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あの時の青春
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真理と再開したのはほんの偶然だった。俺は会社の帰り道、彼女は犬の散歩で土手の上を歩いていた。
二人とも五十歳で顔も身体の線も崩れていたが、立ち止まって見つめあってしまった、ということは真理も俺に気付いたと言うことだろう。
最低の裏切りをした俺を──。
「お久しぶりね。カバンを持っているということは、会社帰りかしら?」
「う、うん。いや、ああ、そうなんです。お前は──、いやキミは、川崎さんはお元気でしたか?」
「あらやだ。私、結婚したんですのよ。今では神林を名乗っております」
「あ、そ、そうなんだ。結婚を──」
彼女は……、真理は俺を待っていてくれると言っていた。あの部屋で。
◇
二十歳──。
当時の俺は、クソみたいなヤツだった。自分が最高で、支配者のように特別な存在だと思っていた。
ギターを抱え、駅前に人だかりを作り、音楽の才能があると思っていた。
はっ。たかだか、その地域の友人が客引きをしてくれてかろうじて見てくれの人気を掴んだだけだってのに。
高校時代から支えてくれていた真理。何より大事な恋人だったのに。
有頂天だった俺は、当たり前のようにファンの女に手を出し、真理を軽んじた。友人に咎められてもやめようとは思わなかった。
真理が事務員をして稼いだ金を遊びに使った。それでも真理は影でコツコツと金を貯めていてくれたんだ。
俺との結婚資金を。
ある時スカウトマンに、才能があるから東京に出て事務所に入るように言われた。俺は舞い上がった。
だが当面の資金に二百万と、関係のある女性から手を引くように言われた。
俺は二つ返事だった。すぐにアパートに行き、真理の通帳を手に取り、部屋を出ようとすると丁度、真理が帰ってきた。
会うつもりはなかったが、仕方なく説得した。金のこと、一時的に別れなくてはならないこと。だがきっと迎えにくるとウソをついたのだ。
そう言わなくては金を渡してくれないと思ったからだ。真理を軽んじていた俺は彼女一人に縛られるつもりはなかったのだ。
「じゃ、私待ってるよ。この部屋で──」
その言葉を背に受けて、俺は東京に出た、が、上手く行くわけはなかった。事務所はあったものの、活動を始めるとすぐに逃げられ、俺は都会の海に捨てられた。
運良く女に拾われ、転々としながら自分に才能などないことを思い知らされた頃には四十に近くなっていた。
思い出す真理の顔。だが今さら連絡など出来ない。しかしあの部屋に行けば──と思いながら年月が経ち、四十二の時、同棲していた女に子どもが出来てしまい、それきり……。
妻になった女の父の会社に置いてもらい、生活は人並み。子どもも二人生まれ、すっかりマイホームパパになったが、本当にこれでよかったのか?
真理とどうして離れてしまったのか?
自問自答の毎日だった。
あの時の自分を殴ってやりたい。尽くしてくれた彼女を裏切ったことを後悔し、あの時に戻りたいと強く願った──。
◇
ふと気付くと、目の前に真理は立っていなかった。代わりに胡散臭そうな男がいる。
そいつは椅子に腰を下ろしている。どうやら俺もそうだ。そして見覚えのある喫茶店。
男は話を口を開いた。
「ですからキミのデビューには多少お金がかかります。当面二百万。でもね、キミの才能ならあっという間に取り戻せるし、大金持ちだ。スターになるんだからね。ただ今付き合ってる彼女とは縁を切ってください。人気商売だからね。分かるでしょ?」
こ、これは……。二十年前のあの時だ。あの分岐点。俺はコイツに騙されて金を持ち逃げされ、真理とも別れてしまうんだ。
「すいません。失礼します!」
「ちょ、ちょっとキミ!」
俺は走った。あの二人のアパートへ。あそこには真理がいて、俺を待ってるんだ。俺を──。
息を切らせてただ走る。若いってのはすごい。でもそんなことに感動してる場合じゃない。
やり直す。真理と人生をもう一度。
俺は見覚えのあるアパートのドアを開けた。そこにはやはり真理がいた。俺は力を込めて真理を抱き締めたんだ。
「真理、ああ真理……!」
「う。ちょっと、ちょっと研司さん?」
軽い違和感。真理が俺を『さん』付け?
縛めをといて真理の顔を覗き込むと、そこには困ったような顔の真理がいた。そして、困ったように話し始めたのだ。
「どうやらあなたはあの時の若い研司さんじゃないわね。あの時のあなたならお金をせびってきたもの。私たち、どういう分けか精神だけ過去に戻ってきてしまったのだわ」
「え? キミもかい?」
「ええ、そうね。この部屋は懐かしいわ。あなたをここで一年ばかり待っていたことを思い出したわ」
「だったら話が早い。俺はあの時のことを後悔している。あんなロクデナシの前の俺とは違う。キミと人生をやり直したいんだ!」
俺は思いきってぶちまけた。感動的なセリフを。昔の真理なら、グラッと来たに違いない。しかし真理は、俺の肩を押して身を離した。
「な、何をおっしゃるの? あなたはいつも勝手だわ。私は夫を愛しているし、もうあなたにそんな気はないわよ。何回裏切ったと思って? 何度泣かせたと思って? 私の夫はね、とても優しいわよ。私たち対等なの。互いに尊敬し合い、互いに笑い、互いに泣き合い、支え合った夫が何よりも大切なのよ!」
俺は唖然とした。こんな剣幕の真理を見たことがなかった。しかし俺は力ずくで真理を押し倒した。
「きゃ! 何をなさるの!?」
「だったらこうしてやる。俺のほうが良いことを思い出させてやるよ!」
「何をおっしゃって? いつも身勝手に始めて身勝手に終わらすセックスの何がいいのよ! 私はもっと良いものを知ってるもの!」
真理の言葉に、男も人間も否定され、俺は逆上して彼女の首を絞めていた。
◇
気付くと俺は土手の上に立っていた。目の前には首を押さえて咳き込む50歳の真理。彼女の犬は俺に向かって吠えていた。
彼女は俺を睨みながら言った。
「ケホ! ケホ! どうやら戻ってこれたみたいね。きっとあれは一時的なものだったのだわ」
そう言って彼女は、俺の頬に平手を叩き込んだ。
「やっぱり。あなたがやり直したいと言っても所詮は同じ。変わってないのよ。少しばかり残ってたわだかまりもきれいさっぱり消え去ってせいせいしたわ。あなたはあなたの人生を歩んでください。私を巻き込まないで」
俺は彼女に叩かれた頬を押さえながら、離れていく後ろ姿を眺めることしか出来なかった。
二人とも五十歳で顔も身体の線も崩れていたが、立ち止まって見つめあってしまった、ということは真理も俺に気付いたと言うことだろう。
最低の裏切りをした俺を──。
「お久しぶりね。カバンを持っているということは、会社帰りかしら?」
「う、うん。いや、ああ、そうなんです。お前は──、いやキミは、川崎さんはお元気でしたか?」
「あらやだ。私、結婚したんですのよ。今では神林を名乗っております」
「あ、そ、そうなんだ。結婚を──」
彼女は……、真理は俺を待っていてくれると言っていた。あの部屋で。
◇
二十歳──。
当時の俺は、クソみたいなヤツだった。自分が最高で、支配者のように特別な存在だと思っていた。
ギターを抱え、駅前に人だかりを作り、音楽の才能があると思っていた。
はっ。たかだか、その地域の友人が客引きをしてくれてかろうじて見てくれの人気を掴んだだけだってのに。
高校時代から支えてくれていた真理。何より大事な恋人だったのに。
有頂天だった俺は、当たり前のようにファンの女に手を出し、真理を軽んじた。友人に咎められてもやめようとは思わなかった。
真理が事務員をして稼いだ金を遊びに使った。それでも真理は影でコツコツと金を貯めていてくれたんだ。
俺との結婚資金を。
ある時スカウトマンに、才能があるから東京に出て事務所に入るように言われた。俺は舞い上がった。
だが当面の資金に二百万と、関係のある女性から手を引くように言われた。
俺は二つ返事だった。すぐにアパートに行き、真理の通帳を手に取り、部屋を出ようとすると丁度、真理が帰ってきた。
会うつもりはなかったが、仕方なく説得した。金のこと、一時的に別れなくてはならないこと。だがきっと迎えにくるとウソをついたのだ。
そう言わなくては金を渡してくれないと思ったからだ。真理を軽んじていた俺は彼女一人に縛られるつもりはなかったのだ。
「じゃ、私待ってるよ。この部屋で──」
その言葉を背に受けて、俺は東京に出た、が、上手く行くわけはなかった。事務所はあったものの、活動を始めるとすぐに逃げられ、俺は都会の海に捨てられた。
運良く女に拾われ、転々としながら自分に才能などないことを思い知らされた頃には四十に近くなっていた。
思い出す真理の顔。だが今さら連絡など出来ない。しかしあの部屋に行けば──と思いながら年月が経ち、四十二の時、同棲していた女に子どもが出来てしまい、それきり……。
妻になった女の父の会社に置いてもらい、生活は人並み。子どもも二人生まれ、すっかりマイホームパパになったが、本当にこれでよかったのか?
真理とどうして離れてしまったのか?
自問自答の毎日だった。
あの時の自分を殴ってやりたい。尽くしてくれた彼女を裏切ったことを後悔し、あの時に戻りたいと強く願った──。
◇
ふと気付くと、目の前に真理は立っていなかった。代わりに胡散臭そうな男がいる。
そいつは椅子に腰を下ろしている。どうやら俺もそうだ。そして見覚えのある喫茶店。
男は話を口を開いた。
「ですからキミのデビューには多少お金がかかります。当面二百万。でもね、キミの才能ならあっという間に取り戻せるし、大金持ちだ。スターになるんだからね。ただ今付き合ってる彼女とは縁を切ってください。人気商売だからね。分かるでしょ?」
こ、これは……。二十年前のあの時だ。あの分岐点。俺はコイツに騙されて金を持ち逃げされ、真理とも別れてしまうんだ。
「すいません。失礼します!」
「ちょ、ちょっとキミ!」
俺は走った。あの二人のアパートへ。あそこには真理がいて、俺を待ってるんだ。俺を──。
息を切らせてただ走る。若いってのはすごい。でもそんなことに感動してる場合じゃない。
やり直す。真理と人生をもう一度。
俺は見覚えのあるアパートのドアを開けた。そこにはやはり真理がいた。俺は力を込めて真理を抱き締めたんだ。
「真理、ああ真理……!」
「う。ちょっと、ちょっと研司さん?」
軽い違和感。真理が俺を『さん』付け?
縛めをといて真理の顔を覗き込むと、そこには困ったような顔の真理がいた。そして、困ったように話し始めたのだ。
「どうやらあなたはあの時の若い研司さんじゃないわね。あの時のあなたならお金をせびってきたもの。私たち、どういう分けか精神だけ過去に戻ってきてしまったのだわ」
「え? キミもかい?」
「ええ、そうね。この部屋は懐かしいわ。あなたをここで一年ばかり待っていたことを思い出したわ」
「だったら話が早い。俺はあの時のことを後悔している。あんなロクデナシの前の俺とは違う。キミと人生をやり直したいんだ!」
俺は思いきってぶちまけた。感動的なセリフを。昔の真理なら、グラッと来たに違いない。しかし真理は、俺の肩を押して身を離した。
「な、何をおっしゃるの? あなたはいつも勝手だわ。私は夫を愛しているし、もうあなたにそんな気はないわよ。何回裏切ったと思って? 何度泣かせたと思って? 私の夫はね、とても優しいわよ。私たち対等なの。互いに尊敬し合い、互いに笑い、互いに泣き合い、支え合った夫が何よりも大切なのよ!」
俺は唖然とした。こんな剣幕の真理を見たことがなかった。しかし俺は力ずくで真理を押し倒した。
「きゃ! 何をなさるの!?」
「だったらこうしてやる。俺のほうが良いことを思い出させてやるよ!」
「何をおっしゃって? いつも身勝手に始めて身勝手に終わらすセックスの何がいいのよ! 私はもっと良いものを知ってるもの!」
真理の言葉に、男も人間も否定され、俺は逆上して彼女の首を絞めていた。
◇
気付くと俺は土手の上に立っていた。目の前には首を押さえて咳き込む50歳の真理。彼女の犬は俺に向かって吠えていた。
彼女は俺を睨みながら言った。
「ケホ! ケホ! どうやら戻ってこれたみたいね。きっとあれは一時的なものだったのだわ」
そう言って彼女は、俺の頬に平手を叩き込んだ。
「やっぱり。あなたがやり直したいと言っても所詮は同じ。変わってないのよ。少しばかり残ってたわだかまりもきれいさっぱり消え去ってせいせいしたわ。あなたはあなたの人生を歩んでください。私を巻き込まないで」
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