「痛!!」
益徳さんが立ち止まったので、見てみると兄者さんは女の人二人と赤い顔した長身の男の人に睨まれていた。
「アンタいい加減にしないと殴るわよ?」
「もう殴ってるじゃねーか、甘」
どうやら兄者さんの奥さんみたいね。耳を引っ張られて連れていかれたわ。ホッ。
益徳さんは頭を下げて謝ってきた。
「ごめんなぁ。俺の兄貴は女となると見境ねぇんだ」
「うふふ。大丈夫よ」
すると益徳さんは顔を赤らめながら微笑んだ。
「と、虎の焼き肉。食うだろ? 俺の隣に座れよ。ここにいる奴ら、みんな危ねぇのばっかだから」
「うふ。そのつもりよ」
みんなでガヤガヤ、焼き肉パーティ。楽しそう。でもみんなこの辺じゃ見ない人たちばっかりだわ。戦人なのに。徐州訛りの人もいるし。
すると、先ほどの兄者さんの奥さんたちが話しかけてきた。
「あなた身なりがしっかりしてるわね。どこかのご令嬢?」
「あ、はい。夏侯家のものです」
「あら、富貴な家柄ね。張飛とどこであったの?」
「張飛? 益徳さんは張飛さんなんですか?」
「あらうふふ。そうよ。一騎当千の名将よ」
「はい。伯父から聞きました! 郭嘉さんや程昱さんも、張飛さんは一万の兵に匹敵するって言ってたって!」
すごいすごい! 伯父も曹軍のブレーンである郭嘉さんも程昱さんも誉めてた張飛さんの隣に座ってるだなんて。
「ああ~、バレちまったか。そうなんだ。おいらは燕人張飛。字は益徳だよ。幻滅したか?」
「そんな! 幻滅だなんて!」
私は真っ赤になって顔を伏せてしまった。
「あらこれは」
「うふふ。張飛にも春が来たみたい」
兄者さんの奥さんたちから聞こえる声。張飛さんは私をそっと抱き寄せた。
◇
多分、あのあと屋敷は大騒ぎだったろう。私は張飛さんに引っ付いて、この軍団と生活を共にすることにした。
でも知らなかったんだ。この人たちは曹軍の人じゃないってこと。ただ任務地に移動してると思ってたんだけど、いつの間にか荊州に入って、落ち延びたのだ。
「い!? 知らなかったの?」
「知らなかったよォ。まさか曹操さまから逃げてる劉備軍だったなんてェ」
「え? じゃあ帰る……か? 俺だったら曹操軍百万を突き抜けて実家に帰すこと出来るけど……」
私はそんなことをいう旦那をまたもや可愛く思ってしまった。
「いいよ。ここにいますゥ。将来はちゃんと贅沢させてね。旦那さま」
「う~……、でも兄者だからなぁ」
私は、強いくせに弱気な彼の尻を叩いた。
「痛っ!」
「なーにいってんの! アンタが兄者さんを導いてやらなきゃ!」
というと、彼はプッと笑った。
「だんだん姐さんたちに似てきたな」
「あったり前でしょ。兄者さんのとこにいるなら強くないとやってけないもんね」
◇
それでも私たちは各地を転戦……。ようやく益州を得て一息。その後で漢中を得る戦いをした。
私は気が気でなかった。何しろ漢中を守るのは夏侯淵伯父さまだったからだ。
さすが伯父さまの機略に、旦那も兄者さんも一進一退……。私は伯父さまに長安に逃げてほしかったけど……。
結果、旦那が担いできた伯父さまの亡骸と対面することになってしまった。
私は兄者さんに、伯父さまを埋葬すること懇願した。兄者さんは、我が軍を苦しめたであろう夏侯淵伯父さまのお墓を作ることに快く許してくれた。
◇
そして晴れて兄者さんは、漢中王の身分となった。そして旦那は士大夫の身分に!
「どーだ。俺と結婚して良かったか?」
「んっもう! ずいぶん待たせたクセに!」
「あの時の約束……」
「あの時?」
「お前が兄者を導いてやれって言葉。あれがなくちゃあ、俺たちは未だに各地を流浪してたのかもな……」
「そんなこと……私、もう忘れてしまったわ」
私は旦那に対して軽口を言う。伯父さまと戦って得た富貴の座は悲しいことだけど……。でも今、私幸せだわ。
「ういーす! 益徳ゥ。そして三娘も」
「い!? 兄者……。いや漢中王さま!」
漢中王さまだった。手には酒瓶を抱えてる。王様になったのに、未だに旦那と兄者さんは昔のままだ。
「三娘さんよぉ~、なんかツマミ作ってくれよぉ。この前狩りしたときの猪の肉まだあるだろ? あれ焼いてくれよ」
「漢中王さま。ウチの嫁を使わんで下さい」
「いーじゃねーか。弟のものは俺のもの。俺のものも俺のもの」
「まったく。三娘、頼めるか?」
「お安いご用よ。ちょっと待ってね~」
私が焼き肉を作ってくると、兄者さんはいつものようにニッコリと笑った。
「なぁ益徳。三娘さんよぉ」
「なんでぇ」
「なんでしょう」
「俺ばかり富貴の身分じゃ肩身が狭ぇや。俺の今があるのは益徳の武勇があったからだ。時に益徳は呂布を大喝し、俺を抱えて徐州から逃げ、長坂では曹操百万を追い返した」
「懐かしいなぁ。そんなこともあったっけ」
「なぁ、益徳。三娘さん。お前らの娘を阿斗(劉備の息子)の嫁にくれ。劉家と張家の縁をますます深めてぇんだ。頼む!」
頭を下げる兄者さんに、私たちはさらに平伏した。
「兄者。それはおいらも望むところです。なぁ三娘」
「はい。兄者さん。よろしくお願いいたします」
「これで益徳は俺の本当の弟だ。めでてぇなぁ。めでてぇなぁ」
私たちは席に着き、子供たちも呼んで楽しい時間を過ごしたのだ。
◇
やがて私たちの娘は、蜀漢の皇后となった。
だが私の夫はそれを見ることは出来なかった。部下の反乱によって命を奪われたのだ。
曹軍百万を脅かしたあの英傑は、ほんの一瞬でその生涯を閉じたのだ。
私の髪だけに白髪が生えて、共に過ごした人はもういない。
「三娘、三娘」
私が目を覚ますと、故郷の花畑だった。
「お前もこっちにこいよ」
「益徳さん! まぁ伯父さままで!」
そこには、かつての英傑たちが共に酒を酌み交わしていた。
「三娘。お前が俺の亡骸を葬ってくれたんだって? その節はすまなかったな」
「三娘さんよぉ、こんなタフガイな伯父を持ってお前さんは幸せだねぇ」
「劉備よ。お前さんは俺んとこから逃げるべきじゃなかった。じゃなかったらみんなで幸せになれたのに」
「相変わらず理屈っぽいねぇ曹操どんは」
私はそんな英傑たちを見て微笑んでいた。見るとあの時の服。そして益徳さんもあの頃の姿だった。
「三娘」
「益徳さん。私、恥ずかしい。私だけおばあちゃんになっちゃって」
「何をいう。あの時のままだよ。可愛らしいあの時のまま。さぁいこう」
「行くってどこに?」
「争いのない世界さ」
「うふ。そしたら益徳さんの仕事がなくなっちゃう」
「そうだな。だったら車夫でもするか」
「もう。適当なんだから」
私は益徳さんの手をとった。そして光溢れるほうへと──。
〈了〉
ああ、なんてカッコいい。お二人は曹操さまの信用ある配下で親類でもあらせられる出世コースまっしぐら!
つい先日なんて、巨大勢力の袁紹軍をとっちめてしまって──! ますますの勢力拡大! もはや中原で曹軍でないものは人に非ずって状態よ。ウフフ。
私はその栄誉ある夏侯家の娘なんですもの。誇らしいー! 我が世の春よ。
「お母さま。ちょっと出掛けてくるね!」
「あらあなた。我が家は夏侯家よ? その家の娘が野っ原に出て花摘なんて笑われるわよ」
「大丈夫。大丈夫。すぐ戻るから~」
私は大好きなお花を摘みに外に出た。しかし家の回りの花はあらかた摘んでしまって、ご近所にはめぼしいものはない。
「そうだ。山のほうに行けば可愛いお花があるのかも」
私は鼻歌交じりに山に入ると、美しい花、花、花。
「キャー! 素敵! さっそく摘んじゃおう」
蝶々が飛び交う花畑。時を忘れてお花摘み。あちらではウサギやキツネが顔を出す。
「うふ。こんにちわキツネさん」
するとキツネはスッと体を花畑に隠した。
「ウフフ。かーわいい」
「ぐるるるるる」
え? 可愛くない声……。
私が恐る恐る振り返ると……。
虎だわ!!!
そこには八尺もあろう大虎が私に向かってのそりのそり。そして身を伏せてお尻を振ってる!
終わった。あれは獲物をとる姿勢。僅か十四歳にして三娘花畑に散る──。
私が恐れて目をつぶるものの、虎はなかなか襲いかかってこない。恐る恐る目を開けると、そこには虎はいなかった。
「はれ?」
「大丈夫かい? お嬢ちゃん」
私は声のほうに顔を上げると、そこには虎を担ぎ上げた大男が立っていた。鎧はしているものの筋肉ムキムキのイケメンだ!
「あ、あなたが助けてくれたの?」
「ん? ああ。そうなっちまったな」
そう言って彼は、長い槍に虎を結びつけてる。どうやら槍で倒したわけじゃなくて絞め殺したみたい。
くぉー! マジか! 見せかけの筋肉じゃなくて、実用性筋肉! 強い! まるで伯父さまみたーい!
「ねぇ。あなたは伯父さまの配下?」
「ん? 伯父さま? 誰だそれは」
「伯父さまを知らないの? 夏侯淵って知ってる?」
「ああ知ってるよ」
やっぱり。伯父さまは有名なのね~。彼は槍に結んだ虎を軽々と肩に担いだ。
「ねぇ。その虎をどうするの?」
「ああ、これ? 俺たちの晩飯」
「晩飯? すごーい! 虎を食べるのね! 豪傑って感じ」
「まぁな。お前も食ってみる? うめぇぞぉ~」
キャー! まさかのお誘い。カッコいいし、強いし。伯父さまを知ってるから大丈夫よね?
「じゃ馬に乗せてやるよ。俺がクツワをとるからよ」
私より十歳以上年上のその人は、嬉しそうに微笑みながらそう言った。もうこの時点で恋に落ちてたし。くぅ~。
馬に乗せられて歩き出す。
「ねぇ。私は三娘よ。夏侯三娘。あなたは?」
「なんでぇ。夏侯家の縁者か」
「そうよ。あなたのお名前は?」
「うーんと。ムニャムニャだな」
「へー。変なお名前ね」
変な名前だけど、頼もしい! いろいろなお話をした。この人も戦人で、黄巾の乱の頃から戦場に出てるみたい。
そうこうしてると、開けた場所にたくさんの人たちがキャンプをしていた。その中の一人が彼を見ると楽しそうにこちらに走ってきて、彼の胸を拳でつついたのだ。
「益徳ぅ。遅ぇぞぉ」
「うん。兄者。虎とってきた」
「虎ァ!? やっぱ益徳はすげぇやぁ!」
そう言って彼の胸にしがみつく。スッゴいフランク! でもこの人、ものすごく手が長ーい! 耳たぶも長ーい!
「長いのは手と耳だけじゃねーぞ、お嬢ちゃん。見せてやろうか?」
どうやら彼は私に気付いたようで、こちらをにこやかに見てきた。でもズボンを下ろそうとしている。ウソでしょ? 下ネタ?
すると、大きな手が私の前に伸びてきて抱き締めてきた。ウソ! 益徳さんが私を抱いてる……!
「やーめーろーよーなー兄者! 三娘には手を出すなよォ!」
「ヒヒヒ。弟のものは俺のもの。俺のものも俺のもの」
益徳さんは私を両手に掲げて兄者さんから逃げ惑った。
すごい力持ち! こんな高い高い、初めて!
「コラ!!」
「痛!!」
益徳さんが立ち止まったので、見てみると兄者さんは女の人二人と赤い顔した長身の男の人に睨まれていた。
「アンタいい加減にしないと殴るわよ?」
「もう殴ってるじゃねーか、甘」
どうやら兄者さんの奥さんみたいね。耳を引っ張られて連れていかれたわ。ホッ。
益徳さんは頭を下げて謝ってきた。
「ごめんなぁ。俺の兄貴は女となると見境ねぇんだ」
「うふふ。大丈夫よ」
すると益徳さんは顔を赤らめながら微笑んだ。
「と、虎の焼き肉。食うだろ? 俺の隣に座れよ。ここにいる奴ら、みんな危ねぇのばっかだから」
「うふ。そのつもりよ」
みんなでガヤガヤ、焼き肉パーティ。楽しそう。でもみんなこの辺じゃ見ない人たちばっかりだわ。戦人なのに。徐州訛りの人もいるし。
すると、先ほどの兄者さんの奥さんたちが話しかけてきた。
「あなた身なりがしっかりしてるわね。どこかのご令嬢?」
「あ、はい。夏侯家のものです」
「あら、富貴な家柄ね。張飛とどこであったの?」
「張飛? 益徳さんは張飛さんなんですか?」
「あらうふふ。そうよ。一騎当千の名将よ」
「はい。伯父から聞きました! 郭嘉さんや程昱さんも、張飛さんは一万の兵に匹敵するって言ってたって!」
すごいすごい! 伯父も曹軍のブレーンである郭嘉さんも程昱さんも誉めてた張飛さんの隣に座ってるだなんて。
「ああ~、バレちまったか。そうなんだ。おいらは燕人張飛。字は益徳だよ。幻滅したか?」
「そんな! 幻滅だなんて!」
私は真っ赤になって顔を伏せてしまった。
「あらこれは」
「うふふ。張飛にも春が来たみたい」
兄者さんの奥さんたちから聞こえる声。張飛さんは私をそっと抱き寄せた。
◇
多分、あのあと屋敷は大騒ぎだったろう。私は張飛さんに引っ付いて、この軍団と生活を共にすることにした。
でも知らなかったんだ。この人たちは曹軍の人じゃないってこと。ただ任務地に移動してると思ってたんだけど、いつの間にか荊州に入って、落ち延びたのだ。
「い!? 知らなかったの?」
「知らなかったよォ。まさか曹操さまから逃げてる劉備軍だったなんてェ」
「え? じゃあ帰る……か? 俺だったら曹操軍百万を突き抜けて実家に帰すこと出来るけど……」
私はそんなことをいう旦那をまたもや可愛く思ってしまった。
「いいよ。ここにいますゥ。将来はちゃんと贅沢させてね。旦那さま」
「う~……、でも兄者だからなぁ」
私は、強いくせに弱気な彼の尻を叩いた。
「痛っ!」
「なーにいってんの! アンタが兄者さんを導いてやらなきゃ!」
というと、彼はプッと笑った。
「だんだん姐さんたちに似てきたな」
「あったり前でしょ。兄者さんのとこにいるなら強くないとやってけないもんね」
◇
それでも私たちは各地を転戦……。ようやく益州を得て一息。その後で漢中を得る戦いをした。
私は気が気でなかった。何しろ漢中を守るのは夏侯淵伯父さまだったからだ。
さすが伯父さまの機略に、旦那も兄者さんも一進一退……。私は伯父さまに長安に逃げてほしかったけど……。
結果、旦那が担いできた伯父さまの亡骸と対面することになってしまった。
私は兄者さんに、伯父さまを埋葬すること懇願した。兄者さんは、我が軍を苦しめたであろう夏侯淵伯父さまのお墓を作ることに快く許してくれた。
◇
そして晴れて兄者さんは、漢中王の身分となった。そして旦那は士大夫の身分に!
「どーだ。俺と結婚して良かったか?」
「んっもう! ずいぶん待たせたクセに!」
「あの時の約束……」
「あの時?」
「お前が兄者を導いてやれって言葉。あれがなくちゃあ、俺たちは未だに各地を流浪してたのかもな……」
「そんなこと……私、もう忘れてしまったわ」
私は旦那に対して軽口を言う。伯父さまと戦って得た富貴の座は悲しいことだけど……。でも今、私幸せだわ。
「ういーす! 益徳ゥ。そして三娘も」
「い!? 兄者……。いや漢中王さま!」
漢中王さまだった。手には酒瓶を抱えてる。王様になったのに、未だに旦那と兄者さんは昔のままだ。
「三娘さんよぉ~、なんかツマミ作ってくれよぉ。この前狩りしたときの猪の肉まだあるだろ? あれ焼いてくれよ」
「漢中王さま。ウチの嫁を使わんで下さい」
「いーじゃねーか。弟のものは俺のもの。俺のものも俺のもの」
「まったく。三娘、頼めるか?」
「お安いご用よ。ちょっと待ってね~」
私が焼き肉を作ってくると、兄者さんはいつものようにニッコリと笑った。
「なぁ益徳。三娘さんよぉ」
「なんでぇ」
「なんでしょう」
「俺ばかり富貴の身分じゃ肩身が狭ぇや。俺の今があるのは益徳の武勇があったからだ。時に益徳は呂布を大喝し、俺を抱えて徐州から逃げ、長坂では曹操百万を追い返した」
「懐かしいなぁ。そんなこともあったっけ」
「なぁ、益徳。三娘さん。お前らの娘を阿斗(劉備の息子)の嫁にくれ。劉家と張家の縁をますます深めてぇんだ。頼む!」
頭を下げる兄者さんに、私たちはさらに平伏した。
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「はい。兄者さん。よろしくお願いいたします」
「これで益徳は俺の本当の弟だ。めでてぇなぁ。めでてぇなぁ」
私たちは席に着き、子供たちも呼んで楽しい時間を過ごしたのだ。
◇
やがて私たちの娘は、蜀漢の皇后となった。
だが私の夫はそれを見ることは出来なかった。部下の反乱によって命を奪われたのだ。
曹軍百万を脅かしたあの英傑は、ほんの一瞬でその生涯を閉じたのだ。
私の髪だけに白髪が生えて、共に過ごした人はもういない。
「三娘、三娘」
私が目を覚ますと、故郷の花畑だった。
「お前もこっちにこいよ」
「益徳さん! まぁ伯父さままで!」
そこには、かつての英傑たちが共に酒を酌み交わしていた。
「三娘。お前が俺の亡骸を葬ってくれたんだって? その節はすまなかったな」
「三娘さんよぉ、こんなタフガイな伯父を持ってお前さんは幸せだねぇ」
「劉備よ。お前さんは俺んとこから逃げるべきじゃなかった。じゃなかったらみんなで幸せになれたのに」
「相変わらず理屈っぽいねぇ曹操どんは」
私はそんな英傑たちを見て微笑んでいた。見るとあの時の服。そして益徳さんもあの頃の姿だった。
「三娘」
「益徳さん。私、恥ずかしい。私だけおばあちゃんになっちゃって」
「何をいう。あの時のままだよ。可愛らしいあの時のまま。さぁいこう」
「行くってどこに?」
「争いのない世界さ」
「うふ。そしたら益徳さんの仕事がなくなっちゃう」
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